
8日の夜に丸の内の「コットン・クラブ」でバッキーとジョンのピザレリ親子のライヴを聴いてきました。まずは、ジョンのカルテットが登場して2曲ほどスタンダードを披露。その後に父親のバッキーがステージに招かれ、ジョンの新作『 Rockin' In Rhythm-A Duke Ellington Tribute』からの曲をたっぷりと聴かせてくれました。

ぼくのイメージではジョンはギタリスト。もちろんばりばりソロを弾きますが、実際はシンガーの印象が強いでしょうか? まあギターの弾き語りと言ってしまえばそういうことなんですが、ぼくは最初、ギタリストとしての彼に興味を持ったので、どうしてもそういう目で見てしまいます。
お父さんのバッキーは今年で84歳。元気です。エンジンがかかってくると早いフレーズもガンガン弾きますし、コードワークによるソロも大胆不敵。昔から好きなギタリストでしたが、さらに味わい深くなっていました。

ステージ終了後、おふたりにインタヴューもさせてもらいました。この親子、とても仲がいいです。親子であると同時に師弟でもあるんですが、堅苦しいところはまったくなし。友人のような感じでしたね。
ひとしきりインタヴューが終わり、ジョンはメンバーのところに戻ったんですが、バッキーはしばらくその場にとどまっていました。そこで、ひとつ質問を。
バッキーはマイルスがエレクトリック・ギターを加えて最初にレコーディングした『マイルス・イン・ザ・スカイ』用のセッションに起用されたことがあります。結局そのとき録音された「ファン」はお蔵入りし、直後にジョージ・ベンソンを加えたグループで録音した「パラフェルナリア」がアルバムには収録されました。

バッキーとマイルス。まったく音楽的にタイプの違う共演がどうして実現したのか? そのことを聞いたら「あれは思い出したくない」と一蹴されました。よほど嫌な思い出があったんでしょう。でもテオ・マセロから電話がかかってきてスタジオに行ったらマイルスが居て、譜面を渡され、ほとんどリハーサルなしでレコーディングが始まったことなどを教えてくれました。
このことでちょっとした話が書けるくらいのネタは仕入れたので、チャンスがあればどこかで書きますね。ギャラが幾らかまで聞いちゃいました。はっきり覚えていなかったですが、大体の金額はわかりました。
バッキーさん、ぼくはその昔、ズート・シムズのグループに入って初来日したときに聴いたのが最初です。翌年にはニューヨークの「カフェ・ピエール」で演奏しているところにも行きました。「カフェ・ピエール」は「カフェ」とあるのに高級なレストランで、普通のかっこで行ったら、入り口で備え付けのジャケットを着させられました。最高級ホテルのひとつ「ピエール」のレストランだったので、「カフェ」も高級だったんですね。

それから昨年暮れにはニューヨークの「スモールズ」でジョン・バンチのトリオで演奏しているのも、取材絡みで観ています。ジョン・バンチは残念ながら先日この世を去っていますが、バッキーさんはまだまだお元気。そんな話もインタヴューの合間にちょこっとさせてもらいました。

ジョンさんは、帰りがけに1曲、遊び半分でスタンダードの弾き語り(もどき)もして、間奏に「禁じられた遊び」を入れてくれました。これは、以前といってもずいぶん前ですが、彼をインタヴューしたときに話題になったことを覚えていてくれたんですね。言葉には出さなくても、ミュージシャンらしいやりかたでグリーティングしてくれたことが嬉しいです。
またいい思い出ができました。