今日で84歳の誕生日を迎えるマイルス。考えてみると、ぼくがマイルスと会うようになったのは1985年のことですから、彼が59歳と9ヶ月のとき。いまのぼくとまったく同じです。ぼくもあと3ヶ月で60歳ですから。この違い。ウーン。
って、帝王と自分とを比較するのはおこがましいですよね。でも、何か感慨深いものを覚えます。そうか、このあと5年であの世に行ってしまったのか。ウーン。
あのときのマイルスは、いまのぼくよりぜんぜん元気でしたし、迫力がありました。アーティスト、あるいはクリエイターならではの前向きの姿勢がビシバシと伝わってきたものです。24歳年上の彼に何度触発されたことでしょうか? ぼくにとっては、本当に得がたい出会いでした。
それで、今日は久々に「愛しのジャズマン」としてマイルスを。
『ジャズ楽屋噺~愛しきジャズマンたち(東京キララ社)』より~
ぼくは自虐的な人間なのだろうか? マゾっけはないつもりだが、怒られたのに嬉しく思った経験がある。マイルス・デイヴィスと会っていたときだ。彼と会っているときはいつも細心の注意を払うようにしていた。しかしマイルスの口から飛び出してくる話はいつだって面白いし、興味深い。彼は問わず語りの名人だから、途中で余計な口を挟まないほうがいい。しばし沈黙の時間が流れても、そういうときはなにかを考えたり思い出したりしているのだから、先をうながしてはいけない。そのことはいつも肝に銘じていた。話したいように話してもらうのが一番だ、と。
マイルスと会うときは長時間におよぶことが大半だった。10時間以上というのもざらだ。昼に会って明けがたまで宿泊していたホテルにいたこともあれば、午後に家を訪ね、夕方一緒にコンサート会場に行き、終了後に車に同乗して家まで戻り、そのまま5時間以上つき合ったなんてこともある。
インタヴューをするわけじゃない。ただ、だらだらと時間がすぎていく。マイルスはその間になにか食べたり、絵を描いたり、音楽を聴いたり、誰かに電話をしたりと、普通のことをやっている。ぼくは透明人間になったつもりで、邪魔をしないようひたすら務める。それでなにかを話したくなれば、勝手に話が始まる。そのときにぼけっとしていてはいけない。話しそうになったときは、それを察知し、すぐ聞き役に回れるよう構えるのがこつだ。
最初はこのペースというか空気に戸惑ったが、マイルスはマイルスでそうやって時間をすごすのを楽しんでいるようだった。まったく無視をするわけじゃない。かといって、気を遣っているそぶりもない。ぼくはひたすらマイルスがいる空間に溶け込む。そのことに集中していた。それでも彼はときどきこちらを喜ばせようと思うのか、勝手に昔話をしたり、ぼくが聞きたそうなことについて話し出したりする。
こちらはそれをひたすら聞いて、相槌を打つか、褒めちぎるか、羨ましがるか。まあ褒め殺しのようなことをするのだが、するとマイルスはますます気分がよくなるようで、思わぬエピソードを披露してくれたことも再三だった。
そんなあるとき、つい調子に乗ってギル・エヴァンスについて質問をしてしまった。たまたま、彼と共演した『クールの誕生』(キャピトル)の話をマイルスがしていたときだ。
「ギルが書くアレンジは、その時点のレヴェルからいってかなり高度なものだったんでしょうか?」
そんなことを口にしてしまったのだが、いいながら同時にぼくは後悔もしていた。マイルスが話をしているときに、腰を折るようなことは絶対してはいけない。このときはちょっと気が緩んでいたのだろう。そのとたん、彼がこちらを睨んでひとことこういった。
So What?
マイルスの口癖である。
「だからなんだっていうんだ?」
マイルスにこういわれてすくみあがらないひとはいないだろう。これで、あるかないかわからないようなものだけれど、ガラスみたいにもろい信頼関係も崩れてしまった。すべてが不用意なひとことで終わってしまった。彼の機嫌を損ねて部屋から追い出されたインタヴューアーが何人もいることは知っている。ついに、ぼくもそのひとりになったか。
I'm so sorry.
と蚊の泣くような細い声で答えるのが精いっぱいである。あとは、こうべを垂れて、次にマイルスからどういわれるかを待っていた。しばしの沈黙。時間にしたら5秒も経っていなかっただろうが、そのときは永遠に続く沈黙のように感じられた。
Very hard, It was very hard of Gil's chart, so what I didn't care because of fantastic music.
正確には覚えていないが、マイルスは何事もなかったかのように、こんな言葉であとを引き継ぎ、そのままぼくの質問に答えつつ、ギルのアレンジについての特徴を語ってくれた。しかし、あのときはたしかに怒られたと思う。
それにしても怖かった。だけど、絶体絶命の心境に陥りながらも、心の片隅では嬉しさもこみあげていた。マイルスから、有名な口癖のSo what? をいってもらえた。そんな日本人が何人いるだろう? こんな風に考えるぼくは、やっぱりマゾヒスティックな人間だろうか?
しかし、同じように感じていたひとをぼくは知っている。ハービー・ハンコックだ。彼もマイルスからSo what? といわれ、ちぢみあがった口だ。
「でも嬉しかったよね」
感じることは同じなのだ。
内山さん、写真いろいろ無断借用しました。ゴメンナサイ。でも、宣伝になるかも。