ロバータ・フラックは1970年代の一時期、かなり夢中になって聴いていたひとりです。彼女のライヴを観るのは久々でしたが、昨日の「ブルーノート東京」ではあのころの日々が思い出されました。
医学生から新米の医師になったころです。劣等生だったぼくは国家試験を控えて寝食以外の時間はほとんど勉強にあてていました。そんなときの気分転換によく聴いていたのが「やさしく歌って」や「愛は面影の中に」です。
彼女の伸びのいい声と、それほどあくの強くないブラック・フィーリング。これらが耳にこびりついて、勉強に集中できなくなったときもあります。それでも飽きずによく聴いていました。
あのころの高音の伸びのよさは少々影を潜めていましたが、昨日のライヴではハスキーな感じが年輪を感じさせ、ときの移り変わりの妙を味わうことができました。
彼女のマイペースぶりも微笑ましかったですね。イントロを弾いたところで、「この曲は悲しすぎるから別の曲に」といって、違う曲を歌ってみたり、「レコーディングしていないけれどこんな曲もあるのよ」といいながら何曲かをワン・コーラスずつ披露してみたりと。
最初から最後まで寛げたのは、こういう気さくな感じでステージが進行したからです。「大人のライヴ」を堪能させてもらいました。いまから30年近く前にニューヨークで聴いたときは、こちらも若かったし、彼女も若かったので、まったく違う印象を覚えたんですが、そこがときの移り変わりなんでしょう。
20年ほど前に、ニューヨークでインタヴューをしたことがあります。そのときの言葉がフト浮かびました。
「わたしには人生を歌うことはできない。ビリー・ホリデイみたいに人生を感じさせる歌はうたえないの。でも、愛を伝えることは、努力すればできると思う。だからラヴ・ソングを歌うのよ。愛が感じられる歌。それでひとびとがハッピーになってくれるなら、こんな素晴らしい職業はないでしょ」
あのときの率直な態度が昨日のステージからもうかがえて、ぼくの心の中にあるロバータ・フラックのイメージと重なりました。目の前で彼女の歌が聴ける贅沢。世界ではいろんなことが起こっていますが、とりあえずぼくの周りは平和で落ち着いています。悲惨な現実に立ち向かっているひとのことを思うと後ろめたい気持ちもありますが。
お店に入る前の雨が、ライヴを見終わって外に出たらすっかりやんでいました。昼間はあんなに暑かったのに涼しくもなっていて、その後のことも含めてぼくはとっても心地よく、そして幸福な気分で昨晩を締めくくることができました。