昨日、「東京ドーム」で観てきました。文句なしによかったです。あの懐かしい歌声とハーモニー。青春時代が甦ってきますね。
リアルタイムで活動していたときは、レコードでしか聴くことができませんでした。ラジオから流れてきた「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロー・フェア」。無垢でピュアな歌声に幾度心を洗われたことでしょう。
「明日に架ける橋」がヒットしたのは大学生になったころでした。メロディも歌詞の内容も素晴らしく、ポール・サイモンはなんて素敵な歌を作るひとなんだろうと、ひたすら感動したことを覚えています。
S&Gはその時点で解散していて、続いて届けられたポールのソロ・アルバムにもノックアウトされました。「母と子の絆」の入った『ポール・サイモン』や「僕のコダクローム」の入った『ひとりごと』とかの初期の作品はいまも大好きです。
そのしばらく後にはポールが来日して、武道館で開いたコンサートを観ています。ひとりで歌った「バイ・バイ・ラヴ」では、レコードに入っていた一糸乱れぬ手拍子が日本のファンにもできることを知り、妙に感激したことを覚えています。いまのひとには信じられないかもしれませんが、そのころの日本人の手拍子はかなりひどかったです。
ぼくのS&Gライヴ初体験は1981年のセントラル・パーク。久々の再結成で、しかもフリー・コンサートでした。フィオルッチがスポンサーになってコンサートは開催されました。このときは30万人とか40万人のひとが集まったといわれています。
アメリカに住み始めて1ヶ月半が過ぎたころです。家族3人、ピクニック気分でセントラル・パークに出かけました。はなからステージが観える場所を確保するのは無理と思っていたので、ライヴが始まる2時間ほど前にグレイト・ロウンと呼ばれる会場に行き、ステージからはだいぶ離れた一角に陣取り、そばの木に吊るされた小さなスピーカーから聴こえてくる歌声に耳を傾けていました。
ぼくの記憶に残っているのは満点の星の下で聴いた「明日に架ける橋」。これから厳しい留学生活が始まる直前、この歌を聴きながら、ひとり心の中で「どんなに大変でも頑張ってみよう」との思いを強くしました。
次に観たのは、16年前の再結成。このときは来日もしましたが、ぼくはひと足先にニューヨークの「マジソン・スクエア・ガーデン」で聴きました。セントラル・パークのときはそうでもなかったのですが、今回は会場にいる全員が最初から最後までS&Gと一緒に歌っていました。ふたりがニューヨーク出身ということで、ひたすら盛り上がっていましたね。
そして昨日の「東京ドーム」。やっぱり「明日に架ける橋」でジーンと来ました。自分の人生がフラッシュバックしてきたんですね。この歌でどれだけ慰められたことか。そんなことを思い出したら、不覚にも目頭が熱くなりました。
それからポールがソロで歌った「スティル・クレイジー・アフター・オール・ディーズ・イヤーズ」。これ、大好きな曲です。この歌詞に書かれた心情もよーくわかる年代になりました。話は飛びますが、この曲と同じコンセプトで作られたのがクレイジー・キャッツとユーミンが共演した「スティル・クレイジー・フォー・ユー」ですよね。これも聴くとホロリときます。
ブリーカー・ストリートに住んでいたこともあって、「霧のブリーカー街」も大好きです。ジャズ・クラブからの帰り道、人通りの少なくなったブリーカー・ストリートを歩きながら、何度この歌をうたったでしょうか。そういえば、ジョー・コッカーに道を訊かれたのもブリーカー・ストリートでのことでした。
あとは「59番街橋の歌」も好きです。59丁目とクイーンズを結ぶ橋、それとルーズヴェルト島を結ぶケーブルカー。この歌を耳にすると、マンハッタンの情景が浮かんできます。
ここしばらく、昔の友人とまた付き合うようになっているので、昨日の「東京ドーム」ではそんな思いも交錯しました。彼らとS&G体験を共有したことはほとんどなかったと思います。それでも長い時間を経て再会し、昔のままの気持ちに戻れるのは、この年齢だからこそでしょう。年を取るのも悪くないです。
S&Bのステージを観ながら、昔の気持ちや夢をいまも持ち続けていられる幸せをかみ締めていました。こういうステージ、ぼくにはコンサート・レヴュー的な評価はまったく意味をなしません。いかに幸せな気分になれるか、それが重要です。こういう気持ちや思いを共有できる友人がいることに、自分はなんて運がいいんだろうと思いつつ、すがすがしい気分で家に帰りました。
話は飛びますが、心配なのは吉田拓郎さんです。8月3日のチケットも買い、最後のステージを目に焼き付けようと思っていたのですが、これはかなわなくなるかもしれません。