歴代スタッフ裏話その⑪:4th&5thアルバム前編<井上さん> |


4thアルバム 『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ/Standing On The Shoulder Of Giants』
(00年2月23日発売)
5thアルバム 『ヒーザン・ケミストリー/Heathen Chemistry』
(02年6月26日発売)
井上泰斗さんは、『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』(00年)と『ヒーザン・ケミストリー』(02年)の担当ディレクターだった。
オアシスがデビューした頃には大阪で営業として携わり、2nd、3rdは宣伝担当の一人。
二回目の来日時、ノエルが既に「武道館を見に行ってくる」という話をしていたことも、井上さんは覚えている。
「脳裏には、ビートルズのことが絶対にあったと思いますけどね」と、井上さんは分析する。
もともと、オアシスが大好き。
担当ディレクターになった際のことを、「めちゃめちゃ嬉しかった」と振り返った。
「だって俺、もともとKディレクターに憧れて洋楽の制作に来たんだもん。俺が営業のときに、Kさんがクリエイションとかのレーベル契約をとってきて。もともとUKものはすごく好きだったから、ああ、ソニーに来てよかったと思いましたもん。Kさんがそのへん担当してたから俺はめちゃめちゃ尊敬してたし、エピック洋楽に来て、彼と仕事をするのが叶ったから」
だからこそ、憧れの人が大切に育てたバンドを担当するのは、プレッシャーはなかったのだろうか。
「ありましたね。セールス的にもつねに上がっていた時期だし。で、俺は『スタンディング~』から担当じゃないですか。で、その前の『ビー・ヒア・ナウ』は世界的に成功とは言えないセールスで・・・ まあ、日本は成功したんですけどね。あと、新しいバンドもどんどん出てきてたし、ブリット・ポップが死んでどうこう、みたいな時期にもさしかかっていたし。だから、セールス的には正直プレッシャーだなっていうのはありましたね。『ビー・ヒア・ナウ』のセールスは超えられねえだろうなと」
井上さんの担当時から、オアシスがプロモーションの場に出てくることが多くなった。また、初めてCMに楽曲提供をしたのもこの頃。
SONYのVAIOで"ホワットエヴァー"が使われた(余談で恐縮だが、私もCMの影響でこのVAIOを買った人間の一人だ)。
「比較的そのへんのガードが下がったっていうか。当時(渉外だった)穴原とかも交渉をがっつりやってくれたので、それもあって。テレビ出演も、そのとき初めてだったと思うし。横浜アリーナでやったとき、『ニュース23』の筑紫さんに来てもらって、ノエルと対談してるんです。『ヒーザン・ケミストリー』のときには、『ニュース・ステーション』をやりましたね」
(次回へ続く)
interview & text by 妹沢奈美
by oasis_sony
| 2010-07-17 09:11
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