歴代スタッフ裏話その⑦: 3rdアルバム前編 <伊藤さん> |

3rdアルバム 『ビィ・ヒア・ナウ/Be Here Now』
(97年8月21日発売)
今回登場するのは、オアシスの3rd『ビィ・ヒア・ナウ』とB面集の『ザ・マスタープラン』を担当したディレクターの、伊藤kazyさん。日本では、『ビィ・ヒア・ナウ』は最も売れたオアシス・アルバムとして、70万枚強の記録を残している。
それくらい多くのファンに、「届いた」という結果だ。
「最初はイヤだったよ。売れなかったらオレのせいだし、売れたって別に、オレのせいじゃないし。洋楽だと、売れてるものを後からやることほど、つまんないことはないってオレは思ってるから。だから、オアシスはアルバム1枚やったらすぐ、人に渡しました」
いきなり、そう笑わせてくれるKazyさん。それ以前にはパール・ジャムを担当するなど、彼は既に難しい大物も多く手掛けてきている。が、それでも当時、オアシスは取材のセッティングも難しく、リアムに至っては取材NG状態が続いていた。
「ただ、全盛期のバンドのときに担当する、ってそうそうないじゃないですか。インタビューできなくても、当たり前。で、会社も『アディダス・ルーム』みたいな遊び半分なところに、金を出してやらせてくれたり」
アディダス・ルームとは、別名「オアシスホイホイ」とKazyさんらが呼んでいた一室のこと。ここで、あの伝説の「取材禁止令をノエルに出されていたリアムが、日本の取材で『レズビアン』の一言だけをマイクに発する」という事件が起こる。このあたり、実はKazyさんは周到に、しかしあまりにも笑える仕掛けを考えていた。
(次回へ続く)
interview & text by 妹沢奈美
by oasis_sony
| 2010-07-07 16:01
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