歴代スタッフ裏話その④: 2ndアルバム前編 <古川さん> |

2ndアルバム『モーニング・グローリー/(What's The Story) Morning Glory?』
(95年10月10日発売)
古川友理さんは、旧エピック時代の1stからオアシスのプロモーションの中心的存在で、これまた初期からのオアシスを知る数少ない人。彼女の好きなオアシス曲を聞くと、やはり"ホワットエヴァー"と"サム・マイト・セイ"という2曲の名前が、まず上がった。
「1stが出て、これで次にもいけるってノッてるときにこの2枚が来る、っていう流れが、すごく良かったんだよね。あえて1枚を選ぶなら、"ホワットエヴァー"かな。ここからいろいろスタートしたから」
いろいろ、とはもちろん怪物アルバムとなった2nd『モーニング・グローリー』へ向かう、道筋のこと。このアルバムが届いた時、当時のKディレクターは、社長をはじめ社内の皆を集めて試聴会を開催、すぐさま全社をあげて夢中になった経緯が。ゆえに「本当に慌ただしかった」と古川さんは振り返る。
「"ホワットエヴァー"のプロモーションも、次に"サム・マイト・セイ"が来るとわかってるからいろいろ出来るし、その"サム・マイト・セイ"も次に" ロール・ウィズ・イット"が来るからいろいろ出来る、っていう。で、その後の"ワンダーウォール"で絶対にブレイクするのも、わかってるし。だから、" シャンペン・スーパーノヴァ"までの流れを最初からスタッフは見てましたから。1994年だったのに、2000年まで書かれた巻物が出来てたもん、オアシスの。『00年にはオアシスがビートルズに並んでいる』っていう仮定のもとに、Kさんが長い年表を作って。その巻物の中で、今はここにいる、次はここってわかって、いろいろやってた」
歴史的バンドへの道を全速力で駆け上っていた、この時期のオアシス。兄弟ゲンカや暴言などのオラオラな情報がNMEなどを通してにぎやかに伝播されていたが、古川さんは、間近で見ていた人らしい、こんな興味深い話をしてくれた。
「ノエルとリアムはね、基本、ライヴに対するアティテュードに関してケンカをしてた、っていうイメージしか私にはないんだ。リアムのあのだらしない感じに、ノエルがいつも怒って・・・ しかも、リアムが酒を飲んで声が出ないとか、ベロベロで来てライヴをグダグダにするとか、そういうのに対しノエルは怒ってた。よくブツブツ言ってたね」
意外。感情ではなく、あくまで音楽にまつわるケンカが当時は多かったそう。
「ノエルは、いつもやけに真面目なことを言うから。あの人は、ローディーさん気質なんだよね。ライヴの感じを、ヴァイヴスで良かったかどうか判断するっていうより、冷静な分析を常にする。だから、ドランカーのリアムには、何一つ通じない。フランス人と中国人のケンカみたいになっちゃう。血が繋がってるから頭ではわかるんだけど、全体にいやーな感じになる、みたいな」
明言。言葉の通じない人たちのケンカか、なるほどね。
「ケンカして、険悪になって、その感じを次の日もひきずって、ギグジーやボーンヘッドなんかもお葬式みたいなシーンとした雰囲気になって。リアムはひたすら雰囲気でライヴをやってたし、終わると『そんなことより呑みに行こう』っていうだけの人だから……あの頃はね」
(次回へ続く)
interview & text by 妹沢奈美
by oasis_sony
| 2010-06-24 15:53
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