歴代スタッフ裏話その①: 1stアルバム前編 <笠井さん> |
1stアルバム『オアシス/Definitely Maybe』
(94年9月8日発売)
まず登場していただくのは、笠井峰子さん。1st、2ndの担当ディレクターだったKさんのアシスタントとして、1stからシングルの"ホワットエヴァー"まで、スタッフとして携わった。
残念ながら、Kさんは去る4月末に急逝。しかし笠井さんは、デビュー当時のオアシスにまつわる逸話をはっきり記憶されている。
たとえば、高級ホテルでの取材がその後は定番だったオアシスも、デビュー当時の取材はエピック(当時)の会議室。
「エピックで取材をしている合間に、何の話をしていた時だったかは忘れたんですが、ノエルが『俺たちは世界一のバンドになる』とすごく確信を持って言っていましたね。どうして、と聞いたら『世界一の曲を書いているから』って。ならないはずがない、みたいにサラッと言っていましたね」
初来日時の取材では、特に苦労はなかったそう。ただ、リアムは時間にルーズ。30分くらい遅刻するのがザラだったようだ。
インロック誌にKさんが語った話では、遅刻したリアムを、ノエルが履いていたスニーカーをその場で脱いで、ポカッと叩いたこともあったのだそう。想像すると、笑える。
「とはいえ、普通に仲が良かった印象なんですよね。思慮深いお兄ちゃんと、ヤンチャな弟。リアムは、お兄ちゃんのをリスペクトしていると感じましたし、ヤンチャなことをして怒られても、すごく嫌がるというのでもなく。ノエルも、当時は音楽的にはノエルがプロデュースしていたけれど、自分の曲を一番魅力的にするのはリアムの声だとわかっていたような印象があります」
そう話す笠井さんにも、ドキッとした瞬間があった。
それは、初来日公演の最終日、名古屋でのこと。
リハーサルのときに、ノエルがリアムにダメ出しをしていると・・・。
「突然、リアムが『だったらお前が歌えよ』とノエルに言って、歌うのをやめてしまったんですね。そこで、リハは終了。最後の日なのにどうしようと、心配しました。でも、Kさんに『お前は絶対に何もするなよ』とクギを刺されて。やはり女性だと、『大丈夫?』とか、心配しちゃうじゃないですか。でも、Kさんは放っておけと。部外者が入る場じゃないから、という意味で制したんだと思います。実際、始まったら素晴らしいライヴで、よかったです。でも、そのリハを見た時はさすがに、凍りつきましたね」
ちなみに、22歳やそこらでヤンチャ盛りだったリアムについては、こう振り返る。
「基本的に、アカ抜けないバンドだったんですね(笑)。ただ、リアムは若い田舎のあんちゃんだけど、カリスマ性は最初からすごくありました。話す声も、独特ですよね。話しているだけで、その場が華やぐというか。ブランド等もよく知らない時期だったと思うんですが、自分がどう見えるとみんなが気持ちよく感じるか、など自分の見え方には気を使って、オシャレだったと思います。それから、リアムには目の力がすごくある。どんなに大きな会場でも、彼が見渡して自在に操るようなところがあるじゃないですか。あれは、最初からそうでしたね」
(次回へ続く)
interview & text by 妹沢奈美
OASIS日本スペシャル・サイト