企画を持ち込んだ関係者は「のとキリシマツツジ」だけを演題にしたいと言って来たので、その花を見たこともなかった私は「それだけでは人は集まらない」と思い、「能登半島の旅」をテーマに加えてもらいました。
のとキリシマツツジとは、能登にあるキリシマツツジのことです。ツツジなんてそう珍しいものでもない。それだけでテーマになるわけがない。そう思いつつ現地の写真を見せてもらって驚きました。趣のある老木に咲き誇る「深紅の花」、山陰の澄み渡る空と赤のコントラスト……。こんなみごとな花々が、能登の農村で普通にみられるのだそうです。

一度見たら忘れられない景色と色彩。恥ずかしながら、のとキリシマツツジは、それを育む能登に深く根ざした存在であり、能登の象徴そのものだということがわかったのです。
キリシマツツジはもともと、「江戸霧島」という園芸品種で江戸時代に作り出されました。これは、原産地の霧島山から「本霧島」の品種が入った1656年以降、品種改良され日本中で大流行しました。能登には1730年代に能登へ伝来し、他の地域で花木が消滅していくなかで、能登半島だけはキリシマツツジの日本一の集積地となりました。現在も、樹齢100年以上の古木が500本以上点在しているということです。

なぜ、これほどまで残っているのかというと、「この花の美しさを無くしてしまうのはMOTTAINAI!」と地元の人たちが子々孫々に受け継ぎつつ、大切に守り育ててきたからです。
成長がとても遅い木であるのにもかかわらず、山のような大木がたくさん残っているのは、能登の人々が施肥から剪定、水やり、コケの除去にいたるまで、手間をいとわず、粘り強くキリシマツツジを守ってきたことを物語っています。
毎日メディアカフェのシンポでは、写真家の中乃波木(のはぎ)さんが撮影した千枚田や日本海をスライドで流し、NPO法人「のとキリシマツツジの郷」の水木由一副理事長、政田成利事務局長が「都会から失われた日本の原風景が能登には残っています。先祖代々大切に育ててきたツツジはその象徴」と説明してくれました。
中さんは「長い冬が終わり、5月に10日間ほど心が躍るような赤い花が咲きます。映画の中にいるようなこの風景を伝えたいと写真家を目指しました。能登は自分の五感が働きだす場所です」と魅力を語ってくれました。

中さんの話にあるように、のとキリシマツツジの花期は5月上旬~中旬が見頃です。桜と同じように、能登半島を南部から北部へ、海沿いから山間部へ順々に咲いていきます。
しかも、それぞれの花木の満開は5日間、見頃は10日間、適期は14日ほどしかないとのことです。花言葉はその色のとおり、「燃え上がる愛」。皆さんも開通したばかりの北陸新幹線で、燃え上がる花の競演と、能登人の奥ゆかしい人情に触れてみてはいかがでしょうか。
【MOTTAINAIキャンペーン事務局長 七井辰男】