カテゴリ:野口健( 35 )

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懐かしいキリマンジャロ/文・野口 健

今からちょうど20年前の冬休み、僕はアフリカ大陸にあるキリマンジャロに登頂した。
高校生2年生のときだ。

キリマンジャロは標高5895メートル。
登山道も整備されており、世界中からツアーがやってくる。
僕は、旅行代理店を通してツアーを申し込んだ。

今から振り返ると若気の至りだが、
僕はキリマンジャロでいくつかのポカをやっている。

まずは、寝袋を持っていかなかったことだ。
その年の夏休みにヨーロッパ最高峰のモンブランに登頂したが、
ヨーロッパは山小屋が整備されているので、毛布だけで十分だった。
それが世界のどこでも同じだと思っていたのだろう。

キリマンジャロの山小屋は作りがよくなく、赤道直下なのに夜は寒くて眠れない。
だから、寝袋のカバーにありったけの衣服を入れてもぐり込んだ。
でも、やっぱり寒くて一睡もできなかった。

2つ目のポカは、体調管理が不十分で高山病にかかってしまった。
睡眠不足も原因のひとつだろう。
ツアーでは高山病にかかると強制的に下山させられるので、なんとかごかまかした。
しかし、歩くに連れて頭痛がひどくなってきた。

高度が上がるにつれ頭痛はひどくなる。
解熱鎮痛剤を飲んだら頭がボーとした。
疲れも寒さもマヒしてしまったようだ。その勢いでなんとか登頂できた。

下山してナイロビに戻ったが、体が2日ほど動かなかった。
そんなにしてまで登ったのは
「キリマンジャロに登って学校のみんなを見返してやろう」という意気込みからだ。
当時の僕はフダ付きの不良で、学校でも問題児だったのだ。

今から思うと、山を登る楽しさなんて少しもなかったように思う。
今年の夏はアフリカに遠征して久しぶりにキリマンジャロに登ったが、
楽しみながら自分のペースでコツコツ登ることができた。


20年ぶりのキリマンジャロではいろいろな発見があった。
驚いたのは氷河が明らかに減少していたことだ。
このまま気象の変化が続くと2050年には消滅するとのリポートもあるが、
氷が溶けて土に汚れた姿をみたら十分ありえる話だと思った。
ここでも、ヒマラヤ同様に環境の異変が起きている。
今後もこの問題に注目していきたいと思います。

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アフリカの大地からキリマンジャロを見上げると、氷河がかなり少なくなっている


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*事務局より*
今回のアフリカ遠征は野口さんの公式ブログできれいな写真とともに
詳細なリポート記事が公開されています。ぜひとも、アクセスしてください。

野口健さんBlog
   by mottainai-lab | 2010-10-01 13:04 | 野口健 | Comments(0)   

人の輪の広がりに可能性を感じる/文・野口健

暑かった8月ももうすぐ終わり。今年の夏もさまざまな人たちが富士山の清掃登山に参加してくれました。

毎年、全国から多くの人が参加してくれる富士山の清掃登山ですが、NPO法人の富士山クラブとともに始めた当初は100人も集まらなかった。

そもそも富士山の清掃登山を始めたのは、欧米の登山家が「マウント・フジは世界で最も汚い山。日本人はヒマラヤまでマウント・フジにするのか」というひと言から。

彼が言うように富士山のゴミはひどかった。青木ヶ原の樹海に行くと車のタイヤや医療廃棄物、建築廃材など、さまざまなゴミが不法に廃棄されている。富士山の容姿は世界に誇れる美しさだが、近づいてみるととても汚れた場所だった。

コツコツと清掃活動を続けているにつれ参加者が増え、今では参加者は全国から参加してくれるようになった。

うれしいことに登山者の意識も変わりつつあり、今では5合目から上はほとんどゴミがなくなった。最近の富士山のゴミで目立つのは10年以上前に捨てられたもの。

大切なのは新しいゴミを出さないことだ。ゴミを拾いながらゴミを出さない社会をつくっていけばいい。富士山のゴミ拾いがきっかけとなり、全国に広がっていくとうれしい。

今年の夏も多くの参加者がゴミを拾うのを見て、人の輪の広がりに多くの可能性を感じました。

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   by mottainai-lab | 2010-08-30 14:35 | 野口健 | Comments(0)   

ゴミ拾いと人間関係は似ている/文・野口健

今年の夏も富士山でゴミ拾いを行います。年々参加者の申し込みが増え、特に若い世代の参加が多くとてもうれしいです。

初めて会ったもの同士が協力してゴミを拾い、短時間ながら人間関係を築いていく。実は、ゴミ拾いと人間関係は似ている側面がある。

例えば、1人では重すぎるが、2人だったら運べるかもしれない荷物があったとする。3人で運べば1人当たりの負担はもっと軽くなる。

ゴミ拾いも同じことで、1人できれいにしようとすると途中で挫折してしまうけど、数千、数万という人たちと一緒に行うと自分の負担が軽くなり作業が効率的に進むようになる。

これは、いろんなことにも当てはまる。1人でやらないといけないと思うと自分の運ぶべき荷物、心の中の荷物はとても重い。とてもしんどいです。しかし、協力してくれる人を見つけて何人かでやれば精神的な負担も軽くなる。人間を助けるには人間でしかない。

しかし、家族、学校、会社、サークルといったような人の集合体では、必ず人間関係が存在する。人間関係は悩みの中で最も大きい割合をしめる。僕もいちばん難しいと思うし、こればかりはいつも悩みの種だ。

特に山では人間関係が難しいし、ケンカもしょっちゅう起きる。ちょっとしたことで衝突もする。でも、山で死にかけたときに助けてくれるのも人間なのだ。そのかわり、相手と気持ちが通じていないとだめだ。

人間関係が苦しいから誰とも気持ちを交わさずにシャットアウトして自分がピンチになったら助けてもらおうというのは、虫のいい話でしかない。

自分を救ってくれるのは、ペットでもゲームでもなく人間だ。苦しいと思っていても、それを克服するのも経験だし、乗り越えた先にには新しい信頼関係が生まれてくると思う。


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   by mottainai-lab | 2010-07-14 18:42 | 野口健 | Comments(0)   

タブーに挑戦する快感/文・野口健

山登りを始めた理由を聞かれることがある。そもそも山登りを始めたのは、自分をアピールしたいということだった。時期によって当然アピール方法は異なるが、すべてにおいて共通するのが前例がないことに対する挑戦だったと思う。

僕のアピール方法は規則や体制、タブーに対する反発が根底にあるようだ。これまでの活動を振り返ってみると、七大陸の挑戦や清掃登山、環境活動、シェルパ基金の設立などもさんざん批判された。

僕は中学高校と落ちこぼれの劣等生だった。しかし、山登りという目標を見つけたのは、何度なく父が言っていた言葉が心の中にしみ込んでいたのだろう。「肩書きにこだわるんじゃなくて、野口健という名前が肩書きになるような生き方をしろ」と。

おかげで僕は劣等感に押しつぶされることはなかったが、自分をはめる枠に疑問を持ったら、それをどうしたら壊していけるかというところに目標を定めるようになった。

突っ張ったのも、けんかをしたのも僕なりのアピールだ。山登りも僕を落ちこぼれ扱いする学校や級友を見返してやりたいという、僕のアピール方法だ。だから今でも、タブー視されているもの、常識を壊す快感のようなものが僕にはある。

タブーといっても、人によっては大なり小なりあると思う。気分がふさぎ込んで思うようにいかないときなどは、ショック療法的にタブーに挑戦するのも、何かの突破口になると思う。

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エベレストでの清掃登山にて
   by mottainai-lab | 2010-06-28 18:57 | 野口健 | Comments(0)   

夏の富士山/文・野口 健

6月に入り、もうすぐ夏本番。
夏休みに富士山の登山を計画している人もいることでしょう。
夏の富士山は特別な登山技術を必要としないので、初心者でも登りやすい。

しかし、多くの登山客が集中するのでマナーの悪さも目につく。
例えば、ドライブで途中まで来た人がその場の勢いで登るといったことも多い。

登山に適していない服装や装備の人も目立つ。
夏は登りやすい富士山とはいえ、山を甘くみてはいけない。
ふもとと山頂の気温差は20度前後あり、山頂付近は夏でも気温が低い。

しかも、山の天気は変わりやすい。
最低でも登山用のシューズや歩きやすい服装、雨具や防寒具は必須だ。
とはいえ、無防備な登山者が減らないのは残念だ。

また、富士山の場合、ご来光目当てで夜に登る人も多い。
夜に登るには、昼間よりも集中力が必要でストレスがかかる。
ヘッドランプをしていても、暗い山道を歩くのは不安だ。
集中力も続かない。気持ちの余裕もなくなるからマナーも悪くなる、

欧米では軽装の登山者がいると、
レンジャーが「その準備では危険だから下山したほうがいい」と注意するが、
いまの富士山ではそれを言う人がいない。

これは服装だけの問題以外にも、こういった山への意識が低い人は
岩にイタズラ書きや植物を勝手に持ち帰るといったほかにも、
安易にゴミを捨てやすいのだ。

登山者の自覚、意識を向上させることも重要だが、
実際に山に人がいてアドバイスするといった制度も必要になるはずだ。

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   by mottainai-lab | 2010-06-10 10:38 | 野口健 | Comments(0)   

失敗なんて最後に判断すればいい/文・野口健

山でぼーっと考えていると、自分の人生を映画に見立てることがある。ひとつの作品として人生を見るのだ。人生には成功や失敗がつきものだ。考えを巡らせていると、失敗したか成功したかなんてことは最後に判断すればいいじゃないかと思うようになる。

例えば、49パーセント失敗した。でも51パーセント成功だった。自分の中で過半数成功したらいいわけだ。トータルで見て成功のほうが多ければいい。

山にいると、考える時間が多いからいろんなことが浮かんでは消える。例えば、僕よりも下の世代の登山家たちのこと。僕の七大陸最高峰最年少登頂記録を塗りかえた若い登山家たちがいる。今の若い人たちはすごいと思った。

僕は回り道の連続で、3回目の挑戦でやっとエベレストの登頂に成功した。学生時代は落ちこぼれという場所からなかなか抜け出すことができず、素行も悪く何回も停学になった。

今振り返ると「落ちこぼれ」という失敗は、学生時代のマイナスの話が結果的にプラスになるストーリーにつながっている。野口健は落ちこぼれだったけれど、そこからはい上がって山の世界に入り、エベレストに登ったというストーリーが生まれたわけだ。

僕は停学になって落ちこぼれたおかげで今の仕事をさせていただいていると思っている。10年経ってみたら過去の失敗が笑い話となり、講演のネタにもなっていた。しかもその話を聞いて、頑張ろうという若者が大勢いる。

失敗するとやっぱりショックだし後悔もする。でも、失敗は仕方のないことだ。誰だって失敗するときはある。その経験から生まれた痛みをしっかり感じることが大事なのだ。すると10年後に失敗話を笑いながら次の世代に伝えることができると思う。その話を聞いた世代がさらに下の世代につなげてくれると、とてもうれしい。


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27歳のときにアフリカ最高峰キリマンジャロの登頂に成功した
   by mottainai-lab | 2010-05-13 14:38 | 野口健 | Comments(0)   

日本はチャンスがいっぱいある/文・野口 健

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「日本の景気が悪い」ということは、周知の事実だ。ニュースや新聞で会社の倒産や解雇などの話題をよく目にする。しかし、繁華街に出てみると買い物客が多く、ショーウィンドウには商品が山ほど陳列されている。だから、景気の善し悪しがいまひとつわかりにくい。とはいえ、この国がどれだけ恵まれているかは、さまざまな国に行くとよくわかる。

日本は体の調子が悪ければ病院に行ける環境があり、健康診断も受けられる。地球上の大半の国では、お金持ちは病院に行けるけど、そうじゃない人は病院にすら行けない。日本では、基本的にみんなが病院に行ける。医療制度についてはいろんな批判はあるけれど、海外と比較するととても恵まれている。

教育も医療と近いところがある。義務教育ということは、全員が学校に行けること。ところが、ネパールでは多くの子どもたちは学校にすら行けないのだ。登山前に地元の人たちと交流することがよくあるが、子どもたちがみんな僕の持っているペンをくれという。次に紙が欲しいという。

話を聞くと、子どもたちは勉強がしたいらしく、文字を書きたい、絵を描きたいという。普段は地面にチョークで書いたりしている。それを紙とペンで書きたいというのだ。彼らは字が読めないのに、落ちている新聞を見ながら見よう見まねで楽しそうに書く。

経済的な理由で学校にいけない、勉強ができないといった環境の中にいる子どもたちにとって、勉強ができるということがものすごくうれしいことなのだ。

いろんな国にいってみると、日本はとても恵まれていることがわかる。それが当たり前と考えると大事なものを失ってしまうような気がする。言い換えれば、恵まれた環境ということは、チャンスがいっぱいあるという意味もあると思う。

4月は進学や就職といった新しい環境に進む人が多いと思います。新しい環境をチャンスだと思って頑張ってください。
   by mottainai-lab | 2010-04-02 16:30 | 野口健 | Comments(0)   

自分を知るきっかけづくり/文・野口 健

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近ごろは、学校の授業の一環としてボランティア活動が取り上げられることが増えてきた。僕が学生時代を過ごした1990年代よりも、現在はさまざまな環境活動のNPOやサークルなどが増え、若い人たちがボアンティアに気軽に参加できる体制も整いつつある。

しかし、教育の中でボランティアを強制的にさせるのは好ましくない、といった意見もあるけれど、僕は学生にボランティアをさせることは賛成だ。

僕は中学高校と両親の仕事の関係でイギリスの学校に通っていましたが、勉強が全然できない落ちこぼれの生徒だった。普段の教室で行う授業のほかに、老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんの介護支援というボランティアを実際に体験する機会があった。

これは自主的ではなく、授業のひとつとして強制的にさせられたことだった。だから、最初は気が重くて行きたくなかった。でも、おじいちゃんやおばあちゃんと話したり歌を歌ったりして、普段の授業にはない充実感があった。

僕は以前、教育委員会にかけあって、ゴミ拾いを含めた環境教育を義務教育の中でやらせてくださいと頼んだことがある。生徒たちは、最初は「ゴミ拾い?」と嫌な顔をしていたが、ゴミ拾いはゴミを拾うごとにきれいになるし、成果が非常にわかりやすい。近所の人がほめてくれたり、お礼を言われたりすると、どこかうれしくなる。

生徒全員の意識を帰るのは難しいけれど、きっかけをつくればそこで手応えや充実感を感じる生徒も多い。ボランティアは強制的にやるものじゃないという考え方は、教育においては違う。学生のうちは特にそうだ。

僕は学生時代、強制的にやらされたけど、普段の生活では味わえない充実感があった。それが現在の清掃登山にもつながっている。教育とは単に知識や情報を教えるだけではなく、子どもに何かのきっかけをつくってあげることではないか。そこから自分も社会の一員だと気づくきっかけになるかもしれない

しかし、ボランティアという言葉をきくと、どこか身構えてしまうことも確かだ。だからボランティアという言葉だけにとらわれず、自分を知るための何かのきっかけづくりだと気軽に思えばいい。
   by mottainai-lab | 2010-03-04 11:30 | 野口健 | Comments(0)   

環境問題の主役は子どもたち/文・野口 健

僕は、子どもたちが環境について学べる「環境学校」を開校している。僕と子どもたちが一緒になって、富士山や小笠原、屋久島、白神、佐渡など、環境保護が問題になっている場所に行って、遊びやスポーツの要素も盛り込んだ体験学習をしようというものだ。

環境学校を作った大きな理由は、僕が教えるというよりも、子どもたちを現場に連れて行き、そこで現場の人と出会い、実際に見て体験してほしいという思いからだ。

例えば、白神山地に連れて行く。白神山地にはマタギがいるが、マタギは何をする人か、どういう生き方をしているのかということを知るために、マタギと一緒に山に入るのだ。

子どもたちを教室に集めて勉強するよりも、数日間マタギと一緒に山で過ごしたほうがストレートに伝わる。子どもたちが山から戻ってくると、口々に「マタギってカッコいい」と言う。

環境学校に参加する子どもたちというのは、環境に関して少なからずの知識があるから、最初はやや頭でっかちなところがある。とにかく知識だけを詰め込んだ感じだ。

環境学校では、毎日ひとりひとりの発表の時間があり、初日はビックリするほど、どの子どもたちも大人びたリポートを書く。小中学生なのに大学生並みの論文みたいだ。

いまの時代、インターネットが発達しているし、世界中のさまざまな研究機関の発表を引用して温暖化が将来どうなるかといった話を書く子どももいる。そんなことは、たいしたことではないけれど、あまり記憶に残らないし、心に響かない。それは、自分の言葉で話をしていないからだろう。

環境学校で数日間さまざまな体験をすると、最初はぎこちなくても、だんだん彼らの表情が変わってくるのがわかる。今日あった出来事だけではなく、そのとき感じたことや自分の意見も付け加える。すると、だんだん自分の言葉になっていく。

大事なことは、とにかく経験してみることだ。学校で先生がゴミの写真を見せながら環境の話をすれば、今日からゴミを拾うかというと、そんなことはなかなかない。経験を通して初めて感じ、気づくことは必ずあるのだ。

環境問題の主役は、本来は子どもたちなのかもしれない。なぜなら、未来に向けて育っていく子どもたちのためにこそ、環境の保護や整備はある。われわれの海や山がゴミだらけになっていちばん困るのは、実は、いま生まれて将来大人になる子どもたちだ。

環境の保護活動というのは、未来に向かっていま私たちがやっておくべき大事な社会的な行動のことだ。だから、子どもたちが環境問題に対して意見を言って活動するのは、実に自然なことなのだ。

今後も、子どもちにいましかできないさまざまな「もったいない」体験をさせたいと考えている。

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   by mottainai-lab | 2010-01-26 12:09 | 野口健 | Comments(0)   

「もったいない」味/文・野口 健

中学、高校時代、誰でも学校の帰り道に友だちと一緒にハンバーガーショップなどに寄り道するものだろう。

しかし、僕の家ではファーストフードが禁止されていたのだ。
禁止されていたとはいえ、こっそりと友だちと行っていたのだけれど、そのころはとても理不尽な話だと思った。

僕の母というのは、アラブの人間だから基本的に食べ物はアラブ料理が基本。
そして母は、アラブの料理に関しては強いこだわりがあった。

例えば、モロヘイヤを刻み、ほかの野菜や鶏肉と一緒にドロドロになるまで煮込んでスープを作る。アラブの人にとっては、いわゆる日本のみそ汁に相当するものだろうか。グリーンのスープ。日本に住んでいるころ、母がよく作ってくれた。

当時はいまと異なり、アラブ料理で使う食材や調味料は簡単に手に入らなかった。よく母は、青山通りにある紀ノ国屋までわざわざ通って食材を調達していた。

現在は、ファミリーレストランも珍しくはなく、さまざまな料理が簡単に食べられるようになった。コンビニの弁当も種類は豊富だし、電子レンジでチンすれば家でも暖かい弁当が食べられる。

昔と比べてライフスタイルや食生活も変化し、家庭や母親の味というものが希薄になった思う。幼少のころの記憶というのは、年をとるごとに徐々に忘れてしまう。しかし、両親が作ってくれた料理の味や匂いはなかなか忘れないものだ。

母は、アラブ料理を作って自分の故郷を思い出しながら僕に食べさせていたのだろう。

母が作る弁当はシンプルだったけど、料理は本当に一生懸命作っていた。僕にとっての「もったいない」味のひとつだ。

いまでも、モロヘイヤなどのアラブ料理の食材の匂いをかぐと、幼少のころ母が作ってくれた料理を思い出す。

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↑高校2年の夏休みにモンブランに初登頂
   by mottainai-lab | 2010-01-19 12:31 | 野口健 | Comments(0)   

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