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闘病記⑤

5章 「フォアグラ療法」


最初に痛み出したときからずっと診てもらっていた病院の内科病棟に入院。
ここは療養環境抜群の個室中心の病院である。
病室にパソコンをつなぎ、インターネットやeメールは何の不自由もない。

ある程度は仕事をするつもりでいたが、
極端な栄養状態の悪さと体重減による体力消耗で、とても何かをする気にはなれない。
ただベッドの上でボーっと過ごす。生きている最低限の状態ともいってよい。


病室に入るとまもなく、鎖骨の下からカテーテルをいれ、
そこから毎日24時間、
3,000
キロカロリー近くの輸液と脂肪乳剤を入れ続ける治療が始まった。

点滴の紐がついている以外はまったくの自由だ。


しかし、


痛みは必ずやってきた。夕方や夜に突然。

痛さに麻痺しているのか、痛み止めを求めるタイミングがわからない。

ナースコールを押すか、押さないか、痛みと葛藤しながらも迷う。
「これくらいなら大丈夫なのでは…。このまま治まってくれるのでは…」
やり過ごそうとすると、今度は我慢できない方向へと激しく揺れたりもする。


いつでもSOSを出せる環境になったというのに、
逆によけいな気ばかりを遣い、ベッドの上でうずくまって12時間を過ごす。

回診にみえたドクターに「どうですか?」と聞かれても、何ひとつ良い返事をできない自分が悲しい。

入院したところで、患者は患者で辛いのだ。


一方、13,000キロカロリーの威力は大きかった。
体重は日に日に増えていく。
「太るのなんて簡単なんだな」と変なところで感心する自分がいる。

しかし、なぜ痛みはなくならないのだろう…


入院2週間。
ほとんど食べものを口にしていないのに、体重は9キロ増え、目標の50キロを突破した。
明らかに顔は丸くなり、背中に肉がついた。
「これがフォアグラ療法か…」
この期に及んでなお、気持ちは複雑だった。

太ることは仕方ない。

仕方ないとあきらめる反面、テレビの仕事に復帰できるだろうかという不安が増大する。

そして何より、ここまで固い決意で体重を増やしたというのに、
食後、といっても食パン1枚の半分や豆腐しか食べていないのに、
激しい痛みが起きることに、疑問と苛立ちを覚えていた。


「太ったって治んないじゃん!

先の見えない長い長いトンネル。
暗闇の中で、痛みと体重のバランスは全くつり合っていない。
こんなに苦しいことはない。この治療に期待して臨んだだけになおさらだった。

ずっと抑えてきたものが、弾けた。

こらえきれない涙が次から次へと溢れ、
見回りに来た新人ナースの前で声を上げて泣きじゃくっていた。

「なんで、痛くなくならないの?こんなに太ったのに…、なんで…」

ただ漫然と体重を増やされているだけの治療に、徐々に失望していった。


それでも、

3,000キロカロリーを入れるだけの毎日は、あっという間に過ぎていく。
ただ太らされているだけではないかという疑問は拭い去れない。

3週間といわれた入院期間を超え、体重も“順調に”増えた。


「果たして、内臓脂肪は増えているのだろうか」


主治医はじっくり慎重派だったため、もうしばらく様子を見ていたいようだったが、
せっかちの私には耐え切れず、治療の効果を測定してほしいとお願いした。


CT
画像は残酷にいまの私を写し出す。

「皮下脂肪は増えているのですが、内臓脂肪はほとんど変化がありません」

それが一大決心をして臨んだ治療の成果だった。

「私は、どうなっちゃうんだろう…」


入院4週間が過ぎ、結局はまた振り出しに戻ったことになる。
もう、落ち込んだり泣いたりしている場合ではなかった。


数日後、
検査画像をもって、セカンドオピニオンを受けている外科医を訪ねる。

「内科的治療を1ヶ月やって効果がなかったということは、
これは手術の適応症例ということになります」

話は早かった。
その気になれば3日後に転院、1週間後に手術できるという。

今度は、迷っている余裕はなかった。
「手術さえすれば痛みから解放される」
それは長くつづいたトンネルの中でようやく見えた光のようで、
リスクを考えるほどの冷静さは完全に失っていた。


# by mori-mado | 2011-08-31 14:25 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記④

4章 迷い ~何が “最善の治療” なのか~


本腰を入れて治療しなければまともな生活を取り戻せなくなる。

休業しての治療を決心したものの、
「高カロリー輸液を入れて体重を増やし、それによって内臓脂肪が増えるであろう」
という中心静脈栄養療法の理屈は、どうも釈然としないものがあった。


理論の上では確かにそうかもしれない。
しかし、もともと病的に痩せている訳ではない私の身体に内臓脂肪がないということは、
「そもそも内臓脂肪が付きにくい体質なのではないか」と考えた。

もちろん医学を学んだことのない素人の発想に過ぎないが。


仕事を休めるのは最大1ヶ月と試算する。
「ならば、いっそ手術をしてしまったほうがいいのではないか」

これまた素人の発想だが、同じ賭けに出るのであれば、“より確かな治療”を選択したかった。


主治医である消化器内科のドクターは大反対。

「お腹を切ることがどれだけリスクをともなうことかわかっているのか…」

「手術は、内科的な治療ではどうにもならない場合の最後の手段なのだから…」

何度も何度も言い聞かされた。


このとき、なぜ私がそんなに手術にこだわったのかは、現在でもわからない。

ただ、焦って結果を急いでいたということと、
開腹手術というものをバカみたいに甘く考えていたのは確かだ。


このころ、治療と平行し、主治医の了解を得た上でセカンドオピニオンを受けていた。

ここでも「上腸間膜動脈症候群」という稀な病名が診断されるまで、
何度も「まさか…」と疑われ、その度に様々な検査を受けてきた。

改めて受けたCTで、放射線科のドクターも消化器内科のドクターも
上腸間膜動脈症候群であると診断し、

最終的には胃・食道外科というところで十二指腸造影をしてもらい、
やはりそうであろうという結論に達した。


私はここでも外科のドクターに懇願する。

「中心静脈栄養をせずに、いきなり手術をしてもらえないか」

1ヶ月の休業をなるべく合理的に使いたかったのだ。

当然、答えは「NO」だった。
丁寧に、そして明確に治療の選択肢とメリットデメリットを説明したうえで、
「お腹を切らずに済むのであれば、切らないほうが患者も医者もハッピーでしょ」
と、私をやさしく諭した。


これまで、誰もが一方的に中心静脈栄養療法を勧める中、
初めて手術についてきちんと説明を受けたことで、ようやく気持ちの整理がついた。

「まず、中心静脈栄養で体重を増やす治療をしてみよう」


ここまでの長い迷いは、

ドクターも私も、まさか入院するほどのことでもないだろうと考えていたこと、
対症療法をしているうちに、痛みはいつか無くなるのではないかと考えていたこと、

そして、尋常ではない食生活に痩せていく危機感を持ちながらも、
人生最大の体重にして内臓脂肪を付けるという「フォアグラ療法」が、
私の中の“狂った美意識”を納得させることが難しかったことが理由だ。

人前に出る仕事ゆえ
「太ることは悪いこと」という潜在的な価値観に支配され、
治療に踏み切ることができなかったのだと思う。


上腸間膜動脈症候群とはじめて診断されてから4ヶ月、
長い道のりを経て、ようやく治療のスタートラインに立った。


# by mori-mado | 2011-08-31 14:21 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記③

3章 転落のごとく


みぞおちの痛みは日常的に起こるようになっていた。
いつ痛みが起こるかはまったく予測がつかない。
食べる量、種類、時間に関係なく、まるでロシアンルーレット。

ついには水を飲んでも痛くなるという、わけのわからぬ状況になり、
今度は、絶食し栄養補給の点滴に通うよう告げられた。


絶食。文字通り、何も食べないこと。


胃に物を入れない限り痛くなることもなく、食べないほうが調子よい私は、
むしろホッとしていたのかもしれない。


一方で、栄養補給の点滴に通うことは、仕事の状況が許さなかった。
見かけの体調のよさで、自分自身をごまかしていた。


1
週間後、

身体はまったく動かなくなった。
ベッドから起き上がることができない。

みぞおちの痛み云々ではなく、
ガソリンが切れて動かなくなった車のようだった。


1
度目の入院。

「上腸間膜動脈症候群」という病名は、主治医以外の誰もが疑った。


別のドクターの勧めで、ガストログラフィンを飲み通過障害の検査をおこなう。

ここで「通過に問題なし」と診断されたことが、

ふり返れば、治療を迷走させる最初の原因となった気もする。


私自身、10日間の病院暮らしは何のための入院だったかよくわからず、
常食に戻ることもなく、ほとんど食べられないまま退院し、

翌日から仕事に戻った。


対症療法でやり過ごす日々。

それが根本的に何かの解決になるとはさすがに思っていなかったが、
私も主治医も、「いつか痛みが消えるのではないか」という淡い期待にすがるしか術がなかった。


同時に、痛みを抑えるために使用している薬の副作用で、自然な排便がなくなっていた。

そして、増える一方の内服薬。

不安は次から次へとふくらんで、限界に近づいていく。


「何を食べれば痛くならずに済むのだろう・・・」

食べては痛くなり、痛くなるから食べられない。

「ナニヲタベレバイタクナラズニスムノダロウ」


崩壊した食生活の中で、12ヶ月の経験から編み出した答えは、
「水分の少ないパサパサしたものを少量ずつ食べる」だった。

飲み物も飲まずにパンを1個食べる。
痛くない瞬間にクッキーやビスケットのようなものを1枚つまむ。

とにかく、パサパサ、ポソポソしたものであれば痛まないような気がする。
頼り無い経験値からの知恵だった。


私の食生活は見事に狂っていく。

「痛みから逃れたい」気持ちの一方で、
「カロリーを摂って内臓脂肪をつけなければ治らない」という強迫観念がつきまとい、
とにかくパンだけを食べた。
菓子パンや調理パンではない、生地だけのシンプルなパン。
パンさえ食べていれば衰弱して死ぬことにはならないだろうと本気で思い、
朝昼晩とパンを食べた。
痛さから逃れられる唯一の選択だった。


季節は、本格的な暑さが身体に堪える頃。
夏バテは思いのほか深刻で、徐々にパンすら受け付けなくなる。
点滴にも通えない現状に、とうとう体重は最低ラインを下回った。

「このままでは、図らずも本当に拒食症になってしまうのではないか」


パニックになりそうな頭で考えたのは、
手っ取り早くカロリー摂取が可能な、高カロリーのアイスクリームを口にすることだった。

一日の大半をみぞおちの痛みに苦しみながら、
今度は毎日毎日ハーゲンダッツのアイスクリームだけを食べ続けた。


「ふつうの食事をしたいのに、食べられない」という欲求不満と、気が狂うほどの痛みは、
身体だけでなく、精神をも蝕んでいく。


「もう死にたい。」


こんな異常な生活をしながら、
キャスターとして笑顔で仕事をし、同じ量の仕事をこなしていく

それはあまりにもつらい現実だった。


誰に話しても「拒食症ではないか」と言われ、 “外野”は皆、無責任に「食べろ、食べろ」と言う。

いつもと変わらない私を演じる自分と、悲鳴を上げている自分が混在し、
多重人格症のような気分になっていく。

毎日を、11日を確実に生きていく、ただそれだけのことが本当に並大抵のことではない。


情緒不安定、募るイライラ。自分のことながら自分で持て余す。

「私のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)って何だろう」
考え始めると、死んだほうがマシという結論にしかたどりつかない日々だった。

痛み止めに加え、栄養補給の点滴に頼らなければ真っ当な生活ができなくなっていた。


東京と福岡を行ったり来たりという出張が、痛み疲れの私に追い討ちをかける。
空港の鏡でみた自分の顔色の悪さにギョッとした。

食べては痛くなる、痛くなるから食べられない。その悪循環に疲れ果て、本当は何もする気が起きない。
そんな気持ちを奮い立たせて仕事に向かう。

夏はとうに真ん中を過ぎ、うだるような暑さだけがダラダラと続いていた。


「外来の点滴なんて気休めにしかならないよ…」

主治医が不在のある日、激しい痛みがなかなか治まらず、
普段よりずっと強い薬を点滴してくれたドクターの一言が胸に刺さる。

「外来の点滴なんてカロリーもたかが知れているし、

入院して高カロリーを入れないと治らないよ・・・」

高カロリー輸液を入れて体重を増やし、内臓脂肪を増やす

この「フォアグラ療法」しか、上腸間膜動脈症候群の治療はない。
脂肪のクッションをつければ、
十二指腸が血管に挟まれることも無くなり、通過障害も解消されるはずというのだ。


それは誰よりも私自身が何度も聞かされ、わかっているはずのことだった。


踏ん切りをつけなければ・・・


こんな生活をいつまでも続けているわけにはいかない。

「福岡の大きなイベント仕事が終わったら、入院治療をしよう」

病気ごっこはもう終わりだ。
なんとかして治療しなければ普通の生活に戻れなくなる。


33歳、ベンチャー企業の放送局で、

キャスターに加えて“事業統括部長”という不釣り合いな肩書きを背負い、

ただ走り続けることしかできなかった私が、
初めて仕事より自分を優先しようと思った瞬間だった。


# by mori-mado | 2011-08-31 14:18 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記②

2章 診断


胃カメラ、超音波、血液検査…、何の検査をしても「正常」という結果しか出ない。
医師は首を傾げるばかり。その一方で、痛みが起こる頻度は高くなっていく。
耐え切れず、痛み止めの点滴に通う日々が続いていた。


診断がつかない。


「神経性のものでは?」ナーバスになっている私に突き刺さる視線と言葉は、

「じゃあ、どんな神経なんだよ!」と心の中で吐き捨てるほど辛かったし、

痛みは、この世のものとは思えないほどだった。


その夜、またあの痛みに襲われた。

当直中の顔見知りのドクターが点滴をしてくれたものの、痛みは一向に治まらない。

結局、いつも診てもらっているドクターも心配して病院に戻ってきてくれた。

うめき声をあげる私を前に、2人のドクターが考え込む時間が続く。
初めて受診したときからずっと一緒に悩んでくれていた、信頼するドクターたちである。

「もしかして…」

点滴が終わるころ、ふたりが口にした病名は、
まったく聞いたことがなく、想像すらつかない名前だった。

                            

「ジョーチョーカンマクドーミャクショウコウグン???

天井をみつめる宙に漢字を思い浮かべてみたが、
変換されたのは「症候群」だけだった。


数日後、シャーカステンに私のCT画像が並べられていく。
「内臓脂肪が極端に少ないんです」
「食後45時間経過しているとは思えないほど、胃の残存量が多いんです」

ただ頷くしかない。


身体の中のイラストを描いて説明してくれるには、

「胃から食べものが消化されていくときに、
内臓脂肪がないために十二指腸が上腸間膜動脈という血管に挟まれてしまい、
よって十二指腸で通過障害を起こしている」ということであった。

私が把握している解剖図のレベルをはるかに超えているため、さっぱりイメージできない。


そして次の言葉に愕然とする。


「治療法がないんです。太って、内臓脂肪を付けるしか…」


本気で耳を疑った。

医療がこれだけ進歩し、様々な薬剤や医療機器が開発されているこの世の中で、
“太るしか治療法がない”という病気があるのだろうか?!

私は決して痩せたためにこの症状が現れた訳ではない。

体重も体型も変わらないある日突然に、痛みが始まったのだ。

そんな私に「太れ」といわれても、食べていないどころかよく食べているのだから、
これ以上体重を増やす方法など見つからない。

しかも、最近は食後のみぞおちの激痛が多くなり、痛くて食べられないことが多い。
食べられなければ痩せて、さらに内臓脂肪が減っていく…。

直感的に矛盾を感じたこの病気に、まさか半年以上も振り回されることになるとは、

このときは思いもしなかった。
医師の説明に何ひとつ納得できるものはなく、

はっきりしていることは、“痛みは確実にやってくる”、それだけだった。


# by mori-mado | 2011-08-31 14:16 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記①

プロローグ


6時。私の朝は病室の窓を開けることから始まる。

眼下には不忍池、顔を上げればすぐ向うは上野だ。


この大学病院にまさか1ヶ月以上も入院することになるとは思いもしなかった。

9月に入院したきり、気がつけば2ヶ月以上病室暮らしだ。

最初の病院では内科治療を、転院先のここでは手術を経験した。

外来に通い始めてからは半年以上、

病気になって生活は劇的に変わった。


私が経験したのは、主治医にも「めったにお目にかからない」と言われた、

「上腸間膜動脈症候群(SMA症候群)」という病気。


内臓脂肪が無いためになると言われ、

例えば摂食障害で急に体重が落ちた患者さんに稀に見られることがあるという。

しかし、体重も体型もこの10年ほとんど変化がない。

確かに胃が痛いことはこれまでも多くあったが、

ライフスタイルを振り返っても、

どちらかと言えば内臓脂肪が付くことを心配しなければならないような食生活。

夜中のお酒、焼肉、中華・・・、

「痩せているくせに、よく食べよく飲む」と褒められると同時に呆れられるほどでもあったのだ。





1章 はじまり


2005年4月、痛みは突然だった。


初めてそれを感じたとき、不気味ともいえるくらい、経験したことのない痛みだった。
みぞおちを強烈にパンチされたような痛みが断続的につづく。

横になっても、うずくまっても、治まることはなく、胃薬を飲んでもまったく効かない。

「これって、何?

経験のない痛みに怯えながらも、ひと時のことだろうと深く考えず、その日は過ぎた。


その後も、頻繁にやってきた。
夜中であったり、外出先であったり、シチュエーションにお構いなく、突然、みぞおちに激痛が走る。
胃薬が効かないため、消炎鎮痛剤をどのくらい飲んだかわからない。座薬も入れてみた。
温めたほうがいいのかとお風呂にも入ってみた。
唸りながら、眠れぬ一夜を明かすこともあった。

何をしても、お手上げだった。


その日もまた、突然きた。

外出先から帰る路上で、とうとう1歩も歩けなくなる。
遅ればせながら、さすがにただごとではないと感じ、

やっとの思いで、かかりつけの病院へ診療時間の問い合わせを入れた。


運がいい。その日の夜間診療はちょうど消化器内科のドクターで、面識もある。

タクシーに乗り、どんどん強くなる痛みをこらえて、赤坂の病院にたどり着くと、

話を聞いたドクターはすぐに痛み止めの注射をしてくれた。

さらに「心配だから、明日胃カメラをやりましょう」と言う。

「やはり胃潰瘍とか・・・、まさか胃がん?」大げさな不安が一瞬私の頭を過ぎったが、

出血もなく、胃痛とは質もちがうことぐらいはわかる。

「それは無いな」 むしろ、翌日の番組収録のほうが気になるくらい妙に冷静だった。

痛みは和らぎ、診察室を後にした。


ところが、

薬を待つ間にまたあの痛みが始まった。
あまりの痛さに呆然としたが、立っても座ってもうずくまっても、何をしても強くなるばかり。


「大丈夫ですか?
警備員さんや病院職員の顔が歪んで見える。
夜間診療時間ゆえに人もまばらなロビーで、私は抱きかかえられるように病室へ運ばれた。


1
滴ずつゆっくりと点滴が落ちていく。

もう、自分の身体が壊れかけていることを自覚せざるを得ない、

そんな思いで点滴を眺めていた。


# by mori-mado | 2011-08-31 14:10 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

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