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「被災地の看護は、いま」

日本看護協会よりご案内をいただき、
よみうりホールでおこなわれた「復興支援フォーラム  被災地の看護は、いま」を取材してきました。

開会にあたり、日本看護協会の坂本すが会長は、
「東日本大震災からまもなく3年。命の尊さ、家族のあり方、地域のつながり方…、
私たちはそれぞれが“自分自身の問題”として震災と向き合ってきました。
復興とは、病める人も健康なも、その人らしい健やかな生活を取り戻すこと。
そのために被災直後から現在も看護活動を続けている看護職の皆さんの報告を聞いてほしい」と挨拶。

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客席は満席。関心の高さがうかがえます。
一般の方の参加を募ったところ、あっという間に2,100人の応募があり、
抽選で1,100名が招待されたそうです。


お笑いコンビ サンドウィッチマンさんのトークショーでは、
テレビ番組のロケ中に震災にあった伊達みきおさんと冨澤たけしさんお2人の当日の様子や、
その後の支援活動と、“お笑い”への戸惑いと気持ちの変化、故郷への思いなどが、率直な言葉で語られました。

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現在も被災地へ行き、積極的に復興を支援しているお2人は、
「3年は大きい。被災地へ行っても、1、2年は誰もあの日の話をしなかったのが、
最近は“ねぇ、聞いてよ”と自分から話してくるようになった」としみじみ。

震災直後、避難所で生活している家族や故郷の人たちを置いて東京に戻る複雑な思い、
3日後に戻った東京で感じた被災地との温度差など、
宮城で育ち、宮城で震災にあったお2人だからこその思いをたっぷり語ってくれました。

震災直後は“被災地では笑いは誰も求めていない”と感じ、漫才を解禁したのは1年後。
チャリティーライブで被災された方たちがたくさん笑ってくれ、
嬉しさとともに、前に進むときの“笑いのパワー”を改めて感じたそうです。

「津波ですべてを失うほどの被害を受けても、
また海に戻り、生まれ育った海とともに生きる人たちがたくさんいる。その強さに感銘を受ける」と伊達さん。
お笑い芸人が支援活動をすることに対し、
「もうサンドウィッチマンの漫才を見ても笑えなくなるから、止めたほうがいい」と否定的な意見もあったそう。
「でも僕らは、5年でも10年でもずっと復興を支援していきますよ。
東北は元気になったけれど、まだまだ。現状をみんなにしっかり伝えていきたい」と力強く結びました。


つづいて「被災地の看護は、いま」と題したリレートーク。
宮城、福島、岩手でさまざまな立場で看護活動をおこなう4人の看護職からの報告がありました。

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宮城県岩沼市の病院で、被災中もその後もお産を継続した助産師の八木橋さんは、
電気、水、ガスのない分娩室でのお産を乗り越えたチームの1人です。
「被災中でも妊婦さんのお産は進行していく。
妊婦さんを不安にさせないためにできる限りのことをした」と振り返ります。
声をかけ励まし続け、震災で停電し自家発電も止まってしまった中で鉗子分娩がおこなわれたことや、
暖房がない中で、清潔なゴム手袋に40℃のお湯を入れて新生児を温めた話など、
どんな状況でも 命の誕生を支える看護職の使命感がひしひしと伝わってきました。


南三陸で訪問看護ステーションの看護師として働く千葉さんは、
沿岸部近くのステーションだったため、施設のすべてを失いました。
跡形もなく津波で流され、トイレの便器だけが転がっていたそうです。

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「でも、失わなかったものがあります! 命と、使命感と、訪問看護に使う訪問バッグです」と千葉さん。
翌日には避難所での安否確認などを手伝い、6日後には歩いての訪問看護を再開。
「被災したときに私たちの頭にあったのは、“行くか、行かないか”ではなく、“どうやって行くか”でした」
地域の人たちが自宅でその人らしく生きることを支える訪問看護師の、まさにプロ意識でしょう。
その思いは、真っ直ぐに私の心に響きました。


地震、津波、放射能の被害を受けている南相馬の看護専門学校で教鞭をとる堀内さんは、
“近隣の病院が連携してネットワークを作り、新人看護師を育てていく”という
プロジェクトを立ち上げた直後に被災します。
10病院のうち8病院が閉鎖した中で、それでも「地域の看護師をしっかり育てなければ」と奮い立たせたのは、
被災直後に「何かお手伝いできることはありますか」と真っ先に病院に駆けつけてくれた若者が、
4月から看護の道をスタートしようとしている新人ナースだと知ったことが大きいと言います。
大災害の中でも、自分のできることを懸命に探す彼女たち新人ナースを、
きちんと育て、看護師としてこの地に残すことが自分の役割だと感じたのだと。
震災直後に研修を受けた新人15名のうち、14名は現在も南相馬で仕事をつづけいるそうです。
看護学生の地元への就職率も6割程度に戻り、
「地域医療に貢献したい」と多くの新人看護師ががんばっていると報告されました。


被災直後から陸前高田へ支援に入った佐々木さんは、
以前は岩手県に保健師として勤務、陸前高田でも活動されていた時期があります。
「退職の日、僕を笑顔で送り出してくれた元同僚9人のうち、6人が亡くなりました」
というショッキングな話に会場がシーンと静まり返ります。これが東日本大震災の現実なんですね…。
現在は、地域のみんながつながることに重点をおき活動をしているそうで、
「つながろうとする人が増えれば、元気になる」と、保健師として復興後の地域づくりを担っています。

4人の報告のあと、「命が動く瞬間に出合い、命をつないでいくのが、看護職。
そして同時に、看護職は、病院の中の治療者だけでなく、皆さんの生活を守り抜く支援者であるのです」
と、日本看護協会の中板常任理事がまとめました。


フォーラムのラストは、復興応援ソング「花は咲く」の合唱。
登壇者や看護協会、看護学生の皆さんで1番を歌ったあと、会場全体での大合唱となりました。

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東日本大震災 被災地の医療の話を伺う機会は何度かありましたが、
さまざまな視点での具体的なお話をこれだけのボリュームで聞いたのは、はじめて。
まずは伝えることに意義があると思い、かいつまんでも長くなりましたがブログにまとめました。
(詳しい内容は、3月中旬以降の読売新聞に掲載されるとのことです)


いま私にできることは何か、
いざというときに自分の命を自分で守り抜くために必要な準備をすること、
被災された方の経験から学んだこと、被災地の現状をを少しずつでも発信していくこと、
そして、東北の復興のために物資でもお金でも交流でも観光でも買い物でも…、いまできると思ったことをする。

それを再確認させてもらったフォーラムでもありました。

by mori-mado | 2014-02-11 22:39 | 医療キャスターのおしごと | Comments(0)

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