先日、話をしていたときに、友達が私にこう言った。
「松竹梅と各種取り揃えてるけど、どれがいい?」
上記の「取り揃えている・・・」という内容は大したことではないので、この際どうでもいいのだが、今日の問題は実は「松竹梅」にある。
「松竹梅」とは別に日本酒の名前ではなく、言わずとしれた物事の等級を示す言葉である。
ところが、このとき私はとっさに、この「松竹梅」のうちでどれが一番でどれが三番目かが分からなかったのだ。
竹が真ん中であることはなんとなく分かる。3つのうちの真ん中に挟まっているし。
が、松と梅がどっちが格上なのかが本気で分からなかった。
どっちが上なのだろう・・・・・。
松竹梅を日常でよく見かけるのは、たぶん、和食の食事処ではないかと思う。
例えば、鰻屋さん。
鰻の大きさ、質などで、メニューの鰻重のところに「松竹梅」とか書いてあって、値段が違っているので、どれが格上か一発で分かる。
でも、どうして、あの時「松竹梅」の判別が付かなかったのだろう・・・。
その答えは、物事の等級を示すために用いているアイテムに問題があると思われる。
つまり、松と竹と梅。この3アイテムだ。
私にとっては、松とも竹とも梅とも、実生活で縁遠いので、どれが高級で格上でというのが、全くもって感覚として分かっていないのだ。
だから、鰻屋さんのように、「値段」という分かりやすいファクターが一緒にセットになっているとすんなり分かることが、「松竹梅」という単語だけ出されると分からないのだ。
実生活感覚に当てはめて考えると、私にとっては、竹の香りは入浴剤とかでも好きだし、「竹」に関しては、結構格上判定になっている。
梅においても、見た目も可愛らしいし、華やかさもあるので、格上判定である。
松に関しては、和風の高級感はあっても、私の実生活に縁遠い植物のため、ちょっと格が下がる。
そんなことも踏まえて総合的に考えると、「松竹梅」の等級制は、「竹梅松」もしくは「梅竹松」になりかねない。
同じ問題を京都で考えていたら結果は違っていたのかもしれない。
ここは東京。とかく松とも竹とも梅とも縁遠いのだ。
こんな「等級」という大事なジャッジをするためのアイテムが分かりにくいのは非常に問題がある。
家に帰って久しぶりに机から国語辞典を取り出し「松竹梅の中でどれが一番か?」を学んだから良いものを、あの私なら、笑顔で「これください」と「梅」と書かれた何かを受け取ってしまいそうだった。
これはまずい。
そもそも、分かりにくいから誤解を生むのだ。
であれば、もっと分かりやすいアイテムに置き換えればいいのだ。
そこで、ちょっと私なりに考えてみた。
◆「トロ・エビ・鉄火巻き」
私の好きな寿司で等級を考えてみた。
もちろん、トロが松、エビが竹、鉄火が梅である。
他にも、「エンガワ・ハマチ・納豆巻き」でもいい。
ただし、問題点として、私個人の好みが非常に満載であるため一般性に欠けていること。
そして、年を取ったときに、「トロは脂っこくてねぇ・・・」とか言いながら「鉄火」が自分にとっての「松」になって逆転している危険性もある。恒久的に使えない。あまりお勧めできない等級制だ。
◆「お茶・紅茶・コーラ」
ドリンクに当てはめて考えてみたが、これも非常に私の好み満載でお勧めが全くできない。
炭酸が一切飲めない私にとっては、コーラは「梅」扱いなのだ。
◆「メロン・イチゴ・バナナ」
私の好きな果物を等級化してみたのだが、これまた自分だけが分かる等級制になってしまった。
本当は洋ナシとさくらんぼとかも大好きなのだが、メジャーな果物でまとめてみた。
・・・うーむ。
こうして考えると、なかなか良い等級ジャッジアイテムは見つからないもんで、結局のところ「松竹梅」を使うしかないようである(苦笑)。
まぁ、こんなことを考えながら、筆を執り、秋の夜長を過ごすのもまた一興である(笑)。
先日、仕事でお世話になっている会社さんからチケットをいただき、初めて総合格闘技「PRIDE」の試合を見に行ってきました。
この日はPRIDEグランプリ2003ということで、場所は東京ドーム。雨にもかかわらず、超満員のお客さんでした。
個人的に格闘技を見るのは大好きで、実はプロレスラーさんともお友達ということもあり、よく男女問わずプロレスの試合とかを見に、後楽園ホールとか行ってました。
あと、最近では、K-1とかの試合をテレビでよく見ています。
PRIDEは初めてだったんですが、とにかくすごいお客さんの数でびっくりしました。
どんな格闘技でも、格闘技はホント楽しいです。
自分がリングに立っているわけでもなんでもないのに、あたかも自分が相手を倒したかのような気がして、スカッとしますね。
ただ、PRIDEは「ちょっと格闘技を知っている人」用という気はしました。
私もあまり詳しいほうではないですが、PRIDEでは打撃と寝技による攻撃を許しているので、立った状態での打撃のときはパンチや蹴りで激しいのですが、寝技になると膠着状態が続いて、リングの上でモゾモゾしているだけに見えてしまうので、分からない人にとっては地味に見えてしまうかも。
プロレスとかは派手な演出やリングの上から跳んだりなどの技があったり、K-1は打撃だけなので一発の強烈パンチによるKOがあったりと、なんだかよく分からないけど圧倒されちゃうというのがあるんですが。
PRIDEファンの方に聞くと、それだけPRIDEはガチンコでやっている試合なので、寝技のときも見えないかもしれないが有利な戦況をとるための攻防があったりと、「そこが楽しいのよ!」とのこと。
私にとっては、格闘技好きなので、非常に楽しかったです。
11/9(日)PRIDEグランプリ2003の情報は、こちらのPRIDEオフィシャルサイトにて。
きっと私の説明聞くより、分かりやすいと思います・・・・。
http://www.so-net.ne.jp/pride/events/pride_gp_2003/index.html
◆PRIDEグランプリ2003
ロイヤルリングサイドという席をいただいたので、リングから近かったです。
◆超満員のお客さん
2階の上の方の席までみっちりお客さんが来ていました。
◆派手な演出
選手が入場してくるとスモークが出たり、大きなモニターを使った派手な演出がされます。
それを見るだけでも楽しいです。
「松竹梅と各種取り揃えてるけど、どれがいい?」
上記の「取り揃えている・・・」という内容は大したことではないので、この際どうでもいいのだが、今日の問題は実は「松竹梅」にある。
「松竹梅」とは別に日本酒の名前ではなく、言わずとしれた物事の等級を示す言葉である。
ところが、このとき私はとっさに、この「松竹梅」のうちでどれが一番でどれが三番目かが分からなかったのだ。
竹が真ん中であることはなんとなく分かる。3つのうちの真ん中に挟まっているし。
が、松と梅がどっちが格上なのかが本気で分からなかった。
どっちが上なのだろう・・・・・。
松竹梅を日常でよく見かけるのは、たぶん、和食の食事処ではないかと思う。
例えば、鰻屋さん。
鰻の大きさ、質などで、メニューの鰻重のところに「松竹梅」とか書いてあって、値段が違っているので、どれが格上か一発で分かる。
でも、どうして、あの時「松竹梅」の判別が付かなかったのだろう・・・。
その答えは、物事の等級を示すために用いているアイテムに問題があると思われる。
つまり、松と竹と梅。この3アイテムだ。
私にとっては、松とも竹とも梅とも、実生活で縁遠いので、どれが高級で格上でというのが、全くもって感覚として分かっていないのだ。
だから、鰻屋さんのように、「値段」という分かりやすいファクターが一緒にセットになっているとすんなり分かることが、「松竹梅」という単語だけ出されると分からないのだ。
実生活感覚に当てはめて考えると、私にとっては、竹の香りは入浴剤とかでも好きだし、「竹」に関しては、結構格上判定になっている。
梅においても、見た目も可愛らしいし、華やかさもあるので、格上判定である。
松に関しては、和風の高級感はあっても、私の実生活に縁遠い植物のため、ちょっと格が下がる。
そんなことも踏まえて総合的に考えると、「松竹梅」の等級制は、「竹梅松」もしくは「梅竹松」になりかねない。
同じ問題を京都で考えていたら結果は違っていたのかもしれない。
ここは東京。とかく松とも竹とも梅とも縁遠いのだ。
こんな「等級」という大事なジャッジをするためのアイテムが分かりにくいのは非常に問題がある。
家に帰って久しぶりに机から国語辞典を取り出し「松竹梅の中でどれが一番か?」を学んだから良いものを、あの私なら、笑顔で「これください」と「梅」と書かれた何かを受け取ってしまいそうだった。
これはまずい。
そもそも、分かりにくいから誤解を生むのだ。
であれば、もっと分かりやすいアイテムに置き換えればいいのだ。
そこで、ちょっと私なりに考えてみた。
◆「トロ・エビ・鉄火巻き」
私の好きな寿司で等級を考えてみた。
もちろん、トロが松、エビが竹、鉄火が梅である。
他にも、「エンガワ・ハマチ・納豆巻き」でもいい。
ただし、問題点として、私個人の好みが非常に満載であるため一般性に欠けていること。
そして、年を取ったときに、「トロは脂っこくてねぇ・・・」とか言いながら「鉄火」が自分にとっての「松」になって逆転している危険性もある。恒久的に使えない。あまりお勧めできない等級制だ。
◆「お茶・紅茶・コーラ」
ドリンクに当てはめて考えてみたが、これも非常に私の好み満載でお勧めが全くできない。
炭酸が一切飲めない私にとっては、コーラは「梅」扱いなのだ。
◆「メロン・イチゴ・バナナ」
私の好きな果物を等級化してみたのだが、これまた自分だけが分かる等級制になってしまった。
本当は洋ナシとさくらんぼとかも大好きなのだが、メジャーな果物でまとめてみた。
・・・うーむ。
こうして考えると、なかなか良い等級ジャッジアイテムは見つからないもんで、結局のところ「松竹梅」を使うしかないようである(苦笑)。
まぁ、こんなことを考えながら、筆を執り、秋の夜長を過ごすのもまた一興である(笑)。
先日、仕事でお世話になっている会社さんからチケットをいただき、初めて総合格闘技「PRIDE」の試合を見に行ってきました。
この日はPRIDEグランプリ2003ということで、場所は東京ドーム。雨にもかかわらず、超満員のお客さんでした。
個人的に格闘技を見るのは大好きで、実はプロレスラーさんともお友達ということもあり、よく男女問わずプロレスの試合とかを見に、後楽園ホールとか行ってました。
あと、最近では、K-1とかの試合をテレビでよく見ています。
PRIDEは初めてだったんですが、とにかくすごいお客さんの数でびっくりしました。
どんな格闘技でも、格闘技はホント楽しいです。
自分がリングに立っているわけでもなんでもないのに、あたかも自分が相手を倒したかのような気がして、スカッとしますね。
ただ、PRIDEは「ちょっと格闘技を知っている人」用という気はしました。
私もあまり詳しいほうではないですが、PRIDEでは打撃と寝技による攻撃を許しているので、立った状態での打撃のときはパンチや蹴りで激しいのですが、寝技になると膠着状態が続いて、リングの上でモゾモゾしているだけに見えてしまうので、分からない人にとっては地味に見えてしまうかも。
プロレスとかは派手な演出やリングの上から跳んだりなどの技があったり、K-1は打撃だけなので一発の強烈パンチによるKOがあったりと、なんだかよく分からないけど圧倒されちゃうというのがあるんですが。
PRIDEファンの方に聞くと、それだけPRIDEはガチンコでやっている試合なので、寝技のときも見えないかもしれないが有利な戦況をとるための攻防があったりと、「そこが楽しいのよ!」とのこと。
私にとっては、格闘技好きなので、非常に楽しかったです。
11/9(日)PRIDEグランプリ2003の情報は、こちらのPRIDEオフィシャルサイトにて。
きっと私の説明聞くより、分かりやすいと思います・・・・。
http://www.so-net.ne.jp/pride/events/pride_gp_2003/index.html
◆PRIDEグランプリ2003
ロイヤルリングサイドという席をいただいたので、リングから近かったです。◆超満員のお客さん
2階の上の方の席までみっちりお客さんが来ていました。◆派手な演出
選手が入場してくるとスモークが出たり、大きなモニターを使った派手な演出がされます。 それを見るだけでも楽しいです。
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by meshi-quest
| 2003-11-12 14:58
私は生まれも、育ちも東京だ。
いわゆる、チャキチャキの江戸っ子である。
東京に生まれ、長年生活をしていると、東京という街の華やかさ、便利さ、楽しさなんかが当たり前になってきてしまうので、つい口癖のように「東京はなーんもないなぁ」と言ってしまう。
この気持ちは、東京生まれ、東京育ちの方々には、割と分かってもらえるのではないかと思う。
原宿も、渋谷も、新宿も、浅草も、最初は色々物珍しいこともあるかもしれないが、だんだん慣れてくる。普通の光景だ。
なので、逆に、私にとっては地方へ行ったときが楽しくて仕方がない。
牧場があったり、豊かな自然があったり、巨大な庶民向けテーマパークがあったり。芋ほりはできるわ、ぶどう狩りはできるわ、渓流釣りはできるわ、地方特産物やお土産はあるわで、すばらしいワンダーランドだ。
そんなことを、大学時代に仲が良かった友達によく話していた。彼女は愛媛県から上京してきた。
私がそんな話をするたびに、彼女はこう言った。
「りえちゃんは東京生まれだから、田舎が珍しいかもしれないけど、田舎に住んでいる私とっては、東京は何でもあるすごい街だし、逆に田舎は何にもなくて地獄だよ。」と。
在学中に彼女の実家に連れて行ってもらったことがある。
彼女の実家は、真珠の養殖をしており、家を挟んで目の前が海、真後ろが山で、段々畑にみかんが栽培されていた。
ちょっとした町に出るためには、1時間に1~2本のバスに乗っていかなければならない。
確かに周りには自然しかなく、遊ぶ場所もなかったが、私にとってはすべてが珍しく、純粋に海や山に囲まれたこの環境が楽しく、うらやましかった。
やっぱり、地方のほうが楽しい気がする。
東京っ子には、東京の良さが分からないのか・・・。
こんなことを考えていて、ふと東京っ子として、再度東京という街を見直すために、ネットで「東京観光」を検索してみた。
何にもない何にもないと思っていた東京だが、調べてみると、ちゃんとイベントもやってるし、祭りもあるし、伝統工芸もあるし、東京特産土産もあるし、温泉まであるらしい。
何事も思い立ったが吉日である。
先日、東京観光探しの検索結果で見つかった「史上最大商店街祭り」というイベントに行ってみた。祭り好きなのである。
このイベントは11月7日(金)~11月9日(日)まで行なわれたイベントで、場所は新宿都庁前のふれあい広場。
紹介文によると、「東京を代表する商店街が一堂に会し、先進的な活動や独自の魅力をアピールする全国初のイベント」「レトロ商店街ブースでは昭和30年代の懐かしい街並みを再現、駄菓子屋横丁、八百屋・花屋横丁などが並び・・・」とある。
なんだか非常に楽しそうだ。
「レトロ商店街」「懐かしい町並み」「駄菓子」そんなキーワードに惹かれた。
会社が近くなのでしょっちゅう都庁近辺をうろうろしているが、こんなイベントが予定されていることも知らなかったし、この都庁前のスペースがイベント事に使用できることも知らなかった。
行ってみると、意外に予想していたよりも大規模なイベントだった。
ただ、行くまでは紹介文から想像し、新横浜のラーメン博物館のような手の込んだレトロ商店街が立ち並んでいることを期待していたのだが、実際は各出店ごとにテントが張られており、その商店街名物の和菓子を売っていたり、パネルを使って商店街の変遷を紹介していたりと、手作り感のあふれる非常に庶民的なイベントであった。
コマを使った大道芸や自転車に紙芝居を乗せた紙芝居屋さんの実演などもあった。
イベントというよりは「文化祭」に近い。
年齢層は非常に高く、40代~50代のおじちゃん、おばちゃんがメイン。若い人はほとんどおらず、さしあたって「大人の文化祭」といったところだろうか。
個人的には、こういう文化祭っぽいイベントは大好きなので、かなり堪能できた。
生まれてこの方、初めて本物の紙芝居屋を見たし、駄菓子も買ったし、八百屋でおじちゃんに「おねえちゃん、美味いよ!」と勧められミカンも1袋買った。杏仁豆腐やおでんも食べた。無料休憩所で、お茶もいただいた。
参加費は無料。
若い子が想像するようなイベントの派手さはないけど、たまにはこんなイベントもイイ。
見たところほとんどが40代~50代の方々ばかりであったが、私のように「東京で遊ぶとこ、もう飽きたー」なんて言っている子も多いと思うので、もっと若い子らにもアピールして、呼び込んでも良かったのではないかと思う。
東京は何にもない何にもないと思っていたけど、ちょっとはあるようだ。
今後はもう少し東京について色々調べてみようと思う。
今回、東京観光の参考にしたサイト。 http://www.kanko.metro.tokyo.jp/
■今日のカメ。
◆史上最大の商店街祭り
それなりに楽しめたし、商店街についての勉強にもなったが、もっと出店を増やして、紹介文でうたっていた「レトロ商店街」を演出したブース作りがされていたら、もっと楽しかったのではないかと思う。予算の関係もあるのかな・・・。
◆紙芝居屋
紙芝居屋の存在なんて、マンガ「ちびまる子ちゃん」で知ったくらいで、ホンモノにお目にかかれたのは非常に光栄であった。
「ちびまる子ちゃん」によると、紙芝居の前後で駄菓子をおじちゃんが売るらしいので、それも期待して待っていたが、そこまではなかった。
◆「幻人形」
私が見た紙芝居のタイトルである。
この劇画調の絵といい、紙芝居とは思えないくらい渋いタイトル「幻人形」といい、たまらんね。
ちなみに内容も渋く、男女の恋愛のもつれみたいのがあり、その結果、彼女が崖から飛び降り自殺っぽいことしていたりと、まるで昼ドラ。たまらんね。楽しげ
いわゆる、チャキチャキの江戸っ子である。
東京に生まれ、長年生活をしていると、東京という街の華やかさ、便利さ、楽しさなんかが当たり前になってきてしまうので、つい口癖のように「東京はなーんもないなぁ」と言ってしまう。
この気持ちは、東京生まれ、東京育ちの方々には、割と分かってもらえるのではないかと思う。
原宿も、渋谷も、新宿も、浅草も、最初は色々物珍しいこともあるかもしれないが、だんだん慣れてくる。普通の光景だ。
なので、逆に、私にとっては地方へ行ったときが楽しくて仕方がない。
牧場があったり、豊かな自然があったり、巨大な庶民向けテーマパークがあったり。芋ほりはできるわ、ぶどう狩りはできるわ、渓流釣りはできるわ、地方特産物やお土産はあるわで、すばらしいワンダーランドだ。
そんなことを、大学時代に仲が良かった友達によく話していた。彼女は愛媛県から上京してきた。
私がそんな話をするたびに、彼女はこう言った。
「りえちゃんは東京生まれだから、田舎が珍しいかもしれないけど、田舎に住んでいる私とっては、東京は何でもあるすごい街だし、逆に田舎は何にもなくて地獄だよ。」と。
在学中に彼女の実家に連れて行ってもらったことがある。
彼女の実家は、真珠の養殖をしており、家を挟んで目の前が海、真後ろが山で、段々畑にみかんが栽培されていた。
ちょっとした町に出るためには、1時間に1~2本のバスに乗っていかなければならない。
確かに周りには自然しかなく、遊ぶ場所もなかったが、私にとってはすべてが珍しく、純粋に海や山に囲まれたこの環境が楽しく、うらやましかった。
やっぱり、地方のほうが楽しい気がする。
東京っ子には、東京の良さが分からないのか・・・。
こんなことを考えていて、ふと東京っ子として、再度東京という街を見直すために、ネットで「東京観光」を検索してみた。
何にもない何にもないと思っていた東京だが、調べてみると、ちゃんとイベントもやってるし、祭りもあるし、伝統工芸もあるし、東京特産土産もあるし、温泉まであるらしい。
何事も思い立ったが吉日である。
先日、東京観光探しの検索結果で見つかった「史上最大商店街祭り」というイベントに行ってみた。祭り好きなのである。
このイベントは11月7日(金)~11月9日(日)まで行なわれたイベントで、場所は新宿都庁前のふれあい広場。
紹介文によると、「東京を代表する商店街が一堂に会し、先進的な活動や独自の魅力をアピールする全国初のイベント」「レトロ商店街ブースでは昭和30年代の懐かしい街並みを再現、駄菓子屋横丁、八百屋・花屋横丁などが並び・・・」とある。
なんだか非常に楽しそうだ。
「レトロ商店街」「懐かしい町並み」「駄菓子」そんなキーワードに惹かれた。
会社が近くなのでしょっちゅう都庁近辺をうろうろしているが、こんなイベントが予定されていることも知らなかったし、この都庁前のスペースがイベント事に使用できることも知らなかった。
行ってみると、意外に予想していたよりも大規模なイベントだった。
ただ、行くまでは紹介文から想像し、新横浜のラーメン博物館のような手の込んだレトロ商店街が立ち並んでいることを期待していたのだが、実際は各出店ごとにテントが張られており、その商店街名物の和菓子を売っていたり、パネルを使って商店街の変遷を紹介していたりと、手作り感のあふれる非常に庶民的なイベントであった。
コマを使った大道芸や自転車に紙芝居を乗せた紙芝居屋さんの実演などもあった。
イベントというよりは「文化祭」に近い。
年齢層は非常に高く、40代~50代のおじちゃん、おばちゃんがメイン。若い人はほとんどおらず、さしあたって「大人の文化祭」といったところだろうか。
個人的には、こういう文化祭っぽいイベントは大好きなので、かなり堪能できた。
生まれてこの方、初めて本物の紙芝居屋を見たし、駄菓子も買ったし、八百屋でおじちゃんに「おねえちゃん、美味いよ!」と勧められミカンも1袋買った。杏仁豆腐やおでんも食べた。無料休憩所で、お茶もいただいた。
参加費は無料。
若い子が想像するようなイベントの派手さはないけど、たまにはこんなイベントもイイ。
見たところほとんどが40代~50代の方々ばかりであったが、私のように「東京で遊ぶとこ、もう飽きたー」なんて言っている子も多いと思うので、もっと若い子らにもアピールして、呼び込んでも良かったのではないかと思う。
東京は何にもない何にもないと思っていたけど、ちょっとはあるようだ。
今後はもう少し東京について色々調べてみようと思う。
今回、東京観光の参考にしたサイト。 http://www.kanko.metro.tokyo.jp/
■今日のカメ。
◆史上最大の商店街祭り
それなりに楽しめたし、商店街についての勉強にもなったが、もっと出店を増やして、紹介文でうたっていた「レトロ商店街」を演出したブース作りがされていたら、もっと楽しかったのではないかと思う。予算の関係もあるのかな・・・。 ◆紙芝居屋
紙芝居屋の存在なんて、マンガ「ちびまる子ちゃん」で知ったくらいで、ホンモノにお目にかかれたのは非常に光栄であった。 「ちびまる子ちゃん」によると、紙芝居の前後で駄菓子をおじちゃんが売るらしいので、それも期待して待っていたが、そこまではなかった。
◆「幻人形」
私が見た紙芝居のタイトルである。 この劇画調の絵といい、紙芝居とは思えないくらい渋いタイトル「幻人形」といい、たまらんね。
ちなみに内容も渋く、男女の恋愛のもつれみたいのがあり、その結果、彼女が崖から飛び降り自殺っぽいことしていたりと、まるで昼ドラ。たまらんね。楽しげ
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by meshi-quest
| 2003-10-11 14:55
金八先生が言っていた。
「人と言う字は、人と人が重なり合ってできている。人は独りでは生きていけない。」、と。
本当にその通りだと思う。
若い頃は、独りでも何とかいけちゃうんじゃないの?!とか思っていた。パワーとイキオイですべて何とかなると思っていた。
が、年を取るにつれ、人は精神的にも、肉体的にも独りでは生きていけないイキモノなんだなぁと感じるようになった。
若い頃より絶対的に今のほうが知識もあるし、動ける範囲も増えたし、アルバイトをしていた頃よりは多少お金もある。
が、それに反比例するように、どんどん「精神的な動ける範囲」というか、独りでガンガン行く「何か」は薄れてきたように思う。
それが、少し「大人になった」ということの意味なのだろうか。
これからの下記文を、とある私の友人に送る。
とある事情があって、音信普通になってしまった友人だ。
先日、これまたとあるきっかけで数年ぶりに彼女から手紙をもらった。
郵便受けのチェックが遅れ、送ってくれたときより多少時間が経ってしまって申し訳なかったが、とある意味と願いを込めて、私なりに返信をしようと思う。
「とある」が多くて非常に申し訳ないが、とある事情により仕方がないことをご了承いただきたい。
ヒトと生きていくことは、実はすごく難しいことだと思う。
武田鉄矢さんも歌っているが、ヒトとしてヒトに傷つき、ヒトとしてヒトに迷う。
でも、結局のところ、ヒトとしてヒトと出会って、ヒトしか愛せないのだと思う。
ヒトと生きていくことは難しい。
でも、ヒトはそんなにいつもいつも深くそのことを考えて生きているわけではない。
毎日のように「ヒトは難しい」などと考えていたら、息が詰まるし、生きていけない。
ヒトは生きてきた環境も違うし、感情、習慣、すべてがそれぞれ違う。
だからこそ難しいし、だからこそ面白い。
ヒトは時に自分を傷つけるが、それ以上に楽しませてもくれると思う。
若干ギャンブルに近いこともあるかもしれないが、自分の気持ちや考えは素直に言ってみたほうがいい。
ただし、ヒトはそんなに賢くないから、変な小細工はしないほうがいい。逆効果の場合もあるからね。
正直に真剣に言ったことは、どんな形であれ、きっと相手に伝わる。
伝わるが、でも、それは、自分の思うような結果につながるとは限らない。
「運命」というと大げさかもしれないが、それは叶わぬ・・・いや、むしろ、これからやってくるもっと良いことのために叶わないようにできていることなのかもしれない。
それと、ヒトは変わる。
私もヒトが変わることでイヤな想いをしたこともいっぱいあるが、必ずしもマイナスの方向にだけ変わるわけではない。
変わったことで良くなることもいっぱいいっぱいある。
悪かったコト、できなかったコト、知らなかったコト、克服できなかったコト・・・・変わることでプラスの方向にクリアされることだってある。
そして、ヒトについて、もう1つ。
自分の思っている100%良いことは、相手にとっても100%良いことだとは限らない。
これは、すごく悩ましく、時に誤解を生み、つらいことだが、事実だ。
自分にとって最上級に良いことなのだから、相手にも・・・と思うのがヒトの心理なのだが、ヒトの育った環境、感情、習慣、色々なことの差異が自分と相手をイコールにさせないことがある。
ずっとイコールにならないこともあるが、細かに相手に伝え、相手のことも考えつつ自分のことを伝えられるようになれば、これもニヤ・イコールなる。
不安や心配により、自分をかばいつつ何かをしてしまうのがヒトというものだが、相手からすべて正直に素直にさらけ出されると悪いことはできなくなるのもヒトというものだ。
むやみにヒトを信用することもないし、ヒトに対して何かを強制するつもりもない。
が、もう少し楽に考えると視点が変わる、そう思う。
最後に。
ヒトを楽しませたり、でも、時にヒトを傷つけ、ヒトを悩まし、勝手に変わり・・・。ヒトって、なんだかなぁ・・・・と思うが、私ももあなたも、そんな「ヒト」なのである。
私はヒト博士でもヒト評論家でもなんでもない。
ただのヒトだ。
だから、こんなウンチクたれて、でも、時にこのウンチクを全面撤回してみたり(笑)、ああでもない、こうでもないと言いながら、勝手に日々生きているのだ。
そんな日常の中で、往々にして迷惑をかける(苦笑)こんな私でも懲りずに一緒にいてくれて、お互いに寄り添っているのが、ヒトの中でもとあるタイトルの付いたフォルダに分けられている。
そのフォルダ名は、「トモダチ」。
あなたのフォルダの中に私が入っているかは分からないけど、私のフォルダにはあなたが入ってます。
いつものようにきっとあなたは心配していると思うので、それだけは、ちゃんと伝えておきます。
このコラムを彼女が読んでくれているかも実は分からない。
でも、なんだか見ているような気がするのだ、とある感が働いて。
■今日のカメ。
私はハッキリ言って、ご飯党だ。
昔は、朝食がパンだなんて、全く考えられなかった。
朝食はまだいいが、夕食がパンなんて、食った気がしない。力も出ん。
同様に、子供のときは、パスタは好きだったが、うどんやそばといった麺類はあまり食べなかった。
理由は、パン同様、食った気がしないからだ。力も出ん。
が、大学生の時、吉祥寺にあるおばあさんがやっている蕎麦屋に入ったことがあって、そこで、天ぷらそばを頼んだ。
それが美味くて美味くて、「あぁ、割とそばっていいもんだなぁ」と感心し、私の食事のレパートリーに「そば」が入ってきた。
ところが、うどんにはなかなか縁がなくて、嫌いではないが、進んで食べることはなかった。
そんなある日、JR目白駅から徒歩5分くらいの場所に、うどん屋ができた。
店はそんなに大きくなく、ちょっとこじゃれた雰囲気のうどん屋だった。
店の看板には「たれ半」と書かれていた。
お店ができて間もない頃、ちょっと気になったので行ってみた。
元々そんなにうどんが好きではなかったので、最初は興味本位であった。
ところが、「え??」と自分で驚くほど美味くて、すごいイキオイでうどんに開眼をしてしまった。
透明の讃岐風のダシ。一見薄そうだが、すごく香りが良く、ダシがしっかりきいていて、おいしい。
しばらくご無沙汰していたのだが、先日久しぶりに立ち寄ってみたら、フジテレビ「VVV6」という番組の讃岐うどん選手権で1位を取ったらしく、すご~く混んでいた。
おめでとうございます。でも、いち客としては、空いていて落ちついて美味いうどんが食べれる雰囲気が好きだったんですが・・・ちと、残念。
◆たれ半
JR目白駅から目白通り沿いに山手通り方面に向かって歩くこと約5分。右手にオレンジ色ののれんが出ています。
◆1位をいただきましたキャンペーンにより、これだけ食べて550円でした。
本日は温泉卵の乗った月見うどんに、かきあげとちくわ天。
この日は天ぷらが100円だったので、こんなに食べてこの安さでした。
「人と言う字は、人と人が重なり合ってできている。人は独りでは生きていけない。」、と。
本当にその通りだと思う。
若い頃は、独りでも何とかいけちゃうんじゃないの?!とか思っていた。パワーとイキオイですべて何とかなると思っていた。
が、年を取るにつれ、人は精神的にも、肉体的にも独りでは生きていけないイキモノなんだなぁと感じるようになった。
若い頃より絶対的に今のほうが知識もあるし、動ける範囲も増えたし、アルバイトをしていた頃よりは多少お金もある。
が、それに反比例するように、どんどん「精神的な動ける範囲」というか、独りでガンガン行く「何か」は薄れてきたように思う。
それが、少し「大人になった」ということの意味なのだろうか。
これからの下記文を、とある私の友人に送る。
とある事情があって、音信普通になってしまった友人だ。
先日、これまたとあるきっかけで数年ぶりに彼女から手紙をもらった。
郵便受けのチェックが遅れ、送ってくれたときより多少時間が経ってしまって申し訳なかったが、とある意味と願いを込めて、私なりに返信をしようと思う。
「とある」が多くて非常に申し訳ないが、とある事情により仕方がないことをご了承いただきたい。
ヒトと生きていくことは、実はすごく難しいことだと思う。
武田鉄矢さんも歌っているが、ヒトとしてヒトに傷つき、ヒトとしてヒトに迷う。
でも、結局のところ、ヒトとしてヒトと出会って、ヒトしか愛せないのだと思う。
ヒトと生きていくことは難しい。
でも、ヒトはそんなにいつもいつも深くそのことを考えて生きているわけではない。
毎日のように「ヒトは難しい」などと考えていたら、息が詰まるし、生きていけない。
ヒトは生きてきた環境も違うし、感情、習慣、すべてがそれぞれ違う。
だからこそ難しいし、だからこそ面白い。
ヒトは時に自分を傷つけるが、それ以上に楽しませてもくれると思う。
若干ギャンブルに近いこともあるかもしれないが、自分の気持ちや考えは素直に言ってみたほうがいい。
ただし、ヒトはそんなに賢くないから、変な小細工はしないほうがいい。逆効果の場合もあるからね。
正直に真剣に言ったことは、どんな形であれ、きっと相手に伝わる。
伝わるが、でも、それは、自分の思うような結果につながるとは限らない。
「運命」というと大げさかもしれないが、それは叶わぬ・・・いや、むしろ、これからやってくるもっと良いことのために叶わないようにできていることなのかもしれない。
それと、ヒトは変わる。
私もヒトが変わることでイヤな想いをしたこともいっぱいあるが、必ずしもマイナスの方向にだけ変わるわけではない。
変わったことで良くなることもいっぱいいっぱいある。
悪かったコト、できなかったコト、知らなかったコト、克服できなかったコト・・・・変わることでプラスの方向にクリアされることだってある。
そして、ヒトについて、もう1つ。
自分の思っている100%良いことは、相手にとっても100%良いことだとは限らない。
これは、すごく悩ましく、時に誤解を生み、つらいことだが、事実だ。
自分にとって最上級に良いことなのだから、相手にも・・・と思うのがヒトの心理なのだが、ヒトの育った環境、感情、習慣、色々なことの差異が自分と相手をイコールにさせないことがある。
ずっとイコールにならないこともあるが、細かに相手に伝え、相手のことも考えつつ自分のことを伝えられるようになれば、これもニヤ・イコールなる。
不安や心配により、自分をかばいつつ何かをしてしまうのがヒトというものだが、相手からすべて正直に素直にさらけ出されると悪いことはできなくなるのもヒトというものだ。
むやみにヒトを信用することもないし、ヒトに対して何かを強制するつもりもない。
が、もう少し楽に考えると視点が変わる、そう思う。
最後に。
ヒトを楽しませたり、でも、時にヒトを傷つけ、ヒトを悩まし、勝手に変わり・・・。ヒトって、なんだかなぁ・・・・と思うが、私ももあなたも、そんな「ヒト」なのである。
私はヒト博士でもヒト評論家でもなんでもない。
ただのヒトだ。
だから、こんなウンチクたれて、でも、時にこのウンチクを全面撤回してみたり(笑)、ああでもない、こうでもないと言いながら、勝手に日々生きているのだ。
そんな日常の中で、往々にして迷惑をかける(苦笑)こんな私でも懲りずに一緒にいてくれて、お互いに寄り添っているのが、ヒトの中でもとあるタイトルの付いたフォルダに分けられている。
そのフォルダ名は、「トモダチ」。
あなたのフォルダの中に私が入っているかは分からないけど、私のフォルダにはあなたが入ってます。
いつものようにきっとあなたは心配していると思うので、それだけは、ちゃんと伝えておきます。
このコラムを彼女が読んでくれているかも実は分からない。
でも、なんだか見ているような気がするのだ、とある感が働いて。
■今日のカメ。
私はハッキリ言って、ご飯党だ。
昔は、朝食がパンだなんて、全く考えられなかった。
朝食はまだいいが、夕食がパンなんて、食った気がしない。力も出ん。
同様に、子供のときは、パスタは好きだったが、うどんやそばといった麺類はあまり食べなかった。
理由は、パン同様、食った気がしないからだ。力も出ん。
が、大学生の時、吉祥寺にあるおばあさんがやっている蕎麦屋に入ったことがあって、そこで、天ぷらそばを頼んだ。
それが美味くて美味くて、「あぁ、割とそばっていいもんだなぁ」と感心し、私の食事のレパートリーに「そば」が入ってきた。
ところが、うどんにはなかなか縁がなくて、嫌いではないが、進んで食べることはなかった。
そんなある日、JR目白駅から徒歩5分くらいの場所に、うどん屋ができた。
店はそんなに大きくなく、ちょっとこじゃれた雰囲気のうどん屋だった。
店の看板には「たれ半」と書かれていた。
お店ができて間もない頃、ちょっと気になったので行ってみた。
元々そんなにうどんが好きではなかったので、最初は興味本位であった。
ところが、「え??」と自分で驚くほど美味くて、すごいイキオイでうどんに開眼をしてしまった。
透明の讃岐風のダシ。一見薄そうだが、すごく香りが良く、ダシがしっかりきいていて、おいしい。
しばらくご無沙汰していたのだが、先日久しぶりに立ち寄ってみたら、フジテレビ「VVV6」という番組の讃岐うどん選手権で1位を取ったらしく、すご~く混んでいた。
おめでとうございます。でも、いち客としては、空いていて落ちついて美味いうどんが食べれる雰囲気が好きだったんですが・・・ちと、残念。
◆たれ半
JR目白駅から目白通り沿いに山手通り方面に向かって歩くこと約5分。右手にオレンジ色ののれんが出ています。 ◆1位をいただきましたキャンペーンにより、これだけ食べて550円でした。
本日は温泉卵の乗った月見うどんに、かきあげとちくわ天。 この日は天ぷらが100円だったので、こんなに食べてこの安さでした。
#
by meshi-quest
| 2003-10-01 14:53
誰でも人知れず悩んでいることがある。
大なり小なり、人によって「悩み」は様々である。
「悩み」は継続されるものもあれば、ある事象にともなって発生した一過性のものもある。
その「悩み」が他人の目を気にするようになり、宿主である自分の精神を攻撃するようになると、それはもう立派なコンプレックスである。
以前コラムでも書いたが、私は、「分からない人には話したくない」、「分かる人にだけ本音トークをすればいい」という性分なので、グチはボロボロこぼすことはあっても、あまり悩みの本質みたいなものを他人に語らない。
一番の理由は、中途半端にしか私を知らないような人に話すと、今から真剣に伝えようとしていることがちゃんと伝わらないんじゃないかという心配があるからだ。
あとは、話すとなんだか悩んでいることと、悩んでいる自分が安っぽく感じられて、イヤだという理由もある。
また、「話すこと程度で解決したり、楽になる程度の悩みで悩んでるんじゃないわよ!」みたいな変な意地もあるのかもしれない。
そんなこんなで基本的に本質を話したがらないため、他人からはよく「悩みがないんじゃないか」とか「非常に我慢強い」とか、身に余る過大評価、過大解釈をされることがある。
ハッキリ言って、そんなことはない。
悩みはいっぱいいっぱいあるし、我慢強くなんかもない。
先月受けた社内健康診断の精神状態判定では、とうとう『「抗うつ状態」「強迫状態」が見られます』と書かれ、ストレスメーターが真っ赤になっていたくらいだし(苦笑)。
なんも特別なことはなく、ただ、表に「出しているか」「出していないか」だけの違いでしかない。
どんな人も必ず悩みを抱えている。
だから、安心して、みんなで悩もう。
脳のシワが倍になるくらいまで。
さて、前振りが長かったが、今日の話は、最近、悩みの1つである、あることを打破しようと人知れず頑張っているR子さんの話だ。自分のことだ。
色々悩みはあるのだが、その中のひとつに実は「トイレが遠い」というのがある。
いや、別に家の建築上の問題ではない。
生理的に遠いのだ。
私と一度でもカラオケに行ったことのある人は知っていると思うが、長時間ボックスの中で座りっぱなし&飲みっぱなしでもほとんどトイレのために席を立たない。
別にマイクを放したくないからではない。そこんとこ、よろしく。
昔は、トイレにあまり行かないことを良しとしていた。便利とさえ思っていた。
しかも、合わせて、真夏にもほとんど汗をかかない異常体質であった。
それも、「真夏でもサラサラ!」と、まるでデオドラントスプレーのCMじゃないが、超ラッキーと思っていた。
が、若いときはそれでも良かったのだが、年を取るにつれ、水分の排出がないデメリットが出てきた。
「むくみ」だ。
こいつがやっかいで、ちょっと歩いても足がむくんで、痛くなったりして、さすがに「こいつは参った・・・」と思い、専門家の指導を受けることになった。ちょうど、2年前のことだ。
トイレが遠い、汗をかかないということは、水分が体内から出て行かないということを示している。
老廃物が汗や尿となって外に出ないので、そのまま放っておくと、特に年をとってから健康上に問題が出る・・・らしい。
さらに、悪いことに私は過去の病気で左の腎臓を傷めてしまっているため、余計に水分循環昨日が悪いらしい。
散々デメリットを聞かされ、さすがにヤバイなと思い、体質改善をすることにした。
もう2年間、利尿作用を高めるサプリメントを飲んでいる。
おかげで夏にちゃんといっちょまえに汗をかく人間になった。
その他、最近なるべく意味なくてもトイレに行くようにしている。
名づけて「パブロフの犬 大作戦」だ。
この方法は医学的にもちゃんと効果があるようで、トイレに行って、脳にトイレの指令を出させる訓練になるらしい。
トイレに行ってもやることないので、座っているだけのことも多いが、頑張っているのである、健康のために。
なので、そっと見守ってやってて欲しい。そっと。
さらに、利尿効果があるということで、数週間前から「杜仲茶」を飲み始めた。
これがまた漢方薬っぽくて、緑茶やウーロン茶と違って美味いものではないのだが、茶を飲むだけで水分が出て行くのであれば、お安い御用だ。
杜仲茶は結構効くようで、ちょっとトイレが近くなったような気がする。
まぁ、こんな感じで、大なり小なり、肉体精神問わず、悩みをたくさん抱えて生きているのである、私も。
「なので、あなたも頑張ってくれ」なんて、大げさなことは言えないが、なんかの足しになれば・・・と思って書いてみた。杜仲茶を飲みながら。
■今日のカメ。
◆杜仲茶
効いている気がします、日々徐々に。
気合入れて、飲んでます、毎日。に。
◆キューブリックブライス
ヴィレッジヴァンガードでブライスのキューブリックを売っていたので、買ってきました。
ブライス、知ってます?
実は、私は映画「アダムスファミリー」の頃のクリスティーナ・リッチがすごーくすごーく大好きで、ブライス見ていると、おでこの広さといい、愛想のない顔つきといい、なんか好きなんですよね。
クリスティーナ・リッチって誰って???
映画「アダムスファミリー」の長女役で、真っ黒いおさげ髪のおでこの広い子です。
子役の頃から変なオーラが出ていて、綺麗だったなぁ・・・・クリスティーナ・リッチは。
大なり小なり、人によって「悩み」は様々である。
「悩み」は継続されるものもあれば、ある事象にともなって発生した一過性のものもある。
その「悩み」が他人の目を気にするようになり、宿主である自分の精神を攻撃するようになると、それはもう立派なコンプレックスである。
以前コラムでも書いたが、私は、「分からない人には話したくない」、「分かる人にだけ本音トークをすればいい」という性分なので、グチはボロボロこぼすことはあっても、あまり悩みの本質みたいなものを他人に語らない。
一番の理由は、中途半端にしか私を知らないような人に話すと、今から真剣に伝えようとしていることがちゃんと伝わらないんじゃないかという心配があるからだ。
あとは、話すとなんだか悩んでいることと、悩んでいる自分が安っぽく感じられて、イヤだという理由もある。
また、「話すこと程度で解決したり、楽になる程度の悩みで悩んでるんじゃないわよ!」みたいな変な意地もあるのかもしれない。
そんなこんなで基本的に本質を話したがらないため、他人からはよく「悩みがないんじゃないか」とか「非常に我慢強い」とか、身に余る過大評価、過大解釈をされることがある。
ハッキリ言って、そんなことはない。
悩みはいっぱいいっぱいあるし、我慢強くなんかもない。
先月受けた社内健康診断の精神状態判定では、とうとう『「抗うつ状態」「強迫状態」が見られます』と書かれ、ストレスメーターが真っ赤になっていたくらいだし(苦笑)。
なんも特別なことはなく、ただ、表に「出しているか」「出していないか」だけの違いでしかない。
どんな人も必ず悩みを抱えている。
だから、安心して、みんなで悩もう。
脳のシワが倍になるくらいまで。
さて、前振りが長かったが、今日の話は、最近、悩みの1つである、あることを打破しようと人知れず頑張っているR子さんの話だ。自分のことだ。
色々悩みはあるのだが、その中のひとつに実は「トイレが遠い」というのがある。
いや、別に家の建築上の問題ではない。
生理的に遠いのだ。
私と一度でもカラオケに行ったことのある人は知っていると思うが、長時間ボックスの中で座りっぱなし&飲みっぱなしでもほとんどトイレのために席を立たない。
別にマイクを放したくないからではない。そこんとこ、よろしく。
昔は、トイレにあまり行かないことを良しとしていた。便利とさえ思っていた。
しかも、合わせて、真夏にもほとんど汗をかかない異常体質であった。
それも、「真夏でもサラサラ!」と、まるでデオドラントスプレーのCMじゃないが、超ラッキーと思っていた。
が、若いときはそれでも良かったのだが、年を取るにつれ、水分の排出がないデメリットが出てきた。
「むくみ」だ。
こいつがやっかいで、ちょっと歩いても足がむくんで、痛くなったりして、さすがに「こいつは参った・・・」と思い、専門家の指導を受けることになった。ちょうど、2年前のことだ。
トイレが遠い、汗をかかないということは、水分が体内から出て行かないということを示している。
老廃物が汗や尿となって外に出ないので、そのまま放っておくと、特に年をとってから健康上に問題が出る・・・らしい。
さらに、悪いことに私は過去の病気で左の腎臓を傷めてしまっているため、余計に水分循環昨日が悪いらしい。
散々デメリットを聞かされ、さすがにヤバイなと思い、体質改善をすることにした。
もう2年間、利尿作用を高めるサプリメントを飲んでいる。
おかげで夏にちゃんといっちょまえに汗をかく人間になった。
その他、最近なるべく意味なくてもトイレに行くようにしている。
名づけて「パブロフの犬 大作戦」だ。
この方法は医学的にもちゃんと効果があるようで、トイレに行って、脳にトイレの指令を出させる訓練になるらしい。
トイレに行ってもやることないので、座っているだけのことも多いが、頑張っているのである、健康のために。
なので、そっと見守ってやってて欲しい。そっと。
さらに、利尿効果があるということで、数週間前から「杜仲茶」を飲み始めた。
これがまた漢方薬っぽくて、緑茶やウーロン茶と違って美味いものではないのだが、茶を飲むだけで水分が出て行くのであれば、お安い御用だ。
杜仲茶は結構効くようで、ちょっとトイレが近くなったような気がする。
まぁ、こんな感じで、大なり小なり、肉体精神問わず、悩みをたくさん抱えて生きているのである、私も。
「なので、あなたも頑張ってくれ」なんて、大げさなことは言えないが、なんかの足しになれば・・・と思って書いてみた。杜仲茶を飲みながら。
■今日のカメ。
◆杜仲茶
効いている気がします、日々徐々に。 気合入れて、飲んでます、毎日。に。
◆キューブリックブライス
ヴィレッジヴァンガードでブライスのキューブリックを売っていたので、買ってきました。 ブライス、知ってます?
実は、私は映画「アダムスファミリー」の頃のクリスティーナ・リッチがすごーくすごーく大好きで、ブライス見ていると、おでこの広さといい、愛想のない顔つきといい、なんか好きなんですよね。
クリスティーナ・リッチって誰って???
映画「アダムスファミリー」の長女役で、真っ黒いおさげ髪のおでこの広い子です。
子役の頃から変なオーラが出ていて、綺麗だったなぁ・・・・クリスティーナ・リッチは。
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by meshi-quest
| 2003-09-25 14:51
ママは料理の先生だった。
私にとっても料理の先生だったが、職業としても料理の先生をしていたことがある。
子供のときからよく食事の準備の手伝いをさせられていた。
買い物からはじまり、材料を切って、下準備して、調理して、味付け、盛り付け・・・「子供だからまだ早い」とか「ここからはママがやるわ」などということはなく、すべての料理シーンにおいて、常に私を隣に置いていた。
だから、子供のときから、小さな手に余る出刃包丁を持って、ママと並んで普通に調理をしていた。
自分から、「これ、どう作るの?」などと聞くことはなかった。
見ていれば一目瞭然だったし、実際自分も一緒に作っていたので、いつの間にか色んな料理が作れるようになっていた。
子供の時から、料理は嫌いではなかったし、手伝いも嫌いではなかったが、それでも当時は「させられていた」感が強かったように思う。
が、今は、料理における様々なスキルを身につけてもらったことを本当に感謝している。
中学生くらいから、自分に不思議なスキルがあることに気がついた。
それは、料理を瞬時に分析して、再現するスキルである。
例えば、外食をしたとする。
出てきた料理を食べただけで、だいたい何を使って、どういう調理方法で作られ、どんなもので味付けているかが把握できるので、家に帰って、全く同じ食材ではないにしろ、ほぼ同等のものが再現できるのだ。
舌の絶対音感というか、その料理が何で構成されているかが分かってしまうのである。
今思うと、小さいころから高級なレストランやら割烹やらに行くことがあると、必ず一緒に連れて行ってくれていた。
家によっては、「子供のときから贅沢なんてしなくてよい」というところもあるだろうが、うちは違った。
これは成沢家の教えなのだが、逆に子供のころから美味しいものや『本物』を食べとけという考え方で、食材、出し方、器、味付けやら盛り付けやらその場の雰囲気含めて、若いときから学んでおくべきだ、とされていた。
だから、子供のころから、相当色々な食データが舌に蓄積されていたのだと思う。
このスキルは、非常に便利だ。
今でも、外食して美味しかったお店の料理を自宅用にカスタマイズして、家で作ったりしている。
料理を作ってあげた友達に「どうやって作り方覚えたの?」とかよく聞かれるが、実は食べて、記憶しただけなのである。
一応、そういう面においては、非常に【食わせがいのある女】なのではないかと思う(笑)。
食わせるとそれを記憶するので、美味しいものを食べさせれば食べさせるほど、美味しいものが自宅で出され、しいてはみんなに還元されていく・・・であろう。たぶん。
こんなこともできる。
本屋で売っているような料理レシピ本。写真とざっくりとした材料さえ分かれば、分量や作り方など見なくても、ほぼ同一のものが作れる。
これも相当重宝しているスキルである。
しかしながら、こんなスキルを持ってしても、ママの料理の腕前にはかなわない。
野菜から飾り包丁で花やら鳥やらを作ったり、時間があるときはコーンポタージュとかを家でゆでたとうもろこしを裏ごしして最初から作ったりしていた。
料理好きが高じて食にあった器を求め、突如京都に出向いていったりした時もあった。
こんな家で育ったので、【料理】に関しては妥協を許さず、料理をめぐってママと論争することもあった。
昔、こんなことがあった。
休日の昼食に、私が焼きそばを作った。
それを食べて、ママが「野菜を炒めすぎている」という話をした。
その一言がきっかけで、半日口をきかなくなる大喧嘩になった。
彼女は彼女なりに、野菜の歯ごたえを残しつつ炒めるべき・・・という独自の焼きそば論を展開し、私は私で、野菜をしんなり炒めることでそばの軟らかさと相まって・・・しかも、ソースとよく絡み・・・という独自の焼きそば論を展開した。
結果は、当然だが平行線だった。
今、思うと、どーでもいいことだし、むしろ焼きそばの野菜の硬さなんてもう好みの世界に突入しているので、なんでこんなことで大喧嘩したのかナゾなのだが(苦笑)、そんなこともしばしばあった。
こんなこともあった。
あるとき、みりんを必要な料理を作っていた。
その料理が何だったかはもう忘れてしまったが、とにかくみりんが必要で、家にきらしていたので、買ってこようと思ったら、ママが「酒で代用できる」と言った。それがきっかけで、これまたもめた。
彼女としては、みりんを買うなということではなく、代用することで作れてしまうという応用力のある料理スキルを教えたかったのだろうが、私は「みりんなくしてこの料理なし」くらいのイキオイで応戦した。
今思うと、この件に関しては、酒で代用できたと思うのだが。
今、家では、自炊をしている。
仕事柄、時間が不規則なので、スーパーが開いている時間に帰れないときは仕方がないが、なるべく夜や休日は家で作ることにしている。
家で作るほうが、自分で好みの味付けができるし、自分で言うのもなんだが、そこいらで食べるより自分で作ったほうがよっぽど美味しいのだ。
例えば、トマトソースのスパゲッティ。
うちではホールトマトと白ワインからソースを作るのだが、家であればトマトの濃さなども自由に調整ができる。
たまに、外のパスタ屋でトマトを薄めたようなマズイパスタを出す店があるが、ホント家で作れば良かった・・・と思う。
また、外のレストランで「えびとしめじのトマトスパゲッティ」というメニューがあったとする。
で、今、えびも食べたいが、ツナも食べたいとする。
が、ツナを食べるためには、別メニューの「ツナとしめじのトマトスパゲッティ」を頼まねばならない。
なんとも悩ましいではないか。
でも、家であれば、えびとツナを入れた上に、ホタテを加えちゃったりもできる。ゴージャスしたい放題である。
そんな自由さ加減も自炊の良さの1つである。
よく、手料理の対価は食べてくれた人の笑顔と「美味しい!」の一言であると言われるが、ホントそう思う。
料理作るのは大好きだが、それも作る人と食べてくれる人で成り立っているのである。
食べてくれる人が「美味しい!」と笑顔で言ってくれる限り、私は喜んで料理を作り続けるだろう。
某居酒屋の「はい!お客様、よろこんで~!!」の精神で(笑)。
■今日のカメ。
料理好きが高じて、家にとんでもない数の食器があふれている。
食器好きなのだ。
置く場所がもうないくせに、服と一緒でいいものがあると、「一期一会」と自分に言い聞かせて、買ってしまう(笑)。
先日もまた買ってしまった。
近々、引越しをする予定なのだが、そうしたら、台所の大きい家に住みたいな、と思う。
そして、心おきなく食器が買えるように、巨大な食器棚をおきたいと思う。
◆ニューフェイス。
先日買ったベトナム製のスープ茶碗とうずまきの中皿。
早速使っています。食器を買うと、それにあったこんな料理を作ってみよう!と色々発想が沸くのです。
◆白菜と葱の鶏がらスープ。
ベトナム製のスープ茶碗に合わせて、鶏がらスープを作ってみました。
一切、だしの素などを使わず、野菜と鶏がらでだしをとった白湯のスープです。
茶碗の中の模様が隠れないように、白湯にしてみました。
私にとっても料理の先生だったが、職業としても料理の先生をしていたことがある。
子供のときからよく食事の準備の手伝いをさせられていた。
買い物からはじまり、材料を切って、下準備して、調理して、味付け、盛り付け・・・「子供だからまだ早い」とか「ここからはママがやるわ」などということはなく、すべての料理シーンにおいて、常に私を隣に置いていた。
だから、子供のときから、小さな手に余る出刃包丁を持って、ママと並んで普通に調理をしていた。
自分から、「これ、どう作るの?」などと聞くことはなかった。
見ていれば一目瞭然だったし、実際自分も一緒に作っていたので、いつの間にか色んな料理が作れるようになっていた。
子供の時から、料理は嫌いではなかったし、手伝いも嫌いではなかったが、それでも当時は「させられていた」感が強かったように思う。
が、今は、料理における様々なスキルを身につけてもらったことを本当に感謝している。
中学生くらいから、自分に不思議なスキルがあることに気がついた。
それは、料理を瞬時に分析して、再現するスキルである。
例えば、外食をしたとする。
出てきた料理を食べただけで、だいたい何を使って、どういう調理方法で作られ、どんなもので味付けているかが把握できるので、家に帰って、全く同じ食材ではないにしろ、ほぼ同等のものが再現できるのだ。
舌の絶対音感というか、その料理が何で構成されているかが分かってしまうのである。
今思うと、小さいころから高級なレストランやら割烹やらに行くことがあると、必ず一緒に連れて行ってくれていた。
家によっては、「子供のときから贅沢なんてしなくてよい」というところもあるだろうが、うちは違った。
これは成沢家の教えなのだが、逆に子供のころから美味しいものや『本物』を食べとけという考え方で、食材、出し方、器、味付けやら盛り付けやらその場の雰囲気含めて、若いときから学んでおくべきだ、とされていた。
だから、子供のころから、相当色々な食データが舌に蓄積されていたのだと思う。
このスキルは、非常に便利だ。
今でも、外食して美味しかったお店の料理を自宅用にカスタマイズして、家で作ったりしている。
料理を作ってあげた友達に「どうやって作り方覚えたの?」とかよく聞かれるが、実は食べて、記憶しただけなのである。
一応、そういう面においては、非常に【食わせがいのある女】なのではないかと思う(笑)。
食わせるとそれを記憶するので、美味しいものを食べさせれば食べさせるほど、美味しいものが自宅で出され、しいてはみんなに還元されていく・・・であろう。たぶん。
こんなこともできる。
本屋で売っているような料理レシピ本。写真とざっくりとした材料さえ分かれば、分量や作り方など見なくても、ほぼ同一のものが作れる。
これも相当重宝しているスキルである。
しかしながら、こんなスキルを持ってしても、ママの料理の腕前にはかなわない。
野菜から飾り包丁で花やら鳥やらを作ったり、時間があるときはコーンポタージュとかを家でゆでたとうもろこしを裏ごしして最初から作ったりしていた。
料理好きが高じて食にあった器を求め、突如京都に出向いていったりした時もあった。
こんな家で育ったので、【料理】に関しては妥協を許さず、料理をめぐってママと論争することもあった。
昔、こんなことがあった。
休日の昼食に、私が焼きそばを作った。
それを食べて、ママが「野菜を炒めすぎている」という話をした。
その一言がきっかけで、半日口をきかなくなる大喧嘩になった。
彼女は彼女なりに、野菜の歯ごたえを残しつつ炒めるべき・・・という独自の焼きそば論を展開し、私は私で、野菜をしんなり炒めることでそばの軟らかさと相まって・・・しかも、ソースとよく絡み・・・という独自の焼きそば論を展開した。
結果は、当然だが平行線だった。
今、思うと、どーでもいいことだし、むしろ焼きそばの野菜の硬さなんてもう好みの世界に突入しているので、なんでこんなことで大喧嘩したのかナゾなのだが(苦笑)、そんなこともしばしばあった。
こんなこともあった。
あるとき、みりんを必要な料理を作っていた。
その料理が何だったかはもう忘れてしまったが、とにかくみりんが必要で、家にきらしていたので、買ってこようと思ったら、ママが「酒で代用できる」と言った。それがきっかけで、これまたもめた。
彼女としては、みりんを買うなということではなく、代用することで作れてしまうという応用力のある料理スキルを教えたかったのだろうが、私は「みりんなくしてこの料理なし」くらいのイキオイで応戦した。
今思うと、この件に関しては、酒で代用できたと思うのだが。
今、家では、自炊をしている。
仕事柄、時間が不規則なので、スーパーが開いている時間に帰れないときは仕方がないが、なるべく夜や休日は家で作ることにしている。
家で作るほうが、自分で好みの味付けができるし、自分で言うのもなんだが、そこいらで食べるより自分で作ったほうがよっぽど美味しいのだ。
例えば、トマトソースのスパゲッティ。
うちではホールトマトと白ワインからソースを作るのだが、家であればトマトの濃さなども自由に調整ができる。
たまに、外のパスタ屋でトマトを薄めたようなマズイパスタを出す店があるが、ホント家で作れば良かった・・・と思う。
また、外のレストランで「えびとしめじのトマトスパゲッティ」というメニューがあったとする。
で、今、えびも食べたいが、ツナも食べたいとする。
が、ツナを食べるためには、別メニューの「ツナとしめじのトマトスパゲッティ」を頼まねばならない。
なんとも悩ましいではないか。
でも、家であれば、えびとツナを入れた上に、ホタテを加えちゃったりもできる。ゴージャスしたい放題である。
そんな自由さ加減も自炊の良さの1つである。
よく、手料理の対価は食べてくれた人の笑顔と「美味しい!」の一言であると言われるが、ホントそう思う。
料理作るのは大好きだが、それも作る人と食べてくれる人で成り立っているのである。
食べてくれる人が「美味しい!」と笑顔で言ってくれる限り、私は喜んで料理を作り続けるだろう。
某居酒屋の「はい!お客様、よろこんで~!!」の精神で(笑)。
■今日のカメ。
料理好きが高じて、家にとんでもない数の食器があふれている。
食器好きなのだ。
置く場所がもうないくせに、服と一緒でいいものがあると、「一期一会」と自分に言い聞かせて、買ってしまう(笑)。
先日もまた買ってしまった。
近々、引越しをする予定なのだが、そうしたら、台所の大きい家に住みたいな、と思う。
そして、心おきなく食器が買えるように、巨大な食器棚をおきたいと思う。
◆ニューフェイス。
先日買ったベトナム製のスープ茶碗とうずまきの中皿。 早速使っています。食器を買うと、それにあったこんな料理を作ってみよう!と色々発想が沸くのです。
◆白菜と葱の鶏がらスープ。
ベトナム製のスープ茶碗に合わせて、鶏がらスープを作ってみました。 一切、だしの素などを使わず、野菜と鶏がらでだしをとった白湯のスープです。
茶碗の中の模様が隠れないように、白湯にしてみました。
#
by meshi-quest
| 2003-09-15 14:48
ご存知だろうか?
モスバーガーで「予約限定」「数量限定」という超厳重警備で販売されている謎多きハンバーガーのことである。
【匠】とは、三省堂「大辞林」によると「すぐれた技術をもつ人」とある。
つまり、「匠味バーガー」は私なりに解釈すると「ハンバーガーにおけるすぐれた技術をもつ人が織り成す味のバーガー」なのである。
実は、前々から気にはすごいイキオイで気になってはいたのだが、ファストフードハンバーガーにしては破格の高い値段設定と、一見さんはお断りするかのような気高さでなかなか一線を越えることができなかった。
が、この前、ふと「買ってみれば?」という真夜中の買い物の神様のささやきがあり、買うことにした。
余談だが、この真夜中の買い物の神様は、時々私の耳元に現れては悪さをすることがある。
真夜中のコンビニ、真夜中のデニーズ、真夜中のドンキホーテ・・・あらゆるシーンに登場して、私に不必要なものを買わせるのである。
困ったことに、私はこの真夜中の買い物の神様が嫌いになれない(笑)。文句言っている割には、実は結構好きだったりする。
しかも、嫌いになれないこの私のありさまをきっとヤツも知っている。だから、多少無茶なオーダーも平気でしてくる。
こうして、私は浪費するのである。
この日も、いつものようにモスバーガーを買おうとした私に、倍はする匠味バーガーをオーダーしてきた。
ここまで来たらもう止められん。
予約限定&数量限定なので、ちょっと心配げにお店のおにいちゃんに匠味バーガーをオーダーしてみる。
ポスターに一日10個限定と書いてある。かなり望み薄だ。
が、予想に反して、店員は笑顔で「大丈夫ですよ!」と言った。
これは、美味しいので一人でも多くの人に食わしてやろうという思いやりからなのか?
はたまた夜中の1時現在でもまだ10個以下しか売れていないという難アリのバーガーということなのか?
不安を抱えつつ、匠味チーズバーガー640円のお金を払う。
店員は続けて、「こちらの匠味バーガーはお時間20分少々いただきます」と言ってきた。
20分!!!まさか、今からバーガーをこねるつもりなのだろうか・・?
【匠】というくらいだから、きっと超・手作り、超・愛情仕上げのはず!それくらいの可能性はあるぞ・・・。
ハンバーガー1つで、だんだん、楽しくなってきた。
初めてのものは、何でも楽しい。
おとなしく待つこと、20分。
お待ちかねの匠味バーガーが手元にやってきた。
「それ」は、かなり大き目のバーガーボックスに入っていた。
開けてみると、バーガーボックスの中でさらにバーガーペーパーにくるまれている。
超厳重体制だ。
数々の厳重警備を乗り越え、やっと匠味バーガーにご対面してみる。
大きなバーグに、ほどよく炒めた玉ねぎの香りがなかなか良い。
食してみる。おいしゅうございます。
でもね、美味しいけど、640円と言われると、そこまでか??って思う。
しかも、巨匠の味のハンバーガーとまで銘打っていているのに、うーむ・・・という感じ。
要は、大きいし、それなりに美味しいけど、結論として普通のハンバーガーなのだ。
納得いかん。
【匠】という、日本人のココロを安心させる和漢字の雰囲気と、なんだか味に頑固そうで、とことん追求しました!みたいな漢字一字に見事に踊らされてしまった。
もう、モスバーガー店内でブレイクダンス状態である。
これが、仮に【匠】と同義の「専門家バーガー」とか「技術者バーガー」だったら、どうだろう。
なんとも、まずそうではないか。
コトバというのは、実に不思議な力を持っている。
全く同じものを数倍も美味しくしたり、また逆にまずくすることもできる。
それだけ、私たちの意識と感覚、今回で言えば味覚が連動していることを意味する。
今回は、ちょっと大き目のハンバーガーと、【匠】というコトバに出会えたことに 640円を払ったことで、良しとしようじゃないか。
なぁ、真夜中の買い物の神様よ。
■今日のカメ。
◆匠味バーガーの店内ポスター
デジカメで撮影をしていたら、店員にそうとういかがわしい顔で見られた。
私が店員でもきっとそうしてる。
だって、真剣な顔でハンバーガーのポスターの写真撮影してるんだもん、真夜中に。
◆これが、匠味。
何度も言うが、美味いのよ、ハンバーガーとしては。
ただ、640円という価格と、匠味という最高級の名称を背負うには、どうかな・・・という感じなんだよね。
モスバーガーで「予約限定」「数量限定」という超厳重警備で販売されている謎多きハンバーガーのことである。
【匠】とは、三省堂「大辞林」によると「すぐれた技術をもつ人」とある。
つまり、「匠味バーガー」は私なりに解釈すると「ハンバーガーにおけるすぐれた技術をもつ人が織り成す味のバーガー」なのである。
実は、前々から気にはすごいイキオイで気になってはいたのだが、ファストフードハンバーガーにしては破格の高い値段設定と、一見さんはお断りするかのような気高さでなかなか一線を越えることができなかった。
が、この前、ふと「買ってみれば?」という真夜中の買い物の神様のささやきがあり、買うことにした。
余談だが、この真夜中の買い物の神様は、時々私の耳元に現れては悪さをすることがある。
真夜中のコンビニ、真夜中のデニーズ、真夜中のドンキホーテ・・・あらゆるシーンに登場して、私に不必要なものを買わせるのである。
困ったことに、私はこの真夜中の買い物の神様が嫌いになれない(笑)。文句言っている割には、実は結構好きだったりする。
しかも、嫌いになれないこの私のありさまをきっとヤツも知っている。だから、多少無茶なオーダーも平気でしてくる。
こうして、私は浪費するのである。
この日も、いつものようにモスバーガーを買おうとした私に、倍はする匠味バーガーをオーダーしてきた。
ここまで来たらもう止められん。
予約限定&数量限定なので、ちょっと心配げにお店のおにいちゃんに匠味バーガーをオーダーしてみる。
ポスターに一日10個限定と書いてある。かなり望み薄だ。
が、予想に反して、店員は笑顔で「大丈夫ですよ!」と言った。
これは、美味しいので一人でも多くの人に食わしてやろうという思いやりからなのか?
はたまた夜中の1時現在でもまだ10個以下しか売れていないという難アリのバーガーということなのか?
不安を抱えつつ、匠味チーズバーガー640円のお金を払う。
店員は続けて、「こちらの匠味バーガーはお時間20分少々いただきます」と言ってきた。
20分!!!まさか、今からバーガーをこねるつもりなのだろうか・・?
【匠】というくらいだから、きっと超・手作り、超・愛情仕上げのはず!それくらいの可能性はあるぞ・・・。
ハンバーガー1つで、だんだん、楽しくなってきた。
初めてのものは、何でも楽しい。
おとなしく待つこと、20分。
お待ちかねの匠味バーガーが手元にやってきた。
「それ」は、かなり大き目のバーガーボックスに入っていた。
開けてみると、バーガーボックスの中でさらにバーガーペーパーにくるまれている。
超厳重体制だ。
数々の厳重警備を乗り越え、やっと匠味バーガーにご対面してみる。
大きなバーグに、ほどよく炒めた玉ねぎの香りがなかなか良い。
食してみる。おいしゅうございます。
でもね、美味しいけど、640円と言われると、そこまでか??って思う。
しかも、巨匠の味のハンバーガーとまで銘打っていているのに、うーむ・・・という感じ。
要は、大きいし、それなりに美味しいけど、結論として普通のハンバーガーなのだ。
納得いかん。
【匠】という、日本人のココロを安心させる和漢字の雰囲気と、なんだか味に頑固そうで、とことん追求しました!みたいな漢字一字に見事に踊らされてしまった。
もう、モスバーガー店内でブレイクダンス状態である。
これが、仮に【匠】と同義の「専門家バーガー」とか「技術者バーガー」だったら、どうだろう。
なんとも、まずそうではないか。
コトバというのは、実に不思議な力を持っている。
全く同じものを数倍も美味しくしたり、また逆にまずくすることもできる。
それだけ、私たちの意識と感覚、今回で言えば味覚が連動していることを意味する。
今回は、ちょっと大き目のハンバーガーと、【匠】というコトバに出会えたことに 640円を払ったことで、良しとしようじゃないか。
なぁ、真夜中の買い物の神様よ。
■今日のカメ。
◆匠味バーガーの店内ポスター
デジカメで撮影をしていたら、店員にそうとういかがわしい顔で見られた。 私が店員でもきっとそうしてる。
だって、真剣な顔でハンバーガーのポスターの写真撮影してるんだもん、真夜中に。
◆これが、匠味。
何度も言うが、美味いのよ、ハンバーガーとしては。 ただ、640円という価格と、匠味という最高級の名称を背負うには、どうかな・・・という感じなんだよね。
#
by meshi-quest
| 2003-09-10 14:46
先日、私の大学時代の親友が結婚した。
彼女とは、知人を通じて紹介を受けたことがきっかけで仲良くなったのだが、会った時から女神のような笑顔で、いつもニコニコしていて、その笑顔に私は惚れ込んで、すぐに友達になった。
こんなにいつも笑顔で、しかも笑顔がかわいらしい人を見たことがなかった。
在学中、彼女が起こったり、疲れた顔したり、悲しい顔をしたところを見たことがない。
きっと辛いことも、悲しいこともいっぱいあったのだろうが、人にはそれを見せず、いつも笑顔だった。
分かりやすいくらいに顔に出る私にとって、本当に尊敬に値する子だった。
彼女も私も同じ名前でどちらも「理恵」だったので、二人でいるときは、私は彼女を「ぐりちゃん」と呼び、彼女は私を「りえちゃん」と呼んでいた。
しょっちゅう一緒にいて、遊びに行ったり、カラオケ行ったり、朝までオールで飲んだあげく、そのまま吉祥寺に買い物しにいってフラフラになってたこともあったっけ。
ぐりちゃんとは、一緒にバンドを組んでいて、彼女がキーボードで、私がボーカルをやっていた。
彼女が作詞してくれた曲、今でもすごくよく覚えている。
私が思うようにうまく歌えなくて悩んでいたときも、いつも励ましてくれて、ニコニコしててくれたっけ。
いい思い出だ。
彼女は大阪出身の人だった。
これは私だけかもしれないが、どうも東京の人間と大阪の人間の間には「様子見の壁」があるというか・・・テンポがつかめなくて、様子を見てしまうのだ。
仲良くしたい気持ちはバリバリあるのに、どうも今まで大阪出身の人とはなかなか仲良くなれなかった。
これは大阪に数回遊びに行ったときも町の人と触れ合って感じたことだが、きっと大阪の人の気質というか、「みんなで仲良くなろうぜ!」みたいなイイ意味での welcome精神が、私のような超天邪鬼に妙な不安感を与えるだろう。
「何を考えているのだろう・・?」「こっちから情報を引き出して、どうするつもりだ?」みたいな(苦笑)。
今でこそ、もうそんな様子見もなく、普通に大阪出身の友達もたくさんできたが、当時は相当様子見の壁が厚かった。
が、ぐりちゃんとは不思議とすぐに仲良くなれた。
様子見をする必要もなく、すぐにうちとけられた。
色々話しても、この人はきっと全部ちゃんと聞いてくれるし、裏切ったりもしない、そんな温かいオーラが最初から溢れていた。
これもぐりちゃんの笑顔の魅力なのだ。
結婚披露パーティーは、大学時代の思い出の地「吉祥寺」で行われた。
吉祥寺に来るのもかなり久しぶりだ。
当時より新しい店がいっぱい出来ていたが、町全体に漂っている穏やかで自由な雰囲気はあの時と何も変わらない。イイ町だ。
彼女と会うのは数年ぶりだったが、ぐりちゃんも何も変わっていなかった。
満面の笑みで私を迎えてくれた。
結婚の幸せもプラスされ、笑顔がさらに輝きを増していたように思う。
この笑顔がまた見れるのは、本当に嬉しい。
昔の人は鋭く、かつコトバに表しにくいことを文章に的確に残しているなぁ、と感心することが度々ある。
そんな中の1つに、「その人を知るならば、その人の周りの人々をみなさい」というのがある。
これは本当にその通りだと思う。
「類友」というコトバがあるように、友達だけでなく親戚、知人、はたまた家族・・・・その人を中心に集まってきている人たちがどういう人たちかでその人物がどういう人柄の人なのかが分かるものである。
私もよくこの手段を使って、人柄を見る。
すると、面白いように中心人物の人柄が分かる。
ごまかしようのない、すごい判定手段だ。
特に結婚式が分かりやすい。
結婚式に呼ばれることがあったら、ぜひ周りをちょっと注意してみていただきたい。
優しい家族に囲まれて育った人はやっぱ本人のココロも温かいし、心から喜んでいる友人に見守られている人はその人自身それに値するくらいの愛すべき人なのである。
逆に、「コイツ、どーでもいいと思ってるな」とか「コイツ、祝う気ないな・・」とか「コイツ、自分の結婚をどうするかしか考えてないな」という友人知人はすぐ判別付くもので(特に、女性(笑))、そういう出席者の多い結婚式は、残念ながらその本人の人柄までが如実に表されてしまうのである。
さて、なんでこんなことを思ったかというと、ぐりちゃんの結婚式で最後までぐりちゃんコールが鳴り止まず、会社の友人の方々がぐりちゃんのためにずっと練習してきたのだろうなぁと思うような余興をしたり、みんなが「ぐりちゃん、大好き」というオーラに包まれていていたのである。
コールがあるとぐりちゃんがニコニコとし、またぐりちゃんコールが出る。
やっぱ、彼女の友達で良かった。
こういう友達を持てたことを誇りに思う。
岡野さん、ぐりちゃんをよろしくお願いします。
そして、たまにはぐりちゃんを私にも貸し出してください(笑)。
いつまでもお幸せに!
■今日のカメ。
■ハッピー・ウェディング!!
優しそうな新郎と大好きな新婦ぐりちゃんです。
キレイだったよー!
■今回の衣装
タクシーで会場へ向かう途中の図。
今回は気分がベトナムだったので、白地に黒のベトナム風デザイン刺繍がされているドレスを着ました。
海外行ったときに気に入って購入してきたもので、アオザイではなく、綿で出来ているちょっと珍しいデザインのドレスです。
髪もアジアン風にアレンジをし、サイドをそのまま長く下ろして、後ろ髪をアップしました。
かんざし、ピアスともに、銀の土台に紫の石が入っているもので統一し、こちらもアジア風にしました。
■親友のとしちゃんと一緒に。
パーティーは、大学時代の親友のとしちゃんと一緒に出席しました。二人でおめかし、うふふ。
彼女とは、知人を通じて紹介を受けたことがきっかけで仲良くなったのだが、会った時から女神のような笑顔で、いつもニコニコしていて、その笑顔に私は惚れ込んで、すぐに友達になった。
こんなにいつも笑顔で、しかも笑顔がかわいらしい人を見たことがなかった。
在学中、彼女が起こったり、疲れた顔したり、悲しい顔をしたところを見たことがない。
きっと辛いことも、悲しいこともいっぱいあったのだろうが、人にはそれを見せず、いつも笑顔だった。
分かりやすいくらいに顔に出る私にとって、本当に尊敬に値する子だった。
彼女も私も同じ名前でどちらも「理恵」だったので、二人でいるときは、私は彼女を「ぐりちゃん」と呼び、彼女は私を「りえちゃん」と呼んでいた。
しょっちゅう一緒にいて、遊びに行ったり、カラオケ行ったり、朝までオールで飲んだあげく、そのまま吉祥寺に買い物しにいってフラフラになってたこともあったっけ。
ぐりちゃんとは、一緒にバンドを組んでいて、彼女がキーボードで、私がボーカルをやっていた。
彼女が作詞してくれた曲、今でもすごくよく覚えている。
私が思うようにうまく歌えなくて悩んでいたときも、いつも励ましてくれて、ニコニコしててくれたっけ。
いい思い出だ。
彼女は大阪出身の人だった。
これは私だけかもしれないが、どうも東京の人間と大阪の人間の間には「様子見の壁」があるというか・・・テンポがつかめなくて、様子を見てしまうのだ。
仲良くしたい気持ちはバリバリあるのに、どうも今まで大阪出身の人とはなかなか仲良くなれなかった。
これは大阪に数回遊びに行ったときも町の人と触れ合って感じたことだが、きっと大阪の人の気質というか、「みんなで仲良くなろうぜ!」みたいなイイ意味での welcome精神が、私のような超天邪鬼に妙な不安感を与えるだろう。
「何を考えているのだろう・・?」「こっちから情報を引き出して、どうするつもりだ?」みたいな(苦笑)。
今でこそ、もうそんな様子見もなく、普通に大阪出身の友達もたくさんできたが、当時は相当様子見の壁が厚かった。
が、ぐりちゃんとは不思議とすぐに仲良くなれた。
様子見をする必要もなく、すぐにうちとけられた。
色々話しても、この人はきっと全部ちゃんと聞いてくれるし、裏切ったりもしない、そんな温かいオーラが最初から溢れていた。
これもぐりちゃんの笑顔の魅力なのだ。
結婚披露パーティーは、大学時代の思い出の地「吉祥寺」で行われた。
吉祥寺に来るのもかなり久しぶりだ。
当時より新しい店がいっぱい出来ていたが、町全体に漂っている穏やかで自由な雰囲気はあの時と何も変わらない。イイ町だ。
彼女と会うのは数年ぶりだったが、ぐりちゃんも何も変わっていなかった。
満面の笑みで私を迎えてくれた。
結婚の幸せもプラスされ、笑顔がさらに輝きを増していたように思う。
この笑顔がまた見れるのは、本当に嬉しい。
昔の人は鋭く、かつコトバに表しにくいことを文章に的確に残しているなぁ、と感心することが度々ある。
そんな中の1つに、「その人を知るならば、その人の周りの人々をみなさい」というのがある。
これは本当にその通りだと思う。
「類友」というコトバがあるように、友達だけでなく親戚、知人、はたまた家族・・・・その人を中心に集まってきている人たちがどういう人たちかでその人物がどういう人柄の人なのかが分かるものである。
私もよくこの手段を使って、人柄を見る。
すると、面白いように中心人物の人柄が分かる。
ごまかしようのない、すごい判定手段だ。
特に結婚式が分かりやすい。
結婚式に呼ばれることがあったら、ぜひ周りをちょっと注意してみていただきたい。
優しい家族に囲まれて育った人はやっぱ本人のココロも温かいし、心から喜んでいる友人に見守られている人はその人自身それに値するくらいの愛すべき人なのである。
逆に、「コイツ、どーでもいいと思ってるな」とか「コイツ、祝う気ないな・・」とか「コイツ、自分の結婚をどうするかしか考えてないな」という友人知人はすぐ判別付くもので(特に、女性(笑))、そういう出席者の多い結婚式は、残念ながらその本人の人柄までが如実に表されてしまうのである。
さて、なんでこんなことを思ったかというと、ぐりちゃんの結婚式で最後までぐりちゃんコールが鳴り止まず、会社の友人の方々がぐりちゃんのためにずっと練習してきたのだろうなぁと思うような余興をしたり、みんなが「ぐりちゃん、大好き」というオーラに包まれていていたのである。
コールがあるとぐりちゃんがニコニコとし、またぐりちゃんコールが出る。
やっぱ、彼女の友達で良かった。
こういう友達を持てたことを誇りに思う。
岡野さん、ぐりちゃんをよろしくお願いします。
そして、たまにはぐりちゃんを私にも貸し出してください(笑)。
いつまでもお幸せに!
■今日のカメ。
■ハッピー・ウェディング!!
優しそうな新郎と大好きな新婦ぐりちゃんです。 キレイだったよー!
■今回の衣装
タクシーで会場へ向かう途中の図。 今回は気分がベトナムだったので、白地に黒のベトナム風デザイン刺繍がされているドレスを着ました。
海外行ったときに気に入って購入してきたもので、アオザイではなく、綿で出来ているちょっと珍しいデザインのドレスです。
髪もアジアン風にアレンジをし、サイドをそのまま長く下ろして、後ろ髪をアップしました。
かんざし、ピアスともに、銀の土台に紫の石が入っているもので統一し、こちらもアジア風にしました。
■親友のとしちゃんと一緒に。
パーティーは、大学時代の親友のとしちゃんと一緒に出席しました。二人でおめかし、うふふ。
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by meshi-quest
| 2003-09-03 14:43
今年は全くプールバックを持ってはしゃぐ小学生を町で見かけなかったなぁ・・・と思う今日この頃。
このまま涼しくなって秋になり、寒くなって冬になっていくのか・・。
この服好きの私ですら、例年よりもTシャツ買う量が圧倒的に少なかった。
こんなに涼しいと、ココロなしか夏服を買う元気も当社比マイナス30%である。
今年の冷夏は、私の購買欲を直撃という激・小規模な部分から、日本人の経済、生活といったもっと大きな部分までありとあらゆるものに影響を与えている。
まず、「日本の夏」という風情に影響を与えた。
プールではしゃぐ子供、道端で花火をする家族、スイカを美味しそうに食べる様、キャミソール1枚の綺麗なお姉さんが汗をぬぐうしぐさにかいまみるエロス(笑)・・・・そんな数々の日本の夏の情緒がいつになく見られなかった。
いまいちソフトクリーム熱も盛り上がらない。
夏になると大好物のキハチのソフトクリームが「暑さ」という期間限定フレーバーによって、より一段と美味しく感じられるのだが、こう涼しいと私のクリーム熱も元気なし。
夏の風物詩、「花火」も今年はまだ一度もやっていない。
そういや、夏祭り大好きっ子の私が、今年は夏祭りにあんまり行ってない。
海やプールも行ってないのでよく分からないが、時期もの商売をされている方は相当影響を受けたんだろうな、と思う。
野菜の価格も相当高騰している。
先日、スーパーに買い物に行ったときも、レタス1玉で398円と書かれていて、たまげた。
不規則な生活でただでさえ野菜不足なのに、これではさらに野菜不足になってしまう。
「えー」
がっかりしながら、ふとレタスの横を見ると、ダンボールにたくさん積まれた白い顔したひょろっと細長い野菜が私を見ている。
もやしである。20円と書いてあるではないか。
もやしは素晴らしい。
いつだって、どんな時だって庶民派だ。
しばらくは、もやしとともに生きてゆこう。
そんな8月の終わりに会社の先輩の結婚式二次会に出席した。
イイもんだ、新郎新婦というのは。
幸せそうな新郎と嬉しそうな新婦の姿は、いつ見てもステキだ。
みんなを幸せにするパワーがある。
冷たい夏によってクールダウンしてたココロもホッカホカだ。
そして、結婚式を見るたびにいつも思うのだが、「白」という色はホント素晴らしいなと思う。
新鮮で、かわいらしく、それでいて気高くもあり、招待客がどんな衣装で来ようとも、花嫁が身にまとう「白」には勝てないのだ。
今日の花嫁さんも本当にきれいだった。
ちょっと面白かったのが、結婚式の二次会に来ていた台湾の来賓による台湾式「愛のしるし」の実演。
どうやら台湾で結婚式のときに新郎新婦が行うとっておきの儀式らしい。
下記、「愛のしるし」のやり方を書くので、ぜひ結婚式の時にお試しいただきたい。
新郎をまずイスに座らせ、その上に新婦を座らせる。
その次に、新婦の履いていた白いハイヒールを脱がせ、その中にビールを注ぐ。
ちなみにハイヒールにはビールに限らず何を入れても良いらしい。
そして、新郎が来て下さったお客様に感謝の意があり、かつ、新婦を心から愛しているのなら、それを一気飲み。
以上が、台湾式「愛のしるし」の儀式である。
ハイヒールビールを飲むという新郎とビールでぐちょぐちょのハイヒールをまた履かねばならないという軽い負荷が新郎新婦にかかるものの(笑)、イベントとしてはかなり盛り上がって、お客としては楽しかった。
この年になると先輩や友達の結婚式や二次会にお呼ばれされる機会が増え、それぞれの結婚式に個性があり、特徴があり、おまけに色々な人間ドラマが見れて楽しい。
独身貴族の小娘も、先輩方の見て、色々と勉強させていただこうと思う。
大介さん、ちなこさん、いつまでもお幸せに!
■今日のカメ。
◆黒のドレスで小娘出席
黒のノースリーブロングワンピースで出席しました。
髪に付いている白い花の飾りは実はネックレス。こんな使い方をしてみました。
◆台湾式「愛のしるし」
新郎さんが飲んでます、飲んでます!
◆都々さん、ありがとうございました。
結婚式の三次会は、小娘が度々遊びに行かせていただいているマジックバー「うさぎや」さんに新郎新婦と一緒に行きました。
「うさぎや」さんは日本風家屋の落ち着いた雰囲気でゆっくりお酒を飲みながら、本格的なマジックが楽しめるお店です。
この日はたまたま「USO!?ジャパン」に出演された有名マジシャン『都々』さんがマジックを披露して下さいました。しかも、特別にウェディングマジックをしていただきました。
ワイングラスの中にトランプを入れて、そのグラスの口の部分をお客に手でふさがして、新婦に新郎をイメージしたカードを選ばせ、都々さん自身は一切グラスに触れてないのに、グラスの中のカードとかが浮くんです!!!!マジで。
もちろん、そのカードは新婦の選んだ新郎のカードで、全くもってイッツ・マジックです。
すごく楽しくて、良い記念になりました。
「うさぎや」さんに行くたびに、私もマジシャンになりたいと影響されて帰ってくる私。いいなぁ、マジシャン・・・。
このまま涼しくなって秋になり、寒くなって冬になっていくのか・・。
この服好きの私ですら、例年よりもTシャツ買う量が圧倒的に少なかった。
こんなに涼しいと、ココロなしか夏服を買う元気も当社比マイナス30%である。
今年の冷夏は、私の購買欲を直撃という激・小規模な部分から、日本人の経済、生活といったもっと大きな部分までありとあらゆるものに影響を与えている。
まず、「日本の夏」という風情に影響を与えた。
プールではしゃぐ子供、道端で花火をする家族、スイカを美味しそうに食べる様、キャミソール1枚の綺麗なお姉さんが汗をぬぐうしぐさにかいまみるエロス(笑)・・・・そんな数々の日本の夏の情緒がいつになく見られなかった。
いまいちソフトクリーム熱も盛り上がらない。
夏になると大好物のキハチのソフトクリームが「暑さ」という期間限定フレーバーによって、より一段と美味しく感じられるのだが、こう涼しいと私のクリーム熱も元気なし。
夏の風物詩、「花火」も今年はまだ一度もやっていない。
そういや、夏祭り大好きっ子の私が、今年は夏祭りにあんまり行ってない。
海やプールも行ってないのでよく分からないが、時期もの商売をされている方は相当影響を受けたんだろうな、と思う。
野菜の価格も相当高騰している。
先日、スーパーに買い物に行ったときも、レタス1玉で398円と書かれていて、たまげた。
不規則な生活でただでさえ野菜不足なのに、これではさらに野菜不足になってしまう。
「えー」
がっかりしながら、ふとレタスの横を見ると、ダンボールにたくさん積まれた白い顔したひょろっと細長い野菜が私を見ている。
もやしである。20円と書いてあるではないか。
もやしは素晴らしい。
いつだって、どんな時だって庶民派だ。
しばらくは、もやしとともに生きてゆこう。
そんな8月の終わりに会社の先輩の結婚式二次会に出席した。
イイもんだ、新郎新婦というのは。
幸せそうな新郎と嬉しそうな新婦の姿は、いつ見てもステキだ。
みんなを幸せにするパワーがある。
冷たい夏によってクールダウンしてたココロもホッカホカだ。
そして、結婚式を見るたびにいつも思うのだが、「白」という色はホント素晴らしいなと思う。
新鮮で、かわいらしく、それでいて気高くもあり、招待客がどんな衣装で来ようとも、花嫁が身にまとう「白」には勝てないのだ。
今日の花嫁さんも本当にきれいだった。
ちょっと面白かったのが、結婚式の二次会に来ていた台湾の来賓による台湾式「愛のしるし」の実演。
どうやら台湾で結婚式のときに新郎新婦が行うとっておきの儀式らしい。
下記、「愛のしるし」のやり方を書くので、ぜひ結婚式の時にお試しいただきたい。
新郎をまずイスに座らせ、その上に新婦を座らせる。
その次に、新婦の履いていた白いハイヒールを脱がせ、その中にビールを注ぐ。
ちなみにハイヒールにはビールに限らず何を入れても良いらしい。
そして、新郎が来て下さったお客様に感謝の意があり、かつ、新婦を心から愛しているのなら、それを一気飲み。
以上が、台湾式「愛のしるし」の儀式である。
ハイヒールビールを飲むという新郎とビールでぐちょぐちょのハイヒールをまた履かねばならないという軽い負荷が新郎新婦にかかるものの(笑)、イベントとしてはかなり盛り上がって、お客としては楽しかった。
この年になると先輩や友達の結婚式や二次会にお呼ばれされる機会が増え、それぞれの結婚式に個性があり、特徴があり、おまけに色々な人間ドラマが見れて楽しい。
独身貴族の小娘も、先輩方の見て、色々と勉強させていただこうと思う。
大介さん、ちなこさん、いつまでもお幸せに!
■今日のカメ。
◆黒のドレスで小娘出席
黒のノースリーブロングワンピースで出席しました。 髪に付いている白い花の飾りは実はネックレス。こんな使い方をしてみました。
◆台湾式「愛のしるし」
新郎さんが飲んでます、飲んでます!◆都々さん、ありがとうございました。
結婚式の三次会は、小娘が度々遊びに行かせていただいているマジックバー「うさぎや」さんに新郎新婦と一緒に行きました。 「うさぎや」さんは日本風家屋の落ち着いた雰囲気でゆっくりお酒を飲みながら、本格的なマジックが楽しめるお店です。
この日はたまたま「USO!?ジャパン」に出演された有名マジシャン『都々』さんがマジックを披露して下さいました。しかも、特別にウェディングマジックをしていただきました。
ワイングラスの中にトランプを入れて、そのグラスの口の部分をお客に手でふさがして、新婦に新郎をイメージしたカードを選ばせ、都々さん自身は一切グラスに触れてないのに、グラスの中のカードとかが浮くんです!!!!マジで。
もちろん、そのカードは新婦の選んだ新郎のカードで、全くもってイッツ・マジックです。
すごく楽しくて、良い記念になりました。
「うさぎや」さんに行くたびに、私もマジシャンになりたいと影響されて帰ってくる私。いいなぁ、マジシャン・・・。
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by meshi-quest
| 2003-08-17 14:39
私は過去に1度だけ家出をしたことがある。
そんなこと急に思い出した。
大学生や社会人になってからたびたびあった「家に帰らない」は、家出なのか単に帰宅が遅いのか分からんような生活の一環だったのでなんとも言えないが、小学3年生の時の「家に帰らない」は、明らかに「家出」だった。
小さい頃から何かいやなことがあると、狭い場所に閉じこもる癖があった。閉じこもる場所がない場合は、そこから出て行くという手段をとった。
どちらも「その場から消える」という行為だ。
この癖は大人になっても治らず、困ったことに今も割りとそうだ。
うちはママとすごく仲良かったので、ケンカしても何だかんだ言って、すぐ元に戻って、仲良くやっていた。
というより、ママは自分の娘の性格をよく分かっていたので、『なだめるところ』『ほっとくところ』『声をかけるタイミング』など実にピンポイントで押さえていたのだと思う。
ケンカなんてできればしたくない。
実は、ケンカに突入する直前からすでにケンカするつもりなんてないのかもしれない。
それが仲の良い相手であればあるほど、ケンカはしたくないものだ。
ところが、威勢良くたんかを切ってしまった手前というか(笑)、自分で自分のひっこみがつかなくなってしまうことが多々ある。ココロのひっこみも、シチュエーション的なひっこみも。
「今のウソぴょーん!」とか言いながら、ケンカになりそうなシチュエーションをすぐに回避できる性格だったらどんなに幸せか、と思う。
残念ながら、天邪鬼にはこんな芸当はできない。
小学3年生の時は、もう何が原因だったかは覚えていないが、相当腹が立って、自分なりに荷物をまとめて、家を出た。
荷物の中身は、着替え、下着、お菓子、メモ帳、ジュース、財布に約1万円だったと思う。
今、考えると家出するには、かなり不十分なアイテムラインナップだった。
家を出る前に、頭にきたことを列挙し、最後に決まり文句「探さないでください」を書き加えた支離滅裂な手紙を作成し、その後家を出た。
その時は真剣に家を出るつもりだった。
家出をしたことの重大さより、これからどうやって生きていくか、どうやって金を稼いで生活をしていこうかという具体的なことをひたすら考えていた。
小学3年生にしては、冷静だったように思う。
町をウロウロして、気が付いたら夜の10時頃になっていた。
夕食はたしかマックですませたような気がする。
10時まで町をうろつくなんてことがなかったので、未知の領域にワクワクしながらも、だんだん不安になってきていた。
この頃にはあれだけ怒っていたことの大半以上がどうでもよくなっていた。
時間がたって、怒りが静まってきたのである。
気が付くと、「誰か気づいてくれ」と言わんばかりに自分の家の近くまで戻ってきていた。
結局、私がおじいちゃんちの車庫の中で寝ているところをママに発見され、日付が変わる前に家出イベントは終了してしまった。
なぜ家出をしたのか?
きっと、突き詰めていくと「腹が立ったから」ではなく、ママにとって「自分がどういう存在なのか」、それを確かめるために家出をしたのだと思う。
つまり、ママから自分は愛されているのか?、好かれているのか?、大切にされているのか?を知るために。
ケンカというちょっとしたきっかけで、それが分からなくなってしまったからだ。
ヒトは時として、ホントしょーもない手段を使う。
自分で「感じること」ができないから、相手のリアクションを見て、それを感じようとするのである。
要は、鏡のようなものだ。
車庫で私を発見した時のママはすごく慌ててて、心配していて、そして、私を見て心からほっとしたような顔をしていた。
そして、その様子を見た私もすごく安心をした。
愛されていることが分かった。
だから、それ以降、家出をするようなことはしなかった。
相手の前から「消える」ことで、自分が相手にとってどういう存在意義のある者なのかどうかが分かる気がしていた。
もし自分が相手にとって大切な者であれば「探す」だろうし、大切でないなら「探さない」。
最終的には、ケンカによって生まれた「怒り」とかはどーでもよくて、「大切なのか?そうでないのか?」だけが分かればいい。それだけだ。
それが分かれば自分のケンカのひっこみもつくし、こちらからも素直に「ごめんなさい」と言える。
ここで消えた自分を探してもらえないと、ますますひっこみがつかなくなって、出て行けなくなる(苦笑)。
消えた本人は「探してもらえる」ことを前提に消えているのだから(笑)。
本人には全く悪気がありませんので、こういう場合はぜひ探していただきたいと思う。
我ながら、ホントしょーもないな、と思う。
大人になっても治らない。
ホントしょーもないな、と思う。
こうして文章にしてみて、改めて読んでみても、ホントしょーもない癖だと思う。
■今日のカメ。
夏なのでお祭りの話題を。
◆爆裂王~君の笑顔が見たくて~
お祭り好きで、夏になると毎週のように色々なお祭りに顔を出していたので、過去相当色々な露店を見てきたが、こんな強烈なネーミングの露店は初めて見た。
ノボリには、「君の笑顔が見たくて」と書いてある。
実際、笑顔の客が相当列を作っていた。
これは一体何屋なのか?というと・・・・実は、焼きそば屋でした。
一見、普通の焼きそば屋に見えますが、おにいさんの盛り付けている焼きそばの量を見てください。
なんと、入れ物から焼きそばがあふれています!!
このお店の焼きそばは通常露店焼きそば価格で、爆裂量の焼きそばが買えるのです。
露店業界も客争奪戦で色々と様変わりしているなぁ、としみじみ。
そんなこと急に思い出した。
大学生や社会人になってからたびたびあった「家に帰らない」は、家出なのか単に帰宅が遅いのか分からんような生活の一環だったのでなんとも言えないが、小学3年生の時の「家に帰らない」は、明らかに「家出」だった。
小さい頃から何かいやなことがあると、狭い場所に閉じこもる癖があった。閉じこもる場所がない場合は、そこから出て行くという手段をとった。
どちらも「その場から消える」という行為だ。
この癖は大人になっても治らず、困ったことに今も割りとそうだ。
うちはママとすごく仲良かったので、ケンカしても何だかんだ言って、すぐ元に戻って、仲良くやっていた。
というより、ママは自分の娘の性格をよく分かっていたので、『なだめるところ』『ほっとくところ』『声をかけるタイミング』など実にピンポイントで押さえていたのだと思う。
ケンカなんてできればしたくない。
実は、ケンカに突入する直前からすでにケンカするつもりなんてないのかもしれない。
それが仲の良い相手であればあるほど、ケンカはしたくないものだ。
ところが、威勢良くたんかを切ってしまった手前というか(笑)、自分で自分のひっこみがつかなくなってしまうことが多々ある。ココロのひっこみも、シチュエーション的なひっこみも。
「今のウソぴょーん!」とか言いながら、ケンカになりそうなシチュエーションをすぐに回避できる性格だったらどんなに幸せか、と思う。
残念ながら、天邪鬼にはこんな芸当はできない。
小学3年生の時は、もう何が原因だったかは覚えていないが、相当腹が立って、自分なりに荷物をまとめて、家を出た。
荷物の中身は、着替え、下着、お菓子、メモ帳、ジュース、財布に約1万円だったと思う。
今、考えると家出するには、かなり不十分なアイテムラインナップだった。
家を出る前に、頭にきたことを列挙し、最後に決まり文句「探さないでください」を書き加えた支離滅裂な手紙を作成し、その後家を出た。
その時は真剣に家を出るつもりだった。
家出をしたことの重大さより、これからどうやって生きていくか、どうやって金を稼いで生活をしていこうかという具体的なことをひたすら考えていた。
小学3年生にしては、冷静だったように思う。
町をウロウロして、気が付いたら夜の10時頃になっていた。
夕食はたしかマックですませたような気がする。
10時まで町をうろつくなんてことがなかったので、未知の領域にワクワクしながらも、だんだん不安になってきていた。
この頃にはあれだけ怒っていたことの大半以上がどうでもよくなっていた。
時間がたって、怒りが静まってきたのである。
気が付くと、「誰か気づいてくれ」と言わんばかりに自分の家の近くまで戻ってきていた。
結局、私がおじいちゃんちの車庫の中で寝ているところをママに発見され、日付が変わる前に家出イベントは終了してしまった。
なぜ家出をしたのか?
きっと、突き詰めていくと「腹が立ったから」ではなく、ママにとって「自分がどういう存在なのか」、それを確かめるために家出をしたのだと思う。
つまり、ママから自分は愛されているのか?、好かれているのか?、大切にされているのか?を知るために。
ケンカというちょっとしたきっかけで、それが分からなくなってしまったからだ。
ヒトは時として、ホントしょーもない手段を使う。
自分で「感じること」ができないから、相手のリアクションを見て、それを感じようとするのである。
要は、鏡のようなものだ。
車庫で私を発見した時のママはすごく慌ててて、心配していて、そして、私を見て心からほっとしたような顔をしていた。
そして、その様子を見た私もすごく安心をした。
愛されていることが分かった。
だから、それ以降、家出をするようなことはしなかった。
相手の前から「消える」ことで、自分が相手にとってどういう存在意義のある者なのかどうかが分かる気がしていた。
もし自分が相手にとって大切な者であれば「探す」だろうし、大切でないなら「探さない」。
最終的には、ケンカによって生まれた「怒り」とかはどーでもよくて、「大切なのか?そうでないのか?」だけが分かればいい。それだけだ。
それが分かれば自分のケンカのひっこみもつくし、こちらからも素直に「ごめんなさい」と言える。
ここで消えた自分を探してもらえないと、ますますひっこみがつかなくなって、出て行けなくなる(苦笑)。
消えた本人は「探してもらえる」ことを前提に消えているのだから(笑)。
本人には全く悪気がありませんので、こういう場合はぜひ探していただきたいと思う。
我ながら、ホントしょーもないな、と思う。
大人になっても治らない。
ホントしょーもないな、と思う。
こうして文章にしてみて、改めて読んでみても、ホントしょーもない癖だと思う。
■今日のカメ。
夏なのでお祭りの話題を。
◆爆裂王~君の笑顔が見たくて~
お祭り好きで、夏になると毎週のように色々なお祭りに顔を出していたので、過去相当色々な露店を見てきたが、こんな強烈なネーミングの露店は初めて見た。 ノボリには、「君の笑顔が見たくて」と書いてある。
実際、笑顔の客が相当列を作っていた。
これは一体何屋なのか?というと・・・・実は、焼きそば屋でした。
一見、普通の焼きそば屋に見えますが、おにいさんの盛り付けている焼きそばの量を見てください。 なんと、入れ物から焼きそばがあふれています!!
このお店の焼きそばは通常露店焼きそば価格で、爆裂量の焼きそばが買えるのです。
露店業界も客争奪戦で色々と様変わりしているなぁ、としみじみ。
#
by meshi-quest
| 2003-08-09 14:37
私は、毎朝、電車通勤をしている。
以前書いたコラム「通勤再考」でも伝えたが、通勤はいい。
考え方ひとつで、割と楽しげなものになる。
朝起きて、カタンゴトンと電車に揺られ、通勤ラッシュにあい・・・そんな嫌なことばかりでもない。
私は山手線を利用しているのだが、最近の電車はすすんでいる。
車内にテレビが付いている。
今になってはごく普通の当たり前のことだが、私が子供の頃は、クーラーが付いていない扇風機電車もあったし、テレビ付きなんて考えもしなかった。
通勤していると、たった電車賃130円で色々な情報を得ることができる。
最近の私のお気に入りは、サッポロビールが車内テレビで提供している「シャベリオーネ」というワンポイント英会話番組だ。
これが結構楽しくて、勉強になる。よくできている番組だ。
見かけたらぜひ注目していただきたい。130円で楽しめる車内留学だ。
3つの問題が出題されるのだが、テーマ別に「屋形船」とか「金魚すくい」とか、「そう言われてみれば、これって英語で何というのだろう・・・」という単語やフレーズが絶妙にチョイスされている。
朝のほとんど何も考えられない頭でも「おや・・」と興味をもってつい目を向けてしまう、内容、量、質になっているのが素晴らしい。
客はこの番組を車内の短時間の移動中に見るであろうこと、車内なので、あまり難しい要求をしても興味をもってもらえない、車内には老若男女さまざま人がいて、万人にウケるような内容にしなければならないこと、これら【車内】というシチュエーションがちゃんと考慮されているのである。
だから、ちゃんと楽しめる。
時同じく、某大手予備校が漢字やことわざをテーマとした車内番組を提供しているのだが、こちらは異様に難しい。
あまりの問題の分からなさに、朝っぱらから落胆すらしてしまう。
私がバカなのだろうか・・・と思うのだが、隣にいる者に聞いても全く分からないらしいので、私だけではないらしい。
扱っているテーマは面白そうなんだけどなぁ・・。
もう少し簡単にしてください、通勤中に考えられる程度に。通勤者からのせめてものお願いである。
さてさて、話は【英語】のことに戻す。
日本人は英語を理解しやすい幸せな環境にあると思う。
例えば、「金魚」。
英語では「gold fish」という。そのまんまである。
でも、これを「そのまんまじゃん」と言えるのは、金がgold、魚がfishであることを知っているからだ。
これがロシア語だったら、どうだろう。普通の人だったら、金や魚をロシア語で何と言うかなんて知らない。ロシア語「金魚」の予測すら付かない。
先に、日本人は英語を理解しやすい環境にあると言ったのは、このことだ。
英語であれば単語や内容の「予測」を付けれるくらいに、英語と密接な環境にあるということである。
自国語以外の言葉をしゃべれることは、とてもステキだ。
それは、単に勉強や知識の問題ではない。
他国語をしゃべれるということは、それだけ「人」と出会う可能性を広げるということだと思う。
日本は他人種国家ではないので、日本語を話せれば、一応生活に支障はない。
そういう環境下では他国言語の必要性をあまり感じない。
私も以前はそうだった。
家族はもちろん日本人だし、周りに外国人の知り合いもいないので、「人」とも出会わないし、英語を使う機会がなかった。
が、高校時代にタイの女の子と文通を始めたことや大学時代に「英語必須」の学校へ行ったこと、大学一年目にオーストラリアに留学したこと、そして、毎年一回くらいのペースで海外に遊びに行くようになったこと、こんなことなどがきっかけで、英語を話せることが勉学知識のためでなく、自分のため、人と出会うため、人に自分の考えをきちんと伝えるために「話さないといけない」から「話したい」に変わっていった。
もちろん、他国言語を話すことは容易ではない。
大学入るまでは何の英語の特訓も受けてなかったので、私にとっても容易ではなかった。
大学時代にオーストラリアに留学していた時、ホームステイ先でこんなことがあった。
私のホームステイ先は、旦那さんのブライヨン、奥さんのガイル、娘のレイチェル(4歳)の3人家族であった。
ホームステイして1週間目くらいのことだっただろうか、レイチェルが絵本を読んでくれと言ってきた。
いやな予感がした。
頼むから、私の知っている絵本であってくれ。
そして、できるだけ薄い絵本であってくれ。
今日一日で最大の祈りをささげた。
祈りが届いたのか、レイチェルが私に差し出した本のタイトルは「P」から始まり、表紙には全身緑の服を着た男の子が空を飛んでいた。
ピーターパンである。
あの頃は相当自信がなかったので、今でもピーターパンであっていたのか、不安だ。
たぶん、緑の男の子の隣に、ちっこい天使のような虫のような女の子(たぶん、ティンカーベル)が飛んでいたので、大丈夫なはずだ。
さて、色々軽いトークをして、時間を稼ぎ、その間に読解をしようと思ったのだが、そんなことはレイチェルが許してくれなかった。
彼女から「即効、読め!」の指示が出た。
時に子供は大人に残酷だ。
ドキドキしながらページをめくる。
「お、なんとかいけそうだ」
レイチェルを見ると、一応うなづいているので、あっているらしい。
歳こそ十何歳違えど、英語に関しては彼女のほうが先輩なのだ。
そして、2ページ目。
・・・私の絵本への挑戦は終わった。
ピーターパン登場前に、読めない単語がいくつも現れた。
言葉に詰まって悩んでいると、レイチェルはあきらめたように絵本を持っていってしまった。
チャンスは一度だけ・・・と言わんばかりに。
その後、彼女がホームステイ期間中にこの東洋人に絵本を読んでくれと言うことはなかった。
何度も言うが、子供は時にホント残酷だ。
英語を学ぶことは容易ではない。
が、せっかくこの世界に生まれてきて、世界には日本人以外のたくさんの人々がいて、今じゃ海外旅行と称して気軽に出会えるチャンスがあって・・・・そんな中で自分の言いたいことを第三者を間に置かないと伝えられないというのじゃ、淋しい。私は、そう思う。
殿様じゃあるまいし、目の前に相手がいるのに、侍従の者に耳打ちして伝えてもらうのは、なんかイヤだ。
第三者を通したときに、コトバの温度や速度や微妙なニュアンスは必ず変わる。
本当に言いたいこと、伝えたいままで伝わらない可能性がある。
そう思ったとき、英語を真剣に学ぼうと思ったし、海外旅行に行くときもどんな国であっても必ずツアーは避けて、フリーで行くようにしている。
「自分」と「相手」という超シンプルな関係を体験できるように。
どんな勉学でもそうだと思うが、強制されては面白くない。よって、結局身に付かない。
英語もフレーズや単語を無理に覚えるのではなく、興味を持ったことからゆっくり学んでいけばいい。
そういった意味で、車内英語番組の「シャベリオーネ」は良いと思う。
内容、量、質がちょうど良いので、気軽に毎日3つづつ学べる。
この番組は、ぜひこれからも続けて欲しいとぜひ思う。
私もいつかレイチェルに「読めるようになったじゃん」と言っていただけるよう(笑)、毎朝車内留学をしつつ、頑張っていこうと思う。
■今日のカメ。
今日の「今日カメ」は、私事で本当に恐縮ですが、ちょっと宣伝をさせてくださいませ。
◆windows用ゲームソフト
【コスモぐらし ~オンライン的野菜生活~】無料体験版配布中です!

舞台は、近年銀河星の果てで発見された、地球と同じく生物が生きられる宇宙惑星。
プレーヤー(みなさん)はこの宇宙に、宇宙農家としてやってきます。

一軒の畑つきの土地が与えられ、宇宙野菜と呼ばれる作物を育てながら、それを売って生計を立てています。
家を買ったり、家具を買ったり、料理を作ったり、ペットを買ったり、友達を家に招待したり。
とにかくちょっと一風変わった楽しいゲームですので、ぜひ遊びに来てください。
windows98以降のPCをお持ちの方であれば、お楽しみいただけます。
詳しくはこちら、コスモぐ公式サイトで!
http://cosmogu.com
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車内にテレビが付いている。
今になってはごく普通の当たり前のことだが、私が子供の頃は、クーラーが付いていない扇風機電車もあったし、テレビ付きなんて考えもしなかった。
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by meshi-quest
| 2003-07-25 14:34


