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時に、人は自分でもコントロール不能なくらい、「いっぱいいっぱい」になる。

なんで、私だけうまくいかないんだろう・・・、と。

そして、こういうときに限って、一番身近な人は逆にノリノリだったりして、自分との差を激烈に感じたりする。
そのとき生まれてしまうマイナスの結晶体が【おいてきぼり感】である。
こいつにさいなまされると、人はどんどん後ろに向かって猛ダッシュしてしまうのである。

【おいてきぼり感】とは、何か?
字のごとく、「何か」に置いてかれる、もしくは、置き去りにされる感覚のことである。

ちなみに、ちょっとしたトリビア(無駄な知識)をお伝えすると、「おいてきぼり」とは「おいてけぼり」とも言われ、江戸時代に伝わった本所七不思議の1つ、『置いてけ堀』に由来しているらしい((c)TY)。
この堀は、東京の錦糸町あたりにあった釣りでにぎわう池で、夕方、釣った魚を持ち帰ろうとすると、どこからともなく「置いてけ~、置いてけ~」という声が聞こえ、怖いもの知らずのさすがの江戸っ子も魚を置いて逃げ出したことから、コトバが出てきている。
(今日のトリビアは、明日使えるものばかりでしたね。)

さて、話を元に戻すが、この置き去り感【おいてきぼり感】が人にとってヤバイのである。

先日、友達と会って、こんな話をした。

私の友達であるA子は、精神的体力的な理由から、会社を退職した。
彼女の彼氏も同じ会社に勤めていたのだが、他にやりがいのある仕事を見つけ、彼女より数ヶ月先に退職をした。
しかし、彼女の場合は、責任感が人一倍強い性格で仕事で被った精神的なダメージが大きかったため、まず退職を優先し、しばらく落ち着いてから新たな職を探すことにしていた。

彼は次の仕事に向けての準備に取り掛かり、忙しい毎日を送っていた。
技術職への転職であるため、学校に通いつつ、バイトをし、毎日くたくただったらしい。
彼女と彼は別々の家に住んでいるため、電話やメールで近況を報告しあっていたが、日々疲れている彼は電話やメールの回数が減り、電話をすると転職に向けて毎日頑張っていて、気合が入っていることは分かるが、それ以上の相手の状況が分からず、その状態が彼女を必要以上に不安にさせていった。

彼女は、すごくしっかりしていて、決して甘えたり、束縛をするような子ではない。
彼女自身も、自分の新たな転職先を探して動き始めていたときだった。

なのに、彼と彼女の温度差、つまり【おいてきぼり感】がいつもの冷静沈着な彼女を襲ってしまった。
彼は、彼女の感じた【おいてきぼり感】が理解できず、ただの重荷ととってしまい、しばらく距離を置くことになった。
今は、お互いに定期的に連絡を取りつつも、とりあえず彼は彼の道、彼女は彼女の道を進むことを第一目標とし、それぞれにゆとりが出るのを待っている状態にある。

よく、テレビのドキュメントとかで、夫の帰りを待つ専業主婦が夫の帰りがちょっと遅くなったりしたことで、不安に思ったり、やたら追求をしたり、逆に夫は日々仕事で大変なのに、家で追求してくる妻に嫌気が指して、大喧嘩・・・・なんて話を見る。
ここでもキーワードになっているのは、やはり【おいてきぼり感】なのだと思う。

【おいてきぼり感】というヤツは厄介なもんで、弱っている者には重大に映り、ノリノリの者には大したことでないように見える特性がある。
つまり、ノリノリの側には、当然、相手の感じた【おいてきぼり感】なんて見抜けないし、弱っている側はこの【おいてきぼり感】によって追いつめられ、どんどんマイナス方面へ驀進していってしまうのである。

さらに、夫婦、恋人同士、家族間、親友同士、同期・・・など近しい間柄でよくこの【おいてきぼり感】は発生し、しかも、一番泣きつきたくて頼りたい相手がノリノリ側になっていたりするのである。

ここから脱出する方法の1つは、「相手よりノリノリになること」である。
マリオを見習って、スターをとって、「チャッチャッチャラッチャラッチャ~」という無敵の音楽を轟かせるのである。

例えば、彼女が新たな転職先が決まり、しかも軌道に乗り、彼氏もそっちのけの忙しい日々を送る。
例えば、妻が専業主婦をやめ、パートをしたり、趣味に講じたり、新しい友達を見つけたりする。
と、まぁ、こんな感じである。

が、それによって逆転された彼ないし夫側がそれを受けて、「よーし、俺も負けずにもっとノリノリになっちゃうぞー!」と互いに切磋琢磨する関係を続けられるのであれば良いのだが、彼女ないし妻側が与えた打撃が大きすぎて、【おいてきぼり感】により逆撃沈してしまうようだと、意味がない。

なので、結論として、あまりお勧めできない。

では、どうすればいいか。

1つのカギは、「リスペクト」が握っている。
お互いに常に尊敬しあう。お互いの良いところを認めあうのである。

例えば、夫が妻に「いつも作ってくれるご飯、美味しいね。僕にはこんなに上手に作れないので、嬉しいよ。」と言う。逆に、妻が夫に「いつもご苦労様。あなたがいつも頑張ってくれるので、私も家事頑張らなくっちゃ!」とか言う。
あくまでもこれは「リスペクトってこーゆーこと」の超極端な例だが(笑)、僕や私にできないことをこの人はできる・・・・だから、すごいし、それをちゃんと認める・・・・だからこそ、二人いる意味があり、互いに補っているのである・・・・と、こんな流れである。

リスペクトは常にし続ける必要がある。
花にお水をあげるのと同じように、常に注いであげないとココロも枯れてしまうのである。

常に続けることは、根気と覚悟がいる。
なので、ここまでのつながりが持てる間柄はたくさんはもてないし、少数限定で良いと思う。

そして、「そこまでしたい」と思う相手なのかどうかということも重要になる。
もっと言っちゃうと、そこまでしてでも守るべき者がきっと必ず一人はいるはず、その人には全力でリスペクトしてあげて欲しいと思う。

自分のハートも、相手のハートも枯らさぬように。

言うのは簡単。

友達の話を聞いていて、自分への忠告メモも兼ねて(笑)、原稿を書いた。
私も時にスターマリオになってみたり、時に【おいてきぼり感】によって敗走猛ダッシュしたり(笑)、相当周りに迷惑をかけているに違いない。

いかん、いかん。リスペクト、リスペクト。
自分のハートも、相手のハートも枯らさぬよう・・・・。





■今日のカメ
◆わんことあたし

おいてきぼり感_f0232060_14281514.jpgしょっちゅう私の一緒にいらっしゃる方々はもう周知ですが、3年ぶりに茶髪から黒髪に戻りました。新入社員っぽくて、久々の黒もいいもんです。

黒に戻した直後にわんこと一緒に撮ってみたのですが、私の黒髪に見慣れていないのか、すごくわんこが複雑な顔しているのが印象的でした(笑)。眉間にしわよってるし・・・。
by meshi-quest | 2003-06-19 14:27
2002年12月23日、この日、1ヶ月に及ぶ私の入院生活が終わった。



実は、医者から病気で免疫力が低下しているため、年明けまで入院していたほうが良いと言われた。
が、仕事もいいかげん溜まっているし、何よりも病院でクリスマスと正月を迎えるのはイヤだった。
確かにサンタっぽい医者はいるが、サンタではない。
だまされてはいかん。ここにいては、サンタはやってこない。

こうして、医者の注意を聞かず、最後まで「不良患者」としての使命を全うし、病院を後にした。

「仕事も大事かもしれないが、何よりも体が大切です。何かあったらすぐ電話しなさい。」
そう、院長先生と婦長さんは言ってくれた。

まるで、田舎の不良少年が両親に散々迷惑かけた挙句、「オレ、東京に行く。」と出て行くときのようだ。
「たけし、何か困ったことがあったら、いつでも戻って来るんだよ・・・・。」
「・・・・・・(お、おふくろー!!!)」
ざっと、こんな気分である。
こういう後ろの支えがあるからこそ、無茶ができるのである。ありがたいお言葉だ。

退院して翌日、会社に行ってみると、案の定、仕事が山のようになっていた。
エベレスト・・・とまではいわないにしろ、確実に富士山級にはなっていた。
仕事メールの送受信チェックをかけてみると、ざっと700件のメールが来ていた。
ちょっとしたアイドルのファンレター並である。

早速、仕事に取り掛かろうとしたが、よく考えてみると、あと数日で仕事納め。
もう手遅れであった。
・・・・もう、いい。残りは、年明けだ・・・。

久しぶりの会社ではあったが、何も変わってなかった。新鮮であった。
ただ、会う人会う人に、「痩せた」と言われた。
確かに、11月の発病から12月の入院生活で、約5キロ近く落ちていた。
が、これも悲しいかな、つかの間のことで、クリスマス&正月の復帰祝い(←勝手に自分で決定)で友達を呼んで飲み食いしたため、着実に元に戻っていった。



社会復帰して、まずやりたかったことは、温泉に行くことだった。
ただでさえ、温泉好きで、休みがあると温泉に行っている私だが、入院生活中、ほとんど風呂に入れなかったこともあり、病的に「湯」が恋しくなっていた。
「温泉、行きてー!!」と思いながらも、年明けからの仕事に忙殺されてしまい、念願がなかったのは6月になってからのことだった。



時間がなかったので出発の前日にネットで宿を探しまくり、やっと見つけた湯河原温泉という場所へ行った。
今回泊まった宿は「翠明館」という宿で、渓流沿いに位置する露天風呂が決め手となった。

湯河原は町全体が温泉・観光で成り立っているようだったが、思ったよりお土産屋などは少ないように思った。
観光シーズンではないからか、活気がなかった。

湯河原の温泉街には、昔懐かしい「射的屋」が数件あった。入ってみた。
おばあさんがホント暇そうに店の奥の座敷で店番をしていた。暇そうではなく、たぶん、本当に暇なのだ。

射的をやるたびに思う。
人は「大いなる目的」「大いなる利益」のために、銃を構え、的を射るのがもともとの射的のコンセプトだと思うのだが、どうして、こんなに欲しくない商品ばかりが陳列されているんだろう。

500円で10発のコルク玉がもらえて、それを銃にこめて打ち、落とした的によって、点数が決められていて、総合点で商品が獲得できる仕組みなのだが、かなり高得点をとっても、湯河原温泉特製ペナント(布製の三角形の旗みたいなやつ。お土産いらないランキングの上位常連商品の1つ。)や陶器の猫の置物だったり、スナイパーとしてのやる気を削ぐものばかりである。
結局、かなりの高得点はゲットしたが、「高得点をとった」という事実だけをお土産に、商品は置いていった。

ここまで書くと、射的自体がつまらないように聞こえるかもしれないが、射的はホント面白い。
ゲーセンとかのデジタルでゴージャスなガンもなく、派手な演出やエフェクトもないが、なんとも言えぬ真剣勝負の趣がある。この趣は、コンピュータゲームの世界では出せない。
温泉街で見つけたら、何事も経験。ぜひお試しあれ。

さてさて、露天風呂なのだが、ここ「翠明館」の露天風呂は、かなり良かった。雰囲気がいい。
本館から露天へ通じる長い回廊があって、露天風呂に直付けで、木の香りのする脱衣所がある。
そして、着替えて、すぐに目の前が露天風呂。露天も大きめで、渓流の音を聞きながら、ゆったりできた。極楽だ。

こんなすばらしい露天であったが、1つだけ欠点があった。
「混浴」なのである。うかつだった・・。
しかも、タオル入浴(よく温泉紹介であるような女の子がタオルを体に巻いて入る行為)は禁じられている。

この旅館はかなり雰囲気も落ち着いていて、あまり若いカップルが来そうな感じはなく、どちらかというとおじちゃん、おばちゃんが多かった。
実際、喜びいさんで露天へいったが、おじちゃんの群れが露天を占拠していた。

入るべきか、入らぬべきか。入りたい、でも・・・・。
そして、「入った」。

いいんだ、もう。露天風呂に入りたいんだもーん。ええい、特別サービスだ!
堂々と入ってみると不思議なもんで、逆におじちゃんの群れが居心地悪くなったのか、出て行ってくれた。

あ、ラッキー!
こうして露天風呂を満喫した。

夕方、夜、寝る前、朝起きてから・・・と計何回風呂に行ったことだろう。
風呂はいい。



そして、そのたびに誰か必ず露天の先約がいるのだが、小娘が入っていくと、みんな出て行ってくれた。
なんだか、ラッキー!



あ、でも別に何もしてませんよ。脅したりとか(笑)。ホント。






■今日のカメ
◆翠明館のお夕食
露天風呂をジャックする_f0232060_14245488.jpg
美味しくいただきました。カニ、甘くてグー!
ただ、全体的にちょっと量は少なめかな。




◆不動の滝
露天風呂をジャックする_f0232060_14251699.jpg
山の上に滝があったので、行って来ました。
滝があるところは、空気が特別澄んでいる気がします。

滝の入り口に茶屋があって、人が住んでいて、どうやらここの滝の管理人さんみたいなんですね。お父さんと思える人と中学2年生くらいの純朴そうな男の子がいました。
「おまえのお父さん、仕事は何やってんの?」
「不動の滝の管理人さ。」
そんな会話が学校でなされていると思うと、なんか、カッコイイ!!

ところで、よくこの「不動の・・・」という滝を目にするが、全国にいくつ不動の滝ってあるんだろ。



◆独歩の湯
露天風呂をジャックする_f0232060_14253667.jpg
写真の場所に、さまざまな効果がある足湯場があり、つぼ押しのボコボコした突起が床から出ているので、足湯&足つぼでリラックス効果満点の施設です。主に女性が喜んでました。

しかし、よくまぁ、公園のど真ん中にこんな足湯施設場作ったなぁ・・・。湯河原恐るべし。
by meshi-quest | 2003-06-07 14:23
病院での一日はざっとこんな感じだ。



◆AM 6:00◆

看護婦さんに半強制的に起こされ、検診(検査用の採血、血圧、体温、脈、問診)。

6:00なんぞに起きたことがなった私にとっては、ほとほと参る朝の早さだった。
それでも、最初のうちは看護婦さんのドアノックで目覚めるくらいの私なりの遠慮っぷりを見せていたのだが、1週間後には、看護婦さんが入ってこようが、ベッカムが入ってこようが、全く気づけないほどの深い眠りに入るようになり、看護婦さんが何度も声をかけ、しまいには、体をゆすって起こすという強攻策に出てきた。

2週間後には、この小娘に朝が存在しないことを看護婦さんも認知したのか、寝ているうちに採血を済ませて行ってくれるようになった。
朝起きると、腕に血を抜いた後とガーゼが付いていて、「あ、今日も採血したのか」と気づく。こんな調子だった。

血でもなんでもとっていってくれ!、オレは眠いんだ!!寝る!!!
なんとも、イヤな不良患者である。

◆AM 7:30◆

朝食。
さすがの不良患者もこの時間には強制的に起こされる。
なぜなら、この不良患者に対し、婦長さん、朝食を運んでくれる人、清掃のおばさんの3人がかかりで、「成沢さーん、朝ですよ。朝食食べてねー。」と起こしにかかるからである。

これは起きざるを得ない。
前々コラムに写真をアップしたが、毎朝ちゃんとパンと牛乳とおかずを食べるという、超規則正しい生活を行った。
が、時たま、一口食べた後に、うかつにそのまま寝てしまうということもあり、朝における私と看護婦さんの格闘は退院まで続いた。

◆AM 8:15◆

洗面&お掃除。

朝食を食べ終わった頃に、各部屋の掃除に清掃の方がやってくる。
清掃中に部屋にいると邪魔になるので、この間に洗面に行く。
よくできているなぁ、と病院の生活システムには驚かされる。

洗面所には、すでに人はいない。
みんなきちんと6時に起きているようで、その時間帯に洗面を済ましているからだ。

いいんだ、別に。
時間差通勤、時間差洗面だ。混雑を避けただけさ。

◆AM 9:00◆

診察。
「歩ける患者さんは診察室に移動してください」と看護婦さんのさわやかなアナウンスがかかり、診察室に移動。

私の基本的な治療は、ひたすら体休めて、点滴を受けて・・・だったので、診察も問診と血圧、扁桃腺のチェックくらいですぐ終わった。

◆AM 10:00◆

点滴タイムスタート。
私のコードレスタイムはここで終了する。
ここから約14時間は点滴につながれた有線生活が強いられている。

有線で面倒なのは、食事とトイレだ。
点滴前に必ずトイレに行くのだが、毎日500mlもの点滴を3本もつこっこまれては、1500mlの水を飲んだに等しいわけで、結局トイレに何度も行くはめになる。

◆AM 11:45◆

昼食。
元気なときは昼とかハンバーグ定食やらトンカツ定食やら食ってたなぁ・・・と思いながら、目の前の煮魚を食べる。

前々コラムにも書いたが、味は濃く、割とおいしかったのだが、肉がない生活に飽きてしまった。
通常メニューは、ごはん、すまし汁、煮魚、煮豆、豆腐、こんな感じのヘルシーセットだった。
週に1回、カレーの日があった。カレーは懐かしい給食の味がして、この日は子供のように嬉しかった。

◆PM 0:30以降◆

昼飯を食った後、途端にやることがなくなる。
入院直後は、ひたすら痛みに打ちのめされていて、半ば放心状態だったが、点滴の治療が効き始めた頃から、徐々に友達や知り合いに連絡を取り、遊びに来てもらうようになった。

人とのふれあいが、とにかく嬉しい。顔を見せに、来てくれるだけで嬉しい。
また、1つ患者さんの気持ちが分かった。

お見舞いの人が来ない日は、DVDで映画を見たり、小説を読んだり、漫画を見たり、携帯でメールを打ったりしていた。
会社に行っていた時には、あれほど「休みがあったら、ずっと寝てやる!」と豪語していたのに、実際すごい量のお休みタイムをいただくと、意外と寝れないもんだ。そんなもんだ。

◆PM 4:30◆

普段の生活ではありえないのだが、夕食タイムである。
旅行先にありがちな夕食6:30でも早すぎて食えないのに、こんな時間に夕食はホント参る。

この時間の夕食は、ホント困った。
ハッキリ言って、おなかが減ってない。12:30に昼を食べ、ほとんど動いてなくて、4:30に夕食。無理だ。
が、ここで食べておかないと、これ以降、明日の朝7:30までフードにありつけない。

最初は、かなり無理して食べた。
が、入院後半は、色々な人にお夜食セットを買ってきてもらい、夜9:00頃、ようやっと腹が減ったあたりで、カップラーメンとか食べて過ごしていた。

夜遅くの会社帰りに来てくれた人には、ホカ弁とかを頼んで買ってきてもらったりもしていた。
退院直前には、かなり食欲も回復しており、夜、すしの折り詰めを買ってきてもらって、病室で食べていた(笑)。病室で食うすしも、またオツであった。

◆PM 10:00◆

だいたいこの時間に朝の10時からはじめた点滴が終了する。
やっとここから、左手が自由になるのだ。

点滴生活になれると、左腕に常に管が付いている状態もあまり気にせず、寝たり食べたりできるようになるのだが、やはり、コードレスはイイ。伸びもできるし、ブンブン腕も回せる。当たり前のことが当たり前にできるこの時間帯が来るのが、毎度本当に待ち遠しかった。

コードレスになってから、まずは顔を洗って、歯磨きに行く。
風呂はこの病院にないので、入院中は体を拭くくらいで、週末に臨時で一時帰宅許可をもらって、家に風呂入りに戻っていた。

ここから、次の点滴が始まる夜中の1時くらいまで、また本を読んだりして、過ごす。あと、夜食。
夜はほぼ毎日友達が来てくれていたので、一緒に夜食を食べながら、色々な話をして時間をつぶしていた。
本当は、9時に面会も終了するのだが、個室であったこともあり、夜の面会を病院が特別に許可をしてくれていたので、助かった。

◆AM 1:00◆

今日の点滴生活のトリを飾る抗生物質点滴の登場である。

いくら毎日ほとんど動いていないの、眠くないとは言っても、さすがにこの時間には眠くなる。
看護婦さんは寝ててもいいですよとは言うのだが、付けるときとはずす時の痛みで起きてしまうのである。

ただ、ラストの点滴は、約1時間なので、我慢して1時間過ごし、この点滴が外れたときに、本当の意味で私の一日が終了する。



そして、また6時に看護婦さんが来て、こういうのだ。

「成沢さーん、起きてくださーい。」

「zzzzz・・・・・・」

「成沢さーん?」






■今日のカメ
◆うに清
朝6時に起きますか?いえ、起きません。_f0232060_1422279.jpg
数ヶ月前、久しぶりに「うに清」さんに行った。
成沢家がお気に入りの真鶴にある磯料理の名店だ。

うに清さんはうちから車で行かないと行けない距離にあるので、頻繁にはいけないのだが、年に1回は必ずここへ行く。

ここの名物は、「船盛り」である。
だいたい一人5000円の予算で、伊勢海老&鯛の活造り、あわび、うになどの新鮮な魚介類と、エボダイの塩焼き、サザエの磯焼きなどの磯料理がてんこ盛りで出てくる。

母の知人の方に初めて連れてきていただいたのが、5年前。
そこからは、お気に入りで必ず年1ペースで来ている。

磯の近くにお店が位置していて、食事どころから、荒波の様子が見れる。
たまにはこういう食事もいいもんです。



◆伊勢海老&鯛の活造り
朝6時に起きますか?いえ、起きません。_f0232060_14222549.jpg
活造りには賛否両論あると思うが、私は好きだ。

「活造り」は、食を追及する倭人による、「新鮮であることのあかし」を見せつける芸術と思う。
ま、堅苦しいことは抜きにして、美味けりゃいい。それだけで、もう十分だ。


◆伊勢海老の味噌汁
朝6時に起きますか?いえ、起きません。_f0232060_1422509.jpg

美味い!ホント、美味いのだ。

伊勢海老のお造りも新鮮なので、甘くて、コリコリしていて、美味しいのだが、伊勢海老を食べた後の殻を使って作ってくれる味噌汁が格別に美味い。あぁ、幸せ。
by meshi-quest | 2003-06-05 14:20
伝染性単核球症。

デンセンセイタンカクキュウショウと読む。
これが、私の病名だった。
何の病気かも、どこの病気かも、分からん。素人の私にとっては、最初は何と読むのかも分からなかった。

実は、私の病気が確定したのは、入院して2週間以上たってからのことだった。
入院当初は、肝臓の数値が異常に高かったため、「肝炎」ということで緊急入院をし、精密検査を受けていた。

「肝炎」・・・聞いたことがある。が、相当ヤバそうだ。
高熱でほとんど働かない頭でそう思っていた。

肝炎には大きく分けて3つあるらしい。A型、B型、C型とあり、C型が特に重度であると聞いた。
BとCは輸血などが原因で発症することが多く、私は輸血の経験がないので、食べ物などで感染をするA型の可能性が高いとされていた。

確かに「食べ物」には2つ思い当たる節があった。
私の名誉のために付け加えるが、「拾い食い」ではない。

1つは8月に行ったバリ島で食べた焼きハマグリ。
今回はじめて行った店だったのだが、漁師町のビーチで魚市場のように魚や貝が積み上げられており、それを量り売している。買った魚や貝はその場でバター焼きにしてくれて、満天の夜空の下、ビーチの下で食べるのだ。
ことにハマグリが安くて旨かったため、結構な量を食べた。

実は、その食べた日の翌日、バリに同行していたK嬢が腹をこわしていた。
あの時は「食いすぎだよー」と笑っていたが、2ヶ月遅れで自分のところにシッペ返しがやってきたのか・・・?

もう1つは、とあるバーガーチェーン店のチーズバーガーを食べたときだった。
11月頭に、ふと夜中にチーズバーガーが食べたくなって買ってきてもらったのだが、変な味がしたのを覚えている。
あの時は、自分が調子が悪かったから、味を変に感じただだけと思っていて、特に気にもとめていなかった。

さて、どちらだろう・・・?
入院してからしばらくは「ハマグリ」vs「チーズバーガー」による「激論・どちらがA型肝炎を起こしたか?朝まで生病院」を頭の中で繰り広げていた。

が、結論から言うと、どちらでもなかった。
肝炎ではなかったのである。

肝炎の型を調べる精密検査を受けていたのだが、Aでも、Bでも、Cでもないことが判明したのだ。
最初にAでないことが判明したため、「もしかして、残る2つのどちらかなのか・・???」と生きた心地のしない数日を過ごしたが、肝炎自体の可能性が消え、入院してから2週間後にやっと単核球症と確定された。

血液検査の結果、異常リンパ球というのが見つかった。また、入院直後から異常に扁桃腺が腫れ、高熱が続いた。これらが手がかりとなって、病名が確定したのだが、私の場合は、肝炎と思えるほど肝臓の数値が異常だったため、確定が遅れてしまったらしい。

個人的には、病名はどうでも良かった。
ただ、問題だったのは、水飲むのもつらい扁桃腺の腫れと高熱に悩まされ、それのための強い抗生物質は病名が確定しないと投与したくても投与できないと言われており、その都合で早く病名を確定して欲しかった。

入院して約2週間の病名確定までの間、どんな病気にも効く=弱めの抗生物質が投与されていたので、痛みに劇的な効果がなく、ホントつらかった。

確定してからは、それにあった強い抗生物質を点滴で投与してもらえたので、数日後には食事が摂れるまで扁桃腺の痛みが回復した。

この扁桃腺の腫れによる咽頭痛には、ほとほと参った。
もう二度とこんな思いはしたくない。

私の場合、右側の扁桃腺がパンパンに腫れており、膿んでしまっている状態だった。
何もしなくても鈍痛が、何か飲み込むと激痛が走った。
「飲み込む」には当然唾液も含まれる。つまり、一日に何度も激痛が走る。
唾液すら飲み込みたくなかった私は、意識的に唾液量を調整して、一日に飲み込む唾液の量を最低限に抑えるという、地味な戦いと努力をした。

結果的に肝炎ではないことが判明してから、薬の内容もその病気に適した強い薬が投与されるようになり、徐々に回復に向かっていった。



思えば、一日の大半を管につながれていた。

点滴は一番ピーク時で一日5本やっていた。
500ml×3本が肝臓の数値を下げる薬。1本あたり3~4時間なので、これだけでも12時間。
その他、扁桃腺の腫れをひかせるための点滴が2本。これが1本あたり約1時間だったので、計2時間。
つまり、14時間も管につながっていたことになる。えらいこっちゃ・・・。

あまりに毎日点滴をされ続けていたので、血管は細くなり、手には無数の刺し後ができた。
手のひら、手首、ひじの裏・・・ありとあらゆるところから管につないだ。

なんだか、メカっぽかった。人工ロボット気分だった。
飯は食えず、この管から栄養を受け取り、生きている。
なんだか、すごく悲しくなった。

会社で疲れがたまっていて、それでも休めないとき、何度も「あからさまに病気になんないかなぁ・・」なんて思っていたが、やっぱり健康が一番いい。
もっと言えば、健康で休めるのが一番いい(笑)。

最初は点滴を持ちながらの移動や作業に馴れずに、何度も点滴の針がずれてしまったり、血液が逆流したり(点滴の袋をうかつに心臓より下に下げてしまうと、血液が管を通って逆流します)と不便な生活が続いていたが、1週間くらいたつと、平気で管とお付き合いできるようになった。
トイレにも一人で行けるようになった。
管を気にせず、寝ることもできるようになった。

こんな感じで成沢ロボット1号は入院生活を送っておりました。



今、こうして「管」といううっとおしいものがなく生活できる【コードレス状態】は、あぁ、なんと幸せなことか。
【有線】の経験をしたものだけがわかる、コードレスのありがたみ。
電話も、そして人間も。






■今日のカメ
◆去年のクリスマス
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12月24日に退院をしたので、入院中の1ヶ月間のうっぷんを晴らすかのようにホールケーキを買いました。
退院後のケーキは格別ですな。



◆肉、食いてー!
管につながる女_f0232060_1420328.jpg
成沢家では、毎年クリスマスにチキン丸々一匹を買います。
入院中は何かと肉には縁遠かったので、これまたうっぷんを晴らさせていただきました。
by meshi-quest | 2003-06-05 14:18
去年12月の入院日記の続きです。
読者の方々から色々とメールをいただきまして、ありがとうございます。
いただきましたメールは全部読ませていただいております。
本当に感謝・感謝でございます。


入院には何が必要か?

初入院だったので、かなり途方にくれた。
看護婦さんが親切に「入院に必要なものリスト」をくれたが、きっとここには書いていない「オレ様のみ必要グッズ」があるはずだ、と思っていた。
そして、意外とそういうオレのみグッズが不自由な入院生活では大きな役割を果たしてくれたりするものなのだ。

こんなとき母がいてくれたらなぁ・・・と何度も思った。
「相当悪いので、入院」という重圧を背負いながら、入院グッズを自分で揃えている様は本当につらかった。
生まれて初めてショッピングがつまらないと思った。

独りになってつらいのは、掃除、洗濯、家の更新、親戚との折衝・・・とかではなく、一番は「病気になったとき」なのだ。

一番最初に入院グッズとして頭に浮かんだのは、実は「枕」だった。
これはバリ島に行ったときに買って来て以来、ずっと家で使っている「太陽の枕」(前前回コラムにて掲載)を病院に持ち込むことにした。
寂しい病院生活では、少しでも華やかな方がええ。多少、派手すぎるくらいでも・・。

あとは、バスタオル。
病院にはにつかわないが、真っ赤なバスタオルを持ち込んで、かけぶとんの上にかけてみた。
真っ白の病室に原色が入り、にぎやかになった。おかげで、ちょっとは病室っぽくなくなった。

それからユニクロに行って、カーキ色のジャージを買った。パジャマ代わりだ。
次に、100円ショップに行って、洗面器、紙コップ、割り箸、ストローなど生活用品を買い込んだ。
リストには「自前の箸を」と書いてあったが、食事毎に点滴とかで不自由な状態で洗いに行くのは大変だし、衛生的にも不安があったので、割り箸にした。割り箸100膳で100円。こんなにグッズを買っても、合計1000円以下。 100円ショップはイイなぁ!
入院グッズは100円ショップで揃えることをお勧めする。

その他、お茶のティーバッグ、お菓子、ジュース、ふりかけ(これ重要)、マヨネーズ(オレのみグッズ)、しょうゆなどを買った。もちろん、 100円ショップだ。

今思うと、入院がイヤだった割には、相当準備万端の品揃えだったような気がする。
当の本人は入院経験はないが、おじいちゃん、おばあちゃん、ママの入院に付き添っていた経験が活かされたと思う。

あと、個人的にお勧めなのは、100円ショップで売っている色々な色の「ふきん」(3 枚セットとかで売ってます)。
これは普通にふきんとしても使えるが、病室備え付けのサイドテーブルの上にひいたり、引き出しの中にひいたりしても使える。
ちょっと見た目にも華やかになるし、病院の引き出しに直に物を入れるのはちょっと・・・新聞ひくのももちょっとなぁ・・・という方にお勧めである。

最後に、スーパーのイトーヨーカ堂に行って、ハンドクリーム、抗菌ウォッシュティッシュ(少し高めでも「抗菌」の方がいいです)などを揃えた。

問題は、通信手段。
入院当日の朝まで迷っていたのが、「携帯」だった。

私は実は入院するまでPHSだった。
厳密に言うと、「入院する当日の朝まで」である。

私は、自分のPHSが気に入っていた。
スケルトンブルーで着信が来ると、電話全体が光って、おもちゃのようだった。
カラーでもないし、メールも使えないし、電話かけるだけのPHSであったが、KDDIさんの広告で松本人志さんが言っているように「話せりゃええやん、電話やし」。そんな感じであった。

が、入院にあたって、友達や仕事で連絡を取る手段として、どうしてもメールが必要になった。
そこで、思い切って、入院当日に手続きを行い、携帯に買い換えることにした。

これは大正解だった。
病院でも、私の仕事のことを考慮してくださり、また入院患者さんの中に現在、携帯で誤動作を起こすようなペースメーカー機器をつけている方はいないということもあり、時間を決めて携帯の使用を許可してくださった。
きっと「物事すべてルールどおり」の大病院ではそうはいかなかっただろう。

携帯の使用に関して、相談をしたとき、ある看護婦さんの言葉が印象的だった。

「携帯の電波が医療機器に影響を及ぼすことは事実だが、ある一定の距離を離すと電波の影響を受けないのも事実です。なんでもかんでもやみくもに携帯に反対するのは、私としてはどうかと思っています。患者さんだって、ライフスタイルがあるわけだし、仕事のこともあるでしょう。ルールを設ければいいと思っています。お互いに気持ちよく生活ができるよう。私が院長に相談してみます。」と。

変な感想に聞こえるかもしれないが、素直に「立派だなぁ・・・」と思った。

ダメと言われているからダメなのではなく、ちゃんと一患者の意見を面倒がらずに聞いてくれる。
ハッキリ言って、こんな小娘の携帯の許可問題ないなんて、この看護婦さんにとっては面倒な問題であり、解決したところで何のメリットもないはずだ。でも、ちゃんと聞いて、対応してくれた。すごく感動した。

おかげで、仕事のやりとりをメールでやったり、写真を撮って自分の状況を伝えることができた。
というのも、「伝染性単核球症」という病気のせいで、リンパ腺がはれ、のどの扁桃腺も腫れ、水を飲むのも困難なくらいになっていたのだ。しゃべるなんて、できやしない。もってのほかだった。

こうして、入院グッズが一通り揃い、私の入院生活が始まった。

入院してからは、すぐに私のおじいちゃん、友達や知人が駆けつけてきてくれた。
メールや手紙もいっぱいもらった。いつになくヘコんでいる私に、励ましや楽しい会話をしてくれた。あまりしゃべれないので、聞く専門になっていたが、会いに来てくれることが嬉しかった。



患者にとって、これが「一番大切な入院グッズ」なのかもしれない。






■今日のカメ

◆お花をいただきました。
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入院しているとココロが寂しくなるもので、お花はすごく嬉しいアイテムです。華やかで。患者さんの気持ちが分かりました。





◆DVDプレーヤー
入院に必要なもの。_f0232060_14172419.jpg
入院している時にDVDプレーヤーをいただきました。
点滴中、手がふさがっていて何もすることがないとき、よくこれで映画を見て過ごしていました。
「ハリーポッターと賢者の石」は入院中にDVDで初めてみました(笑)。あ、「ロード・オブ・ザ・リング」もだ。

古山さん、ありがとうございました。この場を借りまして、改めてお礼申し上げます。


◆配線ジャングル
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携帯充電、DVDプレーヤー、デジカメ・・と私の病室のコンセントはタコ足配線でも間に合わないくらいになっておりました(笑)。ホントに患者か?
by meshi-quest | 2003-06-04 14:15
どうもです。
昨年の入院日記の続きです。

前回の半年ぶりの更新で、美構図のweb masterさんが気を遣ってくださり、ご親切にトップページで「久しぶりの登場の・・・!」と私のコラムを華やかにご紹介してくださっていたのに、全く華やかでない「入院日記」が続く今日この頃(苦笑)。しかも、肝臓病の話。このギャップがたまらん(笑)。



今思うと、院長先生が気を回して、血液検査をしてくれてなかったら、きっと原因がわからず、もっとわるくなっていただろうと思う。感謝している。

医学素人の患者が自分の病気ついて、「たぶん、この症状の出方から察するに、肝炎だと思うので、血液と尿の検査をお願いします。」なんて言えるはずもなく、「痛い」「辛い」という感情と、「気持ち悪い」という自覚症状を伝えるのが精一杯。
病気になったときには、全面的に目の前のお医者様に頼るしかないのだ。

話は少しそれるが、私はそれを母の死のときに痛感した。

唯一の家族であった母をガンで亡くし、もう身内がいないことは前にも書いたが、当時は母はとある大学病院の、その病院では古株の教授先生に診てもらっていた。

もう1人、別の放射線治療の先生も母を診ていてくれており、その先生は非常に親身になって相談を聞いてくれたり、アドバイスをしてくださっていたのだが、入院後は残念ながら大学病院側の判断で、(病院内では格が上なのか)前者の教授が母の担当医となってしまい、放射線の先生とはお会いできなくなってしまった。

母が亡くなったのが10月末、最後に大きな検査をしたのは、その年の3月末だった。
実は入院後に始めて見せてもらった3月末の検査結果で1点、ちょっと気になる数値があった。

後に病院側は言葉を濁すようになったが、最初はハッキリと「ちょっと気になってはいたんですよ・・・」ともらした。
それを病院側は「検査するまでの数値ではない」と判断し、特に再検査をしなかったのだ。
繰り返すが、医学素人の患者は、何が悪いのか?、何をしたら良いのか?、検査がいるレベルなのか?、そんなことは分からないのだ。

私は、聞いた。
「なぜそう思ったのなら、検査を母に勧めなかったのか」、と。

答えは、「検査にもお金がかかりますので、患者さんにやたら勧めることは・・・ちょっと・・・控えさせていただいている」。

アホか。
1万、2万程度の検査で命にかかわることが分かるんだったら、誰がケチるか。くだらん。

この話がきっかけで、この教授に私は不信感を抱き、以後、教授、看護婦長なども巻き込んで、私はこの病院と戦った。

そんなことでいいのか?、と。
10年近くもの間、ガンで定期的に必ず診断に来ていた母の行為を無にしているではないか、と。

患者が自覚症状をもったときには時すでに遅く、その事前で数値とか検査とかで食い止めるのが医学を学んだあなた方の使命ではないか、と。

そんな気持ちで患者を診断する程度なら、いくら教授であろうが、いくら偉かろうが、医者という冠をつけて患者の前に出る資格は無い、とまで言ってやった。

教授とは連日連夜話をし、他の医者にも話をし、看護婦長にも話をした。
別に難しい話をしているわけではない。
「あの時」の判断を見誤ったならば、言い逃れをせずにそれを認めろ、それだけだ。10年信じて通った母に謝罪と説明をして欲しかった。
病院のメンツか?、地位か?、名誉か?、賠償金のことか?、何を気にしていたのか知らんが、「言い逃れ」だけは認めない、絶対に。

謝って済む問題では全く無いが、最後の最後まで理由も原因を分からず、「なぜこうなったのだろう・・」と無念に母がこの世を去っていくのは、娘の私としても、彼女としても納得がいかなかっただろう。

結果的には、母の衰弱のほうが早く間に合わなかったが、亡くなる数週間前に病院としては異例に教授を担当医からはずし、別の担当医をつけるという処置を取らせるまで論争を激化させた。

私も大学で法律をかじったはしくれとして、医療裁判がいかに難しく、手術ミスなど決定的な証拠が無い限り勝てないかは分かっていたので、裁判にこそしなかったが、弁護士も雇い、母の死後も教授と会って、話し合いを繰り返していた。

大きい病院は嫌いだ。
人を肉の塊としか見ていないのではないかとすら思う。
命のような、小さいのに何よりも大切なモノを扱うには、大きい病院は大きすぎるのだ。いくら医療設備が整っているとしても。



話を元に戻す。

私は院長先生がとっさに風邪ではない別の病気の疑いをかけて検査をしてくれたおかげで、結果的に、肝臓の数値が健康時の数十倍も高くなっており、吐き気も熱もここから来ていることがわかった。

ここの病院の血液検査は、検査会社に出しているので、翌日に結果が判明する。
まさか緊急入院と言われるなんて夢にも思わず、その日は家に帰った。

翌朝、早朝から1本の留守番電話が入っており、聞いてみると病院からだった。
内容はこうだ。「昨日の検査結果が出たのですが、相当悪いので、至急病院に来てください。」

今でもその留守電を聞いたときのゾクゾク感を覚えている。
こんな最悪の留守電を聞いたのは、初めてだ。
直に電話を受けるよりたちが悪い。
家から病院までの10分間、「相当悪いので・・」がエンドレスで頭の中にこだました。
相当体調も悪かったが、それ以上に心の状態が悪くなった。

病院に着いた私は、きっと今にも泣きそうな顔をしていたと思う。
院長先生は丁寧に検査結果と、どうして入院しなければならないかを説明してくださり、今日からでも入院して治療を開始するように言われた。

私は、入院したくなかった。
仕事が忙しかったのもあるが、病室で独りぼっちは絶対に嫌だった。
そして、何よりも、母の闘病中の風景がトラウマになっていて、病院は違えど「病室」という」ものに足を踏み入れたくなかった。

先生は再三説得をしてきたが、私はギリギリまでねばって、通院を申し出た。
実際、結果が出て入院するまでの数日は、1日点滴を2本(約6時間)を受けて、家に帰るという生活を送っていた。

自分でも分かっていた。
わがままが通せぬほどに、かなり体調が悪くなっていたので、「もう入院するしかないな・・・」と。

が、万が一、通院による点滴で回復の兆しが見えてきているのではないかと考え、11 月の終わりに院長先生に申し出た。
「もう一度血液検査をしてください。その結果が前回よりも悪かったら、おとなしく入院します。」

結果は、「おとなしく入院することになった」。
病院や家の行き来でカラダを動かしているので、結局回復はしていなかった。

2002年11月28日、私の緊急入院が決定した。
入院見込み期間は、初見で約2ヶ月。気が遠くなるような宣告だった。






■今日のカメ


◆朝食です。
病院について、まじめに物申す。_f0232060_14132844.jpg
ここの病院の食事はお世辞でなく、かなり美味しかったです、今思うと。
学食のような濃い味付けで、病院食にありがちな、薄い、まずいはなかったです。量も割りとありました。

朝は、6時に注射で起こされた後、7時半にご飯です。
朝のメニューは、ジャムを塗ったホットサンド、牛乳、煮物、フルーツです。
数十年ぶりに、毎朝、ビン牛乳を飲む生活をしてしまいました。キャ、新鮮!



◆夕食です。
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ウイルスの侵入で肝臓の数値が高くなっていたため、「肝栄食」という肝臓に良い食事が出されていました。

肉はほとんどなく、基本的に煮魚、卵、豆腐がメインでした。味が濃かったことが幸い。

ところで、入院していて、ずっと感じていたんですが、なんで病院ってまずそうな(苦笑)食器に盛るんでしょうね・・・。食器が変わっただけで、だいぶ雰囲気変わるはずなんだけどなぁ・・・。


◆お菓子たち
病院について、まじめに物申す。_f0232060_1414575.jpg
入院後、2週間ほどはこんなご飯たちも完食できないほど、衰弱していたのですが、3 週間目あたりから、元気を取り戻し、3食の病院食では足りなくなりました。で、これの登場。みんなに買ってきてもらったり、こっそりコンビニで買ってきたり(笑)。夕食が早いんで、夜に腹が減るんですよ。
by meshi-quest | 2003-06-03 14:12
どうもです。
前コラムで宣言していた闘病日記です。

去年、2002年12月時点の成沢に戻れる「文字のタイムマシーン」です。

なに?ご乗車されたい??
そんな、奇特なお方は、どんどん先に進んでいってくださいまし。さぁさぁ、ズズイと奥へ。




※下記は、2002年12月に入院していた成沢理恵が書いた日記です。

11月(注、2002年)に入って体調が悪かった。

症状としては、熱、だるさ、のどの痛み。
忙しかったこともあり、風邪かな?と思って、医者にも行かず、市販薬。そんな日々だった。

ところが、奮発して買った1500円クラスの風邪薬を2箱あけても良くならず。
11月中旬に大きな仕事を控えていたので、それが終わったら医者にちょっくら顔でも出すか・・・と思っていた。

今だから明かすと、11月中旬くらいから38度~39度の熱がエブリデーになっており、ユンケル等ケミカルドリンク&解熱剤で一時的に処置をし、自分をごまかしごまかし生きる日々が続いていた。

『その日』は突然やってきた。
11月下旬になると、とうとうごまかしも効かず、薬も効かず、もはや大好物のスシにも反応できなくなっていた。

吐き気の登場である。
とにかく、寝ても覚めても気持ちが悪かった。何もかもがつらかった。この吐き気度合いは、なんとも言い表しようがなかった。
二十数年間生きていて、あんなに吐き気と戦ったのは、初めてだった。

その頃から食欲はほとんど失せ、私は物を食わなくなっていった。
11月後半にいくにつれ、買って来てもらったモモの缶詰もゼリーにも吐き気を覚え、とうとうお茶の香りにも酔ってしまう始末だった。水分もろくに摂れなかった。

土日はずっとベッドの上でひたすら治るのを待ち、「寝てれば治る」という自分のうわごとを信じておとなしくしていたが、全く回復が見られなかった。
とうとう、平日に会社にも行けなくなっていていた。

11月後半のある日、こんなこともあった。
相変わらず原因が分からぬ絶不調であったが、お客様との打ち合わせの約束があったので、電車で会社に向かった。

が、めまいと吐き気が襲いかかり、途中の「自由が丘」駅で下車せざるを得なかった。
車の中で漫画が読んで、爆笑できるほど、車酔いには自信があった私が、電車ごときでフラフラになってしまった。

自由が丘はご存知の方も多いかもしれないが、閑静な住宅が建ち並ぶおしゃれな高級街だ。
そんな駅の、しかも朝の人通りの多い中、私は「吐く」という人生何本かの指に収まる屈辱を味わうのか?
そんな自分との葛藤と、葛藤とは全く関係なくマグマのように押し上げてくる吐き気に耐えながら、2時間近くその場に固まっていた。

なんとか、おしゃれな街中で吐くという行為はまぬがれたが、そのままタクシーで地元に戻り、病院に直行することになった。

こんなこともあった。
もうすでに食欲もなくなり、水分摂取もつらくなっていた頃、このままでは薬も飲めないので、2日ぶりにそばという食物を摂取してみることにした。

連れて行ってもらった蕎麦屋は美味しいと評判のお店で、いつもだったらてんぷらそばといきたいところだったが、エビなんて全く食べたいと思えず、卵とじそばという一番シンプルなそばを頼んだ。
そんなそばでも、2、3回すすっただけで、もうおなかがいっぱいになり、大半を残した。

そばすら完食できない自分にがっかりしていた時、突如、奥歯の差し歯が取れた。

熱である。
連日の39度近い熱のせいで歯が浮いてしまって、その影響で差し歯も取れてしまったのである。
踏んだり蹴ったり、泣きっ面にハチである。

熱が出て、吐き気がして、こんなにカラダだるくって、おまけに歯まで抜けるのか・・・。
本当に泣きたかった。

そんなこんなで、自分でも、自分にただならぬ異変が起きていることを認めざるを得なくなり、会社を休んで通院をすることになった。
病院は地元で子供の頃からお世話になっているかかりつけのお医者さんに行った。

一番最初に診てくれた若い先生の診断は、風邪だった。
本当はいつもの院長先生に診てもらいたかったが、その日はちょうどいらっしゃらなかった。
確かに私も少々こじらせた風邪程度にしか思っていなかったし、実際風邪と症状は似ていた。

風邪薬を処方してもらい、その日は家に帰ったのだが、翌朝に当社比1.5倍くらいの吐き気に見舞われ、院長先生に診ていただくことになった。
病院の対応がとても早く、すぐに院長先生が診てくださった。
そして、「気になることがある・・・」と血液検査をしてくれた。

これが、決め手になった。

翌朝早朝に病院から緊急の呼び出しがあり、肝臓の数値が健康な人の数百倍に上がっていることが分かり、「肝炎」の疑いをもって、入院が決定した。






◆マイ・ホスピタルベッド
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病院の布団があまりにも寂しいので、家から持参しました。
ここで約1ヶ月生活してました。



◆全体図
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こんな感じです、ベッドのまわりは。






◆本&漫画
入院することになってしまった。_f0232060_1485851.jpg
窓を利用して、簡易図書館設立。
友達が買って来てくれた本たちです。
ずっと時間がなくて読めなかった「ジョジョの奇妙な冒険」をお見舞い毎に友達が少しづつ買い足してくれて、おかげで病院でコンプリートしました(笑)。
by meshi-quest | 2003-06-02 14:06
皆様、お久しぶりでございます。
「久しぶり」というコトバでは片付けられないくらい、大変ご無沙汰しております。

去年の12月某日に退院してから書いた原稿が、まるでダイニングメッセージのようになってしまって、はや半年。
先日、しばらく会ってない友達からメールで、「長期の入院でつらいですね。何か重い病気なのでしょうか・・?」と心配のメールが(苦笑)。こうした「成沢未だ入院説」が流れる中、この半年、何をやっていたかと言うと・・・・・

これが、話すと長いんですわ。すんません。
追々お話していきたいと思いますが、一人で勝手に振り返らせていただくと、「半年ホントホント色々あったなぁ・・・」。そんな気分でして、このネタだけでご飯は10杯くらいいけちゃうほどです。

ある意味、去年の12月末に書いた最後の原稿は、あの当時における「ダイニングメッセージ」だったのかもしれません。
で、ゾンビのように復活。そんな具合でございます。
ゾンビでもいいんです。ゾンビ上等!


さてさて、時を去年の12月に戻して、実は入院中にずっと日記を付けていました。
日記なんか付けたの何年ぶりだろう・・・。生まれてこの方、初めて2日以上続いた日記でした。

本当は、「日記」ってダメなんですよね、私。
なんかこう・・・自分の未来の自分に今の自分を添削してもらうためのテスト用紙に記入しているみたいで(苦笑)。
書いている途中にだんだんと「今はこれでいいんだ!これしかできないんすっよ!」みたいな未来の自分へ反骨精神丸出しになってしまうので、いつの間にか虚偽発言していたり。誰にも読まれることないのに(笑)。

でも、入院中は思うところあったのか、せっせと何かあるごとに日記付けてました。
ちなみに、日記帳は、入院直前にコンビニで買った「ジャポニカ学習帳」(笑)。


その日記を、添削ぜずそのまま公開します。
病院で感じたこと、思ったことが素直に書かれていると思います。
私自身も、あの時の私が初めての独り入院で、医者から大病宣告受けて、そんな心情の中何を思っていたのか、懐かしんで読んでみることにします。

当時の自分に敬意を払って、あえて今の自分(未来の自分)からのコメントはしないこととします(笑)。





■今日のカメ




◆ジャポニカ学習帳
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この濃い緑の縁取りと、真ん中の生物がたまんないです。
すばらしい!


◆Q. 夏バテしてませんか?
長すぎた沈黙。_f0232060_144207.jpg

A. 早速してまーす(笑)!
最近暑い。もうダラけ始めています。もうだめです。
なので、餃子作ってみました。スタミナ料理です。やっぱ自宅で作る餃子が一番です。
by meshi-quest | 2003-06-01 13:59
プロフィール
ゲームプロデューサー
成沢 理恵
「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」シリーズで知られる㈱スクウェア・エニックスを経て、 現在、ちゅらっぷす株式会社取締役、兼、ゲームプロデューサー。

ヒマさえあれば、国内、海外を食べ歩き、遊び歩く、生粋の遊び人。

その経験は、ゲームづくりにも活かされている、はず……。
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