被災地・気仙沼へ行く。③ ~気仙沼中心部へ~
気仙沼へ行くまでは、正直、全く状況が分からなかった。
もちろん震災直後の映像は、何度も何度も放送され、見ていたので知っているが、
今、この時、どういう状況なのかがよく分からない。
仮設住宅の様子や各地で行われるイベント的な映像は見るが、
普段の町の様子などはあまりニュースに上がらないので、分からない。
それこそ、そもそも「店」というものはやっているのか?、
お茶やお水は町で買えるのか?(持ち込まないといけないのか)とか、
笑われるかもしれないが、正直、それすらもよく分からなかった。
結論から言うと、中心部の一部の施設は、営業していた。
魚民やブックオフなどのチェーン店から、
個人経営の生活用品店、寿司屋、ケーキ屋、スナックなども営業していた。
コンビニも2軒くらいあり、品物もちゃんと並んでいた。
仮店舗ではあるが、魚市場のような場所もあり、
気仙沼でとれる海産物やお土産なども売っていた。
とはいえ、営業している店の合間にあるたくさんの空き家を見る限り、
昔はもっとにぎやかで、もっとお店があったのだと思われ、
震災で亡くなってしまったり、建物が壊れて営業できなくなってしまったり、
他の土地へ移住してしまったり、様々な理由で大幅に減ったのだと思う。
今出来る人が、出来る限りのことをして、頑張っている。
私が出来ることは少なく、限られているが、
気仙沼の美味しそうな海産物をお土産に買わせていただいた。
東京に戻ってきて食べたかまぼこ、本当に美味しかった。
今回、町を見ていて、一番印象に残ったのが、パチンコ店。
大型のパチンコ店が数軒営業しており、駐車場も満車状態だった。
一番店を見かけ、一番目立ち、一番人がいたのは、ここじゃないかと思う。
良いか、悪いか、そんな話をするつもりはない。
ただ、その光景を見て、色んなことを考えてしまった。
複雑な気持ちになったのは事実だった。
■今日のカメ
■「男山」本店
銘酒「男山」の本店跡。元は4階建てだったそうですが、写真の通り、3階までの部分がすべて潰れ、4階のみが残っている。
■武山米店
創業130年の老舗で、重要文化財にも指定されていたという武山米店も被災。■通称「かまぼこ」
気仙沼港近くにある、気仙沼女子校の体育館。通称「かまぼこ」。平地が少ないので、上に体育館を作ったらしい。確かに、かまぼこ。浸水はまぬがれたそう。
■町の様子①
滑って流された家が、家にぶつかって止まっている。■町の様子②
港付近に建っていたビル。よく見ると、最上階部分の壁が壊れている。
■最上階をアップ
建物のこんな上まで津波が来ていたことが分かる。■町の様子③
窓が浮いているように見えるが、津波で半分切り取られたように無くなってしまった家。こんな震災直後の崩れそうな状態の家が、今も町中に残っている。
■町の様子④
傾き、今にも落ちてきそうな看板。■町の様子⑤
商店街の街灯も傾いていたり、折れ曲がっていたり、今にも崩れそうな状態。■足元
街灯の根元。地盤沈下しており、街灯が浮き上がっていて、押したら簡単に倒れてしまいそうな状態。■町の様子⑥
信号機も止まったまま。■町の様子⑦
子供たちによるボランティアだろうか、町のいろんなところにあった「瓦礫に花壇」。■町の様子⑧
気仙沼のメインストリートだった場所。全部を消失していた港付近に比べ、建物自体は残っているが、多くの人は高台などの仮設住宅で暮らしており、人はまばら。
■のぼり
町中に立っていた「がんばろう日本」「東北魂」などの言葉が書かれたのぼり。これを見て、なんだかせつない気分にしかならないのは、私がひねくれているからだろうか・・・。
■「cr」の赤文字
町中の至る所で見られる、赤いスプレーで書かれた「cr」の文字。震災直後、米軍が来て、救出完了した家に印を付けていった跡。「clear」の意。
■こっちにも
元・美容室だったと思われる、中に大きな鏡が並んでいた建物。ここにも「cr」の文字。
■こっちは丸
丸印が書かれているところもありました。■緑色の町
現地に行った人が、まず驚くのはニオイだと聞いていたが、本当だった。津波で町中が海水をかぶり、苔で町が真緑になっているところも。散乱した海産物の撤去もまだ十分ではないため、なんとも言えない異臭がする。
■地盤沈下
少し分かりにくいかもしれないが、道路と、その脇の土地に段差があり、約70センチほど沈下している。気仙沼全体が沈下しており、これを元の70センチに埋め立てて戻さないと、土地として使えないのだそう。
by meshi-quest
| 2012-03-15 01:20
| 旅行_国内


