過去と自由と
JR渋谷駅から出ている東急東横線に乗って、15分くらいのところにある駅だ。
ここは、私が中学高校6年間を過ごした町でもあり、色んな思い出が詰まっている。
中学高校の6年間は、正直、楽しくなかった。
特に、中学3年間はドップリいじめられていて、そのせいで、大方の友達は口を聞いてくれない日々が続いていたので、普通の子が友達と費やしていた時間は、黙々と独りで勉強をしていた。
おまけに、ちょうど家もぐちゃぐちゃの時だったので、学校にも、家にも休息できる場がなかった。
勉強くらいしかやることがなかったし、私から勉強を取ったら生きている意味がなくなると狂信的に思っていたので、必死に勉強をしていた。
何でもいいから、自分ができること、自分に自信が持てることを必死に探して、ようやく見つけた「勉強」というものにしがみついていた。
高校に入ってからは、クラス替えや中途入学者が入ってきたりして、環境も変わり始め、それと同時にいじめも薄れていった。
それでも、中学時代に勉強しかしてこなかったので、高校に入って、一番キラキラ輝いて遊べる時期なのに、どこへ行っていいのか、何をして遊べばいいのか、何を着ればおしゃれなのか、全く分からず、周りのおしゃれな女の子についていけず、結局、「勉強」に打ち込む日々が続いた。
そんなこんなで中高を首席で卒業し、生徒代表で送辞も答辞も読ませていただき、周りからも先生からも神童のように褒められていたが、私としては素直に喜べず、もちろん、本人も頑張って努力した成果ではあるのだが、ある意味「いじめ生活での結果」でもあり、嬉しい反面、なんだかスッキリしない感じではあった。
いま考えると、よくグレなかったなと不思議に思う。
きっと、ママの、私への愛情が、かろうじてギリギリのところで私を救っていたのだと思う。
大学入ってからは、周りに私の何十倍もデキる賢い人ばかりだったし、勉強とは関係のない私を評価してくれる友達に恵まれ、もう「勉強」は私だけの特権でも、居場所でもなくなっていた。
そのおかげで、服だったり、歌だったり、旅行だったり、趣味だったり、今の私になる土壌を形成する色んなものを吸収する素材と時間をもらった。
と、まぁ、そんなこんなで、「自由が丘」という町には、個人的に愛憎渦巻く感じがあり、気分次第で、天使にも、修羅にもなりそうな自分がいて、あまり近づかないようにしていた。
さて、話を戻して、自由が丘は、都内のおしゃれな町として雑誌やテレビでも紹介されてるようになったが、久しぶりに来た自由が丘は、私が学生時代に通っていた町とはだいぶ変わり、人も、店も増え、本当におしゃれな町になっていた。
お茶好きが高じて、駅前のお茶屋さんでバイトをしていたことがあったのだが、そのお店は、おしゃれな飲食店や美容室に挟まれながらも今も健在で、残っていてくれたことが嬉しかった。
自由が丘に来たついでに、10数年ぶりに、母校にも立ち寄ってみた。
「10数年」という月日は長く、道路挟んで左にあったはずのグラウンドが右に移り、右にあったはずの校舎が改築され、左に移っていた。
もうあの頃を感じるものも、思い出させるものも何も残っていなかった。
新しい世界が始まっているのだ。
今の私には、用がない。
さようなら。
全く別物のようになっていた母校を見て、なんだかスッキリした。
■今日のカメ
■熊野神社

■境内の様子

■小さな遊戯場

■パンダもありました

■本殿

■ざくろの実

■「ラ・ヴィータ」

神社もありますが、こんなベネチアの町を模したショッピングモールもあります。ここは、私が学生の頃にもありました。
■ゴンドラもあります

■「ラ・ヴィータ」モール内の様子

■やっぱりいた(笑)
