食わせがいのある女。

ママは料理の先生だった。

私にとっても料理の先生だったが、職業としても料理の先生をしていたことがある。



子供のときからよく食事の準備の手伝いをさせられていた。
買い物からはじまり、材料を切って、下準備して、調理して、味付け、盛り付け・・・「子供だからまだ早い」とか「ここからはママがやるわ」などということはなく、すべての料理シーンにおいて、常に私を隣に置いていた。
だから、子供のときから、小さな手に余る出刃包丁を持って、ママと並んで普通に調理をしていた。

自分から、「これ、どう作るの?」などと聞くことはなかった。
見ていれば一目瞭然だったし、実際自分も一緒に作っていたので、いつの間にか色んな料理が作れるようになっていた。

子供の時から、料理は嫌いではなかったし、手伝いも嫌いではなかったが、それでも当時は「させられていた」感が強かったように思う。
が、今は、料理における様々なスキルを身につけてもらったことを本当に感謝している。



中学生くらいから、自分に不思議なスキルがあることに気がついた。
それは、料理を瞬時に分析して、再現するスキルである。

例えば、外食をしたとする。
出てきた料理を食べただけで、だいたい何を使って、どういう調理方法で作られ、どんなもので味付けているかが把握できるので、家に帰って、全く同じ食材ではないにしろ、ほぼ同等のものが再現できるのだ。
舌の絶対音感というか、その料理が何で構成されているかが分かってしまうのである。

今思うと、小さいころから高級なレストランやら割烹やらに行くことがあると、必ず一緒に連れて行ってくれていた。
家によっては、「子供のときから贅沢なんてしなくてよい」というところもあるだろうが、うちは違った。

これは成沢家の教えなのだが、逆に子供のころから美味しいものや『本物』を食べとけという考え方で、食材、出し方、器、味付けやら盛り付けやらその場の雰囲気含めて、若いときから学んでおくべきだ、とされていた。
だから、子供のころから、相当色々な食データが舌に蓄積されていたのだと思う。

このスキルは、非常に便利だ。
今でも、外食して美味しかったお店の料理を自宅用にカスタマイズして、家で作ったりしている。
料理を作ってあげた友達に「どうやって作り方覚えたの?」とかよく聞かれるが、実は食べて、記憶しただけなのである。

一応、そういう面においては、非常に【食わせがいのある女】なのではないかと思う(笑)。
食わせるとそれを記憶するので、美味しいものを食べさせれば食べさせるほど、美味しいものが自宅で出され、しいてはみんなに還元されていく・・・であろう。たぶん。

こんなこともできる。
本屋で売っているような料理レシピ本。写真とざっくりとした材料さえ分かれば、分量や作り方など見なくても、ほぼ同一のものが作れる。
これも相当重宝しているスキルである。

しかしながら、こんなスキルを持ってしても、ママの料理の腕前にはかなわない。
野菜から飾り包丁で花やら鳥やらを作ったり、時間があるときはコーンポタージュとかを家でゆでたとうもろこしを裏ごしして最初から作ったりしていた。
料理好きが高じて食にあった器を求め、突如京都に出向いていったりした時もあった。

こんな家で育ったので、【料理】に関しては妥協を許さず、料理をめぐってママと論争することもあった。

昔、こんなことがあった。

休日の昼食に、私が焼きそばを作った。
それを食べて、ママが「野菜を炒めすぎている」という話をした。
その一言がきっかけで、半日口をきかなくなる大喧嘩になった。

彼女は彼女なりに、野菜の歯ごたえを残しつつ炒めるべき・・・という独自の焼きそば論を展開し、私は私で、野菜をしんなり炒めることでそばの軟らかさと相まって・・・しかも、ソースとよく絡み・・・という独自の焼きそば論を展開した。
結果は、当然だが平行線だった。

今、思うと、どーでもいいことだし、むしろ焼きそばの野菜の硬さなんてもう好みの世界に突入しているので、なんでこんなことで大喧嘩したのかナゾなのだが(苦笑)、そんなこともしばしばあった。

こんなこともあった。

あるとき、みりんを必要な料理を作っていた。
その料理が何だったかはもう忘れてしまったが、とにかくみりんが必要で、家にきらしていたので、買ってこようと思ったら、ママが「酒で代用できる」と言った。それがきっかけで、これまたもめた。

彼女としては、みりんを買うなということではなく、代用することで作れてしまうという応用力のある料理スキルを教えたかったのだろうが、私は「みりんなくしてこの料理なし」くらいのイキオイで応戦した。
今思うと、この件に関しては、酒で代用できたと思うのだが。



今、家では、自炊をしている。
仕事柄、時間が不規則なので、スーパーが開いている時間に帰れないときは仕方がないが、なるべく夜や休日は家で作ることにしている。

家で作るほうが、自分で好みの味付けができるし、自分で言うのもなんだが、そこいらで食べるより自分で作ったほうがよっぽど美味しいのだ。

例えば、トマトソースのスパゲッティ。
うちではホールトマトと白ワインからソースを作るのだが、家であればトマトの濃さなども自由に調整ができる。
たまに、外のパスタ屋でトマトを薄めたようなマズイパスタを出す店があるが、ホント家で作れば良かった・・・と思う。

また、外のレストランで「えびとしめじのトマトスパゲッティ」というメニューがあったとする。
で、今、えびも食べたいが、ツナも食べたいとする。
が、ツナを食べるためには、別メニューの「ツナとしめじのトマトスパゲッティ」を頼まねばならない。
なんとも悩ましいではないか。
でも、家であれば、えびとツナを入れた上に、ホタテを加えちゃったりもできる。ゴージャスしたい放題である。
そんな自由さ加減も自炊の良さの1つである。



よく、手料理の対価は食べてくれた人の笑顔と「美味しい!」の一言であると言われるが、ホントそう思う。
料理作るのは大好きだが、それも作る人と食べてくれる人で成り立っているのである。

食べてくれる人が「美味しい!」と笑顔で言ってくれる限り、私は喜んで料理を作り続けるだろう。
某居酒屋の「はい!お客様、よろこんで~!!」の精神で(笑)。







■今日のカメ。

料理好きが高じて、家にとんでもない数の食器があふれている。
食器好きなのだ。

置く場所がもうないくせに、服と一緒でいいものがあると、「一期一会」と自分に言い聞かせて、買ってしまう(笑)。
先日もまた買ってしまった。

近々、引越しをする予定なのだが、そうしたら、台所の大きい家に住みたいな、と思う。
そして、心おきなく食器が買えるように、巨大な食器棚をおきたいと思う。
◆ニューフェイス。
食わせがいのある女。_f0232060_14495043.jpg 先日買ったベトナム製のスープ茶碗とうずまきの中皿。
早速使っています。食器を買うと、それにあったこんな料理を作ってみよう!と色々発想が沸くのです。





◆白菜と葱の鶏がらスープ。
食わせがいのある女。_f0232060_14501212.jpgベトナム製のスープ茶碗に合わせて、鶏がらスープを作ってみました。

一切、だしの素などを使わず、野菜と鶏がらでだしをとった白湯のスープです。
茶碗の中の模様が隠れないように、白湯にしてみました。
by meshi-quest | 2003-09-15 14:48
プロフィール
ゲームプロデューサー
成沢 理恵
「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」シリーズで知られる㈱スクウェア・エニックスを経て、 現在、ちゅらっぷす株式会社取締役、兼、ゲームプロデューサー。

ヒマさえあれば、国内、海外を食べ歩き、遊び歩く、生粋の遊び人。

その経験は、ゲームづくりにも活かされている、はず……。
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