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第3回 冷麺、温麺、平麺、ぐちゃ麺、連続麺、百鬼夜行のみちのく北上旅 後編 
鈴木浅右衛門

 その足で仙台駅のそばにあるエスパル地下の『みやぎ乃』に行った。
 ここには白石市の「うーめん」がある。うーめんも立派な出場資格があります、と麺の甲子園審議団から強い意見が出ていたのである。
「のう三太夫。うーめんとはどんな味がするんじゃ」
「とにかくうーめえんでござる」
 今泉三太夫がお約束通りの返事をする。
 小あがりに我々の席ができた。その隣に仙台の幼稚なガキカップルがすわっていてけっこう広いテーブルをはさんで向かいあった位置から顔をくっつけてぐちゃぐちゃしている。おまーらどういう態勢をとったらそんなコトができるんだ。不思議だが、しかしうーめん屋で仙台の青少年はそんなふうにぐちゃぐちゃするな! 日本はバカ豊かな国だからおまえたちバカ若者はその気になればもっと本格的にバカぐちゃぐちゃするバカ場所がいっぱいあるではないか。もうこうなったらおまーらはうーめんなど食わないでさっさとそういうところにいってヒト目に触れないところでとことんまでぐちゃぐちゃしていなさい! などと怒っているうちに我々のうーめんがやってきた。
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 初めていただくものである。うーめんの冷や盛りを頼んでしまったのでせっかくの「温麺」のあたたかーい持ち味が異なってしまうようだが、しかしこのきっぱり冷えたうーめんがうまい。いや間違えたうーめえんだ。
 まず麺そのものがいい。シンプルでいながら懐が深い。天ぷらをのせて食べると「いやはやまいりました」と手をつきたい心境になった。
 うーめんは、その昔、白石城下に住んでいた鈴木浅右衛門という孝行息子が長い病に臥(ふ)せって何も食べられなくなった父親のために何か父親が食べて力のつくものはないかと必死に捜し求めているときに、たまたま旅の僧から油を一切つかわないうーめんのつくりかたを聞いてそのとおりにつくり、父親を全快させたのがコトの始まりという。
 その次にきた「カキうーめん」もうまいのなんの。「ガキうーめん」ではなく「カキうーめん」ね。つくづく感心していると隣のガキカップルはからみあいながらうーめんを食っている。
「あのなあ、おまーら。おまーらの住んでいる仙台にはむかしむかし鈴木浅右衛門という人がいてな……」
 ガキカップルはからみつきあいながら二人して複雑なところから手を出してうーめんをすすりながら言った。
「うーるせんだよ」
 すいません。

ひとりわんこ

 翌日早く盛岡へ。ここで東京から直行してきた麺の甲子園審議官の楠瀬と合流した。電話で聞いていたとおりステッキをついて痛々しい歩き方。持病の痛風が出てしまったのだという。二年ぶり、四回目。ほぼ介護求む老人と化した楠瀬をいたわりながら「東家」に行った。
 盛岡名物「わんこそば」の老舗である。
 二階の席に通された。用意のエプロンをつけてすぐに試合開始。タスキをかけた中軽米(なかかるまい)さんという炊いたらおいしそうな名のおねえさんが片手に二十杯ぐらいのわんこそばをのせたお盆を持って「ハイヨ!」「じゃんじゃん!」「まだまだ!」とまことに威勢がいい。椀の中には一口ぐらいのそばが入っていてうっすらと味がついている。これを「さあこい!」と言って口の中にほうりこみ飲み込むようにして食べる。空いた椀に○・二秒ぐらいでおかわりが入ってくる。急がなくてもいいのだがタスキがけのお姉さんに「ハイヨ!」「じゃんじゃん!」と言われてしまうとじゃんじゃんいかなくてはならないような気持ちになる。でもそんな餅つきのリズムでじゃんじゃんいってしまうと本日はこの店一軒で終わりということになる。
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 この椀十五杯で大体普通のモリソバ一杯ぶんぐらいになるというので二十杯ぐらいでギブアップ。(グラビアの写真は佐藤カメラマンのやらせで大袈裟に椀が積まれている)
 普通は大人の男で五、六○杯はいくという。この店の最高は四百二十杯。「わんこそば全日本選手権」というのがあって最高記録は五五九杯という。
 かえりがけに隣の部屋でひとりわんこをやっている小太りのおたくっぽい青年を見てしまった。「わんこおたく」だ。背中を丸めひたすら食っている青年の前にたちはだかったタスキ姿のお姉さんが攻めたてている。「ぼくもう……」「だめだめ!」「ひいひい」「はいよ!」「ひいひい」「まだまだ!」。

完全なるぐちゃぐちゃ系

 このわんこそばと「じゃじゃ麺」「冷麺」が盛岡三大麺と言われている。つまりは東北屈指の激戦地。
 続いてそのじゃじゃ麺の「白龍(パイロン)」に行った。もう昼近いので行列ができている。なんと雪が舞ってきた。「粉雪舞い散る荒野のじゃじゃ麺」だ。むきだしの手が冷たい。
 じゃじゃ麺は皿の上の茹でたばかりのくたっとした腰のないうどんにキュウリ、長ネギ、おろしショウガをかけ、肉味噌をくわえて全体をぐちゃぐちゃにまぜ、塩、コショウ、酢、ラー油、おろしニンニクなど好みの調味料を好きなだけ投入して好きなようにまたぐちゃぐちゃにして食べるという完全なるぐちゃぐちゃ系である。
 食べおわると卓上にあるタマゴを割りいれて「ハイ」と言って厨房に差し出すと熱いスープを入れてくれるのでそれが仕上げ。このとき皿に少しだけうどんやキュウリのかけらを残しておくのが通らしい。
 味のアクセントは皿のあちこちにこびりついた肉味噌である。見たかんじちょっと汚いが、なに自分の残りを自分で始末するのである。
 続いて「冷麺」へ。これは盛岡にくるたびに食べているので駅前の二大食堂の味はよく知っている。そこでまだ行ったことのない「三千里」へ。狭い店にヒップホップ系のBGMがガンガンなりひびいていてやたらにうるさい。「冷麺に似合わんじゃろが」「せわしなくていかんわ」「まちがっとるけーのー」審議官はいろいろなお国言葉になってそれぞれ黄色いカードを掲げ二○点減点。
「音楽低くしてくださらんかのー」と頼んだらすぐに下げてくれたのでたちまち一○点復活。やがて登場した「冷麺」がうまかったのですぐにもう一○点復活。
 しかしそれにしてもまたもや「盛岡冷麺」の堂々たる底力を知らされた。味、腰、コク(投、打、走)に文句のない仕上がりである。

垂れさがるもの

 再び新幹線「はやて」に乗って八戸へ。目的の場所みろく横丁に直行した。ここにはラーメン屋や飲み屋の屋台が集結しており「浜ちゃんラーメン」という店に日本唯一の「ホヤラーメン」があると大会役員が聞いていたのだ。屋台に引き戸がついたような小さな店にお姉さんが二人。
 ホヤと聞くと本当のホヤのうまさを知らない人はすぐに「ええ? ウソー」などと幼稚園声をあげるが、いちど三陸の夏のホヤを食べてみなんせ。こんなにうまい酒の肴はないですよ。
 日本だけではない。ほんの二月前にシベリアの北極圏でホヤを常食にしているユピック(シベリアエスキモー)の取材をしてきたばかりだが、彼らは氷海に穴をあけてホヤをとり、茹でたりサラダにしたりスープにしておいしく食べていた。日本は恵まれすぎているのでこういう本当のうまさを知らないだけなのだ。
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 あつあつのホヤラーメンをすする。あまくてやわらかい海のかおりがする。
「のう三太夫。うまいじゃろうが」
「これがホヤとはホヤいかに」
「三太夫はぎゃぐがへたじゃのう」
「ホヤホヤホヤ」
「笑ったつもりかのう」
 ふたたび三太夫を手打ちにして、レンタカーで田子へ。
「ホヤの次はタコでござる」
 血だらけになりながら三太夫がくいさがる。しかしタコと書いてタッコと読むらしい。秋田県と岩手県の県境あたりまでまた戻ってきたのだ。「にんにくの首都」という看板がある。「田子(たつこ)町にんにく国際交流協会」というなんだかものすごい組織の上平会長が「かっけ」を作ってくれることになっている。かっけとはなにか。
 小麦粉と蕎麦粉を使うものがあるがどちらも麺と同じ製法で作り、薄く延ばしたのを細くしないで三角形の、ワンタンかギョーザの皮のようなものにして茹でて食べる。むかし食糧事情が悪く米などなかなか手にはいらなかった時代に隠れるようにして作った一種の代用食のような郷土の料理らしい。
 この地方にしかないもので、世間にあまり知られていないが、土地の人には愛着のある食べ物のようでこのあたりだけで流通しているパック入りの既製品もある。
 その日は大根、豆腐と茹でて味噌をつけて食べるというやりかただった。なるほどひっそりした食べ物であり、昔は侘しかっただろうが、今は健康的でさえある。痛風で魚や大豆やカツオブシや煮干しダシなど食べてはいけない楠瀬にはぴったりの料理でもある。
「しかし、これも麺と呼べるのだろうか」
「なんとなく麺ですなあ。口から垂れ下がるし」
 麺の規定に「垂れ下がり率」という新しい基準ができた。
(次回は東北・日本海側地区大会)
# by shiina_rensai | 2006-07-12 16:45 | Comments(1093)

第3回 冷麺、温麺、平麺、ぐちゃ麺、連続麺、百鬼夜行のみちのく北上旅 前編 
葱と矢印

 会津若松と日光をむすぶ谷あいの山道をしばらくいくと、いくつかの峠を越えたあたりに大内宿があった。時代を経てくすんだ色の旅籠ふうの家や、地のものを売る店などがひっそりと軒をつらね、冷たい風がころがるように吹き渡っていく。むこうから木枯し紋次郎が歩いてきてもちっとも不思議ではない風景だ。もうとうに青葉の季節だが、山の上にはところどころまだ雪が残っている。道が悪いのか道中よく揺れた。
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「どうやら着きましたようで」という声で私は籠を降りた。いや籠じゃなくてタクシーだった。
 最初に訪ねた店はかやぶき屋根の大きな農家のような造りの『三澤屋』であった。
「ここの高遠そばは、箸ではなくて葱で食べるので有名です」
 と、三太夫じゃなかった、今泉が先を歩きながら言う。どやどやと我々麺食い団合わせて四人が店の土間に入った。ほかに杉原と佐藤である。真っ赤な炭をいけた大きな火鉢のまわりに先客が十人ほど期待におちつかない顔で待っている。子連れ、家族連れが多いようだ。
 三十分ほどで席に通された。畳敷きの大広間。太い木の梁が重厚である。迷わずウワサの「高遠そば」を頼んだ。大根と柿の漬物がお通しにでる。おいしいのでこれを肴に一杯やりたいところだがまだ昼前であった。
 大ぶりの丼にそばがたっぷり。汁には大根のうまみがある。なるほど見るからに腰のしっかりした長葱が添えられている。
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 やってみると一本の葱でけっこう的確にそばをたぐりよせることができ、端のほうにひょいとひっかけて口もとにもってくることができる。そばを噛み、ついでに葱をひとかじり。
 どうだどうだ。薬味とそばを同時にかじることができるのである。
 だからそれがなんなんだ、と言われると困るので言わないでもらいたい。
 箸のかわりに葱を使うという発想は、このあたりでは酒の肴によく葱に味噌をつけて食べていたのでそれを見て店の主人が「うーむ」などと考え、応用したらしい。
 葱は何本でもおかわりできるので二本の葱を箸のように使って食った。
「三太夫、間抜けに見えるかのう」
「いかにも」
 言葉を知らない三太夫を手打ちにして外に出た。
 旅はその大内宿をかわきりにこれから宮城、岩手、青森へと続く。
 次にめざすは白河である。籠でいくと三日かかるというのでまたタクシーを呼んでもらった。そこから白河まで約一時間。
 このあたり、白河ラーメンというのが一派をなしていてめざすはその代表的な店「とら食堂」である。
 田舎の一本道のわりにはなかなか見つけにくい店であった。理由は道ばたの看板の矢印にある。要所要所でわかりにくいようにわかりにくいようにしてある。
「のう三太夫、これはなぜじゃ?」
「敵をあざむくためかと……」
 手打ちからしぶとく生き残って血だらけになりながら三太夫今泉は説明する。
「なるほど」
 無意味に納得してしまうバカ殿様であった。田んぼの前に御殿のような建物の「とら食堂」があった。午後の中途半端な時間ながらすでにかなりの客が入っている。ラーメンはごく普通のものを頼んだ。
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 客はここらに住む人々が中心らしくおだやかに嬉しそうに食べている。家族連れの子供の一人が「あーうまーい」などと真剣に言っている。東京の有名ラーメン店の、滑稽なくらいに緊張して無意味にシーンとしているバカラーメン空間と比べると「そうなんだ。ラーメン屋はこれでいいんだったよなあ」と思わせる自然の安らぎがある。手打ち麺で、スープは鶏ガラ、豚コツベース。麺のゆでかげんも固すぎず柔らかすぎず。おだやかな農家のひだまりのような、人ガラのいいラーメンであった。

なか三時間問題

 白河から新幹線に乗って仙台へ。
 今回の「麺の甲子園=東北・太平洋側地区大会」は二日間で太平洋側の三つの県を回る。松本清張の推理小説ばりの綿密な移動スケジュールをたてたのは杉原大会役員。役員みずから走ってキップを買いにいく。あとのものは本日のスケジュールに従って綿密な胃袋の調整スケジュールをたてる。
 朝飯、昼飯、晩飯という常識的な組み立てがない過激連続食の「勝負の世界」であるから胃袋とそれに付随している空腹満腹神経の調整が重要である。
 したがってすべての「出場麺」を全部全力で食ってしまうわけにはいかない。相手の情報をあらかじめつかんでおき、野球の試合でいったら先発、中つぎ、抑えの戦力配分をうまくたてた作戦つーものが必要である。
 しかしこれでは食べる順番だけでも不公平がでる。後になって満腹状態になった麺ほど不利になり、全部の出場麺に対して公平な審判はとてもできない。
 そこが問題であった。
 まあ理想をいえば全部の麺に対して常に空腹神経みなぎってヤル気まんまんの先発投手型で挑んでいきたい。それにはせめて「なか三時間」の消化余裕がほしい。
「そうでないと我々はWBCのあの問題審判ボブ・デビッドソンみたいな愚かなジャッジをしてしまうかもしれないぞ!」
「ひとつひとつの麺に対する正しい評価をくだすための改善要求としては、まず我々をしかるべき温泉宿に泊めて、そこからリムジンの送り迎えでその日めざす麺の店に行き、その日食べるのはまあせいぜい午後二回、せいぜいあわせて三麺というところかなあ。夜は明日にそなえてゆっくり温泉に入ってまず全身マッサージおよびアロマテラピーかなんかやってもらって……」
「いま流行りの岩盤浴とかゲルマニュウム温泉にも入りたいですな。そのあと高濃度酸素デトックスカプセルというのとリフレクソロジー、つまり、足マッサージですな、そういうものをやっておく必要もある」
 三人でそのようなことを声高にほざいていると、
「さあ、仙台だ。すぐに冷し中華だ」
 杉原大会役員が有無を言わせぬ口調で言った。
愛と悲しみの冷し中華
『龍亭』は「冷し中華」の発祥の店である。大きな通りに面した立派な構えの店だった。そこらの町のラーメンとは格の違う「中華料理店!」というたたずまいで、中に入るといわゆる正統的中華的改喜文的喜喜喜喜模様的装飾の施された店内には二胡(にこ)のかなでる低い音楽が聞こえる。客は誰もおらずおもわず「たのもう」などと言いたくなった。
 ここでは「冷し中華」などと呼ばず涼拌麺(一二○○円)という。具と麺が別々である。細長い皿に「くらげ、鶏肉、ハム、きゅうり、チャーシュー、錦糸卵」が丁寧にきちんと並んでいる。醤油ダレと胡麻ダレの二種類あって全体にゆるぎない高級ムードだ。
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 昭和一二年に「夏にも食べられる中華麺を」という思いで『龍亭』の経営者をリーダーに、当時の仙台中華料理店組合が協力しあって日本で最初の「冷し中華」を作ったのだという。しかし東京にも冷し中華発祥といわれる店がある。横浜にもあるらしい。
 麺の甲子園にあって「冷し中華」の位置は微妙だ。全国に根強い圧倒的なファンを擁しながら常に宿命的な問題を抱えてきたからである。夏にしか登場しない、という特殊性である。さらに本拠地がはっきりしない、という戸籍上の不備もあった。
「夏にしか存在しないので“春の選抜甲子園”に出場できない、というハンデもありました」
 杉原大会役員が説明する。
「春の選抜なんてあったっけ?」
「あったじゃないですか。あったんです。あったような気がします」
「そうかなあ」
 一九七五年。ジャズピアニストの山下洋輔さんらが、
「うどんもソバも冷や盛りにして冷たいタレで一年中食べることができるのに、なんで冷し中華だけ冬はないのだ!」
 と、突然怒って「全日本冷し中華愛好会」という大組織を作る(もちろん冗談で)と日本中でそのエスプリが爆発した。様々な論客があらわれ、冷し中華のルーツを辿る論議では「バビロニア説」や「韃靼(だつたん)人トコロテン説」などを唱えるものが次々に現れ、その食べ方も「教条派」や「武闘派」などが登場し、日本には珍しい知的場外乱闘をみんなで楽しむという輝かしくも不思議な事件がおきた。
 あれから幾星霜。かくも多くの熱狂的ファンを抱える「冷し中華」の置かれている位置は、当時とあまり変わっていない。冷し中華はセミやカナブンやスイカのように、夏になると突然あらわれては盛夏を謳歌し、やがて力つきるように寂しく何処かへ消えていってしまうという宿命の歴史を繰り返している。
 冷たい風が夜の街を走り回る中で『龍亭』の高級冷し中華を食べる。
 麺が絶妙でたいへんおいしい。しかし、その先入観からくるのか、あるいは食うほどに冷えてくるからなのか、その夜の冷し中華はどうもいまいち若さが足りないように思えた。
(後編へと続く)
# by shiina_rensai | 2006-06-21 21:27 | Comments(1518)

第2回 讃岐うどん ひやあつぐねぐね 街道を行く (後編)
 そこからさらに車を飛ばして徳島県よりの山奥にある琴南町の「谷川米穀店」へ。
 ここは十一時に開店して午後一時までの営業。ただしその朝打ったうどんが売り切れてしまえばそれでその日は終了、という油断のならない店なのだ。
 杉原の運転する車はどんどん進み、どんどん山の中に入っていく。人里はとぎれとぎれになり、緑いよいよ深くなり、トンビが空を舞い牛が草をはみ炭焼きがひなたぼっこをしている。おい三太夫、じゃなかった今泉、大丈夫か、このまま江戸時代に行ってしまうんじゃないだろうな。 
やがて両側に深い山が迫る谷間のあたりにひっそりとした落人の集落のような場所があった。到着だという。谷川のせせらぎが光る。なるほど谷川に面した谷川米穀店。こんなところにヒトはいるのかと思ったが妙に路上駐車が多い。
「高松の郊外や田舎でうまいうどん屋を探すには路上駐車の多いところをみつけろ、という諺があります」
 高知生まれでこのあたりの事情に一番詳しい楠瀬が解説する。マサイ族の諺に、よわった獲物を探すにはハゲタカの舞う下に行け、というのがある。
 路上駐車の中心部に向かっていくと谷川米穀店専用駐車場というのがあったがすでに満車であった。しかしそれにしてはヒトそのものの姿がない。やがて杉原が谷川のそばに小さく「うどん」と書いてある農家のようなものを発見した。屋根からよく燃焼した煙がうっすらと流れている。目標は特定された。いよいよ突撃である。
「行け、カービー。左に回れリトルジョン!」
 我々は静かに緊張して攻撃態勢をとり散開した。いや別に散開する必要はなかった。
 杉原がその民家のごくごく普通に見える入り口の引き戸をあけた。
 その時の光景をわたしはいまだに忘れることができない。
 そこに来るまでただひとりの村人の姿も見なかったのにその民家の一見さびれた工場廃墟のようなところに、ぎっしり人間が詰まっていたのである。ざっと六○人。ぎっしりうまった人々は座ったりしゃがんだり立ったりしてみんなうどんを食っていた。老人もいればわかい姉ちゃんもいる。おばさんもいればサラリーマン風もいる。それらの人々がみんな黙ってうどんをすすっていたのである。ある種のサイコスリラーといっても通用する風景であった。カフカかパトリシア・ハイスミスか。
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 今この店の中にいる人々の数はおそらくこの山の集落の人口より多いであろう。おお、人間というものはうまいうどんを求めてかくもしぶとくこんな山峡にまで入り込んでくるのである。
 店のかたわらで若い男とおばちゃん数名が忙しくたち働いている。品書きには「うどん大二一○円。小一○五円。タマゴ三○円」とある。だしはなく、テーブルに置かれた醤油(瓶のまま)、酢、ネギ、自家製青唐辛子などを適当にぶっかけて食う。我々はかろうじてあいた隅に肩よせあって座り、小一○五円に醤油をかけて食う。「なんだか純文学みたいなうどん屋ですね」
楠瀬がなかなかうまいことをいう。もうはやらないが、つまりはプロレタリアうどんか。「蟹工船」というのがあったがここは「うどん工場」だ。聞けば高松市内からガソリン代だけで大盛り五杯分ぐらいかけて一○五円のうどんを食いにくる人もいるという。あっ我々もそうではないか。シンプルイズベストを感じるうどんであったが、あの待避壕のような極限的土間食堂の意味はなんだったのだろうか、という未消化の疑問が残った。

マツケンサンバうどん  

謎を抱きながら金刀比羅宮へ。
 杉原が次に選んだのは「中野うどん学校」であった。
「陸軍中野学校に似てますがここは一人一五○○円でうどんの作り方を実戦体験学習できます」
 愛想のいい店の経営者に迎えられて「まっちゃん」というえらくテンションの高いおばさん先生の指導のもと、まずは「うどんとは何か」の理論学習。
 先生は少なく見積もっても同じことをもう五○万回は言っているようで、言葉は淀みがないが淀みなさすぎて空をトンでいくようなお話しぶりでうどんのできるまでを教えてくれる。それによると、うどんとは小麦粉と塩と水で出来ているのであった。まあうどんに松茸とか上カルビとか中トロが混ぜられているとは思わないが、しかし一人前一○○グラムの小麦粉とひとふりの塩でできているのだ。要はそれをいかにうまくこねて打って茹でるかなのだ。おばちゃん先生の少なく見積もっても五○万回は言っているおばさんダジャレ「細く長く生きるのよ」とか「わたしゃめんくい」などの連発攻撃にさらされながら自分の一○○グラムうどんを練り、それをビニール袋にいれて足で踏むことになった。そういえばこれまで歩いたどの人気うどん屋も奥のほうでいろんな人がうどんを足で踏んでいる姿を見た。
「リズムにあわせて踏むといいのよう」
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 まっちゃん先生はあくまでも明るく、一人ハイテンションで音楽スタート。みんなで踊りながらうどんの素を踏む。「青春時代」「恋のマイアヒ」「空海いろは音頭」と続き、きわめつきは、アレはなんというのであろうか。紅白歌合戦などのバックステージで踊っている人が持ったりしているキンキラ飾りのついた棒を二本もたされ「マツケンサンバ」をうどんの上でやらされたときは頭がクラクラし、この学校を即座に中退したくなった。でもこのうどん学校にくる観光客はこういうのがいいらしく、まっちゃん先生はもう七○万人ぐらいの卒業生を出しているという。まあ一時間で修業式ですけどね。

うまうどん、みすぼらの公式
 
高松市にもどり、通の間では伝説的に有名という池上製麺所に行った。ここは午前十時から十二時半。そして夕方四時から一時間だけ営業している。着いたのはまだ四時前だったが近くに開店を待っているらしいやや暗めの「うどんお宅」ふう青年が二、三人。すぐそばを流れる香東川の土手にも何台か不審車ふうが止まっていて中に人の姿。張り込み中のクルマに見えないこともないが開店をじっと待っているのがミエミエである。我々もそうなんだけど。
 河原に立て看板。ここで駐車されると迷惑である、ということが怒りのこもった文で書いてある。近所の人が建てたようである。ピークにはきっと違法駐車の列になるのだろう。
 このうどん屋さんは若者三人となかば名物と化したおばあちゃんとでやっている。全体が町工場のようで、外にテントがあってどこかで拾ってきたような事務用スチール机が五つか六つ並べられ倒産した会社のよう。ブロックを積んだ上に板が渡されていてそれが長椅子がわりのようだ。板壁に貼ってある古びた共産党のポスターがわずかにはかない色どりをつけている。
 開店時間がちかづくとどこからともなくじわじわと「うどんお宅」っぽいのが集まってきた。うどん玉ひとつが七十円。タマゴ三十円は実に良心的に安い。ダシ汁は洗剤を入れるような透明な容器に入っている。食べおわったドンブリは自分で洗って下さい、と書いてある。大きな透明ゴミ袋にワリバシがどさっ。タマゴの殻がドサッ。ちゃんと分別されている。料金は自己申告制。
 さっき寒風の中でじっと背中を丸めて待っていた暗い顔をした青年はうどん四玉注文し、湯気のあがるそれを両手に持って今やこんなにしあわせな人生はない、という顔をしている。
 打ちたて、茹でたてのうどんに葱と生醤油をかけて食う「ぶっかけ」がさぬきうどんの王道という。
 それにしても、さぬきうどんの製麺所系は何故にどこもこんなにみすぼらしい状態になっているのだろうか。もうひとつ有名な丸亀の「なかむら」は、ぼくが行ったときは掘っ建て小屋風で、メニューはダンボールの切れ端に書いてあった。葱は裏の畑に行って自分で引っこ抜いてきて刻んで食うというのが有名だった。その近くにヒト呼んで「うどん御殿」なる立派な自宅があったりする。でもこういう店のうどんは安くて本当においしい。みすぼらしいほど「うまい」という風評、公式のようなものがあるのだろうか。
 ところで気になっていたのはうどん王国高松におけるラーメンの地位である。今回あらためて高松の町や農村を歩き、注意して見ていたのだがほかの土地なら必ず目にするラーメンの看板や風にはためく広告旗を殆ど見なかった。
「当然ながら隠れキリシタンのごとく高松にもラーメン屋があります。ただし当然ながらひっそりとしています。いじけています。時には自暴自棄になって鳴門だらけの鳴門ラーメンなどというまずいものをだし、自爆テロまがいのことをしています」
「それは嘘だろう。今泉」
「嘘です」
 満腹のあまり今泉が自暴自棄になっているようだ。彼をさらにいたぶるためにだめ押しで市内のあるラーメン屋にはいった。『たぬきラーメン五○○円(天カス入り)』という、品名からしてすでにそうとうまずそうなものを注文したが出てきたものは考えていたよりもさらにまずかった。
「のう今泉。なんでこんなまずいラーメン屋があるのだろう?」
「おそらく高松のうどん関係者が集まっている何かの組織の陰謀かと……」
 はて。
「いま世界は、つまり高松以外のソトの世界はうまいラーメンの群雄割拠の時代です。高松の人がよその土地に行ってもそこで禁断のうまいラーメンなど食べてそのことに気がついたりしないように、高松にはまずいラーメン屋だけを置いておいて『まいんどこんとろうる』などをして、という高松うどん界の暗黒組織が暗躍しているものと……」
「それは嘘だろう。今泉」
「嘘です」
# by shiina_rensai | 2006-05-19 16:03 | Comments(4650)

第2回 讃岐うどん ひやあつぐねぐね 街道を行く (前編)
世界最大のうどんスーパー

 麺喰いがしがし団は団長のぼくをいれて五人。いつものメンバーである。今回はいきなり高松に突入してうどんを食い、うどんを食い、うどんを食うのである。なにしろ目指すは日本最大最強のうどん大国。
 つーことは東洋最大、つーことであり、東洋最大つーことはアジアつーか、まあ早い話が世界最大のうどん大国、ということになるではないか。
 そうであったのか!
 さがりおろう! 冷麺ひやそーめん。味噌ラーメンにタンタンメン。五目あんかけそばにわんこそば。えーい頭が高いというに高頭辛味ダイコン手打ち蕎麦め。手打ちにしてくれる。
 あいや失礼。高頭ではなく高遠であったか。そちの国もとは信州であったな。上田の真田幸村は達者にしておるか。むははははは。
 などと無意味にいばりつつ麺喰いがしがし団一行が最初にめざしたのは多肥下町の「いきいきうどんレインボー通り店」。市内最大のセルフうどん店である。
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 座席数二○○。駐車場六○台。朝六時から夜八時まで営業という高松最大のうどん店である。つーことは、さっきの「つーことは理論」でいうと世界最大のうどん屋ということになる。
「つーことは朝六時から車六○台でのりつけてきた二○○人の高松市民がここで先を争ってうどんを食っているということであるな。まことに左様か」
 すっかりバカ殿様と化したバカ団長は家来の今泉に扇子のかげから聞く。
「いや、先を争ってかどうかはわかりませんが安くてうまくて何時でも入れるのでたいへん流行っているという噂ですが」
 到着してみると休業みたいである。いやそれにしては電灯はついているしよく見ると奥の厨房らしきところに白い服を着たおばさんらしき姿がみえる。しかしどうも暇そうである。
「世界最大などと言いよって客もいなくてなあにが……」
「いや、客の姿も見えます。一人だけですが。あっ、うどんを食ってます」
「なに、うどんを食っている人がいる? 口からか」
「いかにも」
 バカ家来と化した今泉は客がいてうれしそうだ。中はまるで体育館のようだった。蛍光灯の下の無人のスチールパイプが鈍くひかり、寂寥たる気配だ。
 厨房らしきところにカウンターがあってそこにいろんな惣菜が並んでいる。アジフライ、メンチカツ、カレーコロッケ、かき揚げ、ゲソ天、ちくわ天、油揚げ、おぼろ昆布、生タマゴなどなどいっぱいある。
 客は厨房からドンブリに入ったうどんをもらい、近くにある小さな風呂みたいな湯の中で振りザルに入れたうどんをあたため、さっきの惣菜のなかから好みのものをうどんにのせてレジのところに行き、そこでおばちゃんに何と何を乗せたか検閲してもらってお金を払い、そのあと自分でツユをいれる。全体の流れからいくとこのツユはタダのような状態なのでついダボダボと沢山入れてしまう。それからその気になれば惣菜のひとつぐらいはうどんの下に隠しておばちゃんの検問から惣菜一品をごまかすことができそうだ。
「な。できるだろう。手早くやれば」
 今泉に鋭い発見を告げる。
「いかにも」
 パイプ椅子をひっぱり出してやはりタダに思える沢山の種類がある薬味をいれてワリバシを歯でくわえプチンと割る。ここまで作法としては完璧だったような気がする。
 今は時間的にいって客が一番少ないときかもしれないが、ここに二○○人の高松市民がすわって全員でうどんをズルズルやっている光景を想像するとやはりある種の戦慄がはしる。うどんのスーパーということなのだろうか。うどんにかき揚げと油揚げをいれて三○○円もしなかった。安い、広い、まあまあ普通にうまい。
 ホテルについて一休みしたあと「饂飩家五右衛門」に行った。酔街の真ん中にある。横濱カレーミュージアムにも出品したというカレーうどんがおすすめというのでそれを注文したがいわゆる東京や横浜によくある「家系ラーメン」のうどん版というところだろうか。カレーにうどんが負けている。まあガキのカップル向け程度か。

やわ肌ふわふわ……に悶える

 高松に最初にうどんを食いにきたのは一九八四年のことだった。『週刊ポスト』の取材で初めて宇高連絡船に乗ってやってきた。連絡船にのる宇部の船着場に立ち食いうどん店があり客がたかっている。連絡船に乗るとみんな走っているのでどうしたことかとわけも分からずぼくも走っていくと甲板にうどん店があり、瀬戸内海を見ながらうどんをすするのが「うどん王国」にはいっていく仁義であるということを知った。さらに高松港につくとそこにもうどん店があり、みんなまたその店に走っていくのを見て気持ちが引き締まり、腹が弛むのを感じた。
 市内に入るとうどん屋がいたるところにあるので驚いた。
 うどん屋、花屋、靴屋、うどん屋、雑貨屋、本屋、うどん屋、魚屋、うどん屋、米屋、うどん屋、葬儀屋、うどん屋、帽子屋、うどん屋、質屋、うどん屋。
 喫茶店にはいってメニューをみると「ダッチコーヒー、カフェカプチノ、カフェウインナ、カフェベルボン、おかめうどん、おろしうどん、冷しうどん」などと書いてある。
 十数店のうどん屋を行き、高松おそるべしを実感した。それから一九九八年に『週刊現代』の取材で主に丸亀界隈のうどんディープゾーンを探索し、ここら一帯は製麺所系のセルフうどん勃興の時代に入っていることを確認した。そしてついに本年、公式な(どこが?)麺喰い査察団として王国に突入した、というわけである。
 探訪するうどん屋の選定は麺喰い団メンバーの杉原、楠瀬両審議官が『地元うどん通をうならせたさぬきうどん決定版』と『さぬきうどん全店制覇攻略本・二○○五年度版』の二冊の調査報告書つーか、まあアンチョコを持って針路を決定した。
 次の日の最初の店は超有名店のひとつ、綾上町の「山越うどん」であった。創業六五年。製麺所を母体にスタートしたがあれよあれよという間に人気店になって今や駐車場台数九○。客席一五○の大きな店になっている。すなわち、わしらはいきなりさぬきうどん戦線の強者との対決となったのである。
 市内から遠いので朝七時半に出発して九時に到着。製麺所系は朝早く開店して午後にはもう終わってしまうところが多い。
 何もない田舎の町にいきなりちょっとした「うどんランド」のような店があった。驚いたことにもうまわりに沢山の車が止まっていて沢山の客がいる。入っていくと白い仕事着姿のおばちゃんが元気よく接客し、その奥でうどんを叩いたり踏み延ばしたり茹でたりしている人が大勢いていかにも活気がある。
 釜からあげたばかりのあつあつのうどんに生タマゴと山芋のとろろをかけたものにダシを少量かける『釜上げ卵山かけうどん』(二○○円)通称「かまたまやま」というのを注文した。
 もうその段階で刺激的なダシの匂いが鼻孔をつく。空腹でもあり、よろけるようにして葦簾の前の席に座り、うどんにタマゴとトロロをからめる。
第2回 讃岐うどん ひやあつぐねぐね 街道を行く (前編)_f0039305_1631720.jpg

 コノヤロ、コノヤロ。
 いや別にいじめているのではない。熱いうちに手早くタマゴとトロロをまぜたほうがいいらしいのだ。掛け声をかけたほうが力が入るではないの。
 コノヤロ、コノヤロ。
 タマゴとトロロはどちらからともなく手をさしのべるようにしてゆっくり、しかし確実に溶けあい、たがいをみつめあいたがいを刺激しあい、全体が淡くあわだつ薄黄に色づいたところでためらうことなくどんぶりいっぱいにのたうつうどんに激しく強く全身でからみついていくのだった。おお見よ。はやくも陶然としたうどんが頬をあからめとろとろうねって喜悦のねばねば状態へと移行していくではないか。
 コーフンし、我をうしなったようによろよろと割り箸の帯じゃなかった袋をひきちぎる。あれえええ。かぼそい声を聞きながらついにひとくちすする。つづいて汁をのむ。さらにもうひとくち。間をおかずに汁をおむじゃなかったのむ。ついついもうひとくち。
 おお。腰がしっかりしているのになんというやわらかでふくよかな感触のうどんなのだ。それでいてきっぱりとした「やるときはヤル!」という芯のつよさが深みのあるタレの包容力の中に底力として見え隠れする。釜あげの熱さの中ですでにはんぶんがたとろけ「ああわたしもうだめ」とタマゴのタマちゃん、トロロのトロちゃんらが悶えるようにしてやわ肌をゆすっている。
「おお、ういやつよ。もそっととろけろ。わるいようにはせんぞ」
 フト横をみると今泉が油あげとちくわの天ぷらをのせたドンブリを片手にあやしい横目でこちらを眺めニヤリと笑ったところだった。口からちくわが二センチほどはみ出ている。
「ううむ。今泉、おぬしも悪よのう」

ハゲタカの舞う下へ

 続いて攻めるはそこから三十分ぐらい行った山里のいくらか山道を登ったところにある「やまうち」。山小屋ふうの店構えで大量の薪の山に説得力がある。ここも製麺所系であり、釜は火力の強い薪で焚いているという。かざり気のない安食堂風の店の中にはやはり先客がいた。メニューは簡潔に「ひやあつ」「ひやひや」「あつあつ」「あつひや」。
 ぼくはここで初めてさぬきうどんにこういう組み合わせがあるということを知った。「ひやあつ」(二○○円)を注文。癖のないおだやかな日だまりのようなやさしいうどんであった。ハッタリがないのがいい。さっき強烈なのを食ってしまったのでうまさの評価という点ではここは不利だ。何も食わずにまっさきにここにきたなら厨房のお兄さんに握手をしに行ったであろう。
 そう思ったら厨房の青年が出てきて、ぼくの名前を知っていて色紙に「いい仕事してるぞ」と書いてくれと先方から言われた。修業中であるという。いい青年であった。そのとおり書いて握手した。
第2回 讃岐うどん ひやあつぐねぐね 街道を行く (前編)_f0039305_1621948.jpg

 店の端のほうの席で大盛りを食うのに全身で没頭し、ハフハフやってリズミカルに上下している男の丸い背に窓から入る日差しが光り、うどん食いの喜びが溢れていた。フトさっきの色紙に
「うどんだもの」まこと
 と書けばよかったかなあ、と思ったがもう遅い。我々は急がねばならなかった。
(続く)
# by shiina_rensai | 2006-04-25 15:54 | Comments(325)

椎名誠「麺の甲子園」 連載第一回 難波「千とせ」肉吸いにくらくら
やるなら今だ

 日本人ほど麺を食っている民族はいない、という結論に達した。どこでどういうふうに達したんだ?と言われても困る。
 これから何回かにわたって連載するこのシリーズは、体を張って、つーか、胃袋をとことん拡げてつーか、過度に過酷に過激にその実態を体験し「なっ、そうだったろう!」と激しく堂々と世間に問う、つーか、膨らんだ腹を見せる、つーか、そんなもの見せられたって困るつーか、とにかく日本中の麺をかたっぱしから引っ張りだしてはちぎっては投げ、じゃなかった食っては呑み込み、噛んでは箸でつかんで振り回し、北に味ラーメンが一番だ、という者あれば西の煮込みうどんを持っていって「どうだ!」と言い、東で「いいですわねえ日本のソーメン」などと言う奴がいたら南の「チャンポン」を持っていって「なんのなんの」と叫びまくる、というなんだかよくわからないがとにかく日本のあらゆる麺を食って走り回り、最終的には各県代表のどこのどの麺が日本一なのか、ということを決めてしまう、という日本初の「第一回、全国麺類公式(硬式じゃないのね)選手権大会」を開催することになったのである。つまりは『麺の甲子園』略して『麺甲』。
 元はといえば二年前に本誌で『全日本奇食珍食大紀行』という連載をしたのだが、そのときに途中ぼくが外国に行っている期間が長く、取材できなくて題材に困り、強引にわが記憶の中だけで日本中の麺類をたたかわせる「麺の甲子園」という回をこしらえた。
 苦肉の策であったのだが、それが妙に評判がよく(と編集者は言った)今回はそれを実地におこなって、つまり全国のいろんな麺をひとつひとつちゃんと食って、どこの麺が本当に一番うまいか決めよう、と編集部の楠瀬とか今泉が言いだし、それに杉原が加わり、カメラマンの佐藤が加わり、さらに外部から(インターネット担当として)海仁が加わり、なにかいろんな人が加わってついにゆるぎなき『爆裂麺喰がしがし団』というさらにわけのわからないものができてしまったのである。そしてハナシは早速はじまってしまうのであった。

寒風だし汁胸騒ぎ

 ぼくは仕事で大阪にいた。そこに東京から『がしがし団』の四人がやってきた。このエリアのガイドとして関西関係の情報誌『ミーツ』のスタッフライター曽束さん(以下敬称略)がやってきた。前日の電話での打ち合わせどおり全員朝食抜き。当然であった。今日は一日中関西の麺を食うのである。
「ほないきまひょか」
 と曽束が言う(本当はそんなことは言わなかった。しかし言ってほしかった。言ったような気がした)。
 全員まず南船場の「うさみ亭マツバヤ」という、店名を聞いただけでは何屋なんだかさっぱりわからない店に連れていってくれた。
「ここは創業百年を越す老舗でありながらアバンギャルドなうどんを常に追求する店ですわ」と曽束はまたしてもわからないことを言うのであった。
 アバンギャルなうどんとはなんや。うどん娘か。「あほか。アバンギャルやないで。そんなギャルがおるかいな。アバンギャルド。きつねうどん発祥の店ですわ」「きつねがアバンギャルドかいな」などとわけのわからないことを言っているうちに「マツバヤ」に突入。
 さっそく出てきましたアバンギャルドきつねうどん。大きなアブラアゲが一枚ドーンと入っている。アブラアゲが二枚になると「しのだうどん」になる。理由はその段階ではわからない。いや、結局最後までわからなかったな。
 がしがし団の団長(ぼくのことです。以下この呼称でいく)はアブラアゲをすこしかじってつゆとうどんをすこしすすり、これを前座に曽束のすすめる「おじやうどん」(七五○円)を最初の勝負麺に選んだ。
「おじやうどん」。六本木ヒルズのテナントには絶対ないような気がする。そのとおり鍋焼きふうの鉄鍋にうどんとおじやがまざっている。卵、鰻、かまぼこがのって有無をいわさぬ重装備。うむ。
「きつねうどん」ときたら「たぬきうどん」だが、天かすがはいったのは大阪では「ハイカラ」といい「たぬきうどん」というのは大阪には存在しないらしい。
 続いて難波にむかった。吉本興業本社、なんばグランド花月のすぐ近くの「千とせ」。ここは「肉うどん」で有名という。
 曽束がなんだか落ちつかない。店は満員状態でいわゆる通年流行り店の風格と迫力と貫禄と緊迫感と期待感といい匂いと不思議な沈黙と暖簾の汚れと切迫感と早く入りたいけどなかなかあかないイライラ感、などといった何かいろんなものが一体化して渦巻いている。さっきから寒風をついてうまそうな匂いがふくふくわいて体のまわりをとりかこむ。怪しい胸騒ぎでなんだかそのうち倒れそうだ。ああもうあと二分で倒れる、というところでやっと一人分の席があいた。
 崩れ落ちるようにして座る。あぶないところだった。曽束のきめた注文はこの店の一押し定番「肉吸いとタマゴごはん」。
「肉吸い」という肉とつゆだけのものがあるが肉うどんはその肉吸いにうどんが入っているものです。と曽束がまたややっこしいことを説明する。いいからとにかく早く食わせてくれ。
 やがておばちゃんが持ってきた。牛肉のこまかいのが沢山浮かんだツユの奥にうどんが見え隠れにどおーんと身をひそめている。量が多くそれを上回るツユ。その上に惜しげもなくばらまかれた細かい牛肉の破片。それにしても“肉吸い”とは凄い名前だ。君はもしかするとポルノうどんか。
 牛肉破片、牛肉破片、牛肉破片
 牛肉破片、牛肉破片、牛肉破片
 の背後で熱くあやしくからみあってのたうつ白い肌の女体じゃなかった「うどん」。
 そこによりそうあったかいドンブリごはん。その上に生タマゴが日の丸のようにのっている。
 怪人肉吸い男と化してつゆとうどんを啜る。ススル。すする。おお。うまいではないか。なんといううまさだ。これはいったい何だ。ああ肉吸いだ。肉吸いだった。
 斜めむかいに二十四、五の娘が同じものを前にしている。なかなか美人だ。娘はワリバシを掴むとドンブリの中のあったかいごはんと生タマゴをもの凄いイキオイでかき回しはじめた。高速三五○回転。反転して二三○回転。おおプロなのだ。そうか。ごはんはああして食べるのか。
 客はおとっつあんのほうが多いがOLふうの若い娘もけっこう多い。一人の客ばかりのようで店は静かだ。静寂の中のナマタマゴごはん三五○回転。
「うどん」では量がちょっと多すぎという人には「とうふ」をうどんのかわりに入れてもよく、うどんなしもあり、正確にはそれが「肉吸い」だ。
「うまい! 麺甲の関西代表はこれでキマリや」団長は逆上し、隣にすわった楠瀬に叫ぶ。
「いや、関西地区はこれからさらにいろいろあるんです。まだ大会は、地区予選がはじまったばかりなのです」楠瀬あせる。あせりつつもドンブリを持った手ははなさずうどんも何本か口から垂れ下がっている。

野菜方面規制緩和

 道具屋筋をゆっくり歩きながら千日前のほうに向かった。このあたりは看板屋とか提灯屋とか置物屋とか商店の道具屋などというのがあって歩いているだけで面白い。美しく女装したホームレスや肥満体の横揺れヤクザなどもいた。ぼくはある週刊誌の表紙の写真の連載をやっているのでこういう魅力的な被写体に出会うとウズウズするのだが今回は「がしがし団」の団長に徹してカメラは持ってこなかった。
 こんなどうでもいいことを書いているのは腹ごなしをするためなのである。さすがに朝から昼前までにこれだけ食うと実は「どん」とこたえている。まあ昔からいくら食っても太らない体質なのでそうとなったらとことんタタカウ気でいたが、さっきの肉吸い+うどんがきいた。全部食べなくてもよかったのだが食べてしまうおのれをほめてやりたい、つーかほんとはナサケナイ。
 梅田からJRで神戸に向かった。東京の「スイカ」が関西では「イコカ」というのを初めて知った。
「行こか」ということだよね。と曽束に確かめる。前に大阪の駅に「チカンはアカン」というポスターが貼ってあるのを見て笑ったことがある。ポスターの意図はわかるけれどああいうポスターを見て、これからチカンをしにイコカと思っている人が「そうかアカンのか。ほなやめとくか」と思うのだろうか。
 こんなどうでもいいことを書いているのは再度書くが腹ごなしのためである。ふふふふふ。その功あって神戸についたら腹ペコだった。まあ当然嘘である。
 そのココロを知ってか知らずか曽束はどんどん長田の商店街に我々を連れていく。震災のときに一番被害を受けたところだが街は健気に復興しているように見えた。けれど寒い風が吹いているし、午後の中途半端な時間だからなのかアーケード街は閑散としていた。このあたりはお好み焼き屋さんが多く、長田独自の食べ物で震災後によく取り上げられたものに「そばめし」がある。
 もともとはこのあたりの工場の職人さんや近所の人がドカベンや家の残りもののゴハンなどをもって来て「これを一緒に炒めて」と頼んだら「よっしゃ」となったのがはじまりらしい。下町らしくていい話だ。ある店では「犬めしっぽい」というので「ドッグライス」と言っていたがそれじゃああんまりなのでひっくりかえして「グッドライス」と呼ぶようにした、という話も聞いた。
 今回の『麺甲』はできるだけ現代の日本麺事情に忠実に、しかも門戸を大きく開いて、地区大会を頻繁に行い、全国的に有名な名門校じゃなかった名門麺だけの大会に偏らないように幅ひろく大会参加を呼びかけている、つーか、喰いに行くつーか、つまりなんだ、そこではその「そばめし」を注文した、つーわけである。正確には牛すじそばめし。お店は「ひろちゃん」。
 牛すじとコンニャクを煮いたものにゴハンをまぜて炒める。そこへ茹でてある中華そばをまぜるのだが、このそばを細かく切るのが大変に徹底していてそばは間もなくそばとしての原型をとどめなくなり、かぎりなくゴハン粒に近い大きさになっていく。「そのほうがゴハンにまざりやすい」からである。やがてまんべんなくそばとゴハンがまざったところでタマゴをまぜてさらによく炒めてできあがり。そばとごはんのチャーハンチャーメンということになるだろうか。
 目の前で作ってくれるので店のお兄ちゃんやおばちゃんといろんな話ができるからたいへん楽しいしおいしい。ビールのつまみにもなる。なかなかいいが、しかし若干の問題点を指摘する「全麺連役員」もいた。
 つまり「麺喰がしがし団」の数名である。
「この麺甲の参加資格はあくまでも麺であることですよね」
「まあそうだね。甲子園にいきなりバレーボールやサッカーやテニスが乱入してきたらまずいもんね」
「左腕から繰り出す強烈なスピンサーブ。バッター構えました。打ちました。ソオーレーッという声がして一塁側が猛烈なレシーブ。それをショートがダッシュしてセンター方向に豪快なロングキック。球はぐんぐんのびていくのびていく。はいったあ! ごおおおおおおおおおおおおおうううううううる」
「それ結構おもしろそうですな」
「そうじゃないでしょ。この場合、必ず麺が入っていることが最低の大会参加資格としないと」
「麺とは何か? ということが問われますな」
「まずは長いこと」
「何センチから麺ですか?」
「まあ最短でも七センチはほしい」
「そうするとこの“そばめし”はすでに参加資格がないと……」
「いや震災で苦労した長田地区だからそこをなんとか……」
「作るのを見てたら直前まで長かったですよ」
「試合開始二分前まで長かったらいいと」
「長さより素材が問われませんか?」
「今回は門戸を広くしてるからね。昨年は三十センチぐらいしか開けてなかったけど今回からもうぐーっと開けてしまった」
「どのくらい開けたんですか?」
「もう凄い。二十五メートル」
「広い!」
「全面開放!」
「じゃあハルサメなんかもいいわけですね」
「全面開放」
「糸コンニャクは?」
「長ければ大会規定に触れません」
「おれモヤシ好きなんですけど種類によってすごく長いのがあります。あれなんかもいいですか。七センチ以上あれば」
「モヤシそばというわけじゃないのね」
「モヤシだけ」
「全面開放! もうわしらココロも広いからね。ただし半期に一度だけね」
「キリボシダイコン」
「いいでしょう。野菜方面全面規制緩和」
「キャベツのセン切り」
「うーん……」
「しかもソースたっぷし」
「うーん……」

辛味打線の攪乱攻撃

 大阪に戻って小休止。夕方になってミナミの「今井本店」に行った。曽束の説明によるとここは「マツバヤ」と並ぶ大阪の代表的なうどん屋という。これで早くも大阪地区大会は「うどん」が代表となりそうなイキオイだ。
 庶民的な「マツバヤ」と違って「今井本店」は店構えも立派。エレベーターなどもあって四階の席にごあんなーい。
「ナイター設備のあるグラウンドを持っている金持ち高校ってありますよね」
 しーっ。中高年の男女連れや大店のご主人ふうの四人連れなどが鍋をかこんでいる。「うどんすき」のようだ。うどんすきが『麺甲』にエントリーできるか、という議論もある。
「うどん以外のサポーターつーか、援軍が多すぎるという問題がありますな。鶏肉、ハンペン、蛤、ホウレン草、シイタケ、ガンモドキ、焼きアナゴ、ニンジン、サトイモ、ミツバ、ユバ、生麩などが入っている。『うどんすき』とうどんの名前は前面に出していながらうどんは最後に偉そうにちょっとだけ出てくる」
「おたくうどんすきに何か必要以上の敵意もっていない?」
 声をひそめつつそのようなことを言いながらきつねうどん(七三五円)を注文した。アブラアゲとザクザクに切った葱がのっている。薄い色ながらだしがよくきいていてさすがである。しかし気になるのは大阪のうどんが全体にやわらかいことである。腰がないのが関西うどんの特徴といえば特徴のようだ。さぬきうどんは腰で勝負している。朝青龍も腰で勝負して横綱になった。ゆえに関西うどんは横綱にはなれそうもない。
 しかし関西の人が東京でうどんを注文するとだしの色が濃くてまっくろでどんぶりの中のうどんの本体が見えなくてびっくりするそうだ。智恵子は「東京には本当の空が無い」と言ったが関西の人は「東京には本当のうどんがない」と言ったのである。勝負はわからなくなってきた。
 動揺しながら生野区の万才橋に向かった。「万才橋のたもとの万才橋という店へ」というとタクシーの運転手はよく知っていて「最近肉がかたなった言われてるけど子供の頃よく行きましたよ。もう四○年前ですわ。三○円で倒れるくらい食えたですわ」と懐かしそうに言った。ホルモン焼きの店である。
 ここの名物は「チリトリ鍋」で、元鉄工所をやっていた店の親父さんが鉄の端切れで簡単な鍋を作ったらチリトリにそっくりだったのでそういう名になったという。
 注文の本命はそのチリトリ鍋による「ホルモン焼き盛り合わせ」で三段階のランクがある。
 ①タン、ハラミ、上ミノ(八三○円)
 ②脾臓、ミノ、ツラミ(六○○円)
 ③色々な内臓の盛り合わせ(四五○円)
 三番目の「色々な内臓の盛り合わせ」というのが迫力だったのでそれを注文。
 店の中のつくりはなかなか洒落ていてヨーロッパの居酒屋みたいだ。遠くにひくく演歌が聞こえる。テレサ・テンの「つぐない」ですな。生ビールにジンロ。ツマミにコブクロのタタキ。コブクロはいかにも凶悪そうなネオンピンクだった。ホルモン焼きをあらかたつついたところでうどん(一八○円)を投入。誰かが酒のツマミでとったキムチ盛り合わせをそっくり入れてかき混ぜたのでいかにも辛そうな赤いうどんになった。こいつをヒーハーヒーハー言いながら食ってはビールにジンロ。
 うまい! うどんの腰のないところを辛味打線が着実に攪乱して点を稼ぎ、「色々な内臓の煮込み」が隠し味になって守備をカバーしている。
 実はこれ以外にも沢山注文していて腹がいっぱいになり、もう倒れそうになっていたが六人がめいっぱい食ってのんで合計九千円程度だった。
 安い! 『麺甲』にぜひ出場してもらいたい。全麺連の委員は全員一致でそう語った。
「にしんそば」に謝る
 JRで京都へ。曽束が案内してくれたのは寺町二条の「民謡そば酒井亭老舗」。店の中には全国の民謡にからまるこまごまとしたお土産ものや飾りものがいっぱい並んでいてケバケバしく何も知らなければわが生涯で絶対に入らないようなつくりだったが、曽束いわく店の中はこんなありさまだけど出てくるものはみんなおいしいのだという。メニューには全国のそばが四十品目ぐらいずらっと並んでいてここだけで全麺連「そばの部」の全国大会が開けそうだ。
 大阪になかった「たぬきうどん」が京都にはあるという。したがってそれを注文した。京都の「たぬきうどん」はアブラアゲが刻んであり、あんかけでショウガがのっている。不思議なお姿だがこれがおいしいのである。すまなかった、という気持ちだ。
 ついでに京都といえば「にしんそば」だからそれを注文。プーンとだしのいいにおい。関東者には「そば」に「にしん」なんて聞いただけでケッとなるのだが、これがじっくり深いこげめの味でなかなかうまいのである。すまなかったという気持ちだ。
 カメラマンの佐藤が写真を撮っていると「取材ですか?」と店のおばさんが聞いてきた。「ありがたいんですけどあと一週間でこの店閉めてしまうんです」と意外なことを言った。
 ウームとうなりつつ続いて哲学の道に通じる疎水【脇/わき】のいわゆる行列のできる有名ラーメン店へ。十二時前だったがすでにびっしりと若者とおとっつあんの行列ができている。東京にも行列のできるラーメン屋はいっぱいあるが京都でもこんなに並んでいるとは思わなかった。
 京都ラーメンはそのイメージとちがってトンコツ+ショー油のこってり味でこの店も強烈であった。例によって客はみんな沈黙気味。七~八人の従業員がテキパキと忙しく働いていて、流行りラーメン店の典型的な風景である。
 しかし、京都の人々がこの程度のラーメンに行列を作っているのだったら京都ラーメンのレベルはたかがしれている――と思った。うーむここにきて団長ははっきり京都に喧嘩を売っているなあ。
 このあと我々は祇園の「鍵善良房」へ潜入してなんと「くずきり」(九○○円)を黒蜜のタレで食った。いや、いただいた。長さ七センチ以上ある「くずきり」も立派に『麺甲』へ出場資格がある、と判断したのだが、関東のがさつな親父たちにはおよそ場違いな典雅優雅の雅雅雅雅空間で、わしら全員背中を丸めて萎縮しつつ、くずきりをズルズルすする姿を見てあきらかに「くずきり」のほうから出場辞退をきめたようであった。
# by shiina_rensai | 2006-03-23 12:30 | Comments(819)

<椎名誠プロフィール>
1944年東京生まれ。東京写真大学中退。流通業界誌「ストアーズレポート」編集長を経て、現在は作家、「本の雑誌」編集長、映画監督など幅広い分野で活躍。著書は『さらば国分寺書店のオババ』『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』『アド・バード』『武装島田倉庫』『岳物語』『犬の系譜』『黄金時代』『ぱいかじ南海作戦』など多数。紀行エッセイに『波のむこうのかくれ島』『風のかなたのひみつ島』などがある。近作の『全日本食えばわかる図鑑』には第一回≪全日本麺の甲子園大会≫の模様を収録。ブンダンでも随一の麺好き作家として知られ、世界中どこでも「一日一麺」を実践する、敬虔な地麺教信者でヌードリストである。

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