濃厚強豪強気のぐらぐら
今回は横浜、静岡、山梨を回ることになっている。なかでも横浜は激戦地だ。
夏の盛りである。雲は湧き、汗もわく。濃厚な夏空の下、ホンモノの甲子園のほうでは駒大苫小牧と早稲田実業の決勝戦を迎えるところであった。家からクルマで出発。
隣の助手席にぼくの若い友人が乗っている。ナガイショウタロウ君。高校二年生。沖縄の那覇からやってきた。
親類というわけではないが四歳のときからの知りあいである。来年は大学受験の勉強があるからこの夏休みをつかってはじめて東京見物にやってきた。ぼくの家にホームステイしている。
今回の「麺の甲子園」に同行してもらった。この少年が生まれてはじめての本州の麺の味にどう反応するか、おおいに参考意見としたい。
別の場所から出発するもう一台のクルマには杉原、楠瀬、今泉、カメラの佐藤が乗っている。今泉 三太夫はひさしぶりの参加だ。
午前十一時めざして横浜西口近くの「吉村家」で待ち合わせたが我々のほうが早く、一時間も前に着いてしまった。コインパーキングにクルマをいれて店の近くで四人組の到着を待つ。
横浜の西口に来るのは三十年ぶりぐらいだろうか。もちろんショウタロウ少年は初めてである。見回すといたるところにラーメン屋の看板がある。
「吉村家」はいわゆる横浜「家系ラーメン」の総本山のようなところと聞いていた。ラーメンの話になると必ず出るその有名な家系ラーメンというのをこれまで食べたことがない。
第一その日まで「よしむらけ」と読むのだとばかり思っていた。でも「吉村家」では葬儀みたいだものなあ。「よしむらや」と読むのであったか。
もうすでに沢山のルポ、探訪ものに書かれ、テレビのグルメものなどでも存分に紹介されているこの店を、こんな無知識なおやじがいまさら何か感想を書いて何がどうなるわけでもないが一応一年以上かけて全国を歩く「麺の甲子園」であるから行かないわけにはいかない。しかもここは優勝候補筆頭にあげられるような強豪ですから、と編集部に言われていた。
三十分後にその編集部四人組到着。すぐに吉村家に行った。
店の前には三○人ぐらい座れる待機用の椅子がある。三十分前にもうあんちゃん二人組が座っていた。大きな旅行鞄を持っているのでどこか地方から来たようである。期待に顔が光っている。いや暑くて汗が光っていたのかもしれないが。
待機用の椅子といい、その上の日除けの可動式ひさしといい、なかなかの思いやりだ。我々がすわって五分もしないうちに待機組は二○人ぐらいになっていた。まだ開店十五分前。さすが一日一五○○食は出るという超人気店である。
待っている二○人は全員男である。単独客が多く、会話のないのがやや不気味だ。みんな小太りで夏なのにどことなく暗く、ラーメンお宅を連想させる。
全員食券を買っていて汗ばむ手でにぎりしめている。それを見てぼくも少年も緊張して自分の食券を確認する。「開店前にこんなに並んでいるというのがすごいですね」少年が驚いている。「那覇では並ばない?」「あり得ないです」ヒソヒソ会話である。
やがて時間どおり開店。
太ったおばさんが「順番に奥から詰めてね」毎日同じような状態なのだろう。手際がいい。一日一五○○食も出るというのだから客は動く胃袋のように見えているのかもしれない。
厨房には五、六人の若い男が白い服に長靴でテキパキ働いている。この店を総本山として暖簾分けなどでこれまで二○○人以上が独立していったという。全国にちらばる家系ラーメン店。大勢力である。フといま試合中の高校野球の駒大苫小牧を思い出す。
フロアマネージャー然とした男が鋭い顔つきで注文を聞いていく。麺の茹で方、油の量、トッピングの追加等々。
このトッピングがすごい。味玉、味付けうずらの玉子、いんげん、わけネギ、キムチ、生ほうれん草、キャベツ、もやし、コーン、玉ネギ、チャシューまぶし、のり、生タマゴ、オニオン、タケノコ。
その日によってできるもののアイテムは変わるようだ。
これらの注文をいちいち聞いていくというのは凄い。注文は一○人ぐらいで一グループのようであった。こういうしきたりを知らなかったのでその人にいきなりどうするかと聞かれてやや狼狽する。麺やわらかめであとは普通でお願いする。沢山の人のいろんな注文をメモにしないのは何かの符丁があるのか。
「食券の置き方で区別してるみたいです。少しナナメにしたりして」
少年が指摘する。ほー。少年は国立理系の大学を目指している。呆然夏バテ作家とは瞬間分析力がまるで違うようだ。
いろんな本に「野獣派」と書かれている大きなズン胴鍋から豚の大腿骨のスープがぐらぐらいってふきあがるイキオイだ。そこから漂ってくる匂いがすでにストロング派である。
豚骨味と醤油味の合体は絶対に強い。今や家系ラーメンの象徴ともなった大きな海苔三枚と脂したたる焼豚が「どうだまいったか」といっている。脂がぎらり。半分だけ食べて外に出た。紺碧の青空。突き刺さる陽光。
灼熱のサンマーメン
続いてやはり有名な新横浜の「ラーメン博物館」に行った。もの凄い雑踏で、ここに入っている全国有名ラーメン店にはすべて長い行列ができていてどこも一時間ぐらい待つという。
それでも取材であるから入場料三○○円を払って中に入ったが全館押すな押すなの大混雑。お盆最後の日曜日だからなのだろう。それにしても日本人は本当にラーメンが好きな国民なのだなあということを思いしらされる。
初めてラーメン博物館を見ての単純な疑問がひとつ。そういう日だったからなのだろうが、客は圧倒的に家族連れが多く、しかも連れているのは小さな子供が多かったけれど、中の仕掛けは昭和三○年代。あのノスタルジックなしつらえは子供たちにどんなメッセージになっているのだろうか。
仕事に疲れたおとうさんが酒のあとにやってきて一人でラーメンを(待たずに!)ススレルのだったからいいんだろうけれどなあ。我々はここでは何も食わずひとまわりして外に出た。隣接した駐車場が大きく、その名称「ナルトパーキング」はなかなかよかった。マークもナルト模様だったし。
横浜中華街に行って「海南飯店」に入った。ここは浜っ子のベテラン将棋差し河口俊彦さんがうまいとすすめてくれたところだ。
干労麺(汁なし葱そば)葱油麺(ネギそば。ともに七三五円)湯米粉(汁ビーフン。八四○円)を複数頼んで六人で少しずつ食べる。麺のはいったドンブリが空中をはげしくとびかっているので店の人が笑っている。少年は連続三杯食っても平気というので最後に全部のドンブリが少年の前に集まる。
次は「清風楼」。持ち帰りのシューマイで知られる店だ。ここでは横浜名物サンマーメンを注文した。サンマーメンは横浜の中華店の中だけでもいろいろな字が書かれているが、ここでは生碼麺と書く。いずれにしてもあんかけのもやしそばである。
なかなか味が深くておいしいけれど、さきほどからどうも我々の背後がヘンである。店の中には注文を受けたり料理を運ぶおばさんが五人もいるのだが、どうもなにかのイサカイごとがあるらしく静かながらもおばさんたちの口げんかが続いていて、我々のうしろの配膳カウンターのところに戻ってくると口げんかが継続されている。
どうもそっちのほうが気になってしまっていまひとつ集中できない。帰りがけに勘定をしていた楠瀬にあやまりつつ話してくれた。昨日おばさんのうちの一人が客に頭からサンマーメンをぶっかけてしまったのだという。一日ずれていてよかった。外は真夏の午後の灼熱の太陽。
焼きそばだもの
東名高速を静岡にむけてとばす。
ラジオは甲子園の決勝だ。それを聞きながらショウタロウ少年と横浜の総括をする。
強豪と聞いておそれをなしていたが「吉村家」の濃厚ラーメンは好みによって評価がわかれるだろう。あの強烈な味にハマッタ人は逃れられなくなるだろうし、駄目な人は最初から敬遠するだろう。似たような味は日本中にあってそれぞれ人気がある。同系列だと「吉村家」より和歌山の「井出商店」のほうがハッタリと客側の無意味で滑稽な崇めりがない分はるかに上のような気がする。吉村家は宗教のようなものなのだろう。
ショウタロウ君はヨコハマでは「ネギラーメン(葱油麺)が断然うまいッス」と言っていた。
夕方四時頃に焼津市に隣接した岡部町の「ゆとり庵」に着いた。ここは「茶ソバのヤキソバ」があるという。
茶そばは以前我々のあいだで問題になったことがある。外国へ飛ぶ日本の飛行機の機内食などでそばが出てくると、あたかも日本のソバを代表するがごとき様相でたいてい茶ソバが出てくるが、我々は茶そばに日本を代表してくれたまえ、と頼んだ覚えはない。そのあたりのこと、いったいどうなっているのだ、という問題なのであった。
「ゆとり庵」のそれは抹茶を練りこんだソバを瓦の上で焼いて牛肉と錦糸タマゴとネギをからめモミジオロシのそばつゆで食べる、という凝ったものだった。
何もそこまでそんなにいろんなことをしなくても、という感想がのこった。
熱闘甲子園は引き分け再戦となった。我々は熱風こもる清水の宿に泊まる。
翌日はかなりへだたったところをあちこち回らなければならないので忙しい。まずわっせわっせと静岡松坂屋に行った。十時開店と同時に五階にある「起多乃(きたの)」に突入。
店も驚いたことだろう。開店と同時に六人の男がなだれこんできてトコロテンを注文し、わっせわっせとたちまちそれを食べてわっせわっせと去っていったのである。
「起多乃」のトコロテンは芥子ではなくワサビで食べるのだが、これが大変うまかった。我々「麺の甲子園、実行委員会」は早くからトコロテンの出場を認めていたのだが、静岡でようやくエントリーしてきた。そして期待どおり爽やかな笑顔であらわれ、いいタタカイをしていった。
その足で、というか正確にはそのクルマで富士宮にすすみ「若林たばこ店」の焼きそばを食った。煙草屋をやっていたのだが、ついでに焼きそばをはじめて今にいたり、煙草店という名はそのままになってしまった、というかわった店である。
ちなみに富士宮は焼きそばの街で市内に百五十店の焼きそば屋があるという。
店というよりもその家の茶の間のような部屋でお好み焼きふうの焼きそばを食べる。
壁に「相田みつを」の色紙がいろいろ貼られている。
「くちではなあ」
「人の世の幸不幸は人と人とが逢うことからはじまる。よき出逢いを」
「ちからをいれてりきまない」
この「麺の甲子園」の取材をやるようになって気がついたのだが相田みつをさんの色紙を飾っている店がけっこう多い。注文したものが出てくるまでのあいだ結構それを読んでいるのでよく覚えているのだ。いつもなかなかいいことを言っているんだけどときおり「おせっかい」では、と思うこともある。
そこでぼくもここで少しおせっかいなことを言いたくなった。
この「麺の甲子園」において焼きそばはちょっと特異な位置にあるようだ。第四回の東北・日本海側ブロック編で秋田の横手を取材した。横手もまた焼きそばの街で、いたるところに焼きそばの店があり、百人ぐらい入れる大きな店などもある。
ひとつの街の人々がみんなして毎日ひたすら焼きそばを食っている、というのも考えてみたらもの凄いはなしで、なんだか理由のわからない不安を抱く。なんで不安を抱くかというと、相田みつをさんふうにいうと、
「焼きそばだもの」
ということになるだろうか。
焼きそばはたしかにそれはそれでおいしいが、そんなに毎日食いたくなるものではないような気がする。これを読んでいる人も考えてください。
「あなたは今年何回やきそばをたべましたか?」
よほどの焼きそば好きでないといつ頃どこで食ったかあまり記憶にないような人が殆どではないだろうか。なかには今年はまだ一度も……というヒトも多いのではないだろうか。ぼくもこの富士宮で食べたのが横手以来であった。
当事者からいったらいらぬお世話の“不安”であるが、ひとつの場所でひとつのものがこれほど流行りまくる、という現象がいまひとつわからない。
「ほかにもいろんな麺がある。いい出逢いを。まこと」
そのようなことをほざきつつ逃げるようにして一路山梨県の甲府にむかった。
火山のような力技
山梨に武田信玄あり。
同時に「ほうとう」あり。
これはずっと以前から聞いていたことである。さらに「うまいもんだよカボチャのほうとう」というのも聞いていた。そしてその日まさに生まれてはじめて「ほうとう」を食べるのである。
道々、高校野球決勝の実況中継をショウタロウ君と興奮しながら聞いていく。互角の力のチームの決勝ともなるとちょっとした運、不運が試合を決めてしまうこともあるんだなあ、などと感想をのべあう。
楠瀬が見つけてきた「ほうとう」のうまい店は甲府駅南口の「小作」であった。
座敷とテーブルにわかれた居酒屋的たたずまいの店であった。まあ簡単にいうといかにも心やすらぐ田舎の店である。
ここでは迷わず「かぼちゃのほうとう一一○○円」を頼んだ。かぼちゃは熟瓜と書いてある。ショウタロウ君は「豚肉のほうとう一三○○円」。
むかいの席では若いカップルがやはりなにかの「ほうとう」を食べてしあわせそうな顔をしている。山梨ではカップルも「ほうとう」を食べているということを知ってこれは発見であった。
どんぶりいっぱいこぼれんばかりのアツアツの「かぼちゃのほうとう」が出てきた。もの凄いボリュームである。なんとなくそのアクの強さと食感に名古屋の味噌煮込みうどんときしめんの合体をイメージした。べろべろの平たい麺はきしめんの親分のようだ。なによりも存在感が強烈である。武田信玄の風林火山をおもいだす。夏の今は火山のような猛々しさ。
これはつくづく優秀な食べ物であると思った。その理由は①いかにも栄養たっぷり②量のわりに安い③店が気取っていない④今は夏だから不利だけれど冬だったらこの濃厚な暖かさ、いや重厚な熱さはたまらないだろう⑤運んでくるお姉さんがまったく無表情⑥これ一杯で酒の肴になるしごはんにもなる⑦ほうとうはこの地でしか本当においしいものはたべられないだろう⑧そういうことがあるからなのか東京進出などヘンな色気はみせていないようだ。つまりおのれを知っているということか。
理由の順番は脈絡がないものの、麺の甲子園としては大変な賛辞である。
実はショウタロウ君はこの日の夜に沖縄に帰るのだが、これを食べているあいだに帰りの飛行機の時間がだんだん厳しく近づいてきていることを知ったのである。
我々はもう一軒、富士吉田に寄らなければならなかった。クルマで回っていると間に合わなくなることがわかった。
そこで甲府の駅から電車でショウタロウ君を羽田まで送ることになった。杉原が同伴してくれる。
さらばショウタロウ。こんど間もなくこのシリーズの取材で沖縄に行くことになるからそれまでのあいだに沖縄および八重山の麺類情報を収集しておくように。そしてその折りはおじさんたちを案内するように。
ショウタロウ君に沢山の宿題をあたえてその店で別れた。
そこから一路、富士吉田をめざす。ここには有名な「富士吉田うどん」がある。
けれど吉田うどんは主だった店が昼頃で終わってしまうという。そこは楠瀬がなんとか根性で一軒の店をみつけた。目立たないところにあってしんとしている。
密かな人気店なのか暖簾の下半分が掠れていてそこに書いてある文字がもう読めない。沢山の客がくぐり抜けてきたのでそうなったのかもしれない。
通された部屋は三畳間で丸いチャブ台がひとつ。壁にはいたるところ染みがあり、畳はささくれだっていた。
「うどん博物館のたたずまいですな」
今泉三太夫があたりを見回しながら言う。店にはおばあさんが一人。
「七○年前にたてた店だからあちこち古いですけんども……」
持ってきてくれた水は懐かしいワンカップ大関のコップに入っていた。
「いまおしんこ持ってくるからに」
おばあさんはとても親切でヒトがいいようであった。
「こういう店はもの凄くうまい可能性があるな」
ぼくは低い声で呟く。
「間違いないですな。私のカンと胸騒ぎが……」
今泉三太夫も呟く。
待つことしばし。やがてめあての「吉田うどん」が運ばれてきた。吉田うどんはいまこのあたりに約五○軒。ぐんぐんのしあがっている期待のご当地うどんだ。
『絶品うどん図鑑』(はんつ遠藤=生活情報センター)には「味噌や醤油をあわせた温かい汁、さらりとしたちょっと濃いめの味噌汁のようなスープ。さすがは富士山麓。良質の水が生き生きとしている」と書いてある。代表的な店は「桜井うどん」で噛みごたえのある固い太麺に茹でキャベツがめずらしい、とある。
いやはや待っていました。まずはみんなしてちゃぶ台の上のうどんをすする。
「噛みごたえゼロの歯にぐちゃりとくっつく麺。半生のようなキャベツが温い汁のなかで途方にくれている。馬の肉がうろたえてキャベツとうどんの中に隠れようとしている。汁はモロに合成調味料の濃厚な刺激味」
「うう」
温厚な楠瀬が喉の奥で唸っている。
「うう」ぼくは咳き込む。
「うう」カメラの佐藤の目にキラリと光るものがある。静岡掛川出身の佐藤は、富士宮の焼きそばで状況的に静岡勢の不利をさとり、この「吉田うどん」に最後の勝負をかけていたフシがある。
「うう」
その佐藤が飲み込めずに苦労している。
「お店のおばあさんの対応は実にいいんですけどねえ」
どんな勝負にも運、不運はあるものだ。
(次回は大座談会「麺の甲子園」各地方ブロックかく戦えり)