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第15回 のんびりテーゲー八重山そば
「すば」か「そば」か「ラーメン」か

 この「麺の甲子園」もあと数ブロックの地区大会を残すだけになった。 最初の頃は「洒落だよ洒落」とか「まあ冗談ながら」などという気分もあったが、これだけ真剣に本気で全国種々雑多の麺を食ってタタカイの回数を重ねてくると、各地区の有力麺の応援団などもでき、やがて行われるだろうベスト八あたりのトーナメント戦から現場に駆けつけたい、などという声も聞くようになってきた。
 しかし問題なのは「現場」といってもどこに駆けつけたらいいのか――である。甲子園とうたっているがその甲子園に行っても駄目なのである。砂はあるかもしれないけれど麺はない。
 横浜の「ラーメン博物館」のようなものを作って全国のベスト八のトーナメントを開催したらどうか、という意見もあるがすべてに慎重な新潮社がそんなものに投資する見込みはまったくなく、しばらく様子を見ようということになった。
 決勝トーナメントの方法がわからないままに我々は南にむかった。思い切り南の石垣島である。
 石垣島では十七年前に白保という珊瑚礁のきれいな海のある村で本格的な映画の撮影を四十日間にわたってやっていたので何かと馴染みがある。
 その日東京は暖冬異変の埋め合わせをするように急に寒くなり、大手町に雪が降ったというニュースが流れていた。しかし島は午前十一時少し前で二十二度であった。そうであろうと予測してビーチサンダルを持ってきたからレンタカー屋の駐車場でTシャツに綿パンの夏仕様に素早く着替える。
 映画の撮影をしていた頃は「沖縄すば」をもっとも集中して食べた時代でもある。
「沖縄すば」は一般的に「そば」とも言われるがそば粉は使われていない。どこも百パーセント小麦粉にかんすいを混ぜて使うから製法上は完全に「ラーメン」である。しかし形状はうどんのように太くて丸いものが多く、どうも存在基盤が不明確である。それは名称にも現れている。「そば」なのか「すば」なのか。
 昭和五十一年に公正取引委員会から「そば粉が三十パーセント入っていないとそばとは名乗れない」という固いお達しがきた。沖縄はこれまですべて「テーゲー(いいかげん)主義」でやってきたのだからそんなこといいじゃないかと思うのだが役所はそうはいかないらしい。
 沖縄の麺関係の協同組合幹部などが長い時間をかけて奔走し、粘り強く話しあいを続け、昭和五十三年十月十七日からやっと「本場沖縄そば」という名称を使ってもいいことになった。そこでいまでも毎年十月十七日は「沖縄そば」の記念日になっている。
 沖縄そばの由来を調べていくと諸説あるのだが、常識的に考えて、中国から入ってきた「中華そば」がすべての始まりのような気がする。その歴史は一三九三年の明の時代から、というのがかなり信憑性が高いから本土のラーメンよりもはるかに早いのである。
 したがって本来なら本土の「中華そば」や「ラーメン」が沖縄に「こういう名称を使っていいですか?」とお伺いをたてるのが筋ではないかと思うのだ。どうもハナシはあべこべで、沖縄は対本土となるといつもそういう理不尽な立場に置かれてきたように思う。
 だからぼくは「そば」でも「うどん」でもない沖縄独特の言い方「すば」という語感が好きで、それでいいじゃないのかなあ、と思っていたがまあ世間の決まりに従いましょう。
 ところでその「沖縄そば」は本島での言い方で、石垣島のそれは「八重山そば」、となりの宮古島は「宮古そば」以下「大東そば」「与那国そば」と島ごとにみんな特徴をもって名称も変わり、麺もスープもすこしずつ違う。

追憶の丸八そば

 ぼくはこれまでそれらの島々に全部いってそれぞれの島で「そば」を食べているが、正直なはなし、あまりきわだった島ごとの違いというのがわからなかった。
 強いていえば「うまい」のと「まずい」のと「あつい」のと「ぬるい」のがあるなあ、という程度だった。
「麺の甲子園」などと大層なことを掲げていながらそんな程度で「あーにを言っているんだ!」と怒られそうだが本当にその程度の差しかわからなかったのだからお許し願いたい。
 そうして今回はまあ沖縄エリアを「本島」と「先島諸島」にわけて二つのブロックでタタカウ、という分け方をした。
 つまり二つのトーナメント戦があるが、優勝して全国大会に出られるのはあくまでも一麺なのである。
 二ブロック制で二つの代表が出てくる東京や北海道と比べると不利であるが、東京や北海道にくらべると店の数はやはり南島ブロックは圧倒的に少ないからどうかそのヘンのところはご理解願いたい。
 さてこの石垣島でぼくが一番よく通っていたのは「丸八そば」であった。
 映画の撮影が終わったあとでも別の用でこの島にくるたびに必ず顔を出していた。今回も楽しみにしていたのだが、事前に編集部でしらべたところ店をやめてしまったというではないか。作っている夫婦はまだ若かったからいったいどうしたのだろう。残念なのと同時に心配にもなった。
 この「丸八そば」にくるとまずビールを頼む。すると美人のおかみさんがこっちでいう「てんぷら」をサービスね、と言ってかならずツマミに持ってきてくれる。ビールを飲みおえた頃にタイミングよくそばがくる。それから最後に「ぜんざい」である。
 沖縄のそば屋さんはどういうわけかこの「ぜんざい」がつきもので、皆しあわせそうに食べている。あるとき中学に行っている娘さんが帰ってきた。ぼくの撮っていた映画の撮影現場にも何度かきてくれていたのでお昼ごはんに自分の家のそばを食べるところの写真を撮らせてもらった。
 中学生ぐらいでキリリとした顔だちだったから今頃きっと美しい島美人になっていることだろう。
 馴染みの店がふいに無くなっている、ということは、銀座や新宿のバーなどでときおりあるけれど、そば屋さんでこれほどの喪失感があるとは思いもよらなかった。

固くてぬるい?

 そこで本日の第一試合は「キミ食堂」に行くことにした。ここもタクシーの運転手さんなどから「うまい店」と聞いていたし、以前来たことがあるという今泉三太夫が飛行機の中から絶賛していたのだった。
 名物「味噌そば」を注文。ほかに「ピリ辛味噌そば」や「ソーキそば」などがある。
 沖縄そばのスープのだしは豚骨にカツオが一般的であるが、この店はそこに加えて味噌が強烈な味のアクセントとなっている。なるほどおいしいけれどなんとなく最初から味が予測できてしまったかんじだ。本日の取材の最初の店なので、ついつい丸八そばの気安さで「写真撮らせてください」と言って厨房に入ったら「あんたどこの人かね」とおこられてしまった。いやすまない。思えばそこはぼくがはじめて入った店なのであった。
 沖縄そばに味噌はすんなり合うようだ。かんすい系のそばの存在感がもともと強烈であるから、主張の強い味噌といい勝負ができるからなのだろう。
 続いて白保まで行って「白保食堂」の「八重山そば」。この店は撮影中ひっきりなしに行っていたのでおばさんがぼくの顔を覚えていてくれた。昼どきなので混んでいる。ここではバレめし(撮影スタッフがその日は弁当ではなく各自好きな店に行って食べる)のときによくやってきて生ビールを飲んだ。食後にも撮影仕事があるから一杯しか飲めなかったが白保の真夏はまったくの「ぶちくん」(あまりの暑さに気絶する)なので、ここで生ビールを飲むともう一生ここで飲みつづけていたいなあ、と思ったものである。
 懐かしい味はむかしのままでかわりがなかった。八重山そばは細くて丸い断面で、柔らかく腰がある。具には豚肉とかまぼこが一般的。懐かしさもプラスしてかぼくはしみじみおいしく感じた。今回も我々取材団はいつもの五人だが、沖縄シリーズだけ同行している島事情にくわしい人が一人加わっている。
 ラーメンにコショウ、日本蕎麦にトウガラシ、というように「沖縄」もこの「先島諸島」もコーレーグースーをかける。トウガラシの泡盛づけで、これが不思議にひきたつ。
 本島の「沖縄そば」はときとして固く感じることが多く、それにスープがかなりぬるいのが多いように思う。このスープのぬるさは暑いところなので気を使っているのかも知れないと思い、島の人にこれまでけっこう聞いてきたのだが、そんなことでもないようだ。時々どんぶりを持ってくるおばあさんの指がスープにどっぷりつかっていることがある。
「おばあの指がみんなつゆにつかっているよ」
 と島の客が言うと、
「ぬるいから心配ないさあ」
 なんて返事がかえってくる。

宮古そばの説得力

 白保から玉取崎方面にむかってさらに進むとだいぶ閑散とした道端にいきなり「鍵」という店があり、ここは本格的な「きしめん」の店である。
 家族はもともと名古屋在住だったが、娘さんが名古屋の沖縄料理屋さんで働いているときに石垣島出身の現在のご主人と結婚し、それが縁で両親もこの島に移住。「きしめん」をはじめたのだという。
 庭は熱帯植物園のようになっていてガジュマルやヒカゲヘゴ、ハイビスカスの花などが風に揺れている。
 間もなく庭に出されたそれはなるほど本格的なきしめんで、おそらく先島諸島では唯一の本当のきしめんを食べさせる店だろう。
 ん、まてよ。つーことは、これは日本最南端のきしめんであり、台湾やボルネオあたりからみたら最も近い北のきしめん、ということになるのである。だからどうした、という声もあるが、凄いことではないか。さがりおろう台湾の銀糸麺、河拉麺、粉餅麺。ボルネオの猪豚どもよ。
 市内に戻り「一休」でヤギソバに挑んだ。沖縄では山羊はヒージャといって定番の食材だからヤギソバもそんなに変わったメニューではない。ただし慣れというのは厳然として味のよしあしに関係してくるから、麺の甲子園ではあまりにも特異スタイルということになり不利かも知れない。
 続いて「辺銀(ぺんぎん)食堂」である。ここはテレビに紹介されたりしていつのまにか有名店になっていた。ラー油が人気で二階にあがると六人のアンマーやネーネーが熱心にラー油の梱包仕事をしていた。全国の出荷があいついで間に合わない状態という。
 ここではジャージャンすばと餃子で勝負。一気に洗練された都会の味というのがこの店だろう。ジャージャンすばがうまい。八重山そばではここがもっとも先鋭的な位置にいるのだろう。
 石垣島での取材はここまでで、あとの八重山そばは沖縄本島に行って取材することになった。
「宮古そば」は那覇市辻にある「だるま」である。トッピングにフーチバの入ったのを注文したが、麺のゆでかげんといい、スープの奥の深い味といい、ここは即座にうまい店ということがわかった。
 店の人にくわしい話は聞かなかったが、たぶん原則に忠実にけれんみなく作っているのだろう。宮古島は石垣島ほどには足を運ばなかったのでここで先島諸島のそばの、島によっての違いのようなものがいつのまにか少しずつわかっていた。
 ことさら島の売り込みや、三線の民謡などが流れるということもなく全体に淡々と宮古のそばを作っています、という姿勢がなかなかよかった。
 続いて「大東そば」である。南大東島に行ったとき民宿の真ん前がこの大東そばの店で宿の朝飯はこの店で食べる。当然昼はこの店の大東そばである。夜は生ビールのあるこの店で呑んで海のものを食って最後は大東そばである。三泊していたからこの島にいるあいだいったい何杯大東そばを食ったことであろうか。
 店主がなかなかいい面構えをしていて、その当時、東京で何かの抗争があってどうやらこの島に一時避難していたらしいヤクザの親分らしい人がいて、いつの間にか仲よくなってしまい、この「いさの大東そば」をなんとか那覇の都会に出店させて「いさ」を男にしよう、などというプランを親分と本気で語り合ったりしたのである。
 そのとき話をしていた那覇の店がこの「大東そば」のようであった。
 ラムの入った肉そばはニンニクが効いていてひりりとおいしい、とこれはほかの審議団のめんめんの意見。そのときは前日の泡盛の飲み過ぎがたたってぼくはあまり戦力にはならなかった。
 もうひとつ「与那国そば」というものがあり、那覇にもその店があるというのでこれで先島諸島のそばをすべて制覇、と勢いこんでいったら閉店していた。
 与那国そばは空港の食堂のが一番おいしいという評判で、事実そうであった。
 この島は与那国そばではなく、椰子蟹のワタ(腹部の睾丸そっくりのところ)を潰したのを汁にした「ビアガーデン国境(はて)」の「睾丸(クーガン)つぶし汁椰子蟹そば」がもうタハタハ化するほど強烈にうまかった。本島と先島諸島をぶっちぎって全国大会に十分通用する凶悪な戦力を持っているが、出場してくると大会のうるさ型から「品位に欠ける」などといったクレームがたちまち出てきそうだ。
(次回後半戦は本島の熱き闘い)
# by shiina_rensai | 2007-07-19 12:39 | Comments(1025)

第14回 北北海道大会
豚骨醤油の説得力

 札幌発九時の特急に乗ってやってきました麺の甲子園公式査察団一行五名様。自分らに「様」をつけるな、という天からの声も寒さで聞こえない、というのはまったくの嘘で、はるばる旭川まで来たというのに暖冬異変は“極寒”で知られるこの北の街も例外ではなく、まあ札幌よりはいくらかひやりとはするけれど、でもこの時期手袋もいらないというのはやはり異常らしい。
 いつもだとレンタカーで動き回るのだが、雪道走行に慣れていないので大事をとってジャンボタクシーを予約してあった。杉原、楠瀬、今泉、カメラの佐藤、それにワタクシがどどっと乗ってもまだ席のあいてるジャンボタクシーの威力を見よ! などとみんなで威張る。バカなのである。
「では本日の第一試合を発表します。この地で名高い蜂屋本店です」
 杉原が全員に通達する。一同拍手。なんとこの店は十時三十分開店という。旭川ラーメンの蜂屋は有名で、インターネットの情報などでは五条支店のほうがうまい、などと書いてあるがこういうのは単なる個人の好みでどうとでも言えるからあてにはならない。
 のれんを出したばかりのようでやっぱりまだ誰も客はいなかった。入っていくとそこらのおばちゃんみたいな人が「いらっしゃい」と適当な声で言った。こういうのでいい。
 前回、南北海道大会は函館の有名店が全員大声で「いらっしゃいませええええええ」と叫びまくり、何ごとがおきたのかと思うような「タダナラヌ」オープニングだった。叫び系の嫌いな筆者は逆上してそのことにかなり怒りのページをさいてしまった。やや言い過ぎだったかな、もう函館に行ってもあの店には行けないだろうな、と思いつつもその考えは変わらず、ラーメン屋はやはりこういうありのままの静かな人間っぽさで客を迎えてくれるところが情緒があっていい。
 厨房はかなり大きく、テーブル、椅子もいっぱいある。表通りに面した入り口のガラスの部分が大きいので店内はきっぱり明るく、陽光が斜めに差し込んでいていかにも北国の朝だ。暖冬とはいえマイナス十三度。厨房の大鍋の湯気が入り口からも盛大に見える。
「これがマイナス二十五度ぐらいだったらもっと凄いよなあ」
「マイナス五十度だったらむこうが見えなくなるくらいでしょう」
「マイナス八十度だったら息をすうと鼻からあの釜の湯気が入ってくるかんじでしょうなあ」
 例によってたいへん知的レベルの低い会話がなされる。おばさんがじっと注文を待っている。いかん。急げ。
 全員同じ普通の醤油ラーメン六百円を注文した。すぐに製作が開始される。ずらっと並べられた人数分のドンブリに熱いスープをそそぎ、そこに茹であがった麺を入れる。茹で釜の係りらしい痩せぎすのおじさんが両手に箸をもってそれを別々に動かしながら上手に無言で均等によりわける。その互い違い別々に動く両手の動作が見事である。なんだか「名人技」だ。これで両足を使っていたら『千と千尋の神隠し』の「釜じい」だ。この道軽く五十年を思わせる味のある、これぞすぐれたラーメン顔だ。
 札幌ラーメン横丁なんかでよく見るギトギトの味噌やけ親父の顔と随分違う。
 世の中の麺ものレポートは味のことばかり語っているが、わしらは自称「公式」であるから常に鋭く全体を見ている。実はそれぞれの麺やスープのことをあまりよく知らないのである。
「あいよおッ」と言っておばさんがあつあつのを持ってくる。これまであまり語らなかったが日本の麺で何が素晴らしいといってこの「速攻」をきっぱり評価したい。
 アメリカや中国で日本の「ラーメン」が人気なのはこのすぐれたファストフードのシステムで、日本のラーメンに匹敵するのがラオスで「フー」、ベトナムで「フォー」と呼ばれるビーフン系簡単麺。ラオスには店名のない「フー屋」としか言いようのない店があってここは常に二百人以上の客で賑わっているが注文すると三分であつあつのが出てくる。食うと確実にパンツまで汗だらけとなるが、この速さと暑さと熱さがいい。
 ラオスは何もない国とよく言われるがラオスの誇れる代表はこの「フー屋」といっていいだろう。堂々たるものである。
 ベトナムは屋台の「フォー」屋さん。どこに行っても何時いっても必ず目に入る。たっぷりのミントやバジルやセージなどのハーブ系の生野菜に生モヤシを乗せる。パクチー(香菜)が駄目なひとは食えない。おしなべてラオスよりも甘くてスープがぬるい。それにドンブリが異常に小さいので量が少ない。カンボジアは平均がBクラス。ミャンマーは「モヒンガー」といってナマズの出汁にニョクマム味のビーフンで、これが一般的な朝食だがどこも甘味なのがつらい。
 麺の甲子園インドシナ半島大会を開いたらラオスが強い。対抗はタイのカニカレー麺だろう。これは悶絶的にうまいが一般的ではない。タイ麺を除いてこれらのいずれもが頼めばすぐに黙って出てくる。この速攻性機動性が「麺勝負」のひとつのポイントのような気がする。
 北国でそんな暑い国の熱い麺を思いだしながらフッハフッハと旭川ラーメンをすする。うまい。
 麺の甲子園、常に第一試合有利説の基本的な背景もあるが、それにも増してこの寒い土地によくぞここまで、というくらいにこの店の豚骨醤油味の説得力は凄い。
「なかなかやりますな。モノの本にはこの店は鰺とラードで勝負してる、と書いてあります」
 今泉三太夫が、声をひそめて言う。
「うむ」
「しかしそれ以外にもこのいくぶん焦げ臭いところに何か隠し脚じゃなかった隠し味の秘密がありますなふふふふふふふ」
 三太夫、たいして必要のないコトで含み笑う。
「おぬしも悪よのう。ふふふふふふ」
 こっちも意味なく含み笑ってしまうではないか。
美人キャベツ

 体の中心が温かくなるとマイナス十三度は我々全員今年はじめて味わう寒さだから店に入ったときよりも顔や手は冷たく感じる。ジャンボタクシーに戻り、杉原が次なるところの行き先をつげる。
 杉原がスコアブックをひろげて何かメモしている。今の店の評価であろうか。そっと覗き見ると「さむいけどうまい。うまいけどさむい」と書いてある。大会実行委員長としてはなんというボキャブラリイの乏しさ。もっともこっちは何もメモしてないけど。杉原はこの麺の甲子園で日本中を動きながら、単に一般的に「麺」と言われているもののほかに「細くて長くてすすれるもの」も積極的に取材対象にしようとしている。状態が「麺」状と見られるもの。いうなれば「亜麺」もいろいろ探り、それも取材していこうという心の広い太っ腹姿勢である。
 定義をおさらいすると①細ながく②いっぱいタバになっており、もしくは絡みあっており③それが七センチ以上あり④口から垂れ下がるもの――という簡潔なものだ。
 口から垂れ下がるものという規定はハリガネとか五寸クギなどの無法者の乱入を防ぐためである。あっそうか「食えるもの」という一項を入れておけばよかったのか。もう遅いけど。
 これまで京都のクズキリ、越前のモズク、青森のそばもやし、下仁田のシラタキ、糸コンニャク、博多、函館のイカソーメン、静岡のトコロテンなどに愛情をそそぎ、積極的にとりあげては一回戦でたたき落としてきた。その杉原が今回かなり力を入れているのが、これから行く和寒というところの「越冬キャベツ」なのであった。和寒と書いて「わっさむ」と読む。本当に寒いところで過去最低気温マイナス四十一・二度、日本最低気温記録を出したことがある。
「わっさむではなくわっ! さむと言ったほうがいいでしょうなあ。ぬふふふふふふ」
 今泉三太夫が低い声で含み笑う。こらあ! 意味なく含み笑うな。
 塩狩峠を越えて雪道を四十分ほど走るとあたりはいよいよ雪原になってきた。遠くに小さなスキー場が見える。平日の午後だからかリフトは動いていないようだった。
 やがて唐突に現場に着いた。杉原が連絡をつけておいたのは越冬キャベツを掘り起こしている現場なのであった。小型のユンボが動いており、雪原を掘っている。三~四十センチぐらいの雪を平均にかきとり、手でその下の雪を丁寧に払っていく。雪の下にもこもこと大きなキャベツが並んでいてなんだか可愛いのだ。
 毎年十一月の、そろそろ雪が積もってくるな、という時期を見計らってキャベツの芯を根から切り、下にビニールシートを敷いて転がしておく。あとは降り積もる雪がそのキャベツを覆っていき、雪の下で越冬する。キャベツは全身を固くして身を引き締めるようにするから普通のキャベツよりずっと葉のひきしまりかたが違うという。(ホントかな?)年を越して二月あたりの一番寒い頃にこうして掘り起こすのだ。
 掘り出したばかりのそれは薄い緑とブルーがまじったような肌のしなやかな美人キャベツなのであった。持ってみるとずしっとした堅太り。おばさんが包丁でバサリと真っ二つに切ってくれた。
 かじると冷たくて甘い。もともとキャベツが好きでよく食うがなるほどこんなにびっしり密度をもって葉がしまっているキャベツははじめてだ。シャキシャキしたここちのいい噛み味。それにしてもなんという上質の甘さであろうか。糖度は平均十度でメロンやフルーツトマトと同等という。
 一冬雪の下で越冬することによってこの甘味がつくられるらしい。「たんぱく質がアミノ酸に変化するから」ということまではわかっているがなぜ甘味が増してくるか詳しいことはわからないらしい。
 杉原のできるだけ麺として扱いたいという基本方針のもと、それを細切りにしてもらう。が、しかしこの場合はちゃんとしたまな板の上にのせ、よく切れる包丁で幅一ミリぐらいにザクザク切って大きな皿に乗せ、ソースなどかけて食うというやり方でないといまいち形状的に「麺」としてのアピールは乏しかったようだ。甘くて旨いのに残念。
 しかしこれだけうまいキャベツなのに今年は暖冬でキャベツの豊作となり、この越冬キャベツのメインブランド「冬駒」も卸値は一キロで二百円にしかならないという。畑一反で六トンを掘り起こせるのだがそこまで値くずれしていると労力のほうが断然大きくなってしまいよく出来ているのに仕事としての実りが少ないという。
 マネーゲームとかなんとかでテーブルの上のコンピュータをカシャカシャやって一日で何千万儲かった、などという社会にしてしまって第一次産業をおろそかにしている今の日本の仕組みに苛だたしさを覚えるのはこういう時だ。
 帰りのクルマの中で遠いむかしのことをしきりに思いだしてしまった。
 あれは「怪しい探検隊」で日本のいろんな島に行っていた頃のことだ。ある無人島キャンプに持ち込んだ備蓄食料がつきはじめていた。とくに麺がまったくなくなっていることに気がついた。ダンボールにいれて持ってきた食料をきちんと点検せずに十人あまりの人数でキャンプしていたのだが、みんな麺ばかり食べていたのだ。一日最低一麺の人生を歩んでいたぼくはどうしても麺が食いたくてたまらない。
 見落としはないかあらためてまた食料の入っているダンボールを調べていくとだいぶひからびた半分の白菜が目についた。とくにその白くて厚い芯の部分にココロがざわめいた。これを包丁で細く細く切っていったらうどんに似たようなものにならないか。思うのと同時にそれをやっていた。フライパンに油をひき、その白菜代用麺を炒めてソース味で食った。ソースうどんのつもりだったが思ったよりもまずかった。
 まずいけれど精神的にはなんとはなしの安堵があった。さっきの越冬キャベツはその意味で白菜に断然まさる。しかしダイコンのツマと戦ったらどうか。シラガネギがどさっと現れたらどこまで戦えるか、そうだ。ソーメンカボチャ(金糸瓜=スパゲティスクワッシュ)というのがあった。あれはかなり驚愕的な「野菜麺」だ。しかしそうはいっても今朝の旭川ラーメンには所詮相手にならないよなあ。野菜類を弄んでいるなあ、おれたちは……野菜方面の“麺もどき”のそんな悲しい宿命をいとおしく思いながらずんずん旭川方向に戻る。

負けたら即死だ

 再び旭川市内で「橙や」に入る。朝の「蜂屋」にくらべると妙に暗い店だ。ここは激辛ラーメンが売り物のひとつらしく辛さのランクがある。よくあるのは並辛、中辛、激辛などという辛さの順列表記だがここのは「絶叫」「地獄」「即死」という強烈なものだった。辛味好きで自虐癖のあるカメラの佐藤がええい! と言いながら「即死」を注文する。
 注文をとりにきた店の女性が例のマニュアル言葉で「即死でよろしかったですか」と過去形で聞く。佐藤うなずく。他の四人は普通のラーメン。やがてそれらがいっぺんに出来てきた。
 店の娘が聞く。
「即死はどちらの方ですか?」
 佐藤、手をあげる。十五分後その店を出たのは当然佐藤のいない四人であった。
 旭川から釧路に飛行機で移動する。空港のロビーに大きな垂れ幕があった。甲子園春の選抜大会出場チームへのエールだった。麺の甲子園としては当然親しみをこめて激しく反応する。
「輝け! 旭川南高校 弱気は最大の敵」と、ある。なんだかカックンとなる。
「これ、気分的に最初から負けていませんか」
 今泉三太夫が低い声でいう。即死からなんとか蘇生したカメラの佐藤が「何事も強気でいかなければ!」と聞いたふうなことを言う。「輝け! 旭川南高校 負けたら即死だ! ぐらい言わないと。ふふふふふ」
 夜の釧路に着いた。空気の冷たさが旭川とはまた違う。釧路にもおいしいラーメン屋がいっぱいあると聞いていたがこの地はぼくと三太夫に当初から必須訪問店があった。
 北海道でもとりわけさいはて感の強い釧路はよく来ることが多く、来れば必ず「仁」に行く。それは今泉も同じで、釧路の「仁」にきたら迷わずタンメンを食べる。タンメンというのは不思議なものだ。
 どこのラーメン店にあるというわけでもなく、札幌は味噌ラーメンで南九州はトンコツラーメンというような確たる地域性もない。一説には東京のものだという人がいる。東京のそこらの名もない商店街にあるありふれたおとっつあんおっかさんのラーメン屋にこのタンメンがあったりなかったりする。
 ヘンな言い方だがそこにぼくはひとつの尺度をもつ。おしなべてタンメンが感動的においしい店はあまりない。「メニューがこれだけでは寂しいからタンメンでもいれておくかね。おかあさん」などというラーメン店夫婦の会話があってその店のラインナップに加わる、というたぶんに員数あわせのオザナリアイテムという気配も感じる。
 しくみとしてはたぶんこうだ。いろんな中心メニューを作ったものからすこしずつ余るものがでる。白菜、人参、モヤシ、椎茸、タケノコ、ネギなどといった残り野菜をどさっと入れて一番無難な塩味でなんとか味を調えとけばいいんでないかいおかあさん。そうだわね。野菜が豊富だしなんだか栄養豊富に思えるわね。
 マンガ家の東海林さだおさんは「タンメンは野菜の甲子園だ!」という名言をかたった。
 そのタンメンでは左に出るものはあっても右に出るものはない、というのが釧路の「仁」なのである――と今泉三太夫とぼくはかねがね力説していたのである。

タンメンの落ち着き

 あまりカンのよくないタクシーの運転手だったが、なんとか「仁」に到着。カウンターと小あがりの典型的な北国ラーメン店仕様。小上りにすわってタンメンを注文する。ここも注文してから出てくるまでが速攻である。
 今泉三太夫は自分の人生の中で食った麺の中でここのタンメンが一番うまい! と公言してはばからない。
 沈黙系タンメンである。麺やスープが人間の意識を吸収して集中させるのでダシがどうのとか製麺所がこうのといったそのテのゴタクが出ない。つまり落ちついて食える。おそらく作っている「仁」の誠実そうなおじさんも理屈なんぞなしにごくごく自然にこうしたらおいしいだろうと思うままに作っているのだろう。有名ラーメン店などが、マスコミの大げさなあおりたてを真に受けて行列を作る若者たちにゴタクを並べているあいだにこういう店が「うまいものはうまいっしょ!」という説得力をもって黙ってきっぱり勝負している。そういうふうな店だ。
 その夜は釧路の名店、炉端焼き発祥の店、その名も「炉ばた」へ行った。ホッケ、キンキ、シシャモ、銀ダラなどを肴にビールや酒を飲む。炉端やき七十年(もっとか?)という気配のおばあちゃんがいた。炭火にあぶられて七十年。文化勲章ものである。ぼくの隣にいた中年の夫婦が何を食べてもこころから「おいしいねえ!」「おいしいねえ!」と言ってはうなずきあっている。釧路版さくらと一郎のようで美しくはかなげで感動的であった。その横で杉原がジャガイモの上に乗ってきたイカの塩辛をしげしげと眺め「漬物界の麺」とは言えまいか、としきりに考えている。
 その帰りにまたもや釧路ラーメンの店「河むら」へ。クラシックな釧路ラーメンというだけの感想であまり記憶にない。たぶん酔っていたのだと思う。気温はマイナス十五度ぐらいだろうが路上でギターの弾き語りをしている若者がやたらに多い。これだけ最果ての街にくると人通りもなく冷たい夜風がころがるように通り抜けていく。
 翌日は八時に和商市場に行ってひとまわり。これからまだ食べる勝負があるというのにぼく以外の四人は「勝手丼」の誘惑に勝てず、マグロ、イクラ、エンガワ、ヒラメ、ホッキガイ、イカなど好きな具を勝手にドンブリに乗せたのを食っている。節操のない勝手な連中だが見るとなかなかうまそうであった。
 タクシーで北北海道最終試合「まるひら」に。なんとここは九時三十分の開店なのである。開店時間に間に合わせていくとすでにタクシーの運転手らしき人々が数人待っていた。聞けばこのようにタクシーの運転手さんが待っているのでこんなに早く店をあけるようになったという。
 明るくて愛想のいいおかみさんがてきぱきと注文をとり、ここも速攻でカウンターにドンとできたての「釧路ラーメン」が乗せられる。さっぱりとしてコクがある。腰のある麺はキレもある。コクがあるのにキレがある。あれ? 少し前のビールのCMにそんなのがあったなあ。何も足さない何もひかない。意味がわからない。でもうまい。堂々たる逸品である。北北海道大会は激戦だ。
(次回は沖縄すば珍道中)
# by shiina_rensai | 2007-06-12 17:20 | Comments(236)

第13回 北海道ジグザグ横断 南北海道大会篇
イカソーメン最後の戦い

 いよいよ北海道ブロックのタタカイとなった。北と南の二ブロックに分かれ、それぞれの代表二麺が全日本選手権大会に出場することになる。これは高校野球甲子園大会の出場ブロック分けと同じである。そしてまず今回は函館、小樽、札幌の南北海道ブロックである。
 いつもの審議団五人は早朝の飛行機で函館にむかった。北海道は例年になく雪が少なく暖冬気配ではあった。そうはいっても二月である。気温はマイナス二度。小雪がぱらついていた。
 まずは名物観光エリアである函館朝市に行った。平日だからなのか客よりも土産物屋の前でうろうろしている店員のほうが多い。歩いていくとどの店の人も「ナニナニはどうですか」などとみんな必ず声をかけてくる。
 そこで思ったのだが、今回は何時になくシリアスに「売り手側(店側)と買い手側(客側)」の感情や感覚の毀誉褒貶に触れるようなテーマに迫ってみたいと思う。とはいえあくまでも発作的なものだからどうせ中身はたいしたことはない。
 いきがかり上まず「売り手」と「客」の心理的な問題に留意しながら話をすすめていきたい。
 観光地における土産物屋のセールストークはだいたいにおいてわずらわしい。
 観光客は自分の興味のおもむくまま自由にそこらのものを見たいのだ。分からなかったり気になったりしたら店の人に聞けばいい。
 日本の多くの観光地の土産物屋はこの心理をわかっていない。まあ客が少なくて暇だということもあるのだろうが、多くの客はぼんやり静かにその土地の風物、風土を土産物などを通して個人的に感じてみたいと思っているのに、そこにうるさくまとわりつく。だから販売員が近寄ってくるとじわじわ去っていく人も多いのだ。この傾向はとくに北海道に多い、ということを今回発見した。
 本当は客をほうっておく時間が必要なのである。しかしその日の観光客の大半は台湾人らしく、簡単には言葉が通じないから売り子の迫りすぎによる弊害は少ないようであった。それにしても中国語の団体が多いな、と思ったら最近週三便の函館―ソウル経由台湾路線が開通したらしい。冬でも温かい台湾からの人々は北国の寒さも観光魅力のひとつらしく、全員フードつきのダウンを着てまん丸の台湾ダルマとなって嬉しそうだった。
 我々はまず杉原委員が調べてきたイカソーメンの店に行った。イカであってもソーメンと名乗るからには麺の甲子園としては捨ててはおけない。
 すでに博多などでイカソーメンのエントリーはあったが、居並ぶ本流麺の強豪にことごとくやられて早々に敗退している。しかし寛容な「麺の甲子園大会実行委員会」はなんとかイカソーメンをどこかのブロックで活躍させたい、という親ゴコロというものがあるのだった。そしてかねがねその本命は函館であろう、と目をつけていた。
「イカがあのなめらかな白い肌をピクピクさせて横たわっているところを見るとなんとかしてあげたい、とどうしても思うもんね」
 委員の楠瀬が市場のイカを見ながら言う。
「ヤリイカなんか肌がすきとおっていてまったく全身がはかなくて、もう何してもいいわよっていっているところがたまらないね」
 今泉三太夫が大きくうなずく。
「これまでイカソーメンはいずれも一回戦で敗れていたからここでなんとか男にしてやりたいね」
「アレ? イカさんて男だったの?」
「甲子園だからね」
「なんだ」
 全員いきなりがっくりして冷たくなる。
「なんだ」

色紙ラーメン

「すずや食堂」に入った。イカソーメン定食を一人前注文。イカさんは細長い皿に幅二ミリぐらいでまっすぐ切られ、たしかにソーメン状態で出てくる。その盛り方は今までのイカソーメンで一番美しいようだ。
 冷たい汁につけて生姜の薬味ですする。コリコリ感はないが甘くてねっとりしていかにもイカだ。いかにもイカと言われてもイカなんだから当然なんだかんなとイカは言っているかもしんない。でもこれにごはんと味噌汁がついただけで一○五○円という値段はいかがなものか。ちょっと高いんでないかい、とにわかに北海道弁になる。
 定食のごはんと味噌汁は手をつけずにおいた。杉原がタラバガニの足を単品注文し、細く切り裂いてカニソーメンにならないか研究していたがそれはちょっと無理なんじゃないかい。
 続いて同じ市場にある「味の一番」で函館ラーメンを注文。本日全員朝飯抜きで来ているからこれが遅い朝食になる。
 この店は有名人がいっぱいやってくるようで、よくあるように壁にサインの書かれた色紙がずらっと貼ってある。例によって破滅的にぐちゃぐちゃに崩したとうてい人間の書いた文字とは思えないようなのばっかりでオランウータンが書いたほうがもっとなんとかなりそうだ。
 なんという名が書いてあるか見当もつかないようなこの芸能人特有のグチャグチャ記号みたいなサインを見るたびいつも不思議な気持ちになる。
 この芸能人や有名人の色紙をところせましと貼る店のココロは「これだけこの店に有名人が来ているんだからおまーら有り難く思って食うように」と言っているのだろうが、そうはいってもここまでぐちゃぐちゃな文字で何が書いてあるかわからないのを見てもその説得力はあまりないのである。
 ときたまちゃんと読める字で書いてあるサインがあると好感をもつのだけれど、その名を見てもどんな人かわからないのでやっぱりあまりありがたみがなかったりする。たぶん地方テレビの朝市探訪のレポーターなんかなのだろう。
 全国の店を歩いて思うのはこのように芸能人の色紙をベタベタ貼ってある店はまあたいていB級である。そんなのを見ても客はべつに嬉しくないというのを店はどのくらい認識しているのだろうか。難解色紙を鑑賞しながらストーブにあたっているとあちあちのラーメンが登場した。
 函館ラーメンは塩味が主流であるという。ゲンコツと呼ばれる豚の骨を真っ二つに切ってそのむきだしになった骨髄から沸騰させないようにじっくり煮てダシをとっているという。全員空腹で臨むこの麺の甲子園第一試合有利説はゆるがず、このさっぱり具合は感動的である。半分近くずるずるっと食べてしまう。
 この店にもイカソーメンがあったので公平を期して注文した。味はさっきの店とあまり変わらずイカソーメン同士の優劣はつかない。同じ土地だから同じイカを使っているわけだろうからなあ。高校野球でいえばみんな「函館イカ中学校」略してイカ中出身の選手であるから当然といえば当然だ。

叫ぶラーメン

 続いて五稜郭そばの「あじさい」へ行く。ここは有名店である。開店の十一時前に着いてしまったので店の前に座って待つことしばし。ほかにも待っている人がいる。十一時ぴったりに店の人が「準備中」のカードを外しにきた。このへんまことに時間にきちんとした日本ならではの対応で感動的。
 店はモダンできれいなしつらえ。その日一番乗りの我々に店中の従業員が「いらっしゃいませええええええええ」などと口々に叫ぶ。従業員は厨房と店内まぜて十人ぐらいいていかにも繁盛店だ。しかしこの全員が思い切り大声で叫ぶので騒然とした状態になる。なにかタダゴトではないというかんじ。
 必要以上に叫びまくる店は日本にいっぱいあるけれど、あれにどんな効果があるのだろうか。叫ぶ「いらっしゃいませえええ」には本当の「いらっしゃいませ」の心や気持ちを感じられないからぼくは嫌いである。単なる記号としての大声。毎度毎度の叫び声だから言葉の意味をこえて気合のようになっているからなおさらである。
 外国にこの叫び系の店はまずないから日本独特のものだろう。ガソリンスタンドなどもよく叫ぶが、冬などは野外の仕事で寒いのでそれで調子をとっているようなところがあり、まだわかるが、飲食店での「叫び」は単純に無神経である。とくに叫ぶ寿司屋には行かないほうがいい。そのぶん【唾/つば】が飛びまくっているからだ。
 二番手三番手の客にも「いらっしゃいませえええ」の叫び声がひびくなかで函館塩ラーメンを注文。店内にはジャズのBGMが流れ、天井からぶらさがった大きな液晶テレビには店のプロモーションビデオが流れる。田舎で都会ふうを気取るとこういうふうになるのだろう。
 ニューヨークやサンフランシスコのカン違いラーメン店はテレビを二、三台天井からぶらさげてガンガン大きな音をたてているところが多い。辟易するがアメリカ人は日本のラーメン屋というととにかくテレビを大きな音で流しているもの――という錯覚があるらしいのだ。
 さてこの「あじさい」の塩ラーメンの味はよかったがいささかしょっぱいのが残念だ。すまん。本音の探訪シリーズなので思ったとおりを書いている。どうしてもあの無意味な叫び声がひっかかるから我々のようなひねくれた客にはこの店は不利だ。
 横浜のいわゆる「家系」ラーメン屋の多くもこのようにして叫ぶ。叫び声の「いらっしゃいませえええ」や「ありがとうございますうううう」が個人の本音ではなく、経営者の方針で言わされているのだということを客は直観的に知る。
 客はバカではないから従業員全員が「いらっしゃいませえええ」と叫んでいても「実」は感じないのである。誰も叫ばないでいいから入り口にいる誰かが客の顔や目を見て静かに自分の声で「いらっしゃいませ」と笑顔で言えばいいのである。そのほうが客は実を知る。厨房の料理人はくだらない叫ぶ義務から逃れていま作っている料理に励むべきである。そのほうが客は納得する。唾も飛ばないし。
 嘘だと思ったら一度実験してみたらどうだろうか。この店は従業員が全員で叫ばないからもう来るのをやめる、という客がいるかどうか。

麺のさすらい巡礼団

 函館から小さなプロペラ機で札幌の丘珠空港へ飛んで列車に乗り換え、小樽にむかった。小樽はやはり雪。いや吹雪といってよい。函館よりもぐんと気温は下がったようである。駅からつるんこつるんこ滑りながら十五分ほど凍てつく小樽の路地を行く。
 フードをかぶり一列になってひたすら歩く我々の最後尾をいく今泉三太夫が「雪こごえ北路あゆんで麺の巡礼」などと詠む。
「われはずる めんずるずるの ずるりずらずら」などと楠瀬が鼻水すすりながらわけのわからない返歌をよこす。
「わけてぞいりくむなにもここまで」
 重いカメラ機材を背負った佐藤がため息まじりにつぶやく。
「うどんだもの まこと」
 とぼくはひとこと静かに応える。
 杉原審議官がノミネートしたのはここの「豪雪うどん」であった。しかしさがしあてたその店は五、六人はいれるかどうかという小さな店で店主のお姉さんはカウンターに突っ伏して居眠りをしていた。休み時間になっていてあと二時間待たねば開かないという。
 杉原が「わしらはのう。ここまで豪雪うどんを食いに飛行機と列車に乗ってはるばる来たんもんやさかいちりもりぐって食べさせてくれへんとハアどえりゃあこまるけんでごわすべしばいとってんゴッホ」などとドイツ語まじりの各地デタラメ方言で哀願した。
 さいわい気持ちのわかるお姉さんで、作りますよと言ってくれた。
 温かい「田舎うどん」に冷たい「ささめうどん」。この店の麺は羊蹄山の麓、倶知安(くつちやん)でつくられたジャガイモ麺である。九十五パーセントがジャガイモで、つなぎに小麦粉がつかってあるという。
 まつことしばし。やがてカウンターにあらわれたそれは柔らかいなかにも腰のある個性豊かなしろものであった。一口食べて思い出したのは盛岡冷麺。歯ごたえがよくその強いコシのわりにはきっぱり咀嚼できるのがまたいい。思わぬ収穫である。雪道をこけつまろびつやってきた甲斐があったというものだ。なにしろこのうどんのためだけに小樽に来たのである。
「なかなかやるではありませんか。とってんゴッホ」
 杉原がまたドイツ語なまりで感想を述べる。酒を飲んだあとなど癖になりそうなどさんこご当地麺であった。
 駅にもどってすぐさま札幌へ。麺の巡礼団は忙しい。

味噌の貫禄

 札幌のホテルにいったん荷物をおいて「彩未」というラーメン屋らしからぬ名の店にむかった。もともと札幌のラーメン屋の屋号は伝統的な中華系的店名をはずしたものが多い。
 札幌ラーメンといったら味噌味であり、ススキノあたりにいくとゴマンと「うまい味噌ラーメン」の店がある。小樽の先の余市にぼくのカクレ家があるので札幌は日本で一番来ている地方都市であるからそういう店をいろいろ知っている。
「五丈原」「山桜桃(ゆすら)」「味の時計台」「らーめんてつや」「らーめん山頭火」、人気有名店はどこもみんな同じようにうまい。
 冬のシバレル時季に熱くて濃厚な味噌ラーメンを食べたらよほどとんでもなく下手くそな店でないかぎりこれはみんなうまい。
 しかもラーメンのうまさなどというのは超個人的な尺度で決まるから、こういう時の選択は難しい。強いていえば、この「麺の甲子園」は特定の店を云々するのではなく、札幌全体の「味噌ラーメン」で考えればいいのだろう。だからこそ、どこに入ってもそこそこうまい。多少うまさの差はあったとしても、それはあるかなきかの差なのだ。ましてや味噌味にそんな繊細な差などあり得ない。したがってススキノのラーメン横丁で行列のできる店とそうでない店ができるのがぼくにはよくわからない。たぶん情報誌などの露出の差によるのだろう。
 しかし凝り性の杉原は独自の情報網を駆使してその日は観光客ではなく地元の人で混み合うという店をわざわざ選んだようであった。
 出てきた「彩未」の味噌ラーメンは生姜の味が効いて当然のようにうまかった。強烈味の味噌はラーメンのかんすいの匂いや味を消し、うまみを引き立てる。その逆を言えば味噌ラーメンはラーメンの味の中ではもっとも下品ともいえるのだ。
 この店の従業員は厨房にわかい男が二人、店にわかい女が二人。マニュアルで動くチェーン店みたいだ。
 おいしいけれど、そういうバックボーンがつまらないといえばつまらない。ススキノの乱戦地帯にいくといかにも味噌やけしたようなラーメン親父がでんと構えている店が沢山ある。それらの多くには観光客がありがたがって列をつくったりするから対応にどこかカン違いがあってエラソーだったり蘊蓄がハナモチならなかったりする。それがまた面白い。がさつな味噌ラーメンはこの道何年というような枯れた名人が似合わない構造になっているのだ。
味噌もカレーも一緒
 雪の少ない札幌はもうじき開催される「雪まつり」に雪がないので定山渓から雪を何十トンも持ってきてそれが巨大なコンテナ車の重なりのようになって置いてある。
「雪まつりといっても見にくるのは観光客で地元の人はいかないもんね」タクシーの運転手が言う。
 麺の巡礼団は次にジンギスカン専門店に行った。ジンギスカン鍋がモンゴル料理と聞いて、モンゴルに初めていったとき、本場のジンギスカンが食えるのかと思ったが、そんなものはどこにもなかった。
 以来何度もモンゴルに行くうちにわかったがモンゴルにはジンギスカンなどという食い物は存在しない。なぜならモンゴル人は肉を焼いて食うということは絶対しないからだ。いまでこそ韓国資本がヤキニク店をつくって牛肉など焼いているが、遊牧民は今でも肉は焼かない。何故なら牧畜業のかれらは動物を大事にする。それを食べるときは血も脂も大切な栄養源として食べる。肉を火で焼くと脂が垂れて燃えてしまう。そんなもったいない料理はしない、という考えだ。
 したがってジンギスカンは「日本人だけが食っているモンゴル料理」というわけのわからないものなのである。
「十鉄」という店に入った。サッポロクラシックの生ビールがうまい。生ラム肉、塩ホルモンなどをばしばし食って、目的のジンギスカンのつけだれで食うラーメンを注文した。期待が大きかったが小さな鍋でインスタントラーメンっぽいのを煮て食うというどうしようもないシロモノでこれにはまいった。見るからにまずそうで食ったらやっぱり圧倒的にまずい。
「基本的に無理がある。甘いジンギスカンのタレにラーメンが合うわけがないではないか」
 楠瀬が怒ったようにいう。
「札幌冬季オリンピックふうにいうと、ジャンプは成功したけれど着地に失敗というところですかな」
 気持ちをあらたに、巡礼団は近頃札幌に大流行りという「スープカリーラーメン」の店「我流(がる)る!」に突入した。カレーラーメンは苫小牧、室蘭に昔からあった。室蘭で一番、という店で食べたことがあるが想像したとおりの味で地元の人は「どうだまいったか」という顔をしていたがくどさのほうが勝っていて全然まいらなかった。
 それが札幌まで進出してきてカレースープが主役になり、味がマイルド、とろみがついてカレーラーメンではなくスープカレーラーメンとしてブレイクしつつあるという。いま札幌には一六○店もスープカレーの店があるというけれど本当だろうか。
「我流る!」には辛さのランクがあり、辛いもの好きの今泉が「究極」(の辛さ)というのを注文した。ほかの者は中辛。相撲取りのように太った店のおにいちゃんが汗だらけになって作ってくれる。こわもて顔のわりには心やさしいようでなんだか困ったような顔で作っている。愛想は悪いが変に大げさに歓待のふりをするよりはこういうあんちゃんのいる店のほうが安心できる。
 スープカレーラーメンは味噌ラーメンと似ている。カレーと味噌とでは味は違うがこの北国の勝負手は単純に「濃い味」なのである。カレーラーメンは流行るかも知れないが、しょせんキワモノ、B級ローカル麺だろう。麺とカレーという組み合わせは「うどん」で究極にいたり、ラーメンの質感になじまない。(次回・北北海道篇へ続く)
# by shiina_rensai | 2007-04-13 16:08 | Comments(109)

新潟・北関東 爆走篇

天龍休場

 新潟駅の新幹線ホームにある上下エスカレーターだけの昇降システムは、大勢の客が電車から降りると短時間でそれをさばききれずホームに大変な人だかりと渋滞をきたす、ということが今回の取材でわかった。
 んなこと麺の甲子園に関係ねえじゃないか、と思うだろうが関係なければ書かないじゃねえか。などとのっけからけんか腰になっていてもしょうがないのだった。
 今回の取材陣は四人。カメラマンは久しぶりに佐藤が復帰した。よろず世話役に杉原。最終処理班(残さず全部食うということ)に今泉三太夫という豪華最少催行“精鋭”陣である。
「新潟といったらまずはへぎそばですな」
 一同うなずきつつ古町の大和デパートの中にある『小嶋屋』に急いだ。そういえばデパートの食堂に行かなくなって何十年になるだろうか。その日めざした店は総合的な大食堂とは違う、お好み食堂という分類にはいる一店。いましがた開店したばかりのようであった。こっちは全員朝めし抜きだから殺気だっている。
「あのあのおそばね。四人ね。へぎそばね。あの四人ね。あの、すぐにね。四人!」
 おれたち全員指を四本たてた手を振り回し、店のおばさんに叫ぶ。
 へぎそばの「へぎ」とはそばを乗せる四角いウツワの木の枠のことをいうそうだ。大きな盆のようなこのウツワにへぎそばが誇りにみちてきっぱり整列してテーブルにはこばれてくる姿には素朴な感動がある。
 もし仮に本当に甲子園のようにして全国各ブロック戦を勝ち抜いてきたつわもの優勝麺が、どこかのスタジアムで一堂に会し、全国選手権をトーナメント戦でタタカウ、というようなことになったら、このへぎそばが入場してくるところを新潟県人は涙なくして見ることはできまい。
 もちろん盛大にあっちあっちちと湯気をふきあげ、八丁味噌の濃厚な匂いと笑顔を振りまきながら行進してくる「味噌煮込みうどん」の雄姿を名古屋の人々は滂沱【ぼうだ】の涙で迎えるだろうし、前回優勝の強豪「讃岐うどん」がイカ天君ゲソ天君のささえ持つ真紅の優勝旗に先導されて、ずんがずんがと力強く入場してくるときは、テレビを見ている高松市民全員が立ち上がって足を踏みならすに違いない。
 しかし今はまだ新潟地区大会の「へぎそば」についてであった。へぎそばは麺にフノリがまぜてあるので独特のぬめり感と歯切れのよさがあって、そばだけでもしみじみうまい。しかし食べおえたあとの蕎麦湯をのんで余韻にひたっている間もなく、我々は中華部門の強豪「天龍」にむかった。
 新潟にくるとぼくはたいてい「ホテルイタリア軒」に泊まる。
 ここの朝飯はホテルとしては日本一うまいと思うからだ。そのイタリア軒の斜め前に「天龍」があり、午前二時までやっている。
 このあたりは飲み屋街なので酔ってここで食べる小魚ダシの日本海ラーメンはたまらない。かねがねラーメン界ではベスト八に入るのではないかと思ってやってきたのだがシャッターが閉まっている。おお、なんてこった。

イタリア問題

「仕方ないすなあ。では順序を変えて新潟でブレイクしている有名な『イタリアン』にいきましょうか」
 杉原がメモを見ながらいう。
「え、何それ。スパゲティ?」
「いや、強いていえばよくわからないものです。でも新潟では超人気なので」
 大きなバスターミナルである万代シテイの二階にある「みかづき」に行った。チェーン店のようである。店がまえやその雰囲気からなんとなく名古屋の大衆チェーン店「寿がきや」を連想する。寿がきやの名物は廉価のマヨネーズ付き冷し中華である。
 店内は老若男女でまんべんなく混んでいる。イタリアン三一○円とホワイト四一○円を買って四人でしゃがんで犬のように食べる。箸が複雑に交差してもっとも力強い食い方で、こうして食えばたいていのものはうまくなってしまうのだが、どうもこのイタリアンは全国のうまい麺を食い続けている我々にはあまりにも面妖なるシロモノで評価不能。強いて言えば「イタリアン」はヤキソバにトマトソースをかけたような食感で、まつりの屋台の子供相手の食い物に近い。
 新潟の人々がこのようなものに群がっているのを知っていささかたじろぎ、腰がひける思いであった。
 そういえばさっき閉っていた「天龍」の近くにある「ホテルイタリア軒」といい、この謎の「イタリアン」といい、新潟はどうもイタリアが好きなようである。
 何年か前に出た『新潟はイタリアだ』(柳生直子=ネスコ、文藝春秋)のことをいきなり思い出した。
 柳生さんはCNNや旅、食べ物のレポーターをやっていて何度か会ったことがある。その彼女が突如として「新潟はイタリアだ」というタイトルの本を出したので「そうでしたか」とも「そうかなあ」とも言えずとにかく読んでみると、なるほど新潟の食材や味の文化はイタリアとよく似ている。たとえばイカについての傾倒度合いは日本とイタリアは世界一である。イタリア人の胃袋を満たす地中海は新潟における日本海という説。なによりも新潟県の形は日本地図からそのままひっぱりだすと、イタリア国の長靴の形にそっくりなのだ。
 そこまでおっしゃるのなら「新潟はイタリアだ」ということでいいかも知れないが、しかしそうなると他の県も黙ってはいないのではないか、という不安がある。「茨城はドイツだ」とか「兵庫県はイングランドだ」などということになり、やがて「鳥取県はボスニア・ヘルツェゴビナだ」などと、他県がいいがかりをつけてきたりする可能性もある。なにを言っている。それなら「佐賀県はボルネオだ」などと互いに攻撃的になって収拾がつかなくなり県県戦争がおきたりするとまずい。

熱い行列

 その万代シテイバスターミナルの一階に長蛇の列があって先頭はと見ると「立喰いコーナー」である。行列は百人以上、すでに食っている人が五十人はいる。圧倒的にスーツ姿の人が多くどうやら近所のサラリーマンらしい。ただごとではない風景なのだ。
 すぐに並んでイカ天そば四○○円、カレーうどん四○○円を買ってきて四人でまた激しく箸を交差させて食うと、いやはやうまいのなんの。
 見回すとカレーライスの大盛りに麺を添えて食っている人がけっこういて、いかにも満足そうだ。安い、早い、うまい。
 なにしろこんなに大勢の人がむらがっている風景を見るのは久しぶりだ。フト数年前に行ったベトナムの人気麺フォー(汁ビーフン)の店の熱気にみちた行列を思い出してしまった。
「新潟はベトナムかもしれない」のだ。
 麺の甲子園に立ち食いの強豪がいきなりエントリーしてきた――というわけである。かけ二九○円。きつね三二○円。牛丼卵つき五○○円となんでも安い。
 そのあたりで「天龍」は夕方六時開店ということを知った。しかし我々はあと一時間ぐらいで新潟を去らなければならないのだ。杉原の聞き込みでもうひとつ別の「天龍」があることをドタンバでつきとめた。
 すぐに急行。東堀通のこちらはむかし「天龍」で修業した人がやっているという。ヒト呼んで「昼の天龍」。店のおばさんにそれらのことをいくつか聞いたのだがいやはや愛想が悪いのなんの。おじさんのほうは笑顔があるのだけれど。
 小魚だしのこの店のラーメンはまさしく天龍系でたいへんおいしい。これは十分全国区クラスである。そのあと勢いにのって【老舗/しにせ】ラーメン店のひとつ「三吉屋」で薄味のむかしふう縮れラーメンを軽くひっかけて駅にむかった。しかしこのもう一店がいけなかった。新幹線の発車時間が迫っていたのだ。
 タクシーの運転手が着けてくれたところは長い昇り階段と長い通路、さらにホームにいたる長い昇り階段がある。ここを一分で走らなければならなかった。しかしこのルートの昇り階段には一切エスカレーターというものはない。ホームの下りのエスカレーターはいらないから昇りのエスカレーターをつくれ。なんという人民虐待。新潟はカンボジアだ。新潟はポル・ポトだ。

一杯のラーメン

 怒りながら高崎駅へ。
 ここで杉原が調査メモを引っ張りだし「たしかここの駅構内にある店が……」と言いながら我々を連れていってくれたのは「たかべん新幹線構内店」であった。名物高崎だるま弁当を作っている「たかべん」という会社が駅のホームなどで出しているラーメンがなかなかうまいらしい。
 理由は弁当の材料からでる鳥ガラや豚骨などをスープのだしに使っているからではないか、とこれは我々の推測。我々はすでに全員満腹状態であり、しかもこれから群馬県シリーズを目前にしているから四人でラーメンをひとつ注文した。
 ほかに誰も客はいなかった。いい歳をした男四人が一杯のラーメンを交代ですすり、交代でズルズルやっているのを店のおじさんがときおり見ている。いまどきめずらしい慎ましくも貧しい客だなあ、と思っているのかもしれない。
 そういえばむかし「一杯のかけそば」というのがあったなあ。「一杯のラーメン」はなるほどコクがあってうまかった。駅構内のラーメンなどたいていおざなりのものという先入観があるが、ここは違っていた。
 感動しつつレンタカーを借りて、一路水沢へ向った。伊香保温泉街に入る途中でなぜかラブホテル多発地帯となった。なんだなんだ。
 そこを通りすぎると水沢うどん店の多発地帯にかわる。群馬県は小麦の生産量が全国第二位であり、そういう背景があってか各地でご当地うどんが作られている。水沢、館林、桐生を「上州うどん三王国」と呼んだりしているそうだ。
 しかし目下我々のまわりは水沢うどんだらけである。広い駐車場を持った大きな店ばかりで、どこに入っていいかわからない。迷っていてもしょうがないのでそのうちの一軒に入った。
 午後の曖昧な時間だったからか客はおらずテレビの音が異常に大きい。
 ここで、最近の飲食店大バカかんちがい三例というのを書いておきたい。
 ①叫び系。(客が入ると全員で、イラシャマセーと叫ぶ。注文受けた品を叫んで暗唱。持ってきた料理を復唱して叫ぶ。ツバが食い物に激しく飛び散る。帰る客にありがとゴゼマシターアーと叫ぶ。とにかく叫ぶ。叫ぶ意味がまったくないけど叫ぶ)
 ②ポイント系。世の中オールマイレージ現象となってなんでもポイントを導入する。例=ギョーザを頼むと二ポイント。三十ポイントたまるとギョーザ追加ひとつ。すると新規に二ポイント発生。ウルセーのだ! だったらそのぶん安くしたらどうなんだ。
 ③テレビガンガン系。アメリカのわかっているようでわかっていないラーメン系日本料理店はテレビを三箇所ぐらいに置いていずれもガンガン大きな音にしている。日本の食堂はそういうものだと信じているらしい。つまり、いま現在そういうことをしている日本の店があまりにも多すぎる、ということである。
 頼んで音量を低くしてもらった。
 間もなく出てきた「水沢うどん」はまあ予測できるうまさ。予想どおり「水沢うどん」は「日本三大うどんのひとつ」と書かれている。
 あとの二つは「さぬきうどん」に「いなにわうどん」。
 この三大うどんの表記も定番で「さぬき」と「いなにわ」はだいたい全国同一のつまり当選圏内。もうひとつがご当地ものでいろいろかわる。富山だったら「氷見うどん」。山梨だったら「吉田うどん」。このバリエーションはいっぱいある。
 選挙時の自民党なんかのポスターによく時の首相とその地域の候補者が並んで写っている写真があるけれどまああれと同じような構図でしょうなあ。
 そのまま下仁田に乱入し、大正元年に建てられたという「常盤館」に投宿した。
 なるほど古い旅館で、歩くと廊下がぎしぎし鳴る。観光地でもないこの土地のこの時期、ほかに客は誰もいないかと思ったらけっこういっぱいいる。聞けば工事関係者が長期滞在しているという。
 ほどなくめしの時間になり、膳の用意されている部屋に行った。ここに泊まったのは下仁田名物、シラタキ、糸コンニャクの奥義に触れるため。ここは同時に下仁田葱で有名である。さらに上州牛がいて「もうもう」などと鳴いているからこれはもう「すき焼き」方面にいかないとどうしようもない、ということになっていったのである。
 ここでひとつ改めて書いておきたいのだが、かねがね私は、じゃなかった。さりとてぼくは、でもないか。おれは、というのはどうも偉そうだからなあ。
 この場合はおれっち、でいいか。
 あのね。おれっちはよう、昔からシラタキが大好きでよう。この「麺の甲子園」を始めた動機も、たぐい稀なる麺好きということもあったが、麺とよく似ているわりにはあまり表舞台に立ったことのないシラタキをかねがね不憫に思っていたからなのである。姿やその立ち居ふるまいは麺そのものなのに、一度として主役になったことのないシラタキをなんとかこのあたりで男にしてやりたい、という気持ちが強くあった。
 とはいえ、シラタキが男なのか女なのか、ということはいまひとつ明確ではないので「シラタキを男にしたい」などというと「うちの娘を男にしてどうするつもり!」などと糸コンニャクあたりが【噛/か】みついてくるかもしれない。
 そうだ。実はおれっちはこの糸コンニャクも憎からず思っていたのである。シラタキが妹なら糸コンニャクは姉。妹もいいが姉もしっかりしていていい。シラタキよりも太いぶん噛みごたえがたまらない。いっそのことシラタキも糸コンニャクも一緒にからめてくみしだき……! などと一人で錯乱していると障子のむこうから声がかかり、娘が鉄鍋を持ってやってきた。風呂に入っていた麺食い団の一同もやってくる。スキヤキのはじまりだ。テーブルにはシラタキの三色サラダが出ている。赤、白、緑はそれぞれパプリカ、石灰、海草で色がつけられている。三色姉さんだ。
 たちまちスキヤキが作られる。下仁田葱と肉と一緒に熱くなって飴色に染まったシラタキが美しくそしておいしい。溶いた生卵にからめたシラタキほどうまいものはない。おお至福の時間である。落語の『二番煎じ』に番小屋でししなべ(スキヤキ)を食う場面がある。葱がうまい葱がうまいと言って摘む人の箸は実は葱に隠して肉ばかり挟んでいるという笑える描写であるが、おれっちは本当に肉よりもシラタキのほうが好きである。
 宿のお姉さんからシラタキも糸コンニャクもつまりはコンニャクで、コンニャクはそれを作るのに三年かかる、という話を聞く。おおこれらは三年熟成ものであったのか。

コンニャク姉妹、出生の秘密

 翌日、この近所にあるコンニャク製造直販の店「やまふぐ本舗」に行って店主の佐々木さんにコンニャクづくりの詳しい話を聞いた。シラタキと糸コンニャクの区別がいまひとつ分からず、ながいこと謎だったのだが佐々木さんの説明でよくわかった。
 シラタキはコンニャクを作る過程でできる。【茹/ゆ】でて固める前に機械にかけて細い穴から湯の中に抽出して固めたものがシラタキ。出来上がったコンニャクを細く切ったものが糸コンニャクという。つまり妹かと思ったシラタキは糸コンニャクよりも早く生まれており、こっちのほうがお姉さんなのであった。失礼しました。
 そこからどんどん飛ばして「川野屋本店」にいき、桐生うどんを食った。ひもかわである。うどんとひもかわは内容的には同じ。麺にする過程で丸くするか平たくするかの差ぐらいらしいが、この「丸」と「平ら」は口あたりや歯ごたえでかなり風合いが違ってくる。
 どうしても平ら麺の代表となると名古屋の「きしめん」を思い浮かべるが、山梨の「ほうとう」の厚くてぶっといのを思えば親分はこの山梨のほうとうだろう。大分の「やせうま」はキナコで食うという変わり者だけれどこれも平ら麺一族であった。
 この店ではカレーうどんを注文した。
 東海林さだおさんはそのエッセイで、名古屋のカレーきしめんを食べるときの問題点をあげている。平ら麺はすするときに口もとでどうしてもぶるぶるるるっと振動するので、カレーだとシャツの胸元にカレーの飛沫がとびまわって大変なことになる、とこの「ぶるとび問題」を忠告しているのだ。平ら麺一族が全国を制覇できない原因のひとつかもしれない。
 続いて佐野市に突入し「野村屋支店」でここらの名物「耳うどん」七四○円と「大根そば」六三○円を注文。耳うどんは本当に耳の形をしており耳好きのひとにはたまらないだろうが耳嫌いの人はおののくだろう。耳好きのひとってどんな人だ。
 味と感触はむかしの「すいとん」に近い。うどんのルーツは混沌、という説でいうとこの耳うどんは先祖により近いような気もするが、調べてみると佐野市仙波町にむかしからつたわる正月料理で、耳を食べてしまえば悪口は聞こえない、という由来。長さは七センチに満たないので「麺の甲子園」の出場資格はない。
 そのかわり「大根そば」はよくある「オロシそば」ではなく、そばの上に細く切った大根が乗せられていてこのあまりのストレート技にやや驚いた。かねがね刺し身のツマとして出てくる緑の海草や極細大根に親近感と好意を抱いていたが、こんなところで準麺状態で出てくるとは思わなかった。味、食感は予測したとおり。
 今回の最後の試合は青竹打ちの「佐野ラーメン」を求めて「叶屋」に。やや細めの平たい縮れ麺でさっぱり味。
 南九州の濃厚トンコツラーメンを食っている人がこれに出会ったらなんというかなあ、などと思いながら思わずギョーザを注文してしまった。もうわたし上品な薄味ではカラダが反応しなくなってしまったみたいなの。
 とはいえこの期に及んでギョーザとは、読者は驚くかもしれないが、こうして立て続けにいろんな店に入ってきてもそれぞれ少しずつしか食べていないので、実はあまり抑制しているとけっこう空腹で終わってしまい、最後にきっぱり勝負しておかないといけないハメになるのだ。
                                        (次回は四国独立リーグ篇) 
# by shiina_rensai | 2007-03-23 14:54 | Comments(938)

第10回 広島vs博多 豚骨氏死闘篇
断層を食う

 まだ空白地帯になっている広島、博多の二大エリアを重点的に攻めることになった。両地区ともいかにも底力がありそうだ。
 早朝の新幹線に乗った。現代のこういう取材仕事は担当者と事前に電話で打ち合わせをする、ということもなく、今回どんな店に行くかということも知らないことが多い。まあやることはどこかの店に行って麺を食う、ということなのだからそれで問題ない。とにかく指定された座席に座っていればいいのだ。連夜の寝不足で疲れており、広島までの移動時間に寝だめするつもりだった。
 すぐに寝入ってしまったようだった。ここちのいい眠りである。さてどのへんまで来たのだろう、とあたりを見回すとまだ見慣れた東京駅だった。ほんの数分のウタタ寝とはちがうなにがしかの「睡眠したな感」というものがある。腕時計を見るともう一時間以上たっている。
「ん?」
 何がどうした、と思っているとカメラマンの青木青年が走ってきた。
「事故で新幹線はしばらく動きません。ぼくのあとに付いてきてください」
 とっとこ走って八重洲口からタクシーに飛び乗る。なんだなんだ。なにがどうした。行き先は空港だという。欧米の巻き込まれ型ミステリーなんかだと空港に着くと貫禄のある初老のスーツ姿の紳士がいきなりファイルのようなものをよこしたり前を歩く謎のグラマー美女などがふいに振り向いたりするのだが、とくにそういうこともなく、荷物検査の無表情のおねえちゃんが空身のぼくに「ペットボトルを持っていないか」などと聞く。みればわかるじゃろが。
 そうだ。これからいくところは広島じゃけえ。へたなことをいったらゆるさんけんね。たちまちけんね化し、意味なくまなじりつりあげて空中移動一時間。
 広島からはシャトルバス。一時間後、新幹線広島駅前に着くと我々を陰であやつっていた杉原がホームレスの変装をして待っていた。いやよく見るとべつに変装しているわけではなかったな。タランとした半袖シャツ。ズボンのポケットからはみ出たスポーツ新聞。故意か偶然か求人案内のところが外に出ている。
 広島といったらお好み焼きである。最初に攻めようとした「みっちゃん総本店」は中休み。それでも現地の事情に詳しい杉原は臆することなくすぐそばの「お好み村」と「お好み共和国ひろしま村」に横移動。
「このあたりよりどりみどりじゃけえ」
 杉原の言葉もちょっとおかしくなっている。
 われわれは意味なく肩などゆすりながらまずは「ひろしま村」へ。ひとまわりして隣の「お好み村」へ。どちらもビルの中にお好み焼き屋がぎっしり入っている。横浜のラーメン博物館のようなもののお好み焼き屋版だ。それにしても日本人の食文化で共通しているのはこの店側と客側の「群れる構造」だ。今はあいまいな時間だから客はまばらだが、繁忙時は行列ができるらしい。ざっと三十店ぐらい同じものを食わせる店が集まっているのに行列なんてちょっと想像できないがでも本当なんだからすごい。
 味がいいという「八昌」へ。愛想のわるいタイプといいタイプのお姉さん二人。愛想の悪いおばさんと親父さんがいる。愛想の含有率が二五パーセントだ。
 一年近くこの一連の取材をしてわかってきたのは繁盛店には「愛想のいい店」と「愛想の悪い店」のはっきりふたつのタイプがあるということだ。
 愛想の悪い店は、別になんの戦略策略もなしに思ったままやってきたら、いつの間にか人気の店になってしまって行列なんかでき、マスコミの取材なんかも増えてきて「人気店」ということになってしまった。フーン、どうしたらいいんだべ、という呆然タイプ。理屈やポリシーがないから憮然としているしかないのだろう。もうひとつは親父が単なる偏屈というやつ。
 人気店にならない店の愛想の悪い親父は終始意味なく憮然としているだけのことだ。まあでもどっちにしても飲食店の親父は不機嫌なほうがいい。
 はじめて本格的な広島お好み焼きを作るところを見たがまず大量のキャベツ投入に驚いた。続いて肉とタマゴがどさっ。大量の中華麺がどさっ。いいにおいと煙と湯気が漂う。お好み焼き屋がぎっしり集まるとこうしてみんなして発生させる匂いと湯気とわずかな煙と喧騒の充満でここに足を踏み入れた者はお好み焼きを食わなければ帰さんけんね、というわけだ。
 食べる道具がカナモノのコテひとつというのも初の体験だった。これで四~五センチぐらいの厚さになったお好み焼きを垂直に切ると切断面があらわれる。関東ローム層を思わせるみごとな断層だ。すっぱり切れて丸い麺が集団で顔を揃えているのを見るのは初めてのことだ。普段そのようなことをされたことがないので麺たちがみんな同じ驚いた顔をしている。
 慣れていないものにはコテひとつで食べるというのがやや難しいが、コテで縦に切ったものでないとこの断層多重味を知ることができないのだな、とわかってくる。
 見ると皿にのせて箸で食べる、というオプションもあるのだが、箸だと全体が崩壊し、折角の地層も破壊され、ぐちゃぐちゃの土砂崩れあとのようになってしまうのでコテが正解、とわかる。このあたりアメリカンクラブハウスサンドイッチやマクドナルドのスーパーサイズ多層階ハンバーガーの思想と通底しているようだ。ただし関東モノにはあの甘いソースはどうもつらい。全体に揺るぎないローカルの重鎮という感じで、日本にしかあり得ない底力。名古屋の味噌煮込みうどんの貫禄に似たものを感じる。

そろそろ決勝の準備

 続いて広島ラーメンの「すずめ」へ。杉原のリサーチで知ったが、広島のラーメン屋は小鳥系といって「つばめ」とか「うぐいす」など小鳥の店名が多いという。可愛いではないか。のれん分けらしい。
「すずめ」は市の中心からはずれたところにひっそりとあった。しかし店内は沢山の客である。典型的な流行り店。多くの固定ファンがついているようだ。メニューはラーメン(大盛りなし)とビールだけなのだがなぜか食券が必要である。それはテーブルの上に置いておくだけでいい。
 醤油豚骨系のラーメンだが、店員のデカ声もなく麺もスープも十分安定しハッタリがなくて静かにうまい。ラーメン系だけの勝負だったらかなりの業師であり上位を狙える強豪といっていいだろう。唐突に昭和六三年優勝の広島商業を思いだす。
 この「麺の甲子園」もじわじわ回を進めており、どこかの認可や推薦や後援もないかわりに期待や関心や興味や話題にもほど遠く、ただもう無意味に全国の麺で真にうまいところを捜し求めてはや三○○○里。そろそろ甲子園としての最後の決勝トーナメントをどのようにやっていくか、という問題が大会役員の中でときおり話題になっている。
 すでに地区別トーナメントはかなりの数を開催しており、ブロックの優勝麺が揃いつつある。決勝トーナメントの組み合わせは高校野球のように「くじびき」になるだろうが、しかし例えばそれによって東北太平洋側ブロックで優勝した「高遠そば」と西九州ブロックで優勝した「皿うどん」が戦うときに何をもってどう優劣の判定をするか、というしごく真面目な討議もなされるようになった。世間の誰も注目や期待もしていないなかでのこうした討議の心許なさにもめげず、議論はきちんと深められているのである。
 一番分かりやすいのは、格闘技がヘヴィ級とかライト級などとウエイトでクラスをわけてそれぞれのチャンピオンを決めているように、ラーメン級は全国のラーメンだけで勝負。うどん級はうどんだけ、という方法である。そして最後に「無差別級」トーナメントというわけだ。しかしこれだとヤキソバ級は選手層が薄いのであまり権威がないようだし、そうめん級なども地味に終わりそうだ。
 その一方で、地方ブロック大会で早期敗退していった「とろろコンブ」とか「トコロテン」とか「もずく」などには「その他級」で優勝、という活路をひらいてやることができる。差別をなくして陽のあたらないところにいる麺予備軍に愛と夢を。「もやし」がわらわら身をゆすって喜んでいるさまが目に浮かんでくる。
 深く考えこみながら次の店へ。
 最近この土地で流行りはじめているという「広島激辛つけ麺」である。冷麺の専門店「かず」へ。カウンターのメニューに辛さのレベルが一から一五まである。「個人差がありますから初心者は控えめに」という注意書きもある。気になるのはかつてはレベル一五以上のランクがまだだいぶあったようなのだがマジックインキで頑丈に消されている。どんな惨事があったのだろうか。
 我々は各自能力に応じて七から一○を選ぶ。盛岡の冷麺はビーフン系だが、ここは中華麺。たっぷりの煮たキャベツと生野菜の上に麺がのせられペンキのように赤いタレがついてくる。なるほどたしかに辛いけれど邪悪さはない。ぼくは七を頼んだが思ったほどではなく一○でもいけそうだ。カメラの青木は仕事ですからと一○を頼んでいた。ここちよくヒーハーヒーハーしつつ広島駅から博多へ。

活気の長浜ラーメン

 博多の有名な料理店「河太郎」で後発の楠瀬、今泉、高橋と合流した。ここは名物のイカソーメンが目当てである。イカソーメンはモロにソーメンというがごとしでこれも立派な麺ではないか、というのが全員の意見だったのだが、出てきたそれは料亭だからか気取った恰好でもりつけられている。とくに困ったのは食いやすくという意味なのか網の目に包丁が入っていて、これがかえって見た目が悪い。いじりすぎである。いつか函館で食ったドンブリにどさりと入って醤油のぶっかけられたイカソーメンつうかイカウドンがなつかしい。
 博多の風物詩でもある「おきゅうと」のほうが自然でいい。博多の朝の食べ物で海草のエゴノリから作られている。「もずく」はまあほかとかわりない。さっきの伝でいえば博多ブロックの「その他」級は「おきゅうと」が代表になりそうだ。
 料亭にきてこれらだけで帰ってしまうのもナンだからというのでキンメダイの刺し身を頼んだ。生け簀料理の店であるから例によって三枚におろし骨だけになっていても心臓系統はとらずにいるので尾がときおりピクピクする。生きのいいのをそれであらわしているというが、外国の人が見ると残酷きわまりなく、たいてい気持ち悪いという。たしかに悪趣味だ。
 三人の援軍がきたので中洲と長浜の屋台に行った。あとの三人はまだまだ空腹なのでここで屋台の長浜ラーメンをまずすすり、二四時間営業の「元祖長浜屋」で連続二杯食い。
 活気のあるその店に入ったとたん、ここはずっとむかし来たことがある店だと思いだした。初めて長浜ラーメンを食ったときである。店は混雑していて相席だった。左右に目つきの悪いソリ込みの入った兄ちゃんがすわって熱心にラーメンをすすっている。活気のある店内の空気に圧倒されながらとにかくラーメンを頼んだ。テーブルにきたそれを食べようとすると、左右にいるソリ込み兄ちゃんが自分のラーメンを忙しくすすりながら、自分の前にあったスリゴマの入った瓶や紅ショウガのはいったドンブリをずるずるぼくの前に手で押してくる。それらを入れろ、と言っているのだ。
 長浜ラーメンの替え玉、替え肉制というのを知ったのもそのときである。ラーメン四○○円で替え玉五○円というのは良心的だ。東京や横浜あたりの店によくある偉そうなウンチクがいっさいないのも気持ちいい。
 九州トンコツスープ麺勢力の中で、長浜ラーメンは相対的にトンコツあっさり系になりつつあり、濃厚勢力にやや押されているという。では時代は濃厚なのか。九州上陸間もない我々の追求すべきテーマのひとつになりそうだ。

世界に開く次世代ラーメン

 追求すべきテーマはどんどん出てきた。博多に来て今泉三太夫がさっそく仕入れてきた情報は「個室ラーメン」というものの存在であった。
「個室ラーメンって何?」
「ラーメンを個室で食うというものでござる」
「なぜ?」
「目の前と隣席を仕切ることによって周りがいっさい気にならなくなり、味覚が研ぎすまされるからであります」
「本当? ラーメンに研ぎ澄まされた味覚が必要なの?」
「人の味覚は千差万別、その日の気分によって嗜好は変わるものです。落ちついて味覚だけに集中する空間こそ貴重な場といえるでしょう」
「なんか難しいことを言うなあ」
「味集中カウンターは、味に対する自信からうまれました。本当においしく食べていただきたいということを形にしたこだわりの環境なのです」
「あれ、お前なにか読んでいるな。あっ逃げるな、コラ!」
 三太夫を追ってついたところがキャナルシティという若者が沢山集まる多目的ビルの一階にある「一蘭」という店であった。
 縦にずらりと椅子式カウンター風のものが並んでいる。選挙投票のブースかパチンコ屋のようだ。なるほどカウンターにしきりがあって左右の客からはドンブリもそれを食う姿も見られないようになっている。一人分の幅は六二センチ。奥行き三六センチ。正面に布のしきりがありそれが少しだけあいて店員が「注文用紙」というのをそっと差し出してくる。手だけで店員の姿はみえない。なんだか無意味に怪しいのだ。
 注文用紙には「味の濃さ」「こってり度」「究極の酸味」「にんにく」「ねぎ」「チャーシュー」「煮たまご」「秘伝のタレ」「麺のかたさ」の各項目でこまかく指定できるようになっている。そのこまかさに圧倒される。
「こってり度」は「なし、あっさり、基本、こってり、超こってり」五項目だ。好みのところに〇をつける。
「にんにく」は「なし、少々、基本、二分の一片分、一片分」
 追加注文もイミグレーションの用紙に似てこまかく書き込みができるようになっており目の前のボタンを押すとチャルメラの音がなって店員がかけつける。
 追加のネギは四倍量で一○○円。太ネギと細ネギから選べるようになっている。
 ウツワはどんぶりではなくて重箱である。外国でも通用するように、グローバル時代のポストラーメンを視野をいれてのことらしい。あまりの異空間にしばし呆然とし、久しぶりにバカ殿様化した。
「のう三太夫。これは何かの意図があってみんなで遊んでおるのか?」
「いいえ全員本気でございます」
 なるほど出てきたものは普通にうまかった。誰にも見られずに集中して食べたからなのかどうかはわからない。隣の三太夫と感想をのべあうのにいちいち身をそらせなければならないのがかえって面倒ではあったのだが。
 国際化時代のポストラーメンというが、世界の食事風景は、何か食うときみんなで顔を合わせながらワイワイやるのがおいしくてシアワセ、とばかり思っていた。こんなふうにわざわざ身を隠して食べる、という文化がよそのどこかの国にあっただろうか?
 不思議な時間であった。

食堂の底力

 西鉄特急に乗って久留米にむかった。昨日、福岡空港から街に入るときに乗ったタクシーの運転手に博多のラーメン事情を聞いたら、いろいろ話してくれ、結論は「ラーメンは久留米だ!」というものだった。
 まずは鎮西高校の裏にある「沖食堂」にむかった。定食屋風の食堂だが、ラーメンがうまいと評判という。けっこう大きな店で四○人ぐらい入れるがお昼前なのにもう満席ちかい。ここも典型的な人気店のようだ。でもマスコミにとりあげられて態度を変えているような店ではないだろう。そういう気配がつたわってくる。
 ラーメン三六○円。大ラーメン四六○円。うどん二五○円。豆ごはんのおにぎり一ケ六○円。やきめし四二○円。
 我々は大勢だからメニューの全部を注文した。それをわけあって少しずつ食う。みんな泣けるほどにうまい。ラーメンの味とうつわの大きさがほどほど。うす味のやきめしがそれによくあう。
 運動部の生徒がここでラーメンとやきめしの組み合わせを注文するときの熱いトキメキが伝わってくる。高校生だからそんなにしょっちゅう食えるわけではないだろうから小遣いに余裕のあるときだけだろう。そのときって本当に嬉しいだろうなあ。
 一九五五年の創業だからそれ以来何万人もの鎮西高校の生徒に生き甲斐を与えてきたに違いない。今はまだ昼前の時間なので高校生はいないが近所の勤め人らしい人がいっぱいいる。小さな子供をつれた若いお母さんもいる。そうなんだ。こういう店が日本でいま一番偉いのである。
 たいした基盤も確証もない噂だけで行列をつくり、横柄で偉そうな親父のつくるハッタリだらけの高すぎるシロモノをありがたがって食っているマスコミ繁盛店にうんざりしていたので、地味ながらも庶民の手のなかにあるこのような本物の「うまい店」をみるとつくづく安心する。
 続いて花畑というところにある「大龍ラーメン」へ。主力の名物は「地獄ラーメン」。唐がらし入りの真っ赤なタレに熱した溶岩のカケラを入れるというサディスティックな仕掛け。阿蘇山産の溶岩は遠赤外線を出してヘルシーなのだという。その意味を三太夫に問い質したかったが彼は用心深くもっとも遠い席に座っていた。印象としてはやや過剰装備。花の畑で地獄というのがいかにも怪しい。ぼくは普通のトンコツラーメンを頼んだ。長浜ラーメンより濃厚で主張が強い。
 博多に戻り、もっとも濃厚という「秀ちゃんラーメン」に行った。評判の店だけにいかにもおいしいが濃厚さにやや【辟易/へき/えき】してほんの少ししか食べられないが空腹でこの店に入ったら感激ものだろうな、というのがわかる。これだけいろんな店に行ってしまうと最後のほうの店は不利である。
 壁にいろんな有名人の色紙が並んでいる。色紙を並べる有名店のよしあしもテーマのひとつだなあ、と思っていたら店員の一人がぼくのことを知っていて色紙にサインを、と頼まれてしまった。全部食べられなかったのに困ったなあ、とやや戸惑う。どこかの店で見た立川談志師匠の色紙「がまんして食え」というひとことが頭にちらついた。
(次回は流れ流れて黒潮リーグ!?) 
# by shiina_rensai | 2007-02-26 15:21 | Comments(1047)

<椎名誠プロフィール>
1944年東京生まれ。東京写真大学中退。流通業界誌「ストアーズレポート」編集長を経て、現在は作家、「本の雑誌」編集長、映画監督など幅広い分野で活躍。著書は『さらば国分寺書店のオババ』『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』『アド・バード』『武装島田倉庫』『岳物語』『犬の系譜』『黄金時代』『ぱいかじ南海作戦』など多数。紀行エッセイに『波のむこうのかくれ島』『風のかなたのひみつ島』などがある。近作の『全日本食えばわかる図鑑』には第一回≪全日本麺の甲子園大会≫の模様を収録。ブンダンでも随一の麺好き作家として知られ、世界中どこでも「一日一麺」を実践する、敬虔な地麺教信者でヌードリストである。


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