天龍休場
新潟駅の新幹線ホームにある上下エスカレーターだけの昇降システムは、大勢の客が電車から降りると短時間でそれをさばききれずホームに大変な人だかりと渋滞をきたす、ということが今回の取材でわかった。
んなこと麺の甲子園に関係ねえじゃないか、と思うだろうが関係なければ書かないじゃねえか。などとのっけからけんか腰になっていてもしょうがないのだった。
今回の取材陣は四人。カメラマンは久しぶりに佐藤が復帰した。よろず世話役に杉原。最終処理班(残さず全部食うということ)に今泉三太夫という豪華最少催行“精鋭”陣である。
「新潟といったらまずはへぎそばですな」
一同うなずきつつ古町の大和デパートの中にある『小嶋屋』に急いだ。そういえばデパートの食堂に行かなくなって何十年になるだろうか。その日めざした店は総合的な大食堂とは違う、お好み食堂という分類にはいる一店。いましがた開店したばかりのようであった。こっちは全員朝めし抜きだから殺気だっている。
「あのあのおそばね。四人ね。へぎそばね。あの四人ね。あの、すぐにね。四人!」
おれたち全員指を四本たてた手を振り回し、店のおばさんに叫ぶ。
へぎそばの「へぎ」とはそばを乗せる四角いウツワの木の枠のことをいうそうだ。大きな盆のようなこのウツワにへぎそばが誇りにみちてきっぱり整列してテーブルにはこばれてくる姿には素朴な感動がある。
もし仮に本当に甲子園のようにして全国各ブロック戦を勝ち抜いてきたつわもの優勝麺が、どこかのスタジアムで一堂に会し、全国選手権をトーナメント戦でタタカウ、というようなことになったら、このへぎそばが入場してくるところを新潟県人は涙なくして見ることはできまい。
もちろん盛大にあっちあっちちと湯気をふきあげ、八丁味噌の濃厚な匂いと笑顔を振りまきながら行進してくる「味噌煮込みうどん」の雄姿を名古屋の人々は滂沱【ぼうだ】の涙で迎えるだろうし、前回優勝の強豪「讃岐うどん」がイカ天君ゲソ天君のささえ持つ真紅の優勝旗に先導されて、ずんがずんがと力強く入場してくるときは、テレビを見ている高松市民全員が立ち上がって足を踏みならすに違いない。
しかし今はまだ新潟地区大会の「へぎそば」についてであった。へぎそばは麺にフノリがまぜてあるので独特のぬめり感と歯切れのよさがあって、そばだけでもしみじみうまい。しかし食べおえたあとの蕎麦湯をのんで余韻にひたっている間もなく、我々は中華部門の強豪「天龍」にむかった。
新潟にくるとぼくはたいてい「ホテルイタリア軒」に泊まる。
ここの朝飯はホテルとしては日本一うまいと思うからだ。そのイタリア軒の斜め前に「天龍」があり、午前二時までやっている。
このあたりは飲み屋街なので酔ってここで食べる小魚ダシの日本海ラーメンはたまらない。かねがねラーメン界ではベスト八に入るのではないかと思ってやってきたのだがシャッターが閉まっている。おお、なんてこった。
イタリア問題
「仕方ないすなあ。では順序を変えて新潟でブレイクしている有名な『イタリアン』にいきましょうか」
杉原がメモを見ながらいう。
「え、何それ。スパゲティ?」
「いや、強いていえばよくわからないものです。でも新潟では超人気なので」
大きなバスターミナルである万代シテイの二階にある「みかづき」に行った。チェーン店のようである。店がまえやその雰囲気からなんとなく名古屋の大衆チェーン店「寿がきや」を連想する。寿がきやの名物は廉価のマヨネーズ付き冷し中華である。
店内は老若男女でまんべんなく混んでいる。イタリアン三一○円とホワイト四一○円を買って四人でしゃがんで犬のように食べる。箸が複雑に交差してもっとも力強い食い方で、こうして食えばたいていのものはうまくなってしまうのだが、どうもこのイタリアンは全国のうまい麺を食い続けている我々にはあまりにも面妖なるシロモノで評価不能。強いて言えば「イタリアン」はヤキソバにトマトソースをかけたような食感で、まつりの屋台の子供相手の食い物に近い。
新潟の人々がこのようなものに群がっているのを知っていささかたじろぎ、腰がひける思いであった。
そういえばさっき閉っていた「天龍」の近くにある「ホテルイタリア軒」といい、この謎の「イタリアン」といい、新潟はどうもイタリアが好きなようである。
何年か前に出た『新潟はイタリアだ』(柳生直子=ネスコ、文藝春秋)のことをいきなり思い出した。
柳生さんはCNNや旅、食べ物のレポーターをやっていて何度か会ったことがある。その彼女が突如として「新潟はイタリアだ」というタイトルの本を出したので「そうでしたか」とも「そうかなあ」とも言えずとにかく読んでみると、なるほど新潟の食材や味の文化はイタリアとよく似ている。たとえばイカについての傾倒度合いは日本とイタリアは世界一である。イタリア人の胃袋を満たす地中海は新潟における日本海という説。なによりも新潟県の形は日本地図からそのままひっぱりだすと、イタリア国の長靴の形にそっくりなのだ。
そこまでおっしゃるのなら「新潟はイタリアだ」ということでいいかも知れないが、しかしそうなると他の県も黙ってはいないのではないか、という不安がある。「茨城はドイツだ」とか「兵庫県はイングランドだ」などということになり、やがて「鳥取県はボスニア・ヘルツェゴビナだ」などと、他県がいいがかりをつけてきたりする可能性もある。なにを言っている。それなら「佐賀県はボルネオだ」などと互いに攻撃的になって収拾がつかなくなり県県戦争がおきたりするとまずい。
熱い行列
その万代シテイバスターミナルの一階に長蛇の列があって先頭はと見ると「立喰いコーナー」である。行列は百人以上、すでに食っている人が五十人はいる。圧倒的にスーツ姿の人が多くどうやら近所のサラリーマンらしい。ただごとではない風景なのだ。
すぐに並んでイカ天そば四○○円、カレーうどん四○○円を買ってきて四人でまた激しく箸を交差させて食うと、いやはやうまいのなんの。
見回すとカレーライスの大盛りに麺を添えて食っている人がけっこういて、いかにも満足そうだ。安い、早い、うまい。
なにしろこんなに大勢の人がむらがっている風景を見るのは久しぶりだ。フト数年前に行ったベトナムの人気麺フォー(汁ビーフン)の店の熱気にみちた行列を思い出してしまった。
「新潟はベトナムかもしれない」のだ。
麺の甲子園に立ち食いの強豪がいきなりエントリーしてきた――というわけである。かけ二九○円。きつね三二○円。牛丼卵つき五○○円となんでも安い。
そのあたりで「天龍」は夕方六時開店ということを知った。しかし我々はあと一時間ぐらいで新潟を去らなければならないのだ。杉原の聞き込みでもうひとつ別の「天龍」があることをドタンバでつきとめた。
すぐに急行。東堀通のこちらはむかし「天龍」で修業した人がやっているという。ヒト呼んで「昼の天龍」。店のおばさんにそれらのことをいくつか聞いたのだがいやはや愛想が悪いのなんの。おじさんのほうは笑顔があるのだけれど。
小魚だしのこの店のラーメンはまさしく天龍系でたいへんおいしい。これは十分全国区クラスである。そのあと勢いにのって【老舗/しにせ】ラーメン店のひとつ「三吉屋」で薄味のむかしふう縮れラーメンを軽くひっかけて駅にむかった。しかしこのもう一店がいけなかった。新幹線の発車時間が迫っていたのだ。
タクシーの運転手が着けてくれたところは長い昇り階段と長い通路、さらにホームにいたる長い昇り階段がある。ここを一分で走らなければならなかった。しかしこのルートの昇り階段には一切エスカレーターというものはない。ホームの下りのエスカレーターはいらないから昇りのエスカレーターをつくれ。なんという人民虐待。新潟はカンボジアだ。新潟はポル・ポトだ。
一杯のラーメン
怒りながら高崎駅へ。
ここで杉原が調査メモを引っ張りだし「たしかここの駅構内にある店が……」と言いながら我々を連れていってくれたのは「たかべん新幹線構内店」であった。名物高崎だるま弁当を作っている「たかべん」という会社が駅のホームなどで出しているラーメンがなかなかうまいらしい。
理由は弁当の材料からでる鳥ガラや豚骨などをスープのだしに使っているからではないか、とこれは我々の推測。我々はすでに全員満腹状態であり、しかもこれから群馬県シリーズを目前にしているから四人でラーメンをひとつ注文した。
ほかに誰も客はいなかった。いい歳をした男四人が一杯のラーメンを交代ですすり、交代でズルズルやっているのを店のおじさんがときおり見ている。いまどきめずらしい慎ましくも貧しい客だなあ、と思っているのかもしれない。
そういえばむかし「一杯のかけそば」というのがあったなあ。「一杯のラーメン」はなるほどコクがあってうまかった。駅構内のラーメンなどたいていおざなりのものという先入観があるが、ここは違っていた。
感動しつつレンタカーを借りて、一路水沢へ向った。伊香保温泉街に入る途中でなぜかラブホテル多発地帯となった。なんだなんだ。
そこを通りすぎると水沢うどん店の多発地帯にかわる。群馬県は小麦の生産量が全国第二位であり、そういう背景があってか各地でご当地うどんが作られている。水沢、館林、桐生を「上州うどん三王国」と呼んだりしているそうだ。
しかし目下我々のまわりは水沢うどんだらけである。広い駐車場を持った大きな店ばかりで、どこに入っていいかわからない。迷っていてもしょうがないのでそのうちの一軒に入った。
午後の曖昧な時間だったからか客はおらずテレビの音が異常に大きい。
ここで、最近の飲食店大バカかんちがい三例というのを書いておきたい。
①叫び系。(客が入ると全員で、イラシャマセーと叫ぶ。注文受けた品を叫んで暗唱。持ってきた料理を復唱して叫ぶ。ツバが食い物に激しく飛び散る。帰る客にありがとゴゼマシターアーと叫ぶ。とにかく叫ぶ。叫ぶ意味がまったくないけど叫ぶ)
②ポイント系。世の中オールマイレージ現象となってなんでもポイントを導入する。例=ギョーザを頼むと二ポイント。三十ポイントたまるとギョーザ追加ひとつ。すると新規に二ポイント発生。ウルセーのだ! だったらそのぶん安くしたらどうなんだ。
③テレビガンガン系。アメリカのわかっているようでわかっていないラーメン系日本料理店はテレビを三箇所ぐらいに置いていずれもガンガン大きな音にしている。日本の食堂はそういうものだと信じているらしい。つまり、いま現在そういうことをしている日本の店があまりにも多すぎる、ということである。
頼んで音量を低くしてもらった。
間もなく出てきた「水沢うどん」はまあ予測できるうまさ。予想どおり「水沢うどん」は「日本三大うどんのひとつ」と書かれている。
あとの二つは「さぬきうどん」に「いなにわうどん」。
この三大うどんの表記も定番で「さぬき」と「いなにわ」はだいたい全国同一のつまり当選圏内。もうひとつがご当地ものでいろいろかわる。富山だったら「氷見うどん」。山梨だったら「吉田うどん」。このバリエーションはいっぱいある。
選挙時の自民党なんかのポスターによく時の首相とその地域の候補者が並んで写っている写真があるけれどまああれと同じような構図でしょうなあ。
そのまま下仁田に乱入し、大正元年に建てられたという「常盤館」に投宿した。
なるほど古い旅館で、歩くと廊下がぎしぎし鳴る。観光地でもないこの土地のこの時期、ほかに客は誰もいないかと思ったらけっこういっぱいいる。聞けば工事関係者が長期滞在しているという。
ほどなくめしの時間になり、膳の用意されている部屋に行った。ここに泊まったのは下仁田名物、シラタキ、糸コンニャクの奥義に触れるため。ここは同時に下仁田葱で有名である。さらに上州牛がいて「もうもう」などと鳴いているからこれはもう「すき焼き」方面にいかないとどうしようもない、ということになっていったのである。
ここでひとつ改めて書いておきたいのだが、かねがね私は、じゃなかった。さりとてぼくは、でもないか。おれは、というのはどうも偉そうだからなあ。
この場合はおれっち、でいいか。
あのね。おれっちはよう、昔からシラタキが大好きでよう。この「麺の甲子園」を始めた動機も、たぐい稀なる麺好きということもあったが、麺とよく似ているわりにはあまり表舞台に立ったことのないシラタキをかねがね不憫に思っていたからなのである。姿やその立ち居ふるまいは麺そのものなのに、一度として主役になったことのないシラタキをなんとかこのあたりで男にしてやりたい、という気持ちが強くあった。
とはいえ、シラタキが男なのか女なのか、ということはいまひとつ明確ではないので「シラタキを男にしたい」などというと「うちの娘を男にしてどうするつもり!」などと糸コンニャクあたりが【噛/か】みついてくるかもしれない。
そうだ。実はおれっちはこの糸コンニャクも憎からず思っていたのである。シラタキが妹なら糸コンニャクは姉。妹もいいが姉もしっかりしていていい。シラタキよりも太いぶん噛みごたえがたまらない。いっそのことシラタキも糸コンニャクも一緒にからめてくみしだき……! などと一人で錯乱していると障子のむこうから声がかかり、娘が鉄鍋を持ってやってきた。風呂に入っていた麺食い団の一同もやってくる。スキヤキのはじまりだ。テーブルにはシラタキの三色サラダが出ている。赤、白、緑はそれぞれパプリカ、石灰、海草で色がつけられている。三色姉さんだ。
たちまちスキヤキが作られる。下仁田葱と肉と一緒に熱くなって飴色に染まったシラタキが美しくそしておいしい。溶いた生卵にからめたシラタキほどうまいものはない。おお至福の時間である。落語の『二番煎じ』に番小屋でししなべ(スキヤキ)を食う場面がある。葱がうまい葱がうまいと言って摘む人の箸は実は葱に隠して肉ばかり挟んでいるという笑える描写であるが、おれっちは本当に肉よりもシラタキのほうが好きである。
宿のお姉さんからシラタキも糸コンニャクもつまりはコンニャクで、コンニャクはそれを作るのに三年かかる、という話を聞く。おおこれらは三年熟成ものであったのか。
コンニャク姉妹、出生の秘密
翌日、この近所にあるコンニャク製造直販の店「やまふぐ本舗」に行って店主の佐々木さんにコンニャクづくりの詳しい話を聞いた。シラタキと糸コンニャクの区別がいまひとつ分からず、ながいこと謎だったのだが佐々木さんの説明でよくわかった。
シラタキはコンニャクを作る過程でできる。【茹/ゆ】でて固める前に機械にかけて細い穴から湯の中に抽出して固めたものがシラタキ。出来上がったコンニャクを細く切ったものが糸コンニャクという。つまり妹かと思ったシラタキは糸コンニャクよりも早く生まれており、こっちのほうがお姉さんなのであった。失礼しました。
そこからどんどん飛ばして「川野屋本店」にいき、桐生うどんを食った。ひもかわである。うどんとひもかわは内容的には同じ。麺にする過程で丸くするか平たくするかの差ぐらいらしいが、この「丸」と「平ら」は口あたりや歯ごたえでかなり風合いが違ってくる。
どうしても平ら麺の代表となると名古屋の「きしめん」を思い浮かべるが、山梨の「ほうとう」の厚くてぶっといのを思えば親分はこの山梨のほうとうだろう。大分の「やせうま」はキナコで食うという変わり者だけれどこれも平ら麺一族であった。
この店ではカレーうどんを注文した。
東海林さだおさんはそのエッセイで、名古屋のカレーきしめんを食べるときの問題点をあげている。平ら麺はすするときに口もとでどうしてもぶるぶるるるっと振動するので、カレーだとシャツの胸元にカレーの飛沫がとびまわって大変なことになる、とこの「ぶるとび問題」を忠告しているのだ。平ら麺一族が全国を制覇できない原因のひとつかもしれない。
続いて佐野市に突入し「野村屋支店」でここらの名物「耳うどん」七四○円と「大根そば」六三○円を注文。耳うどんは本当に耳の形をしており耳好きのひとにはたまらないだろうが耳嫌いの人はおののくだろう。耳好きのひとってどんな人だ。
味と感触はむかしの「すいとん」に近い。うどんのルーツは混沌、という説でいうとこの耳うどんは先祖により近いような気もするが、調べてみると佐野市仙波町にむかしからつたわる正月料理で、耳を食べてしまえば悪口は聞こえない、という由来。長さは七センチに満たないので「麺の甲子園」の出場資格はない。
そのかわり「大根そば」はよくある「オロシそば」ではなく、そばの上に細く切った大根が乗せられていてこのあまりのストレート技にやや驚いた。かねがね刺し身のツマとして出てくる緑の海草や極細大根に親近感と好意を抱いていたが、こんなところで準麺状態で出てくるとは思わなかった。味、食感は予測したとおり。
今回の最後の試合は青竹打ちの「佐野ラーメン」を求めて「叶屋」に。やや細めの平たい縮れ麺でさっぱり味。
南九州の濃厚トンコツラーメンを食っている人がこれに出会ったらなんというかなあ、などと思いながら思わずギョーザを注文してしまった。もうわたし上品な薄味ではカラダが反応しなくなってしまったみたいなの。
とはいえこの期に及んでギョーザとは、読者は驚くかもしれないが、こうして立て続けにいろんな店に入ってきてもそれぞれ少しずつしか食べていないので、実はあまり抑制しているとけっこう空腹で終わってしまい、最後にきっぱり勝負しておかないといけないハメになるのだ。
(次回は四国独立リーグ篇)