最後のずるずる巡礼旅
このシリーズの地方大会は今回が最後である。足かけ二年、全国の主だったうまい麺のある土地を巡り、長いものをススリまくってきたがついに残った主要エリアが和歌山と鹿児島ということになった。
誰がつけたか「黒潮逆流シリーズ」。別名和歌山鹿児島ずるずる最終章。相変わらずたいして取材日数はない。というより一泊旅程なのでまず関西空港から和歌山界隈を取材してまた関西空港に戻り、その日のうちに鹿児島にワッセワッセと南下していくという慌ただしいことになった。
メンバーはいつもの顔ぶれだが今泉三太夫は翌日参加。かわりに高橋大がきた。何でもいくらでも食えるーを豪語するだけあって守備範囲が広く攻撃力のある頼れる助っ人だ。
和歌山は蒸し暑かった。まずは「丸京」へ。和歌山ラーメンは県の北部で共通する豚骨醤油味系をいい、一九九八年にテレビ東京で放映された「日本一うまいラーメン決定戦」でここの「井出商店」のラーメンが優勝した。横浜の「ラーメン博物館」にも期間限定出店し、連日長蛇の列にかこまれて一躍超有名店になった。
つまり今回、我々の「麺の甲子園」でもここはシード校じゃなかったシード麺に近い強豪というわけである。ぼくは他の取材で和歌山に行ったおりにすでに二回食べておりその実力度合いはよく知っている。
今回杉原が選んだ和歌山かけあしコースの対象は三店でいずれも濃厚豚骨醤油味であるからそのまま濃厚背脂三連戦の試練ということになる。
最初の「丸京」はあらかじめ手にしていた資料にある写真と店がまえがまるでちがっていて、一瞬これは間違えたか、と思ったが店舗を建て替えたようであった。白と黒を基調にしたたいへんすっきりしたデザインで、強豪「井出商店」のすっきりしてない店がまえを知っているから興味はつのる。
我々が本日最初の客のようで、すっかり準備整えました、さあどうぞ! という臨戦態勢が見えてこちらも「さあ食うぞ」とヤル気になる。
いかにも人気店らしく我々が注文をしおわる頃にはもう何組かの客が入ってきた。中、高年が多い。時間は十一時。
「うぅぅぅぅぅぅぅ――――」(サイレンの音)なのだ。意味わかりますね。しかしときおり思い出したように語られるが、なぜ甲子園は「サイレン」なのだ。あらゆるスポーツでサイレンによって試合がはじまるのは高校野球だけであろう。そのことをみんなであらためて討論しようかと思っているうちに早くも我々の注文したものが出てきた。
サイレン問題はたちまち放棄されペシペシといっせいにワリバシを割る音だけとなる。全員朝飯ぬきで来ているから宿命の第一試合有利説は今回もゆるがない。
和歌山ラーメンはとにかく濃厚である。そのなかでも比較的「丸京」はすっきり、というがこれがすっきりなら東京ラーメンなどはすまし汁レベルになってしまう。すなわちその朝、我々の目の前には黄色いストレート麺が脂に光る茶色のスープの中で【蠱惑/こ/わく】的に身をくねらせている。朝はやいけど何してもいいのよ、というやつだ。
正直に書くと、若い同行四名とはちがってさすがにぼくの場合は朝十一時から豚骨醤油ラーメンは少々きつい。麺の本場中国だって朝は「お粥」にザーサイかピータンだ。中国のお粥は「コメのスープ」という位置にある。ぼくは「麺の甲子園」よりもそろそろ「お粥の甲子園」にしてもらいたい。でもそれだと力入らないかなあ。
思えばこのシリーズは関西ブロックからはじまった。うさみ亭マツバヤの「おじやうどん」であった。あの頃はぼくもまだ若く、朝だろうが深夜だろうがなんでもこいという気分だった。
真の仏典のココロを求めて西域からインドを行った玄奘三蔵のように、ぼくもチョハッカイ、サゴジョウ、ソンゴクウを連れて「真のうまい麺」を求めて日本中をジグザグ歩いた。雨の日も風の日も旅を続けた。風雪にむかっておろおろ歩いた日もあった。君たちがいてぼくもいた。そういう巡礼のような旅も幾星霜。あれからすでに二十年は流れる雲を見ただろうか。いやそんなには経っていなかったな。足かけ二年だからまだ一年と少しだった。
この店の麺はのびればのびるほどおいしい、という説がある。味が麺にしみ込むということだろうか。もっともネット情報は誰か一人の意見だったりするからあまりあてにはならない。
アブラで光る和歌山城
このあとすぐに第二戦があるのでぼくはドンブリ三分の一でやめておいた。醤油豚骨はラーメンスープのストライクゾーンで、これの配分が上手にできたら絶対うまい、という見本のような味であった。しかも第一試合絶対有利説はここでも有効でぼく以外の「オトモ」の者たちはたちまち唸るようにして全部食べてしまった。これでは麺ののびる暇もない。高橋大などはおかわりがほしい顔をしている。困った奴だ。厨房のほうを見てシッポをふるんじゃない。
「ワン!」
「こら吠えるでない」
高橋犬の首に紐をつけて次の店にむかった。十五分程度の距離だというので歩いていくことにする。
次の店は地元のタクシーの運転手が異口同音に「いちばん!」とコーフンして言う「山為食堂」。ここに来るあいだに正午をすぎていたのでもう店の前には行列ができていた。東京のラーメン屋では行列に並びたくないが、こういう土地はどんな人が食べにくるか観察できて面白い。みんな地元の常連というかんじだった。
待つことしばし。店の中は思いがけないほど暗く、相席多く、テレビのうるさい音もなくフロアをきりもりするお姉さんもテキパキとプロの身のこなしだ。いいではないか。繁盛店の典型だ。
メニューの品目が多い。しかし価格は四百円、五百円、六百円ゾーンに大きく分けられドンブリものは「きつね丼」「玉子丼」「肉丼」「他人丼」「親子丼」と全部きっぱり六百円だ。
「んなもの作るのも食うのもたいして差はないんやから同じ値段にしとけばええやん」とたぶんこの店の太っ腹の親父が言ったのであろう。いや違うかな、親父さんが「いや玉子丼と親子丼が値段一緒やのはちょっと内容がちゃうから親子丼は六三○円ぐらいにしておいたらええじゃろか」などと言ったのだが太っ腹なのは奥さんで「計算が面倒やからそれでええんや」などと一喝したのかもしれない。以上はあくまでもラーメンがテーブルにくるまでのまったくの我が妄想だからね。
まわりを見回すと多くの客はラーメンにごはんを頼んでいる。この店のスープは県下で一、二位を争うほど濃厚なのであるという。ひえええ。「覚悟せなあかんで」われらのサゴジョウがいんちき和歌山弁で言う。
やがてテーブルの上にそれらがやってきた。見ただけで尋常ならざる濃厚ぶりがわかる。焦げ茶色のスープはゲル状になって少しぐらいドンブリを傾けても水位のかたむきがドンブリに追いついていかない。ヨウジを刺したらそのまま直立しているだろう。麺のスープというよりとろみをたっぷりつけた具のないカレー状態にも近い。その上に脂に光る大量のギタギタチャーシューが乗せられている。ワリバシを適当に差し込んで麺をすくうなどという初期基本動作がむずかしい。はっきり「麺をとりだすぞ!」という意志と方針を持ち、箸を突き刺す目標地点を定め、勇気と信念をもって埋没している麺を採掘しなければならない。引き上げられた麺には濃厚スープが複雑にからみついている。他の多くの客が白いドンブリごはんを頼んでいるのはこの麺をおかずにしているからである。作法どおりごはんを頼んだ高橋大が幸せそうに吠えている。
「ワンワン!」
ぼくはラーメンひとすくいとスープをスプーンで三口ほどでこの店の威力を十分堪能した。客のなかにはおばさんもお姉さんもいるから驚きである。ひと足さきに外に出てオトモの者たちがきっぱり勝負するのを待っていた。まだあとからあとからクルマの客がいっぱいやってくる。
最後は本命「井出商店」である。
せっかくだから和歌山城を越えていくことにした。今の濃厚ギタギタラーメンをそっくり全部食った「オトモ」の者は全員顔がアブラでテラテラしている。アブラ顔四人の反射で城壁が明るい。
このあと夕方まで“試合”はないのでぼくは「井出商店」で全力勝負だ。なぜかやたらに仏壇屋の多い道をすすんで蒸し暑さにいやになる頃ようやく店に着いた。かなり【辺鄙/へん/ぴ】なところにある。行列がないのがよかったが狭い店の中は満員である。
臭いはうまい
入って驚いたのだが店の臭いが以前より強烈になっている。豚骨そのほかいろいろ試練と挑戦の歴史のなかでつくり出されてきた“濃厚な歴史”が堆積されこびりついた強烈臭だろう。この店に来るのは今回三度目だったがその日が一番強烈だった。二日酔いだったらちょっと入れないだろう。
この「麺の甲子園」で全国で取材した日本のラーメン屋のなかで一番臭かったかもしれない。臭さとうまさは紙一重なのだろうか。
「臭いはうまい!」
和歌山ラーメンのもうひとつの特徴はどこもドンブリが小さく量が少なめであることだ。「井出商店」などは小盛りの感覚。またどの店も約束ごとのように「早なれずし」もしくは「あせ巻き寿司」とよばれる押しずしの包みが小さなヨウカンのような包装状態で置かれている。ラーメンを食べながらこれをつまむというのが和歌山ラーメンの定番スタイルらしい。
「井出商店」の従業員のテキパキぶりは迫力と貫禄がある。TVチャンピオンになったということなどを大袈裟に看板や店内の張り紙などに誇示していないのもいい。
今回は最終取材なので敢えて書くが「テレビでお馴染みの〇〇〇店」などという手書きポスターをベタベタ貼ってある店がけっこう多いのに気がついた。テレビといっても地元ローカル局ぐらいのがきてアホなタレントが大袈裟にさわいでいるような写真が出ていて「お馴染み」は誇大表示でおかしい。
それにしても「井出商店」のあの強烈な臭いは、店の従業員や慣れている地元の人には至福だろうが、濃厚脂臭に弱い人は接近さえ難しいかも知れない。ご当地麺の強さと弱さのブラックボックスがそこにあるような気がする。
アブラ人(アラブ人じゃないのね)と化した我々麺の巡礼団は関西空港にむかい、そこから鹿児島空港へ。
薩摩の国は雨だった。時間があるのでまずホテルにはいって一休み。ぼくは大相撲夏場所をテレビで見ていた。夜はまあビールで体内のアブラを流す必要がある。しかし杉原がここでマッチメークしたのは黒豚シャブシャブに連続する仕上げのラーメンであった。つまり黒豚だしのラーメン。アブラはまだまだ追加されるのである。
立派な店であった。薩摩は黒牛、黒豚、黒鶏と「トリプル黒」の国である。「臭いもうまい」が「黒いもうまい」というわけなのだろう。おねえさんが上手にしゃぶしゃぶの下ごしらえをしてくれる。豚だしラーメンはなかなかであった。昼の三連戦に較べるとさわやかでさえある。
店をでるとまだ雨であった。予定は明日になっていたがこのまま鹿児島名物豚骨ラーメンに突入してしまうか、ということになった。濃厚アブラに浸されてしまった我々は今程度のアブラではもう満足できない体になってしまったのだった。もうわたし体ほてってほてって。
閉店まぎわの「こむらさき」に駆け込んだ。他に客はおらずまさにもうじき店じまい、という様子だったが、すぐにテキパキと作ってくれた。大勢いる従業員の役割が決まっていて動作にゆるぎがない。無駄話いっさいなし。
この店にもすでに何度か来ている。鹿児島ラーメンは豚骨をベースに鶏ガラや野菜なども使う半濁スープで、和歌山ラーメン的濃厚味とちがって深いというか。どの店も漬物が小皿に箸やすめのように出されるのが面白い。「こむらさき」は甘酢大根の千枚漬けである。こいつをツマミに芋焼酎のお湯割りをくいと軽く一杯やっているうちにカウンターにテキパキと注文のものが並んだ。刻み葱と小ぶりに切ったチャーシューがまんべんなくドンブリの上に展開している。もうこれだけで相当な説得力だ。うまいラーメンは見た目にすでにきれいである。「きれいはうまい」。
フッハフッハと静かに食べはじめる。みんな黙って食べているのはおいしいからである。「黙るはうまい」。
夜更けにこんなに濃厚なラーメンを全部食べてしまうのはカラダにはヨクナイのだろうなあ、と思いながらも全部食べてしまう。
スギハラは叫んだ!
翌日もホテルの朝食は抜き。店が開くのは昼近い時間なので全員寝坊する。この日から今泉三太夫が参加した。彼はつまり鹿児島日帰り、ということになるのである。しかしこれで地方取材最終回にふさわしくチームの全員が揃った。
本日の第一試合は「くろいわ」である。昨日の強豪「こむらさき」と近接していてがっぷり四つのライバル店というのが目で見てわかる。両店のまんなかへんに味噌ラーメンでブレイクした「和田屋」があり、このトライアングルを食べくらべする強者がけっこういるらしい。まさにラーメン大国日本らしい話だ。
「くろいわ」はドンブリいっぱいに乗せられた大量のもやしが特徴で、このシャキシャキ感もまたすばらしい。和歌山ラーメンほど濃厚ではないので朝からでもじゅうぶんイケル。
イキオイというものがあるからこのあとすぐに「鷹」という店に行った。鹿児島では珍しく透明なスープであっさり味。麺はいくらか太めでスープによくからみ、杉原は鹿児島ではここが一番! と叫ぶ。
「麺の甲子園」であるから食いつつみんなそれぞれの主張するところを述べ優劣判定をする。いや優劣というのは実際にはなく、単なる個人の好みをほざくだけである。
杉原が早々にこんなにきっぱり自分の意見を述べるのは珍しい。しかしぼくはまだそこまでは断定できない。
「和田屋」の味噌ラーメンは十種類の味噌をブレンドした特製味噌が売り物だが、基本は豚骨に鶏ガラにカツオブシにシイタケとオーソドックスであった。鹿児島には郊外まで入れると人気のある有名店が三十店以上あるというから札幌ラーメンの群雄割拠と似たようなところがある。
ぐるぐるの意味
杉原情報によると鹿児島はいま「ソーメン流し」に燃えているという。「流しソーメン」ではなくあくまでも「ソーメン流し」である。川に行ってソーメンを流し、手をあわせてみんなで拝むのである。ああそれは「ショーリョー流し」だった。精霊流しね。おおさぶい。
この「麺の甲子園」においてソーメンはときおり出場してきた。日本の麺一族のなかでソーメンは全国区である。たいていどの家も夏になるとソーメンを作る。むかしぼくの家も家族というものが構成されていたころ時々「ソーメン大会」をやった。なぜか「大会」とよばれた。具にものすごく凝って二十種類ぐらいつくり、そのバリエーションが楽しかった。いま子供らはみんなアメリカに住んでいて、このあいだ聞いたら「ソーメン」は十年以上食べていないという。アメリカにはソーメンを出す店はめったにない。あっても化学調味料をつかっためちゃくちゃな茹でかたのどうにもハナシにならない絶望ソーメンだという。
そう考えるとソーメンは「日本人の麺」としてきわめて重要な位置にあるのだ。しかしこの「麺の甲子園」ではこれまでことごとく敗退してきた。ソーメンファンとしてはやるせなかった。ソーメンが勝ちあがれない理由は簡単である。
・店が真剣に取り組んでいない。・量が少ない。・上にサクランボが乗っている。
これではこのすさまじい麺の戦国時代、勝ち上がっていくことはできない(まあ勝ち上がる必要もないんだったけど)。
しかしその不遇のソーメンがこの取材シリーズの最後に「もしかすると」という期待をこめて堂々この鹿児島の地でエントリーされたのだ。なにしろ「ソーメン流し」の店は鹿児島界隈で二十店はあるというのだからタダゴトではない。
「dancyu」という雑誌に市内の主だった「ソーメン流し」の店の訪問ルポが載っている。指宿の唐船峡という市営のソーメン流し専門食堂みたいなところの写真があり、広大なデッキの全面にたくさんの丸いテーブルと椅子があって大勢の「ソーメン者」がぐるぐる回るソーメンをおいしそうに食っているのである。なんだなんだ何事がおきたのか、と目を見張るくらいの不思議な風景で、実は日本人はこんなにソーメンが好きだったのか、すまなかった、と思わず合掌したくなった。ここには年間二十万人もの人が来るという。しかし、ただソーメンが食べられるというだけではそんな人気を得られる筈はなく、つまりぐるぐる回っているからなのだという。
ソーメンは回るとうまくなるのか? などと野暮なことは言ってはいけないのだった。鹿児島には伝統的な「青竹ソーメン流し」から「回転式」があり、時代はいまや「桜島型噴流式」であるという。
市内から三十分ぐらい離れた郊外の「慈眼寺」にあるソーメン流しの店に行った。和田川という清流のそばには露天にテーブルが並びどのテーブルの真ん中にもソーメン流しの装置がある。それが「桜島型噴流式」なのであった。
仕組みは簡単で、高いところにあげた水を各テーブルの装置に取り込み、そこから水が火山の噴火のように涌きだしてその水流にソーメンを投入するとぐるぐる回るというわけである。水は一回りすると排出されるからいつも新鮮。冷たい水にぐるぐる回るソーメンは見た目も味も冷たくて涼しくて……。
けっこう沢山の客がいて嬉しそうに食べている。年代別にグループができているようで会社のサラリーマンふうもいる。この場合は上役が上流にいるのであろう。上司の箸からこぼれたソーメンを部下のエライモン順ですくっていく。
よくわからないのがじいさま二人組である。ぐるぐるソーメンをおぼつかない手つきで箸ですくいその殆どが逃げられる。「このごろまた血圧があがいもしてなあ」「糖尿はもうなおいもはんな」(鹿児島弁に)そんな話し声が聞こえてくる。
恋人同士はいちど箸でつかんだソーメンをわざと放して「これもみいちゃんにあげるう」なんか言っている。ぐるぐる回るソーメンはうれしそうに見えるけれど仕方なさそうにも見える。「だからなんなんだ」と虚無的に呟いているソーメンもある。追加するとおばさんがザルにいれた茹でてあるのを「あいよ」と言って持ってくる。今泉三太夫に七本ほど流してあげた。