豚骨醤油の説得力
札幌発九時の特急に乗ってやってきました麺の甲子園公式査察団一行五名様。自分らに「様」をつけるな、という天からの声も寒さで聞こえない、というのはまったくの嘘で、はるばる旭川まで来たというのに暖冬異変は“極寒”で知られるこの北の街も例外ではなく、まあ札幌よりはいくらかひやりとはするけれど、でもこの時期手袋もいらないというのはやはり異常らしい。
いつもだとレンタカーで動き回るのだが、雪道走行に慣れていないので大事をとってジャンボタクシーを予約してあった。杉原、楠瀬、今泉、カメラの佐藤、それにワタクシがどどっと乗ってもまだ席のあいてるジャンボタクシーの威力を見よ! などとみんなで威張る。バカなのである。
「では本日の第一試合を発表します。この地で名高い蜂屋本店です」
杉原が全員に通達する。一同拍手。なんとこの店は十時三十分開店という。旭川ラーメンの蜂屋は有名で、インターネットの情報などでは五条支店のほうがうまい、などと書いてあるがこういうのは単なる個人の好みでどうとでも言えるからあてにはならない。
のれんを出したばかりのようでやっぱりまだ誰も客はいなかった。入っていくとそこらのおばちゃんみたいな人が「いらっしゃい」と適当な声で言った。こういうのでいい。
前回、南北海道大会は函館の有名店が全員大声で「いらっしゃいませええええええ」と叫びまくり、何ごとがおきたのかと思うような「タダナラヌ」オープニングだった。叫び系の嫌いな筆者は逆上してそのことにかなり怒りのページをさいてしまった。やや言い過ぎだったかな、もう函館に行ってもあの店には行けないだろうな、と思いつつもその考えは変わらず、ラーメン屋はやはりこういうありのままの静かな人間っぽさで客を迎えてくれるところが情緒があっていい。
厨房はかなり大きく、テーブル、椅子もいっぱいある。表通りに面した入り口のガラスの部分が大きいので店内はきっぱり明るく、陽光が斜めに差し込んでいていかにも北国の朝だ。暖冬とはいえマイナス十三度。厨房の大鍋の湯気が入り口からも盛大に見える。
「これがマイナス二十五度ぐらいだったらもっと凄いよなあ」
「マイナス五十度だったらむこうが見えなくなるくらいでしょう」
「マイナス八十度だったら息をすうと鼻からあの釜の湯気が入ってくるかんじでしょうなあ」
例によってたいへん知的レベルの低い会話がなされる。おばさんがじっと注文を待っている。いかん。急げ。
全員同じ普通の醤油ラーメン六百円を注文した。すぐに製作が開始される。ずらっと並べられた人数分のドンブリに熱いスープをそそぎ、そこに茹であがった麺を入れる。茹で釜の係りらしい痩せぎすのおじさんが両手に箸をもってそれを別々に動かしながら上手に無言で均等によりわける。その互い違い別々に動く両手の動作が見事である。なんだか「名人技」だ。これで両足を使っていたら『千と千尋の神隠し』の「釜じい」だ。この道軽く五十年を思わせる味のある、これぞすぐれたラーメン顔だ。
札幌ラーメン横丁なんかでよく見るギトギトの味噌やけ親父の顔と随分違う。
世の中の麺ものレポートは味のことばかり語っているが、わしらは自称「公式」であるから常に鋭く全体を見ている。実はそれぞれの麺やスープのことをあまりよく知らないのである。
「あいよおッ」と言っておばさんがあつあつのを持ってくる。これまであまり語らなかったが日本の麺で何が素晴らしいといってこの「速攻」をきっぱり評価したい。
アメリカや中国で日本の「ラーメン」が人気なのはこのすぐれたファストフードのシステムで、日本のラーメンに匹敵するのがラオスで「フー」、ベトナムで「フォー」と呼ばれるビーフン系簡単麺。ラオスには店名のない「フー屋」としか言いようのない店があってここは常に二百人以上の客で賑わっているが注文すると三分であつあつのが出てくる。食うと確実にパンツまで汗だらけとなるが、この速さと暑さと熱さがいい。
ラオスは何もない国とよく言われるがラオスの誇れる代表はこの「フー屋」といっていいだろう。堂々たるものである。
ベトナムは屋台の「フォー」屋さん。どこに行っても何時いっても必ず目に入る。たっぷりのミントやバジルやセージなどのハーブ系の生野菜に生モヤシを乗せる。パクチー(香菜)が駄目なひとは食えない。おしなべてラオスよりも甘くてスープがぬるい。それにドンブリが異常に小さいので量が少ない。カンボジアは平均がBクラス。ミャンマーは「モヒンガー」といってナマズの出汁にニョクマム味のビーフンで、これが一般的な朝食だがどこも甘味なのがつらい。
麺の甲子園インドシナ半島大会を開いたらラオスが強い。対抗はタイのカニカレー麺だろう。これは悶絶的にうまいが一般的ではない。タイ麺を除いてこれらのいずれもが頼めばすぐに黙って出てくる。この速攻性機動性が「麺勝負」のひとつのポイントのような気がする。
北国でそんな暑い国の熱い麺を思いだしながらフッハフッハと旭川ラーメンをすする。うまい。
麺の甲子園、常に第一試合有利説の基本的な背景もあるが、それにも増してこの寒い土地によくぞここまで、というくらいにこの店の豚骨醤油味の説得力は凄い。
「なかなかやりますな。モノの本にはこの店は鰺とラードで勝負してる、と書いてあります」
今泉三太夫が、声をひそめて言う。
「うむ」
「しかしそれ以外にもこのいくぶん焦げ臭いところに何か隠し脚じゃなかった隠し味の秘密がありますなふふふふふふふ」
三太夫、たいして必要のないコトで含み笑う。
「おぬしも悪よのう。ふふふふふふ」
こっちも意味なく含み笑ってしまうではないか。
美人キャベツ
体の中心が温かくなるとマイナス十三度は我々全員今年はじめて味わう寒さだから店に入ったときよりも顔や手は冷たく感じる。ジャンボタクシーに戻り、杉原が次なるところの行き先をつげる。
杉原がスコアブックをひろげて何かメモしている。今の店の評価であろうか。そっと覗き見ると「さむいけどうまい。うまいけどさむい」と書いてある。大会実行委員長としてはなんというボキャブラリイの乏しさ。もっともこっちは何もメモしてないけど。杉原はこの麺の甲子園で日本中を動きながら、単に一般的に「麺」と言われているもののほかに「細くて長くてすすれるもの」も積極的に取材対象にしようとしている。状態が「麺」状と見られるもの。いうなれば「亜麺」もいろいろ探り、それも取材していこうという心の広い太っ腹姿勢である。
定義をおさらいすると①細ながく②いっぱいタバになっており、もしくは絡みあっており③それが七センチ以上あり④口から垂れ下がるもの――という簡潔なものだ。
口から垂れ下がるものという規定はハリガネとか五寸クギなどの無法者の乱入を防ぐためである。あっそうか「食えるもの」という一項を入れておけばよかったのか。もう遅いけど。
これまで京都のクズキリ、越前のモズク、青森のそばもやし、下仁田のシラタキ、糸コンニャク、博多、函館のイカソーメン、静岡のトコロテンなどに愛情をそそぎ、積極的にとりあげては一回戦でたたき落としてきた。その杉原が今回かなり力を入れているのが、これから行く和寒というところの「越冬キャベツ」なのであった。和寒と書いて「わっさむ」と読む。本当に寒いところで過去最低気温マイナス四十一・二度、日本最低気温記録を出したことがある。
「わっさむではなくわっ! さむと言ったほうがいいでしょうなあ。ぬふふふふふふ」
今泉三太夫が低い声で含み笑う。こらあ! 意味なく含み笑うな。
塩狩峠を越えて雪道を四十分ほど走るとあたりはいよいよ雪原になってきた。遠くに小さなスキー場が見える。平日の午後だからかリフトは動いていないようだった。
やがて唐突に現場に着いた。杉原が連絡をつけておいたのは越冬キャベツを掘り起こしている現場なのであった。小型のユンボが動いており、雪原を掘っている。三~四十センチぐらいの雪を平均にかきとり、手でその下の雪を丁寧に払っていく。雪の下にもこもこと大きなキャベツが並んでいてなんだか可愛いのだ。
毎年十一月の、そろそろ雪が積もってくるな、という時期を見計らってキャベツの芯を根から切り、下にビニールシートを敷いて転がしておく。あとは降り積もる雪がそのキャベツを覆っていき、雪の下で越冬する。キャベツは全身を固くして身を引き締めるようにするから普通のキャベツよりずっと葉のひきしまりかたが違うという。(ホントかな?)年を越して二月あたりの一番寒い頃にこうして掘り起こすのだ。
掘り出したばかりのそれは薄い緑とブルーがまじったような肌のしなやかな美人キャベツなのであった。持ってみるとずしっとした堅太り。おばさんが包丁でバサリと真っ二つに切ってくれた。
かじると冷たくて甘い。もともとキャベツが好きでよく食うがなるほどこんなにびっしり密度をもって葉がしまっているキャベツははじめてだ。シャキシャキしたここちのいい噛み味。それにしてもなんという上質の甘さであろうか。糖度は平均十度でメロンやフルーツトマトと同等という。
一冬雪の下で越冬することによってこの甘味がつくられるらしい。「たんぱく質がアミノ酸に変化するから」ということまではわかっているがなぜ甘味が増してくるか詳しいことはわからないらしい。
杉原のできるだけ麺として扱いたいという基本方針のもと、それを細切りにしてもらう。が、しかしこの場合はちゃんとしたまな板の上にのせ、よく切れる包丁で幅一ミリぐらいにザクザク切って大きな皿に乗せ、ソースなどかけて食うというやり方でないといまいち形状的に「麺」としてのアピールは乏しかったようだ。甘くて旨いのに残念。
しかしこれだけうまいキャベツなのに今年は暖冬でキャベツの豊作となり、この越冬キャベツのメインブランド「冬駒」も卸値は一キロで二百円にしかならないという。畑一反で六トンを掘り起こせるのだがそこまで値くずれしていると労力のほうが断然大きくなってしまいよく出来ているのに仕事としての実りが少ないという。
マネーゲームとかなんとかでテーブルの上のコンピュータをカシャカシャやって一日で何千万儲かった、などという社会にしてしまって第一次産業をおろそかにしている今の日本の仕組みに苛だたしさを覚えるのはこういう時だ。
帰りのクルマの中で遠いむかしのことをしきりに思いだしてしまった。
あれは「怪しい探検隊」で日本のいろんな島に行っていた頃のことだ。ある無人島キャンプに持ち込んだ備蓄食料がつきはじめていた。とくに麺がまったくなくなっていることに気がついた。ダンボールにいれて持ってきた食料をきちんと点検せずに十人あまりの人数でキャンプしていたのだが、みんな麺ばかり食べていたのだ。一日最低一麺の人生を歩んでいたぼくはどうしても麺が食いたくてたまらない。
見落としはないかあらためてまた食料の入っているダンボールを調べていくとだいぶひからびた半分の白菜が目についた。とくにその白くて厚い芯の部分にココロがざわめいた。これを包丁で細く細く切っていったらうどんに似たようなものにならないか。思うのと同時にそれをやっていた。フライパンに油をひき、その白菜代用麺を炒めてソース味で食った。ソースうどんのつもりだったが思ったよりもまずかった。
まずいけれど精神的にはなんとはなしの安堵があった。さっきの越冬キャベツはその意味で白菜に断然まさる。しかしダイコンのツマと戦ったらどうか。シラガネギがどさっと現れたらどこまで戦えるか、そうだ。ソーメンカボチャ(金糸瓜=スパゲティスクワッシュ)というのがあった。あれはかなり驚愕的な「野菜麺」だ。しかしそうはいっても今朝の旭川ラーメンには所詮相手にならないよなあ。野菜類を弄んでいるなあ、おれたちは……野菜方面の“麺もどき”のそんな悲しい宿命をいとおしく思いながらずんずん旭川方向に戻る。
負けたら即死だ
再び旭川市内で「橙や」に入る。朝の「蜂屋」にくらべると妙に暗い店だ。ここは激辛ラーメンが売り物のひとつらしく辛さのランクがある。よくあるのは並辛、中辛、激辛などという辛さの順列表記だがここのは「絶叫」「地獄」「即死」という強烈なものだった。辛味好きで自虐癖のあるカメラの佐藤がええい! と言いながら「即死」を注文する。
注文をとりにきた店の女性が例のマニュアル言葉で「即死でよろしかったですか」と過去形で聞く。佐藤うなずく。他の四人は普通のラーメン。やがてそれらがいっぺんに出来てきた。
店の娘が聞く。
「即死はどちらの方ですか?」
佐藤、手をあげる。十五分後その店を出たのは当然佐藤のいない四人であった。
旭川から釧路に飛行機で移動する。空港のロビーに大きな垂れ幕があった。甲子園春の選抜大会出場チームへのエールだった。麺の甲子園としては当然親しみをこめて激しく反応する。
「輝け! 旭川南高校 弱気は最大の敵」と、ある。なんだかカックンとなる。
「これ、気分的に最初から負けていませんか」
今泉三太夫が低い声でいう。即死からなんとか蘇生したカメラの佐藤が「何事も強気でいかなければ!」と聞いたふうなことを言う。「輝け! 旭川南高校 負けたら即死だ! ぐらい言わないと。ふふふふふ」
夜の釧路に着いた。空気の冷たさが旭川とはまた違う。釧路にもおいしいラーメン屋がいっぱいあると聞いていたがこの地はぼくと三太夫に当初から必須訪問店があった。
北海道でもとりわけさいはて感の強い釧路はよく来ることが多く、来れば必ず「仁」に行く。それは今泉も同じで、釧路の「仁」にきたら迷わずタンメンを食べる。タンメンというのは不思議なものだ。
どこのラーメン店にあるというわけでもなく、札幌は味噌ラーメンで南九州はトンコツラーメンというような確たる地域性もない。一説には東京のものだという人がいる。東京のそこらの名もない商店街にあるありふれたおとっつあんおっかさんのラーメン屋にこのタンメンがあったりなかったりする。
ヘンな言い方だがそこにぼくはひとつの尺度をもつ。おしなべてタンメンが感動的においしい店はあまりない。「メニューがこれだけでは寂しいからタンメンでもいれておくかね。おかあさん」などというラーメン店夫婦の会話があってその店のラインナップに加わる、というたぶんに員数あわせのオザナリアイテムという気配も感じる。
しくみとしてはたぶんこうだ。いろんな中心メニューを作ったものからすこしずつ余るものがでる。白菜、人参、モヤシ、椎茸、タケノコ、ネギなどといった残り野菜をどさっと入れて一番無難な塩味でなんとか味を調えとけばいいんでないかいおかあさん。そうだわね。野菜が豊富だしなんだか栄養豊富に思えるわね。
マンガ家の東海林さだおさんは「タンメンは野菜の甲子園だ!」という名言をかたった。
そのタンメンでは左に出るものはあっても右に出るものはない、というのが釧路の「仁」なのである――と今泉三太夫とぼくはかねがね力説していたのである。
タンメンの落ち着き
あまりカンのよくないタクシーの運転手だったが、なんとか「仁」に到着。カウンターと小あがりの典型的な北国ラーメン店仕様。小上りにすわってタンメンを注文する。ここも注文してから出てくるまでが速攻である。
今泉三太夫は自分の人生の中で食った麺の中でここのタンメンが一番うまい! と公言してはばからない。
沈黙系タンメンである。麺やスープが人間の意識を吸収して集中させるのでダシがどうのとか製麺所がこうのといったそのテのゴタクが出ない。つまり落ちついて食える。おそらく作っている「仁」の誠実そうなおじさんも理屈なんぞなしにごくごく自然にこうしたらおいしいだろうと思うままに作っているのだろう。有名ラーメン店などが、マスコミの大げさなあおりたてを真に受けて行列を作る若者たちにゴタクを並べているあいだにこういう店が「うまいものはうまいっしょ!」という説得力をもって黙ってきっぱり勝負している。そういうふうな店だ。
その夜は釧路の名店、炉端焼き発祥の店、その名も「炉ばた」へ行った。ホッケ、キンキ、シシャモ、銀ダラなどを肴にビールや酒を飲む。炉端やき七十年(もっとか?)という気配のおばあちゃんがいた。炭火にあぶられて七十年。文化勲章ものである。ぼくの隣にいた中年の夫婦が何を食べてもこころから「おいしいねえ!」「おいしいねえ!」と言ってはうなずきあっている。釧路版さくらと一郎のようで美しくはかなげで感動的であった。その横で杉原がジャガイモの上に乗ってきたイカの塩辛をしげしげと眺め「漬物界の麺」とは言えまいか、としきりに考えている。
その帰りにまたもや釧路ラーメンの店「河むら」へ。クラシックな釧路ラーメンというだけの感想であまり記憶にない。たぶん酔っていたのだと思う。気温はマイナス十五度ぐらいだろうが路上でギターの弾き語りをしている若者がやたらに多い。これだけ最果ての街にくると人通りもなく冷たい夜風がころがるように通り抜けていく。
翌日は八時に和商市場に行ってひとまわり。これからまだ食べる勝負があるというのにぼく以外の四人は「勝手丼」の誘惑に勝てず、マグロ、イクラ、エンガワ、ヒラメ、ホッキガイ、イカなど好きな具を勝手にドンブリに乗せたのを食っている。節操のない勝手な連中だが見るとなかなかうまそうであった。
タクシーで北北海道最終試合「まるひら」に。なんとここは九時三十分の開店なのである。開店時間に間に合わせていくとすでにタクシーの運転手らしき人々が数人待っていた。聞けばこのようにタクシーの運転手さんが待っているのでこんなに早く店をあけるようになったという。
明るくて愛想のいいおかみさんがてきぱきと注文をとり、ここも速攻でカウンターにドンとできたての「釧路ラーメン」が乗せられる。さっぱりとしてコクがある。腰のある麺はキレもある。コクがあるのにキレがある。あれ? 少し前のビールのCMにそんなのがあったなあ。何も足さない何もひかない。意味がわからない。でもうまい。堂々たる逸品である。北北海道大会は激戦だ。
(次回は沖縄すば珍道中)