断層を食う
まだ空白地帯になっている広島、博多の二大エリアを重点的に攻めることになった。両地区ともいかにも底力がありそうだ。
早朝の新幹線に乗った。現代のこういう取材仕事は担当者と事前に電話で打ち合わせをする、ということもなく、今回どんな店に行くかということも知らないことが多い。まあやることはどこかの店に行って麺を食う、ということなのだからそれで問題ない。とにかく指定された座席に座っていればいいのだ。連夜の寝不足で疲れており、広島までの移動時間に寝だめするつもりだった。
すぐに寝入ってしまったようだった。ここちのいい眠りである。さてどのへんまで来たのだろう、とあたりを見回すとまだ見慣れた東京駅だった。ほんの数分のウタタ寝とはちがうなにがしかの「睡眠したな感」というものがある。腕時計を見るともう一時間以上たっている。
「ん?」
何がどうした、と思っているとカメラマンの青木青年が走ってきた。
「事故で新幹線はしばらく動きません。ぼくのあとに付いてきてください」
とっとこ走って八重洲口からタクシーに飛び乗る。なんだなんだ。なにがどうした。行き先は空港だという。欧米の巻き込まれ型ミステリーなんかだと空港に着くと貫禄のある初老のスーツ姿の紳士がいきなりファイルのようなものをよこしたり前を歩く謎のグラマー美女などがふいに振り向いたりするのだが、とくにそういうこともなく、荷物検査の無表情のおねえちゃんが空身のぼくに「ペットボトルを持っていないか」などと聞く。みればわかるじゃろが。
そうだ。これからいくところは広島じゃけえ。へたなことをいったらゆるさんけんね。たちまちけんね化し、意味なくまなじりつりあげて空中移動一時間。
広島からはシャトルバス。一時間後、新幹線広島駅前に着くと我々を陰であやつっていた杉原がホームレスの変装をして待っていた。いやよく見るとべつに変装しているわけではなかったな。タランとした半袖シャツ。ズボンのポケットからはみ出たスポーツ新聞。故意か偶然か求人案内のところが外に出ている。
広島といったらお好み焼きである。最初に攻めようとした「みっちゃん総本店」は中休み。それでも現地の事情に詳しい杉原は臆することなくすぐそばの「お好み村」と「お好み共和国ひろしま村」に横移動。
「このあたりよりどりみどりじゃけえ」
杉原の言葉もちょっとおかしくなっている。
われわれは意味なく肩などゆすりながらまずは「ひろしま村」へ。ひとまわりして隣の「お好み村」へ。どちらもビルの中にお好み焼き屋がぎっしり入っている。横浜のラーメン博物館のようなもののお好み焼き屋版だ。それにしても日本人の食文化で共通しているのはこの店側と客側の「群れる構造」だ。今はあいまいな時間だから客はまばらだが、繁忙時は行列ができるらしい。ざっと三十店ぐらい同じものを食わせる店が集まっているのに行列なんてちょっと想像できないがでも本当なんだからすごい。
味がいいという「八昌」へ。愛想のわるいタイプといいタイプのお姉さん二人。愛想の悪いおばさんと親父さんがいる。愛想の含有率が二五パーセントだ。
一年近くこの一連の取材をしてわかってきたのは繁盛店には「愛想のいい店」と「愛想の悪い店」のはっきりふたつのタイプがあるということだ。
愛想の悪い店は、別になんの戦略策略もなしに思ったままやってきたら、いつの間にか人気の店になってしまって行列なんかでき、マスコミの取材なんかも増えてきて「人気店」ということになってしまった。フーン、どうしたらいいんだべ、という呆然タイプ。理屈やポリシーがないから憮然としているしかないのだろう。もうひとつは親父が単なる偏屈というやつ。
人気店にならない店の愛想の悪い親父は終始意味なく憮然としているだけのことだ。まあでもどっちにしても飲食店の親父は不機嫌なほうがいい。
はじめて本格的な広島お好み焼きを作るところを見たがまず大量のキャベツ投入に驚いた。続いて肉とタマゴがどさっ。大量の中華麺がどさっ。いいにおいと煙と湯気が漂う。お好み焼き屋がぎっしり集まるとこうしてみんなして発生させる匂いと湯気とわずかな煙と喧騒の充満でここに足を踏み入れた者はお好み焼きを食わなければ帰さんけんね、というわけだ。
食べる道具がカナモノのコテひとつというのも初の体験だった。これで四~五センチぐらいの厚さになったお好み焼きを垂直に切ると切断面があらわれる。関東ローム層を思わせるみごとな断層だ。すっぱり切れて丸い麺が集団で顔を揃えているのを見るのは初めてのことだ。普段そのようなことをされたことがないので麺たちがみんな同じ驚いた顔をしている。
慣れていないものにはコテひとつで食べるというのがやや難しいが、コテで縦に切ったものでないとこの断層多重味を知ることができないのだな、とわかってくる。
見ると皿にのせて箸で食べる、というオプションもあるのだが、箸だと全体が崩壊し、折角の地層も破壊され、ぐちゃぐちゃの土砂崩れあとのようになってしまうのでコテが正解、とわかる。このあたりアメリカンクラブハウスサンドイッチやマクドナルドのスーパーサイズ多層階ハンバーガーの思想と通底しているようだ。ただし関東モノにはあの甘いソースはどうもつらい。全体に揺るぎないローカルの重鎮という感じで、日本にしかあり得ない底力。名古屋の味噌煮込みうどんの貫禄に似たものを感じる。
そろそろ決勝の準備
続いて広島ラーメンの「すずめ」へ。杉原のリサーチで知ったが、広島のラーメン屋は小鳥系といって「つばめ」とか「うぐいす」など小鳥の店名が多いという。可愛いではないか。のれん分けらしい。
「すずめ」は市の中心からはずれたところにひっそりとあった。しかし店内は沢山の客である。典型的な流行り店。多くの固定ファンがついているようだ。メニューはラーメン(大盛りなし)とビールだけなのだがなぜか食券が必要である。それはテーブルの上に置いておくだけでいい。
醤油豚骨系のラーメンだが、店員のデカ声もなく麺もスープも十分安定しハッタリがなくて静かにうまい。ラーメン系だけの勝負だったらかなりの業師であり上位を狙える強豪といっていいだろう。唐突に昭和六三年優勝の広島商業を思いだす。
この「麺の甲子園」もじわじわ回を進めており、どこかの認可や推薦や後援もないかわりに期待や関心や興味や話題にもほど遠く、ただもう無意味に全国の麺で真にうまいところを捜し求めてはや三○○○里。そろそろ甲子園としての最後の決勝トーナメントをどのようにやっていくか、という問題が大会役員の中でときおり話題になっている。
すでに地区別トーナメントはかなりの数を開催しており、ブロックの優勝麺が揃いつつある。決勝トーナメントの組み合わせは高校野球のように「くじびき」になるだろうが、しかし例えばそれによって東北太平洋側ブロックで優勝した「高遠そば」と西九州ブロックで優勝した「皿うどん」が戦うときに何をもってどう優劣の判定をするか、というしごく真面目な討議もなされるようになった。世間の誰も注目や期待もしていないなかでのこうした討議の心許なさにもめげず、議論はきちんと深められているのである。
一番分かりやすいのは、格闘技がヘヴィ級とかライト級などとウエイトでクラスをわけてそれぞれのチャンピオンを決めているように、ラーメン級は全国のラーメンだけで勝負。うどん級はうどんだけ、という方法である。そして最後に「無差別級」トーナメントというわけだ。しかしこれだとヤキソバ級は選手層が薄いのであまり権威がないようだし、そうめん級なども地味に終わりそうだ。
その一方で、地方ブロック大会で早期敗退していった「とろろコンブ」とか「トコロテン」とか「もずく」などには「その他級」で優勝、という活路をひらいてやることができる。差別をなくして陽のあたらないところにいる麺予備軍に愛と夢を。「もやし」がわらわら身をゆすって喜んでいるさまが目に浮かんでくる。
深く考えこみながら次の店へ。
最近この土地で流行りはじめているという「広島激辛つけ麺」である。冷麺の専門店「かず」へ。カウンターのメニューに辛さのレベルが一から一五まである。「個人差がありますから初心者は控えめに」という注意書きもある。気になるのはかつてはレベル一五以上のランクがまだだいぶあったようなのだがマジックインキで頑丈に消されている。どんな惨事があったのだろうか。
我々は各自能力に応じて七から一○を選ぶ。盛岡の冷麺はビーフン系だが、ここは中華麺。たっぷりの煮たキャベツと生野菜の上に麺がのせられペンキのように赤いタレがついてくる。なるほどたしかに辛いけれど邪悪さはない。ぼくは七を頼んだが思ったほどではなく一○でもいけそうだ。カメラの青木は仕事ですからと一○を頼んでいた。ここちよくヒーハーヒーハーしつつ広島駅から博多へ。
活気の長浜ラーメン
博多の有名な料理店「河太郎」で後発の楠瀬、今泉、高橋と合流した。ここは名物のイカソーメンが目当てである。イカソーメンはモロにソーメンというがごとしでこれも立派な麺ではないか、というのが全員の意見だったのだが、出てきたそれは料亭だからか気取った恰好でもりつけられている。とくに困ったのは食いやすくという意味なのか網の目に包丁が入っていて、これがかえって見た目が悪い。いじりすぎである。いつか函館で食ったドンブリにどさりと入って醤油のぶっかけられたイカソーメンつうかイカウドンがなつかしい。
博多の風物詩でもある「おきゅうと」のほうが自然でいい。博多の朝の食べ物で海草のエゴノリから作られている。「もずく」はまあほかとかわりない。さっきの伝でいえば博多ブロックの「その他」級は「おきゅうと」が代表になりそうだ。
料亭にきてこれらだけで帰ってしまうのもナンだからというのでキンメダイの刺し身を頼んだ。生け簀料理の店であるから例によって三枚におろし骨だけになっていても心臓系統はとらずにいるので尾がときおりピクピクする。生きのいいのをそれであらわしているというが、外国の人が見ると残酷きわまりなく、たいてい気持ち悪いという。たしかに悪趣味だ。
三人の援軍がきたので中洲と長浜の屋台に行った。あとの三人はまだまだ空腹なのでここで屋台の長浜ラーメンをまずすすり、二四時間営業の「元祖長浜屋」で連続二杯食い。
活気のあるその店に入ったとたん、ここはずっとむかし来たことがある店だと思いだした。初めて長浜ラーメンを食ったときである。店は混雑していて相席だった。左右に目つきの悪いソリ込みの入った兄ちゃんがすわって熱心にラーメンをすすっている。活気のある店内の空気に圧倒されながらとにかくラーメンを頼んだ。テーブルにきたそれを食べようとすると、左右にいるソリ込み兄ちゃんが自分のラーメンを忙しくすすりながら、自分の前にあったスリゴマの入った瓶や紅ショウガのはいったドンブリをずるずるぼくの前に手で押してくる。それらを入れろ、と言っているのだ。
長浜ラーメンの替え玉、替え肉制というのを知ったのもそのときである。ラーメン四○○円で替え玉五○円というのは良心的だ。東京や横浜あたりの店によくある偉そうなウンチクがいっさいないのも気持ちいい。
九州トンコツスープ麺勢力の中で、長浜ラーメンは相対的にトンコツあっさり系になりつつあり、濃厚勢力にやや押されているという。では時代は濃厚なのか。九州上陸間もない我々の追求すべきテーマのひとつになりそうだ。
世界に開く次世代ラーメン
追求すべきテーマはどんどん出てきた。博多に来て今泉三太夫がさっそく仕入れてきた情報は「個室ラーメン」というものの存在であった。
「個室ラーメンって何?」
「ラーメンを個室で食うというものでござる」
「なぜ?」
「目の前と隣席を仕切ることによって周りがいっさい気にならなくなり、味覚が研ぎすまされるからであります」
「本当? ラーメンに研ぎ澄まされた味覚が必要なの?」
「人の味覚は千差万別、その日の気分によって嗜好は変わるものです。落ちついて味覚だけに集中する空間こそ貴重な場といえるでしょう」
「なんか難しいことを言うなあ」
「味集中カウンターは、味に対する自信からうまれました。本当においしく食べていただきたいということを形にしたこだわりの環境なのです」
「あれ、お前なにか読んでいるな。あっ逃げるな、コラ!」
三太夫を追ってついたところがキャナルシティという若者が沢山集まる多目的ビルの一階にある「一蘭」という店であった。
縦にずらりと椅子式カウンター風のものが並んでいる。選挙投票のブースかパチンコ屋のようだ。なるほどカウンターにしきりがあって左右の客からはドンブリもそれを食う姿も見られないようになっている。一人分の幅は六二センチ。奥行き三六センチ。正面に布のしきりがありそれが少しだけあいて店員が「注文用紙」というのをそっと差し出してくる。手だけで店員の姿はみえない。なんだか無意味に怪しいのだ。
注文用紙には「味の濃さ」「こってり度」「究極の酸味」「にんにく」「ねぎ」「チャーシュー」「煮たまご」「秘伝のタレ」「麺のかたさ」の各項目でこまかく指定できるようになっている。そのこまかさに圧倒される。
「こってり度」は「なし、あっさり、基本、こってり、超こってり」五項目だ。好みのところに〇をつける。
「にんにく」は「なし、少々、基本、二分の一片分、一片分」
追加注文もイミグレーションの用紙に似てこまかく書き込みができるようになっており目の前のボタンを押すとチャルメラの音がなって店員がかけつける。
追加のネギは四倍量で一○○円。太ネギと細ネギから選べるようになっている。
ウツワはどんぶりではなくて重箱である。外国でも通用するように、グローバル時代のポストラーメンを視野をいれてのことらしい。あまりの異空間にしばし呆然とし、久しぶりにバカ殿様化した。
「のう三太夫。これは何かの意図があってみんなで遊んでおるのか?」
「いいえ全員本気でございます」
なるほど出てきたものは普通にうまかった。誰にも見られずに集中して食べたからなのかどうかはわからない。隣の三太夫と感想をのべあうのにいちいち身をそらせなければならないのがかえって面倒ではあったのだが。
国際化時代のポストラーメンというが、世界の食事風景は、何か食うときみんなで顔を合わせながらワイワイやるのがおいしくてシアワセ、とばかり思っていた。こんなふうにわざわざ身を隠して食べる、という文化がよそのどこかの国にあっただろうか?
不思議な時間であった。
食堂の底力
西鉄特急に乗って久留米にむかった。昨日、福岡空港から街に入るときに乗ったタクシーの運転手に博多のラーメン事情を聞いたら、いろいろ話してくれ、結論は「ラーメンは久留米だ!」というものだった。
まずは鎮西高校の裏にある「沖食堂」にむかった。定食屋風の食堂だが、ラーメンがうまいと評判という。けっこう大きな店で四○人ぐらい入れるがお昼前なのにもう満席ちかい。ここも典型的な人気店のようだ。でもマスコミにとりあげられて態度を変えているような店ではないだろう。そういう気配がつたわってくる。
ラーメン三六○円。大ラーメン四六○円。うどん二五○円。豆ごはんのおにぎり一ケ六○円。やきめし四二○円。
我々は大勢だからメニューの全部を注文した。それをわけあって少しずつ食う。みんな泣けるほどにうまい。ラーメンの味とうつわの大きさがほどほど。うす味のやきめしがそれによくあう。
運動部の生徒がここでラーメンとやきめしの組み合わせを注文するときの熱いトキメキが伝わってくる。高校生だからそんなにしょっちゅう食えるわけではないだろうから小遣いに余裕のあるときだけだろう。そのときって本当に嬉しいだろうなあ。
一九五五年の創業だからそれ以来何万人もの鎮西高校の生徒に生き甲斐を与えてきたに違いない。今はまだ昼前の時間なので高校生はいないが近所の勤め人らしい人がいっぱいいる。小さな子供をつれた若いお母さんもいる。そうなんだ。こういう店が日本でいま一番偉いのである。
たいした基盤も確証もない噂だけで行列をつくり、横柄で偉そうな親父のつくるハッタリだらけの高すぎるシロモノをありがたがって食っているマスコミ繁盛店にうんざりしていたので、地味ながらも庶民の手のなかにあるこのような本物の「うまい店」をみるとつくづく安心する。
続いて花畑というところにある「大龍ラーメン」へ。主力の名物は「地獄ラーメン」。唐がらし入りの真っ赤なタレに熱した溶岩のカケラを入れるというサディスティックな仕掛け。阿蘇山産の溶岩は遠赤外線を出してヘルシーなのだという。その意味を三太夫に問い質したかったが彼は用心深くもっとも遠い席に座っていた。印象としてはやや過剰装備。花の畑で地獄というのがいかにも怪しい。ぼくは普通のトンコツラーメンを頼んだ。長浜ラーメンより濃厚で主張が強い。
博多に戻り、もっとも濃厚という「秀ちゃんラーメン」に行った。評判の店だけにいかにもおいしいが濃厚さにやや【辟易/へき/えき】してほんの少ししか食べられないが空腹でこの店に入ったら感激ものだろうな、というのがわかる。これだけいろんな店に行ってしまうと最後のほうの店は不利である。
壁にいろんな有名人の色紙が並んでいる。色紙を並べる有名店のよしあしもテーマのひとつだなあ、と思っていたら店員の一人がぼくのことを知っていて色紙にサインを、と頼まれてしまった。全部食べられなかったのに困ったなあ、とやや戸惑う。どこかの店で見た立川談志師匠の色紙「がまんして食え」というひとことが頭にちらついた。
(次回は流れ流れて黒潮リーグ!?)