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第9回 サーカスのような東京麺日和
チベットのサンラーフンに唸る

 九月はずっとチベットに行っていた。標高平均五五○○メートルぐらいの高地をキャンプしながらカイラスという聖山をめざす旅だった。キャンプになると背負ってきた肉を中心とした行動食になるが、その前後、町や村でいろんな食堂に入る。この「麺の甲子園」の連載が頭にあるのでどうしても麺に目がいく。
北京や上海経由でチベットのラサに行くとき通過しなければならない成都という大きな都市の食堂で蕨を原料にした麺としか思えないものに出会った。生憎このときは疲れていたのでカメラを持たずに店に入ってしまい写真に残せなかったが、以来食堂には必ずカメラを携えることにした。
 しばらくは四川料理の影響が強くて辛い料理ばかりが続いた。その中でもっともうまいと思ったのがサンラーフンだった。酸辣粉と書く。
 ピンと呼ぶ、見たかんじ糸コンニャクに近い、ハルサメ系の太いのを軽く茹で、唐芥子のガツンと効いた赤いスープにからめて食べる。
 スープには細かく切ったピーナツと葱と肉、それにほうれん草が入っている。容赦のない辛さだが、そこのところに全身が痺れる。辛いから痺れるのではなくて辛旨いのにヤラレる。この旨さは日本ではまず存在しないものだと思う。いやはや参った。即座に二杯食った。もしこの「麺の甲子園」に外国めん枠の参加制度などがあったら間違いなくこれは優勝候補だな、と思った。
 一緒に行ったチベット族の男は肥腸粉を頼んでいた。この酸辣粉の上にじっくり炒めた豚の臓物を載せたものだ。少しわけてもらったがこれもうまくてまいった。どちらも五元である。(一元はこの数年日本円の十三円から十五円、したがって中間の十四円で計算すると邦貨七十円=以下このレートで考えていただきたい)いやはやそれにしても中国麺の底力を思い知らされる気分だ。このサンラーフン屋が日本にあったらぼくは間違いなく毎日通うだろう。
 チベットは三回目だが中国には十回ぐらい来ている。そのたびに麺を食べているが、中国で本誌でやっているような麺の食べくらべを真剣にやったらそのスケールの大きさと種類の数から考えて取材に五、六年かかるような気がする。
 もっともこの中国とて今のようにやみくもにうまくなったのはここ十年ぐらいのものらしく昔はまずい麺がけっこう多かったようだ。
 ぼく自身初めて中国で麺を食べたのは二十五年前だが、黄河沿いの田舎のその店には人民服を着た人々が行列を作っていた。うまいからではなく店が少なかったのだ。
 麺は一種類しかなく、通訳が店の中の黒板のメニューを見て「よかったですね。今日は旬のエビラーメンですよ」と言った。
 こんな山の中の村で旬のエビとは川エビかなにかだろうと思ったが、間もなく出てきたラーメンは粉っぽくてスープもぬるい。旬のエビとおぼしきものもたいしてうまい味ではない。だいいちエビの食感や味がまるでしない。
「これはなんというエビですか?」
 通訳に質問すると、通訳は改めてメニューをながめ「あっ、わたし発音を間違えました。これはエビではなくてヘビでした。日本語のエとヘはよく似ているね」
 そう言って嬉しそうに笑った。
 そうか。ヘビラーメンを食わされたのか。しかし旬のヘビというのが面白かった。
 その頃から較べると中国は田舎でも食堂のメニューが豊富になった。
 ラサでは粉湯(フンタン)というのがまたもやうまかった。白い塩味スープに豆腐と肉と野菜が入っている。これも五元。
 干拌麺(カンパーメン)はジャガイモの細切れが入ってスパゲティミートソースふうで八元。炒炮仗麺(チヤオホウジヤオメン)は手打ちうどんふうで酢をかけて食べる。六元。冷麺は牛肉、トマト、キュウリがどおーんと大きい冷し中華ふう。八元。
 日本での「麺の甲子園」ではキリボシダイコンとかモヤシとかモズクなど麺ではないが細長くて沢山からまっているものも強引に麺としてタタカイに参加させていたが、中国の地でそういう目で見ていくと沢山あって青椒土豆絲(チンジヤオドトウス)などは見た目も涼しく美しい“麺”そのもので味もなかなかのものだった。
 オスンという野菜を細切りにしたものとかインゲンの炒め物も、今までの我々の範疇では堂々たる麺だ。チベットうどんというものがあって、これは肉汁かけうどん。わりと一般的に食われているが、麺がくっちゃりしていてこれだけはあまりうまいとはいえない。

おお堂々の武蔵野うどん

 チベットから帰ってきて二日めに日本の「麺の甲子園」の取材が待っていた。今回は時間がないので日帰りである。そうなると当然近場となる。
「今日はよく晴れて麺日和でなによりです。そういう時のために用意していたものが思っているわりには堂々あります」
 今泉三太夫が電話で言ってきた。
「キミはしばらく会わないうちにますます日本語がおかしくなっていないか。『思っているわりには堂々あります』ってそんな言葉のつかいかたがあったか?」
「ありませんでしたか。ありましたならばあればあるほどにありまられたらどうしてもありませんか。郵便局はどこですか?」
「何を言っている! 言葉のわかるヒトに変わってくれ」
 杉原が出た。
 本日の最初の行き先は東京の西のはずれ、東村山市野口町の「小島屋」で、そのあたりは近頃人気の武蔵野うどん集中群生地帯という。
「本も出ていてガイドマップなどもあります。いわばちょっとした恐るべきさぬきうどん現象かと……」
「本当かい?」
 にわかには信じがたい。なにしろほんの八年前までぼくは東村山市の隣にある小平市に住んでいたのだ。
「行けばわかります」
 驚いたことにカーナビに電話番号を入れると店の名がイッパツで出た。びっくりして十一時に到着するとあたりにはあまり歩いているヒトもないのに店の中は満員に近い。昔の農家を改造したようなつくりで釜をたく薪の燃える匂いがしてくる。庭には実をいっぱいつけた大きな柿の木。ここは秋田か青森県か?
「いや東京でござる」
 三太夫が言う。
 テーブルの上に出された武蔵野うどんは冷やしたザル麺を熱い肉汁で食べるという、さぬきうどん流にいえば「ひやあつ」である。
 他の客も熱心に無言でシアワセそうにそれを食っている。
「どうしてこんなところに?」
 隣に座った今泉三太夫に聞いた。
「武蔵野といえば関東ローム層。関東関東といってもいささかひろうござんす。富士のすそ野も関東ローム層。清水港には大政小政。赤城の山なら国定忠治」
「何を言っている?」
 杉原が三太夫に代わって解説する。
「関東ローム層は保水性が悪く米作には向かないので古くからアワ、ヒエ、小麦といった穀類が主流でした。したがって武蔵野で小麦を原料としたうどんが 流行ってもそれなりの背景がある、ということを言いたかったと……」
「関東、関東!」
 三太夫が机を叩いている。
「お客さん。ツユがこぼれます」

「L」とは何か?

 続いて廻田(めぐりた)町の「きくや」に行った。昼の時間が近づきもうここは満員だった。厨房の中は釜の湯が煮えたぎり、客をあしらうおばさんは慌ただしい中にも慣れの余裕がある。おお、これは本当にさぬきうどんのメッカで見た風景に似ているぞ。
 我々の前に座って黙って食っているニッカボッカのおじさんは無表情にゆるぎない安定速度でうどんをすすり、天ぷらをかじる。この店も冷えたうどんをザルに盛り、それを肉汁で食べる。しかしそのうどんの注文がやや難しい。単位は「一L」でうどん一玉らしい、というのがわかってくる。「二L」「三L」と進んでいっておお最高は「五L」まである。食いおわって勘定をする若い職人風の男は「五L」になんと追加「三L」であった。つーことはうどん「八L」。つまり八玉。
 なんで一玉が「一L」で、「L」とはなにか? という疑問は解明できないものの、んなものはどうでもいいじゃないか。食いたいだけ食えばいいじゃないか、という説得力がその場の空気にみなぎっている。
 おれたちは情けないことに全員「一L」だ。本日まだ先があるからなあ。
 注文したときに店のおばちゃんが「一Lは小さいけれどいいのね」と念をおした。しかしその一Lとて大盛りに近いぐらいの堂々たる量だった。
 いや、二十年ほど武蔵野に住んでいたが、ご当地うどんがこんなに立派なブランドものになっているとは思いもよらなかった。
 思えば武蔵野を去って都心に居を移してからほとんどこのあたりにやってくることはなかった。この地で育ったわが二人の子供はニューヨークとサンフランシスコに住んではや十年。二人がふるさとに帰ってくることはもうないだろう。
 ぼくに似て麺好きだった息子とよく通った店がこの隣町、ぼくが住んでいた小平市の一橋学園駅近くにあった。
 ラーメンの「大勝軒」。のれんわけで日本各地にその勢力を広げたこの店は本拠地を「池袋」と「永福町」にわけて二系統あり、ぼくの馴染みの店は永福町系である。大盛りが名物で、近くにある一橋大学の運動部の学生などと一緒になってぼくと息子はときおり「大盛り」に挑んだ。その店は普通盛りで一・五玉。大盛りは四玉であった。量だけでなくこの店のラーメンはすこぶる味がいい。
「おとう、そろそろいこうぜ」
 息子にそう言われて「よおし!」などとコブシ振り上げ二人で自転車に乗ってその店によく行ったものだ。
「果してあの店はまだあるのだろうか」
 その日、いきなり思い出し、取材同行の三人に言った。
「いいじゃないですか。フルサトラーメンの探索ですな」
 楠瀬のそのヒトコトで方針が決まった。かって知ったる、の気分で接近していった(その日はぼくがずっとクルマを運転していた)が、昔の記憶など曖昧なもので、なかなかたどりつけない。カーナビをつかってどうにか近くまで行った。しかし知っている場所にそんな店はない。ぐるぐる回っているといきなり「大勝軒」の暖簾を見つけた。店の場所とは違うし昔と較べるとずいぶん小さいけれど……。
 窓から覗いてみるとまさしく懐かしい親父さんの顔があった。

成長するチョモランマ

 中にはいって挨拶し、聞いてみると二年前に以前の店から移動したという。
「もう歳とったんでこのくらいのほうがいいんですわ」
 親父さんは懐かしそうにそう言った。しばらくむかし話。
「あの頃よくここで一緒に大盛りを食った息子は今はサンフランシスコに住んでいて時々ぼくが遊びに行くと彼はいまだに麺好きでベトナムラーメンの店によく連れていってくれますよ。うまいのは特別牛肉粉」
 そうか。チベットのサンラーフンがそうだったようにアジアの麺は「粉」というのだなということにそのとき気がついた。
「いやあ。とにかく長い時間がたちましたよ」
 ぼくと息子がよく通っていた頃、この店の大盛りは四玉だったが、その後五、六年して行ったときは二玉になっていた。
「最近の学生はもう四玉は食えないです。時代は軟弱に変わってきましたよ」
 親父がそう言っていたのを覚えている。
「今は大盛り何玉ですか?」
「今は気合い入り六玉と書いてあります」
 メニューを見ていた杉原がいきなり言った。なるほど、見るとそう書いてある。
「六玉ですか。いきなりまたずいぶん進化したんですねえ」
「いやあ今はヤケクソですよ」
「じゃあその六玉を!」
 もちろん我々はまだ別の店で食わなければならないから全員でその大盛りひとつを食うのである。
 やがて登場したそれは洗面器のようなドンブリからチョモランマのように麺が盛り上がっている堂々たる真剣な大盛りであった。
 チョモランマ部分は、別の小椀にスープを貰って「つけ麺」で食べる。ぐずぐずしているとスープの中の麺がふくらんで食っても食ってもいっこうに麺が減らない状態になる。
 近くに住んでいる三十五歳の警察学校関係の人がこいつを十五分でたいらげ、その記録はずっと破られないそうだ。
 大盛りであっても味はいい。煮干し、サバ節、トリガラ、ジャガイモのだしである。かつてラーメンのだしの中にジャガイモが入っている、ということを知って驚いた記憶がある。ハッタリの強い豚骨醤油味の有名店より、この「大勝軒」の変わらない味が懐かしくそしておいしかった。

風格の江戸前もり蕎麦

 そこから高速道路を走って神田須田町の「神田まつや」に行った。ここで大食いの強烈な助っ人高橋大と合流。
 これまで日本蕎麦の本格的な店にはなかなか出会わなかったが、ここは店構えからその客にいたるまで江戸前蕎麦の端正な貫禄を感じる。本当はこの取材でもっといろいろ東京の本格的な蕎麦屋にいきたいのである。
 まだ夕方には早い時間だが、酒を飲んでいる中年のカップルなどもいる。なかなかカッコいい。いい歳をしていつまでも大盛りラーメンではなく、江戸前の蕎麦屋で静かに妖しく酒を飲めるような度量をそろそろ身につけたいものだ。
 羨やましい気分でそんな客を横目にまずはオーソドックスにもり蕎麦を注文。店内にはなんと九人のおばさんが忙しそうに動き回っているし厨房の活気も伝わってくる。客は抑制されていてその数のわりには静かで、これが江戸の蕎麦、という説得力がある。関西や日本の田舎では絶対につくれない雰囲気である。
 出された蕎麦がまたうまい。
 今回は午前中に行った店が懐かしい場所にあったからなのかやたらと懐古的になってしまうのだが、その店の雰囲気のある蕎麦を食べながらもうとうに死んだぼくの叔母さんのことを思い出していた。
 叔母さんは深川に住んでいて小学生の頃遊びにいくと近くの蕎麦屋につれて行ってくれた。そのときに叔母さんはもり蕎麦のほかにカツ煮のようなものを頼んでくれた。この組み合わせがうまかった。もり蕎麦にはカツ煮。このカツ煮が、東京の蕎麦屋の「台抜き」という注文であるということを後年知った。以来いろんな蕎麦屋でその注文をしたのだが、地方の田舎では通じず、それは東京(主に下町)の食い方であるのを知ったのだった。
 その店では「小田巻むし」に出会うことになった。第5回の西九州ブロック大会取材で、この「小田巻むし」のことを思い出し、長崎のいろんな店で聞いて歩いたのだが残念ながら知る人はいなかった。
 また回顧話になるが、ぼくのサラリーマン時代は銀座だったが、会社のすぐ近くに長崎チャンポンの有名店があって、そこが大きな器の茶碗蒸にうどんの入っている「小田巻むし」を出していたのだ。だからてっきりそれは長崎のものなのかと思っていたのである。
「これはね、江戸時代から東京の食べ物なんですよ」
 店のおばさんが教えてくれた。そうかこれはわが地元のものであったのか。
凶暴極太一本うどん

 ここで我々はいったん解散。三時間後に本郷の「高田屋」に再集合することになった。
「高田屋」には池波正太郎の「鬼平犯科帳」に登場する一本うどんがある。
 出てきたそれに驚いていると描写だけで大変なことになるのでサラリといくことにする。
 切り口二センチ四方ぐらいのうどんである。それが四人前。一本うどんなのでずっと一本である。つまり我々の前に「あいよ」といって出されたそれは大きなザルの上にとぐろを巻いている白い巨大な生き物のようであった。まあ簡単にいうと蛇。白蛇である。このうどんは本当に途中に切れ目のない一本つなぎなのだ。
 以前ベトナムでザンロというミドリ蛇の大群を見たことがある。太さ二センチぐらいで二メートルぐらいの長さがある。それがカタマリになって勝手に動いている。目下我々の目の前のうどんが動き回っていたらそのザンロのイメージにちかい。
 もうひとつ、モンゴルの遊牧民がときおり羊を解体してそのすべてを食べるけれどそのとき見る羊の腸がよく似ている。
 ただし目の前のそれはうどんであるからあくまでも全体が白い。うどんであるから勝手にぬるぬる動いたりしない。
 みんなでおそるおそるつまんでみる。箸でちぎれるというようななまやさしいものではなく、指でぐいんとちぎるしかない。分葱(わけぎ)と生姜と山葵(わさび)という基本の調味料に満たされたタレにつけて食べる。しっかりとコシのあるいつまでも存在感の持続するうどんである。噛みしめるといい味であるということがわかる。けれど全体が固いので「おいしい」とか「こくがある」とか「キレもある」なんていう感想を述べることはできないままかなり長い時間噛み続けていることになる。とにかくこれは集中して噛んでいくしかないのだ。
「みんな無口になりますな。そういう意味では蟹を食うときに似てますな」
 高橋大が言う。そういいつつ一番確実に早くずんずん食っているのが彼である。
「恋人たちが食うのにも適していないでしょうな」
 楠瀬が言う。
「しかしこれを両端から食っていって最後に全部食べおわると食っている二人の口と口がくっつくという状態もあります」
 集中しているわりにはなるほど的なことを高橋大がいう。やはり途中から参加しているイブクロの余裕であろうか。
 そのあと東京のラーメンでは十指に入るという湯島天神下の有名ラーメン店「大喜」に行った。すんなり入れたが出るときは行列ができているので驚いた。なるほどおいしいけれど行列まで作って食うほどでもない。この店だけではないが有名ラーメン屋に並ぶ青年男女をみるとみんな平和ニッポンの純粋なアホ顔にみえる。
by shiina_rensai | 2007-01-22 16:04 | Comments(10)
Commented by Jordan at 2007-04-05 01:44
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Commented by Sadomasoquismo at 2007-08-21 01:09
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Commented by マコリン at 2008-09-27 14:05
一橋学園の大勝軒は来年の10月6日で閉店だそうです。
丁度40周年の開店記念日の日だそうです。
Commented by じろう at 2010-05-14 13:36
一橋学園の大勝軒昔椎名さんの作品を見て言ってきました。苦労を重ねたご主人の笑顔がとても印象的でした。閉店されたんですね。
地元の狭山ヶ丘にも大勝軒があって同じ系列としりびっくりしたものです。

<椎名誠プロフィール>
1944年東京生まれ。東京写真大学中退。流通業界誌「ストアーズレポート」編集長を経て、現在は作家、「本の雑誌」編集長、映画監督など幅広い分野で活躍。著書は『さらば国分寺書店のオババ』『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』『アド・バード』『武装島田倉庫』『岳物語』『犬の系譜』『黄金時代』『ぱいかじ南海作戦』など多数。紀行エッセイに『波のむこうのかくれ島』『風のかなたのひみつ島』などがある。近作の『全日本食えばわかる図鑑』には第一回≪全日本麺の甲子園大会≫の模様を収録。ブンダンでも随一の麺好き作家として知られ、世界中どこでも「一日一麺」を実践する、敬虔な地麺教信者でヌードリストである。

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