そこからさらに車を飛ばして徳島県よりの山奥にある琴南町の「谷川米穀店」へ。
ここは十一時に開店して午後一時までの営業。ただしその朝打ったうどんが売り切れてしまえばそれでその日は終了、という油断のならない店なのだ。
杉原の運転する車はどんどん進み、どんどん山の中に入っていく。人里はとぎれとぎれになり、緑いよいよ深くなり、トンビが空を舞い牛が草をはみ炭焼きがひなたぼっこをしている。おい三太夫、じゃなかった今泉、大丈夫か、このまま江戸時代に行ってしまうんじゃないだろうな。
やがて両側に深い山が迫る谷間のあたりにひっそりとした落人の集落のような場所があった。到着だという。谷川のせせらぎが光る。なるほど谷川に面した谷川米穀店。こんなところにヒトはいるのかと思ったが妙に路上駐車が多い。
「高松の郊外や田舎でうまいうどん屋を探すには路上駐車の多いところをみつけろ、という諺があります」
高知生まれでこのあたりの事情に一番詳しい楠瀬が解説する。マサイ族の諺に、よわった獲物を探すにはハゲタカの舞う下に行け、というのがある。
路上駐車の中心部に向かっていくと谷川米穀店専用駐車場というのがあったがすでに満車であった。しかしそれにしてはヒトそのものの姿がない。やがて杉原が谷川のそばに小さく「うどん」と書いてある農家のようなものを発見した。屋根からよく燃焼した煙がうっすらと流れている。目標は特定された。いよいよ突撃である。
「行け、カービー。左に回れリトルジョン!」
我々は静かに緊張して攻撃態勢をとり散開した。いや別に散開する必要はなかった。
杉原がその民家のごくごく普通に見える入り口の引き戸をあけた。
その時の光景をわたしはいまだに忘れることができない。
そこに来るまでただひとりの村人の姿も見なかったのにその民家の一見さびれた工場廃墟のようなところに、ぎっしり人間が詰まっていたのである。ざっと六○人。ぎっしりうまった人々は座ったりしゃがんだり立ったりしてみんなうどんを食っていた。老人もいればわかい姉ちゃんもいる。おばさんもいればサラリーマン風もいる。それらの人々がみんな黙ってうどんをすすっていたのである。ある種のサイコスリラーといっても通用する風景であった。カフカかパトリシア・ハイスミスか。

今この店の中にいる人々の数はおそらくこの山の集落の人口より多いであろう。おお、人間というものはうまいうどんを求めてかくもしぶとくこんな山峡にまで入り込んでくるのである。
店のかたわらで若い男とおばちゃん数名が忙しくたち働いている。品書きには「うどん大二一○円。小一○五円。タマゴ三○円」とある。だしはなく、テーブルに置かれた醤油(瓶のまま)、酢、ネギ、自家製青唐辛子などを適当にぶっかけて食う。我々はかろうじてあいた隅に肩よせあって座り、小一○五円に醤油をかけて食う。「なんだか純文学みたいなうどん屋ですね」
楠瀬がなかなかうまいことをいう。もうはやらないが、つまりはプロレタリアうどんか。「蟹工船」というのがあったがここは「うどん工場」だ。聞けば高松市内からガソリン代だけで大盛り五杯分ぐらいかけて一○五円のうどんを食いにくる人もいるという。あっ我々もそうではないか。シンプルイズベストを感じるうどんであったが、あの待避壕のような極限的土間食堂の意味はなんだったのだろうか、という未消化の疑問が残った。
マツケンサンバうどん
謎を抱きながら金刀比羅宮へ。
杉原が次に選んだのは「中野うどん学校」であった。
「陸軍中野学校に似てますがここは一人一五○○円でうどんの作り方を実戦体験学習できます」
愛想のいい店の経営者に迎えられて「まっちゃん」というえらくテンションの高いおばさん先生の指導のもと、まずは「うどんとは何か」の理論学習。
先生は少なく見積もっても同じことをもう五○万回は言っているようで、言葉は淀みがないが淀みなさすぎて空をトンでいくようなお話しぶりでうどんのできるまでを教えてくれる。それによると、うどんとは小麦粉と塩と水で出来ているのであった。まあうどんに松茸とか上カルビとか中トロが混ぜられているとは思わないが、しかし一人前一○○グラムの小麦粉とひとふりの塩でできているのだ。要はそれをいかにうまくこねて打って茹でるかなのだ。おばちゃん先生の少なく見積もっても五○万回は言っているおばさんダジャレ「細く長く生きるのよ」とか「わたしゃめんくい」などの連発攻撃にさらされながら自分の一○○グラムうどんを練り、それをビニール袋にいれて足で踏むことになった。そういえばこれまで歩いたどの人気うどん屋も奥のほうでいろんな人がうどんを足で踏んでいる姿を見た。
「リズムにあわせて踏むといいのよう」

まっちゃん先生はあくまでも明るく、一人ハイテンションで音楽スタート。みんなで踊りながらうどんの素を踏む。「青春時代」「恋のマイアヒ」「空海いろは音頭」と続き、きわめつきは、アレはなんというのであろうか。紅白歌合戦などのバックステージで踊っている人が持ったりしているキンキラ飾りのついた棒を二本もたされ「マツケンサンバ」をうどんの上でやらされたときは頭がクラクラし、この学校を即座に中退したくなった。でもこのうどん学校にくる観光客はこういうのがいいらしく、まっちゃん先生はもう七○万人ぐらいの卒業生を出しているという。まあ一時間で修業式ですけどね。
うまうどん、みすぼらの公式
高松市にもどり、通の間では伝説的に有名という池上製麺所に行った。ここは午前十時から十二時半。そして夕方四時から一時間だけ営業している。着いたのはまだ四時前だったが近くに開店を待っているらしいやや暗めの「うどんお宅」ふう青年が二、三人。すぐそばを流れる香東川の土手にも何台か不審車ふうが止まっていて中に人の姿。張り込み中のクルマに見えないこともないが開店をじっと待っているのがミエミエである。我々もそうなんだけど。
河原に立て看板。ここで駐車されると迷惑である、ということが怒りのこもった文で書いてある。近所の人が建てたようである。ピークにはきっと違法駐車の列になるのだろう。
このうどん屋さんは若者三人となかば名物と化したおばあちゃんとでやっている。全体が町工場のようで、外にテントがあってどこかで拾ってきたような事務用スチール机が五つか六つ並べられ倒産した会社のよう。ブロックを積んだ上に板が渡されていてそれが長椅子がわりのようだ。板壁に貼ってある古びた共産党のポスターがわずかにはかない色どりをつけている。
開店時間がちかづくとどこからともなくじわじわと「うどんお宅」っぽいのが集まってきた。うどん玉ひとつが七十円。タマゴ三十円は実に良心的に安い。ダシ汁は洗剤を入れるような透明な容器に入っている。食べおわったドンブリは自分で洗って下さい、と書いてある。大きな透明ゴミ袋にワリバシがどさっ。タマゴの殻がドサッ。ちゃんと分別されている。料金は自己申告制。
さっき寒風の中でじっと背中を丸めて待っていた暗い顔をした青年はうどん四玉注文し、湯気のあがるそれを両手に持って今やこんなにしあわせな人生はない、という顔をしている。
打ちたて、茹でたてのうどんに葱と生醤油をかけて食う「ぶっかけ」がさぬきうどんの王道という。
それにしても、さぬきうどんの製麺所系は何故にどこもこんなにみすぼらしい状態になっているのだろうか。もうひとつ有名な丸亀の「なかむら」は、ぼくが行ったときは掘っ建て小屋風で、メニューはダンボールの切れ端に書いてあった。葱は裏の畑に行って自分で引っこ抜いてきて刻んで食うというのが有名だった。その近くにヒト呼んで「うどん御殿」なる立派な自宅があったりする。でもこういう店のうどんは安くて本当においしい。みすぼらしいほど「うまい」という風評、公式のようなものがあるのだろうか。
ところで気になっていたのはうどん王国高松におけるラーメンの地位である。今回あらためて高松の町や農村を歩き、注意して見ていたのだがほかの土地なら必ず目にするラーメンの看板や風にはためく広告旗を殆ど見なかった。
「当然ながら隠れキリシタンのごとく高松にもラーメン屋があります。ただし当然ながらひっそりとしています。いじけています。時には自暴自棄になって鳴門だらけの鳴門ラーメンなどというまずいものをだし、自爆テロまがいのことをしています」
「それは嘘だろう。今泉」
「嘘です」
満腹のあまり今泉が自暴自棄になっているようだ。彼をさらにいたぶるためにだめ押しで市内のあるラーメン屋にはいった。『たぬきラーメン五○○円(天カス入り)』という、品名からしてすでにそうとうまずそうなものを注文したが出てきたものは考えていたよりもさらにまずかった。
「のう今泉。なんでこんなまずいラーメン屋があるのだろう?」
「おそらく高松のうどん関係者が集まっている何かの組織の陰謀かと……」
はて。
「いま世界は、つまり高松以外のソトの世界はうまいラーメンの群雄割拠の時代です。高松の人がよその土地に行ってもそこで禁断のうまいラーメンなど食べてそのことに気がついたりしないように、高松にはまずいラーメン屋だけを置いておいて『まいんどこんとろうる』などをして、という高松うどん界の暗黒組織が暗躍しているものと……」
「それは嘘だろう。今泉」
「嘘です」