やるなら今だ
日本人ほど麺を食っている民族はいない、という結論に達した。どこでどういうふうに達したんだ?と言われても困る。
これから何回かにわたって連載するこのシリーズは、体を張って、つーか、胃袋をとことん拡げてつーか、過度に過酷に過激にその実態を体験し「なっ、そうだったろう!」と激しく堂々と世間に問う、つーか、膨らんだ腹を見せる、つーか、そんなもの見せられたって困るつーか、とにかく日本中の麺をかたっぱしから引っ張りだしてはちぎっては投げ、じゃなかった食っては呑み込み、噛んでは箸でつかんで振り回し、北に味ラーメンが一番だ、という者あれば西の煮込みうどんを持っていって「どうだ!」と言い、東で「いいですわねえ日本のソーメン」などと言う奴がいたら南の「チャンポン」を持っていって「なんのなんの」と叫びまくる、というなんだかよくわからないがとにかく日本のあらゆる麺を食って走り回り、最終的には各県代表のどこのどの麺が日本一なのか、ということを決めてしまう、という日本初の「第一回、全国麺類公式(硬式じゃないのね)選手権大会」を開催することになったのである。つまりは『麺の甲子園』略して『麺甲』。
元はといえば二年前に本誌で『全日本奇食珍食大紀行』という連載をしたのだが、そのときに途中ぼくが外国に行っている期間が長く、取材できなくて題材に困り、強引にわが記憶の中だけで日本中の麺類をたたかわせる「麺の甲子園」という回をこしらえた。
苦肉の策であったのだが、それが妙に評判がよく(と編集者は言った)今回はそれを実地におこなって、つまり全国のいろんな麺をひとつひとつちゃんと食って、どこの麺が本当に一番うまいか決めよう、と編集部の楠瀬とか今泉が言いだし、それに杉原が加わり、カメラマンの佐藤が加わり、さらに外部から(インターネット担当として)海仁が加わり、なにかいろんな人が加わってついにゆるぎなき『爆裂麺喰がしがし団』というさらにわけのわからないものができてしまったのである。そしてハナシは早速はじまってしまうのであった。
寒風だし汁胸騒ぎ
ぼくは仕事で大阪にいた。そこに東京から『がしがし団』の四人がやってきた。このエリアのガイドとして関西関係の情報誌『ミーツ』のスタッフライター曽束さん(以下敬称略)がやってきた。前日の電話での打ち合わせどおり全員朝食抜き。当然であった。今日は一日中関西の麺を食うのである。
「ほないきまひょか」
と曽束が言う(本当はそんなことは言わなかった。しかし言ってほしかった。言ったような気がした)。
全員まず南船場の「うさみ亭マツバヤ」という、店名を聞いただけでは何屋なんだかさっぱりわからない店に連れていってくれた。
「ここは創業百年を越す老舗でありながらアバンギャルドなうどんを常に追求する店ですわ」と曽束はまたしてもわからないことを言うのであった。
アバンギャルなうどんとはなんや。うどん娘か。「あほか。アバンギャルやないで。そんなギャルがおるかいな。アバンギャルド。きつねうどん発祥の店ですわ」「きつねがアバンギャルドかいな」などとわけのわからないことを言っているうちに「マツバヤ」に突入。
さっそく出てきましたアバンギャルドきつねうどん。大きなアブラアゲが一枚ドーンと入っている。アブラアゲが二枚になると「しのだうどん」になる。理由はその段階ではわからない。いや、結局最後までわからなかったな。
がしがし団の団長(ぼくのことです。以下この呼称でいく)はアブラアゲをすこしかじってつゆとうどんをすこしすすり、これを前座に曽束のすすめる「おじやうどん」(七五○円)を最初の勝負麺に選んだ。
「おじやうどん」。六本木ヒルズのテナントには絶対ないような気がする。そのとおり鍋焼きふうの鉄鍋にうどんとおじやがまざっている。卵、鰻、かまぼこがのって有無をいわさぬ重装備。うむ。
「きつねうどん」ときたら「たぬきうどん」だが、天かすがはいったのは大阪では「ハイカラ」といい「たぬきうどん」というのは大阪には存在しないらしい。
続いて難波にむかった。吉本興業本社、なんばグランド花月のすぐ近くの「千とせ」。ここは「肉うどん」で有名という。
曽束がなんだか落ちつかない。店は満員状態でいわゆる通年流行り店の風格と迫力と貫禄と緊迫感と期待感といい匂いと不思議な沈黙と暖簾の汚れと切迫感と早く入りたいけどなかなかあかないイライラ感、などといった何かいろんなものが一体化して渦巻いている。さっきから寒風をついてうまそうな匂いがふくふくわいて体のまわりをとりかこむ。怪しい胸騒ぎでなんだかそのうち倒れそうだ。ああもうあと二分で倒れる、というところでやっと一人分の席があいた。
崩れ落ちるようにして座る。あぶないところだった。曽束のきめた注文はこの店の一押し定番「肉吸いとタマゴごはん」。
「肉吸い」という肉とつゆだけのものがあるが肉うどんはその肉吸いにうどんが入っているものです。と曽束がまたややっこしいことを説明する。いいからとにかく早く食わせてくれ。
やがておばちゃんが持ってきた。牛肉のこまかいのが沢山浮かんだツユの奥にうどんが見え隠れにどおーんと身をひそめている。量が多くそれを上回るツユ。その上に惜しげもなくばらまかれた細かい牛肉の破片。それにしても“肉吸い”とは凄い名前だ。君はもしかするとポルノうどんか。
牛肉破片、牛肉破片、牛肉破片
牛肉破片、牛肉破片、牛肉破片
の背後で熱くあやしくからみあってのたうつ白い肌の女体じゃなかった「うどん」。
そこによりそうあったかいドンブリごはん。その上に生タマゴが日の丸のようにのっている。
怪人肉吸い男と化してつゆとうどんを啜る。ススル。すする。おお。うまいではないか。なんといううまさだ。これはいったい何だ。ああ肉吸いだ。肉吸いだった。
斜めむかいに二十四、五の娘が同じものを前にしている。なかなか美人だ。娘はワリバシを掴むとドンブリの中のあったかいごはんと生タマゴをもの凄いイキオイでかき回しはじめた。高速三五○回転。反転して二三○回転。おおプロなのだ。そうか。ごはんはああして食べるのか。
客はおとっつあんのほうが多いがOLふうの若い娘もけっこう多い。一人の客ばかりのようで店は静かだ。静寂の中のナマタマゴごはん三五○回転。
「うどん」では量がちょっと多すぎという人には「とうふ」をうどんのかわりに入れてもよく、うどんなしもあり、正確にはそれが「肉吸い」だ。
「うまい! 麺甲の関西代表はこれでキマリや」団長は逆上し、隣にすわった楠瀬に叫ぶ。
「いや、関西地区はこれからさらにいろいろあるんです。まだ大会は、地区予選がはじまったばかりなのです」楠瀬あせる。あせりつつもドンブリを持った手ははなさずうどんも何本か口から垂れ下がっている。
野菜方面規制緩和
道具屋筋をゆっくり歩きながら千日前のほうに向かった。このあたりは看板屋とか提灯屋とか置物屋とか商店の道具屋などというのがあって歩いているだけで面白い。美しく女装したホームレスや肥満体の横揺れヤクザなどもいた。ぼくはある週刊誌の表紙の写真の連載をやっているのでこういう魅力的な被写体に出会うとウズウズするのだが今回は「がしがし団」の団長に徹してカメラは持ってこなかった。
こんなどうでもいいことを書いているのは腹ごなしをするためなのである。さすがに朝から昼前までにこれだけ食うと実は「どん」とこたえている。まあ昔からいくら食っても太らない体質なのでそうとなったらとことんタタカウ気でいたが、さっきの肉吸い+うどんがきいた。全部食べなくてもよかったのだが食べてしまうおのれをほめてやりたい、つーかほんとはナサケナイ。
梅田からJRで神戸に向かった。東京の「スイカ」が関西では「イコカ」というのを初めて知った。
「行こか」ということだよね。と曽束に確かめる。前に大阪の駅に「チカンはアカン」というポスターが貼ってあるのを見て笑ったことがある。ポスターの意図はわかるけれどああいうポスターを見て、これからチカンをしにイコカと思っている人が「そうかアカンのか。ほなやめとくか」と思うのだろうか。
こんなどうでもいいことを書いているのは再度書くが腹ごなしのためである。ふふふふふ。その功あって神戸についたら腹ペコだった。まあ当然嘘である。
そのココロを知ってか知らずか曽束はどんどん長田の商店街に我々を連れていく。震災のときに一番被害を受けたところだが街は健気に復興しているように見えた。けれど寒い風が吹いているし、午後の中途半端な時間だからなのかアーケード街は閑散としていた。このあたりはお好み焼き屋さんが多く、長田独自の食べ物で震災後によく取り上げられたものに「そばめし」がある。
もともとはこのあたりの工場の職人さんや近所の人がドカベンや家の残りもののゴハンなどをもって来て「これを一緒に炒めて」と頼んだら「よっしゃ」となったのがはじまりらしい。下町らしくていい話だ。ある店では「犬めしっぽい」というので「ドッグライス」と言っていたがそれじゃああんまりなのでひっくりかえして「グッドライス」と呼ぶようにした、という話も聞いた。
今回の『麺甲』はできるだけ現代の日本麺事情に忠実に、しかも門戸を大きく開いて、地区大会を頻繁に行い、全国的に有名な名門校じゃなかった名門麺だけの大会に偏らないように幅ひろく大会参加を呼びかけている、つーか、喰いに行くつーか、つまりなんだ、そこではその「そばめし」を注文した、つーわけである。正確には牛すじそばめし。お店は「ひろちゃん」。
牛すじとコンニャクを煮いたものにゴハンをまぜて炒める。そこへ茹でてある中華そばをまぜるのだが、このそばを細かく切るのが大変に徹底していてそばは間もなくそばとしての原型をとどめなくなり、かぎりなくゴハン粒に近い大きさになっていく。「そのほうがゴハンにまざりやすい」からである。やがてまんべんなくそばとゴハンがまざったところでタマゴをまぜてさらによく炒めてできあがり。そばとごはんのチャーハンチャーメンということになるだろうか。
目の前で作ってくれるので店のお兄ちゃんやおばちゃんといろんな話ができるからたいへん楽しいしおいしい。ビールのつまみにもなる。なかなかいいが、しかし若干の問題点を指摘する「全麺連役員」もいた。
つまり「麺喰がしがし団」の数名である。
「この麺甲の参加資格はあくまでも麺であることですよね」
「まあそうだね。甲子園にいきなりバレーボールやサッカーやテニスが乱入してきたらまずいもんね」
「左腕から繰り出す強烈なスピンサーブ。バッター構えました。打ちました。ソオーレーッという声がして一塁側が猛烈なレシーブ。それをショートがダッシュしてセンター方向に豪快なロングキック。球はぐんぐんのびていくのびていく。はいったあ! ごおおおおおおおおおおおおおうううううううる」
「それ結構おもしろそうですな」
「そうじゃないでしょ。この場合、必ず麺が入っていることが最低の大会参加資格としないと」
「麺とは何か? ということが問われますな」
「まずは長いこと」
「何センチから麺ですか?」
「まあ最短でも七センチはほしい」
「そうするとこの“そばめし”はすでに参加資格がないと……」
「いや震災で苦労した長田地区だからそこをなんとか……」
「作るのを見てたら直前まで長かったですよ」
「試合開始二分前まで長かったらいいと」
「長さより素材が問われませんか?」
「今回は門戸を広くしてるからね。昨年は三十センチぐらいしか開けてなかったけど今回からもうぐーっと開けてしまった」
「どのくらい開けたんですか?」
「もう凄い。二十五メートル」
「広い!」
「全面開放!」
「じゃあハルサメなんかもいいわけですね」
「全面開放」
「糸コンニャクは?」
「長ければ大会規定に触れません」
「おれモヤシ好きなんですけど種類によってすごく長いのがあります。あれなんかもいいですか。七センチ以上あれば」
「モヤシそばというわけじゃないのね」
「モヤシだけ」
「全面開放! もうわしらココロも広いからね。ただし半期に一度だけね」
「キリボシダイコン」
「いいでしょう。野菜方面全面規制緩和」
「キャベツのセン切り」
「うーん……」
「しかもソースたっぷし」
「うーん……」
辛味打線の攪乱攻撃
大阪に戻って小休止。夕方になってミナミの「今井本店」に行った。曽束の説明によるとここは「マツバヤ」と並ぶ大阪の代表的なうどん屋という。これで早くも大阪地区大会は「うどん」が代表となりそうなイキオイだ。
庶民的な「マツバヤ」と違って「今井本店」は店構えも立派。エレベーターなどもあって四階の席にごあんなーい。
「ナイター設備のあるグラウンドを持っている金持ち高校ってありますよね」
しーっ。中高年の男女連れや大店のご主人ふうの四人連れなどが鍋をかこんでいる。「うどんすき」のようだ。うどんすきが『麺甲』にエントリーできるか、という議論もある。
「うどん以外のサポーターつーか、援軍が多すぎるという問題がありますな。鶏肉、ハンペン、蛤、ホウレン草、シイタケ、ガンモドキ、焼きアナゴ、ニンジン、サトイモ、ミツバ、ユバ、生麩などが入っている。『うどんすき』とうどんの名前は前面に出していながらうどんは最後に偉そうにちょっとだけ出てくる」
「おたくうどんすきに何か必要以上の敵意もっていない?」
声をひそめつつそのようなことを言いながらきつねうどん(七三五円)を注文した。アブラアゲとザクザクに切った葱がのっている。薄い色ながらだしがよくきいていてさすがである。しかし気になるのは大阪のうどんが全体にやわらかいことである。腰がないのが関西うどんの特徴といえば特徴のようだ。さぬきうどんは腰で勝負している。朝青龍も腰で勝負して横綱になった。ゆえに関西うどんは横綱にはなれそうもない。
しかし関西の人が東京でうどんを注文するとだしの色が濃くてまっくろでどんぶりの中のうどんの本体が見えなくてびっくりするそうだ。智恵子は「東京には本当の空が無い」と言ったが関西の人は「東京には本当のうどんがない」と言ったのである。勝負はわからなくなってきた。
動揺しながら生野区の万才橋に向かった。「万才橋のたもとの万才橋という店へ」というとタクシーの運転手はよく知っていて「最近肉がかたなった言われてるけど子供の頃よく行きましたよ。もう四○年前ですわ。三○円で倒れるくらい食えたですわ」と懐かしそうに言った。ホルモン焼きの店である。
ここの名物は「チリトリ鍋」で、元鉄工所をやっていた店の親父さんが鉄の端切れで簡単な鍋を作ったらチリトリにそっくりだったのでそういう名になったという。
注文の本命はそのチリトリ鍋による「ホルモン焼き盛り合わせ」で三段階のランクがある。
①タン、ハラミ、上ミノ(八三○円)
②脾臓、ミノ、ツラミ(六○○円)
③色々な内臓の盛り合わせ(四五○円)
三番目の「色々な内臓の盛り合わせ」というのが迫力だったのでそれを注文。
店の中のつくりはなかなか洒落ていてヨーロッパの居酒屋みたいだ。遠くにひくく演歌が聞こえる。テレサ・テンの「つぐない」ですな。生ビールにジンロ。ツマミにコブクロのタタキ。コブクロはいかにも凶悪そうなネオンピンクだった。ホルモン焼きをあらかたつついたところでうどん(一八○円)を投入。誰かが酒のツマミでとったキムチ盛り合わせをそっくり入れてかき混ぜたのでいかにも辛そうな赤いうどんになった。こいつをヒーハーヒーハー言いながら食ってはビールにジンロ。
うまい! うどんの腰のないところを辛味打線が着実に攪乱して点を稼ぎ、「色々な内臓の煮込み」が隠し味になって守備をカバーしている。
実はこれ以外にも沢山注文していて腹がいっぱいになり、もう倒れそうになっていたが六人がめいっぱい食ってのんで合計九千円程度だった。
安い! 『麺甲』にぜひ出場してもらいたい。全麺連の委員は全員一致でそう語った。
「にしんそば」に謝る
JRで京都へ。曽束が案内してくれたのは寺町二条の「民謡そば酒井亭老舗」。店の中には全国の民謡にからまるこまごまとしたお土産ものや飾りものがいっぱい並んでいてケバケバしく何も知らなければわが生涯で絶対に入らないようなつくりだったが、曽束いわく店の中はこんなありさまだけど出てくるものはみんなおいしいのだという。メニューには全国のそばが四十品目ぐらいずらっと並んでいてここだけで全麺連「そばの部」の全国大会が開けそうだ。
大阪になかった「たぬきうどん」が京都にはあるという。したがってそれを注文した。京都の「たぬきうどん」はアブラアゲが刻んであり、あんかけでショウガがのっている。不思議なお姿だがこれがおいしいのである。すまなかった、という気持ちだ。
ついでに京都といえば「にしんそば」だからそれを注文。プーンとだしのいいにおい。関東者には「そば」に「にしん」なんて聞いただけでケッとなるのだが、これがじっくり深いこげめの味でなかなかうまいのである。すまなかったという気持ちだ。
カメラマンの佐藤が写真を撮っていると「取材ですか?」と店のおばさんが聞いてきた。「ありがたいんですけどあと一週間でこの店閉めてしまうんです」と意外なことを言った。
ウームとうなりつつ続いて哲学の道に通じる疎水【脇/わき】のいわゆる行列のできる有名ラーメン店へ。十二時前だったがすでにびっしりと若者とおとっつあんの行列ができている。東京にも行列のできるラーメン屋はいっぱいあるが京都でもこんなに並んでいるとは思わなかった。
京都ラーメンはそのイメージとちがってトンコツ+ショー油のこってり味でこの店も強烈であった。例によって客はみんな沈黙気味。七~八人の従業員がテキパキと忙しく働いていて、流行りラーメン店の典型的な風景である。
しかし、京都の人々がこの程度のラーメンに行列を作っているのだったら京都ラーメンのレベルはたかがしれている――と思った。うーむここにきて団長ははっきり京都に喧嘩を売っているなあ。
このあと我々は祇園の「鍵善良房」へ潜入してなんと「くずきり」(九○○円)を黒蜜のタレで食った。いや、いただいた。長さ七センチ以上ある「くずきり」も立派に『麺甲』へ出場資格がある、と判断したのだが、関東のがさつな親父たちにはおよそ場違いな典雅優雅の雅雅雅雅空間で、わしら全員背中を丸めて萎縮しつつ、くずきりをズルズルすする姿を見てあきらかに「くずきり」のほうから出場辞退をきめたようであった。