ユタカ
先日の新宿ストリートからの帰り道。新宿駅から電車に乗ろうとした所、人身事故の為、振替輸送を行っているとの事。待ってても再開の見込みは無いみたいだから、振替輸送のチケットを貰う。長年東京で電車生活を送っているけども、実は振り替え輸送のチケットを貰って迂回しながら移動するのは初めて。なにぶん始めての体験なもんで、つい浮かれて写真など撮ってしまった。振替輸送のチケットはじめてやーんてなもんでね。
で、ブログになんて書こうかなーと思いながら、その人身事故とか振替輸送とかについて何となく考えてて、人身事故があった次の日の朝の電車では車内アナウンスでご迷惑おかけしまして申し訳ございませんでしたとか車掌さんが言ってたりとか、少なからずその事故の影響が所々に垣間見える生活をしてて。自分がなんて書こうかなて考えてた事さえも、その人身事故の影響の一つだしね。
その事故の事を考えていて、写真をブログで使おうとか考えてて、自分の初めての振替輸送の事にポイントを置けばちょいとわくわくな感じだけれども、その裏で人が重傷なり死亡なりしてるかも知れない事実をすごく非現実的というか軽く捉えちゃってる事に気付いた。
例えば、その事故の該当者が自分に近しい人だったら、それはものすごい現実として迫ってくるはずなのにね。
何があったか判らないし事故にあった人も知らない人だし次の日のアナウンスでもその事故の結果その人がどうなったとかも知らされないし、たぶん普通はそんなにみんな興味を持つ所ではないんだろうね。
こんな事を書いたから、これから人身事故が起きる度に事故で亡くなった人のお葬式に全部行きますとかお祈りしますとかそんな宣言が出来る訳でもないし、そんなのは的外れだと思うからしないけど。
しないけど、事故に遭ってしまった人とその人を取り巻く人達の気持ちの事を少しだけ想像して、人身事故で自分が受けた迷惑に対して怒らないようにしようと思った。自分がちょっと遠回りをして帰る事くらい事故に遭った人の傷に比べたら大した事はない。事故に遭ってしまった人を取り巻く人たちの気持ちを思えば、ちょっとめんどくさいなと思ったくらいのこと。
日頃からよくある事だから、このちょっとした胸がきりきりする感じをその度に忘れないようにしたい。それを忘れてしまったら、自分の近しい人達の悲しい事にも悲しくなれない様な気がするから。
初めてだからって浮かれてた自分にさようならだ。