カテゴリ:古代マヤ文明と神秘( 55 )

みなさん、こんばんわ。

エキサイトブログ「いちおし」にてご紹介いただき、嬉しく思っています♪
これからもマヤの神秘やスピリチュアル的オラクルなど、楽しく綴っていこうと思います。


古代の世界では、この世に完全な「闇」が存在していたとき、太陽は今よりはるかに明るく、月や星々もずっと多くの輝きを放っていました。空いっぱいに広がる宇宙と天体の輝きのひとつひとつに、古代に生きた人々は神の姿を見ていたといいいます。

古代マヤ文明の礎を築いたマヤ族は、天文学の知識、暦、そして世界観や思想を持っていました。 またそれだけではなく「チラム・バラムの書」や「ポポル・ヴフ」などのような神話や予言、儀式、暦としての聖なる書を叡智として語り継いできました。

マヤの宇宙は3つの世界から成っています。
目に見える地上の世界、見えない天界、そして冥界(地下世界)です。冥界であるシバルバーへの入り口は、「洞窟」だとされていますが、そのシバルバーへ続いている「道」は、天の川の中に見える帯状の暗い部分だと考えられていました。

この3つの世界にはそれぞれに神がついています。
大地の神7人、地下世界(夜の王)の神9人、そして天界の神13人です。
この3つの世界の神々を組み合わせ(掛け合わせ)ると、木星・土星の運行を追うための周期の一つになっているのです。(819日周期)

マヤの宇宙観を研究し、また紐解いていくとき、壮大な天体の星々と人間との間にある見えない世界への切符を手にするようなそんな感じを覚えます。
しかしそれはマヤに限ったことではありません。世界中で語り継がれてきた神話には、星になった神々についての共通の概念が存在しています。

★銀河(ミルキーウェイ)

銀河、天の川は、天を滔々と流れる川や銀色に光る道であるというのが神話世界での常識となっています。日本や中国、ベトナムでは、天の川に隔てられた悲恋物語が有名です。
これらの物語では、男女が川の両岸で相対しながら、なかなかあうことができずに泣き出すという意味を持ちつつ「雨」を象徴しているとも言われています。

ギリシャ神話の主神ゼウスが、アンピトリュオンの妻アルクメネにうませたヘラクレスが8ヶ月になったとき、ゼウスの嫉妬深い妻であるヘラは、2匹の蛇を揺り篭の中に入れ、殺そうとしました。ところが赤子のヘラクレスはその蛇を素手でもって絞め殺してしまいます。ヘラの怒りを恐れたアクルメネは、ヘラクレスを野原に捨ててしまいます。偶然そこを通りかかったヘラは、誰のこともわからないヘラクレスを抱き上げて乳を与えました。するとそのあまりの怪力で乳房を吸ったため、乳がほとばしって川となり、その川が天を流れる銀河となったという話です。

マヤでは、3つの光の結合によってこの世界は創造されたとする3次元からなる「十字架」があります。その十字架は「輝く光」(東から西に向かう光)、「一本足の光」(北から南に向かう光)、そして「小さな光」(天頂から天底へ向かう光)で表わされています。この「小さな光」は日本や中国の神話と同様「雨」という意味を持っています。この光の結合であるマヤン・クロスは夜空に浮かぶ銀河を表しているといわれ、ユカテク語では「持ち上げられた天空」を意味する「ワカフ・チャン」と呼ばれています。

★プレアデス星団
牡牛座の肩に6つ星が集まっている場所、それがプレアデス星団です。日本では「すばる」という呼び名を持っています。

ギリシャ神話ではプレアデスは天を担ぐ巨人アトラスの7人姉妹の娘で、女神アルテミスに仕えていたそうです。月の明るいある晩のこと、7人姉妹が森のなかで踊り戯れていると、猟師であるオリオンが現れ、彼女たちを犯そうとしました。驚き恐れた彼女らは、森の奥へと逃げ込んで月の女神アルテミスに助けを求めます。女神は自分の着物の裾にかくまってあげました。
しかしなおもオリオンを恐れ続ける姉妹たちを気の毒に思ったゼウスが、7人を美しい鳩に変えたので、大空へ飛んでいって星になったそうです。今では6つの星にしか見えないのは、姉妹のひとりエレクトラが、トロイアの城壁が戦火で焼け落ちるのを見て悲しみ、長い髪をなびかせて彗星となって飛んでいったからだと伝えられています。


アステカ神話でもプレアデスは「センテオトル」という「コーンの神」としての神格を持っています。(マヤではヤム・カァシュと呼ばれています)


センテオトルはトラツォルテオトルという月の女神の息子です。トウモロコシでできた冠を戴いた若くて凛々しい青年の姿として表され、「7つの蛇」と呼ばれるコーンの女神をパートナーの女性神格として持っています。またセンテオトルはマヤの神「ケツァルコアトル」によってこの世界に連れてこられたといわれ、北の力を持ち、プレアデス星の使いだとも言われているコーン神なのです。

マヤの地下世界(ナイトロード)を司る9つの王



古代からひとは神を信じ、自然に宿る脅威の力をあがめ、また天を信じて生きてきました。
人は常に変化してゆく心や朽ちてしまう肉体、社会のさまを愚かだとし、普遍的で変わらないものを信じることで、生きることに救いの光を求めてきたのだと思います。


人は苦しいと感じるとき、どんなに頑張ってもどうすることもできず人力では叶わない運命的な力を無意識に求めるものなのです。
運命の力や幸運は人が願うとおりに、また考えるとおりにそのひとの人生を良い方向へと与えてくれるわけではありませんね。
人間の考えは所詮人間の考えうる範疇でしかない事柄です。そこに人と天の違いがあるのですから、同じであるはずはないわけです。

ところが「自分」という人間の持つ力や考えに限界を感じ、己の可能性をどんなに期待したとしても最終的には人間としての限界にぶち当たることを悟り、自らのハンドルを天に預けたときから、天は天の考えるやり方でその人の人生の舵を握って運命的な方向へと転換し始めるのです。

マヤ暦と無意識の世界を探求し続けてきた私は、マヤ暦の「ナイトロード」という不思議なサインに注目していました。

生年月日に持つ自分のデイサインがあることは、マヤ暦では一般的に知られていますが、もう1つわたしたちの生年月日には「夜の守護者(ナイトロード)」と呼ばれる神や女神がついていることはあまり知られていませんでした。
そしてまたその「ナイトロード」がどのようにデイサインやわたしたちの運命に関わっているのか、ナイトロードは夜を司りながらどのような意味を与えてくれるのかを解き明かすために協力してくれます。

9つのナイトロードは1日のうちの「夜」を司って繰り返し時のサイクルを交代して見守ります。
その夜の神々は、暗闇に隠されたそのひと自身を明らかにするものでした。
この古代の神々、また女神は、元型タイプとしてあなたの意志の後ろにある深い精神の力を象徴している!とわかったとき、それがわたしたちの「無意識」に大きく影響していることをはっきりと知る手掛かりであることがわかりました。
それをもとにして、自分自身の運命の生命樹を作成してみると、なるほどナイトロードの存在が少しずつわかってきます。

冥界の9神は、天界の13の神々と戦って敗れてしまったので、夜を見守るため地下世界にいったのだそうです。
シバルバーへの道は、天の川の中に見える帯状の暗い部分だと考えられていて、夜になると地上のうえにその入り口が姿を見せる、と考えられていました。この天の川の暗い部分がオリオン座と関係のあることは、「古代マヤ文明の暗号」の著者であるエイドリアン・ギルバートも多くの紙面を割いて語っています。

他の誰もが知らない、また理解することのないあなたの人格の一部。
無意識に潜んでいる元型をささえ、それをあなたの意識へと伝えようとしている夜の守護者。
ナイトロードと一緒に運命をよみとく解読法を新たに占いに取り入れて、マヤ暦の占術を磨いているこの頃です(*^^)v

マヤ占い、ぜひお試しください^^♪
みなさん、こんにちわ。

「アセンション・デイ」の続きは次回にまわすことにして、今日は以前からお知らせする予定だった「古代マヤ文明と核戦争」について、UPしたいと思います。

東日本は巨大地震のあと多数の余震で揺れてましたが、今は原発の真実が報道されないまま、国民の心は不安に揺れ続けていますねー(-_-メ)

人間の「生」を重んじる常識から考えれば、地震があって2ヶ月(マヤ暦では20のデイサインが「3サイクル」)という時を廻ったのに、いまだ「生」が守られるという安堵感がないことは、異常にしか思えません。

5月15日、マヤ暦では「ジャガー・3」です。
マヤオラクルをみると「発心」が大事!と告げています。

 ★

マヤには「ブルク・チャブタン(Buluc Chabtan [god F])」という戦争の神がいます。
目の周りと頬にかけて引かれた黒い線でこの神だと分かります。
黒は死や凶運、災難や生贄を表わす色で、「死」の神(Yum Cimil)とも縁が深く、片手で家々に火を放ち、もう一方の手で人々を槍で突き刺す戦いの神として描かれます。

東関東大震災のあの日、マヤの神話は恐ろしいことを告げていました。
このF神の頭の上には「11」を表すグリフ文字が描かれ、マヤの20あるサインの7日目「マニク(=手)」を強く握り締めています。
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2011年3月11日 マヤ暦では「マニクの周期」でした。
「11」という数には、マヤの神々の恐ろしい神話と数秘の理が隠されています。
シカ(マニク)の周期に、地震、津波の災害と、核という黒い闇の兵器を操る「11」を表す文字と重なってしまい、「F神」なるものを呼び出してしまいました。

いま、世界中であらゆる情報を共有することのできる「知的生命体」の意識は、この2ヶ月で二極化しつつあります。
原子力や核保有の賛成派と反対派をはじめ、反政府・内閣、情報の二極化、隠蔽や隠密の暴露、闇の力推進派や楽観主義派・・・
数えればきりがありません。

日本だけの問題ではありませんよ!みなさん。

近い将来、世界に「核戦争」が起こります。
「核戦争」といっても、核を使って国家間が戦うのではありません。「核」と世界が地球の存続をかけて戦う戦争です。人類はブルク・チャブタンを目覚めさせてしまったからです。
ブルクチャブタンはその闇の存在を戦いによって、あるいは核によって、人類破滅、地球破壊の意識を世界につなげていってしまいます。
超次元レベルによる攻撃によって、核はもはや人間次元ではコントロールできない状態になりつつあります。福島もそのようになりつつあるかもしれません。

注意深く情報を分析されている方なら、ある程度は感づいているのではないかしら?

古代文明には様々な伝説があります。
エジプトのピラミッドやカッパドキアの地下遺跡、モヘンジョ・ダロ遺跡をはじめ、数多くの古代文明には、核戦争とのかかわりについて示唆するものがたくさんあります。

マヤ文明にもノアの箱舟現象に似たような洪水伝説があります。
核戦争によって引き起こされたかもしれない「大洪水」についてです。

「天が地に接近し、一日のうちにすべてのものが滅び去った。山もまた水の中に隠れた。・・・岩が地面のすべてを覆い、テトゾントリ(多孔性の溶岩)がものすごい音をたてて沸騰し、赤い色の山が舞い上がった・・・。」
(チマルポポーカ絵文書)

「大洪水が起こった。あたり一面が暗くなり、黒い色の雨が降り始めた。雨は昼も夜もどしゃぶりに降った・・・。」
(キチェ族の古文書『ポポル・ヴフ』)

黒い雨を降らせるこれら大洪水は、核爆発の影響で、地球は大洪水に襲われたか、あるいは核戦争の結果もたらされたものかもしれないのです。

古代、人類がブルクチャブタンと戦い、核のエネルギーを封じ込めるには、地球の「大地」かまたは「海」のふところに頼るしかありませんでした。
封印しておかねばならない「邪悪な黒い顔を持つ戦争の神」からその危険なエネルギーを奪い、パンドラの箱を授けられたときから、いつかそのエネルギーを封印するためには「清い大地の神、人類を救済する女神たち」を犠牲にするしかないことを、黒い邪悪な神々は知っており、そのことを企んでさえいたのです。

ソドムとゴモラの話や、古代バビロンの遺跡に描かれていた岩絵、インドの文献「マハーバーラタ」の叙事詩などのように、その証となるお話が多くの神話の中に残されています。

アトランティスもその犠牲になった島なのです。

核戦争が始まってしまうと、世界は地球のどこかに封印する場所を探さなければなりません。
もしも福島の第一原発が次なる爆発を起こし、日本中にあるいは近隣アジア諸国にも悪影響を与えることになってしまったら、日本を封印するしか方法はないのでしょうからね。
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そのとき、地球の海はあふれ、天地異変がおこり、地軸は変化し、大地は海底へと身を潜めてしまうことになってしまうのかもしれません。

Pray for Kinich Ahau(太陽神、唯一神)!

みなさん、こんにちわ。

今日は古代マヤの思想哲学にもとづいた、人生を変える生き方についてご紹介しましょう。

みなさんもご存知かと思いますが「マインドフルネス」という言葉がありますね。
これは、自分がしていることを十分に理解し、判断や評価なしにいまの瞬間をできるかぎり受け入れるようにすること。という意味において使われます。
「苦しみをそのまま受け容れる」「あるがままを受け止める」ことによって、心が満ちたりること、充足して前向きになること、気持ちがありのままの位置にいられること。のような意味にも置き換えられます。
最近では心のケアーや心理療法として「マインドフルネス瞑想法」が活用されるようになりつつあります。

実は「マインドフルネス」と同じ意味をもつ概念がマヤの神話や思想にもございます。

マヤカレンダーでは、自分の誕生日のサインを調べ、生まれた日の意味や守護者の特性、あるいは生まれたとき地上に植えられた「魂の顔を持つ生命の樹木」を見い出すことができます。そしてその生命樹は「自分という地図」の役割をもち、人生を旅するときの「道しるべあるいはコンパス」となります。
 ★マヤ生命樹占い

私はこれまでに多くの方々の聖なる樹木「マヤ生命樹」を拝見させていただきました。
その人のマインドや心・身体あるいは生き方に、現実が悪影響を与えていないかバランスを失っていないか、また道を見失っていないかなど、スピリチュアルカウンセリングをしてまいりました。
と同時に「一瞬の神秘なる輝き」という「聖なる瞬間」を与えられ、マヤの神々や天に感謝することが多くございました。

マヤの叡智が秘められた自分地図には、賢者の智恵や教え、あるがままの心模様、人生の問題に対する解決の導き出し方、人間関係や社会との関わりかたについてなど、現代の学問でいえば心理学や哲学、道徳倫理や文学、神話的解釈、行動論などについてたくさんの学びと教えが描かれています。

そしてその地図に書かれていることをカウンセリングとともに説いてまいりますと、その方の心にあるマインドフルネスに共振し、マヤケツァルコアトルの光エネルギーがやって来るという瞬間を体験いたします。

悲しみや失望、あるいは心的外傷やカルマの負債、絶望感や挫折感など、どんなに困難な状況であっても、マインドルフネスにマヤの守護者のパワーが触れていくとその方の言葉や心、波動が瞬時に輝きを放ちはじめるのです!

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その瞬間、その方のマヤ生命樹に光があたり、行くべき方向や道が少しずつ示され、あるいはエネルギーが循環し始めます。
そして問題解決へのきっかけをつかみ、人生を前向きにすすむことができるようになります。

マヤカレンダーとその思想体系のなかには、強靭で不屈な精神、自己犠牲と感謝、過酷な環境の中で生き延びるための智恵などがたくさん織り込まれています。

古代マヤの人々は、どんなに悲惨な環境に自分たちがおかれたとしても、そのことを無視したり拒絶したりすることなく、真正面から受けとめて、必ず救済される、困難から脱出できるという信念を持ち続けていたのです。
そして希望の光を失わなかった古代マヤ族は、天体宇宙に神々を見出し、カレンダーを文化遺産として後世に遺すことができたのです。

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これこそが古代マヤ族にとっての成功論であり「あかし」の1つなのです。

その人のマインドフルネスとマヤの守護者が対面したときから、マヤの叡智は個人の運命に干渉しはじめ、人生が完成形になるようにと導き、そして働き始めます。

打たれ強い人間となって悲しみや自分にうちかつこと、そして未来にある希望の光を今この瞬間に先どりして手にすること。

それこそが古代マヤの賢者が説く伝説の授業なのです(*^^)v
古代の世界では、この世に完全な「闇」が存在していたとき、太陽は今よりはるかに明るく、月や星々もずっと多くの輝きを放っていました。

空いっぱいに広がる宇宙と天体の輝きのひとつひとつに、古代に生きた人々は神の姿を見ていたといいいます。
古代マヤ文明の礎を築いたマヤ族は、天文学の知識、暦、そして世界観や思想を持ったいました。 それだけでなく「チラム・バラムの書」や「ポポル・ヴフ」などのような神話や予言、儀式、暦情報としての聖なる書を伝承として語り継いでいました。


マヤの宇宙は3つの世界から成っています。

目に見える地上の世界、見えない天界、そして冥界(地下世界)です。

冥界であるシバルバーへの入り口は、「洞窟」だとされていますが、そのシバルバーへ続いている「道」は、天の川の中に見える帯状の暗い部分だと考えられていました。

この3つの世界にはそれぞれに神がついています。
大地の神7人、地下世界(夜の王)の神9人、そして天界の神13人です。

この3つの世界の神々を組み合わせ(掛け合わせ)ると、木星・土星の運行を追うための周期の一つになっているのです。(819日周期)

マヤの宇宙観を研究し、また紐解いていくとき、壮大な天体の星々と人間との間にある見えない世界への切符を手にするような錯覚を覚えます。

しかしそれはマヤに限ったことではありません。

世界中で語り継がれてきた神話には、星になった神々についての共通の概念が存在しています。



    


★銀河(ミルキーウェイ)

銀河、天の川は、天を滔々と流れる川や銀色に光る道であるというのが神話世界での常識となっています。日本や中国、ベトナムでは、天の川に隔てられた悲恋物語が有名です。

これらの物語では、男女が川の両岸で相対しながら、なかなかあうことができずに泣き出すという意味を持ちつつ「雨」を象徴しているとも言われています。


ギリシャ神話の主神ゼウスが、アンピトリュオンの妻アルクメネにうませたヘラクレスが8ヶ月になったとき、ゼウスの嫉妬深い妻であるヘラは、2匹の蛇を揺り篭の中に入れ、殺そうとしました。ところが赤子のヘラクレスはその蛇を素手でもって絞め殺してしまいます。ヘラの怒りを恐れたアクルメネは、ヘラクレスを野原に捨ててしまいます。偶然そこを通りかかったヘラは、誰のこともわからないヘラクレスを抱き上げて乳を与えました。するとそのあまりの怪力で乳房を吸ったため、乳がほとばしって川となり、その川が天を流れる銀河となったという話です。

マヤでは、3つの光の結合によってこの世界は創造されたとする3次元からなる「十字架」があります。その十字架は「輝く光」(東から西に向かう光)、「一本足の光」(北から南に向かう光)、そして「小さな光」(天頂から天底へ向かう光)で表わされています。この「小さな光」は日本や中国の神話と同様「雨」という意味を持っています。この光の結合であるマヤン・クロスは夜空に浮かぶ銀河を表しているといわれ、ユカテク語では「持ち上げられた天空」を意味する「ワカフ・チャン」と呼ばれています。

★プレアデス星団


牡牛座の肩に6つ星が集まっている場所、それがプレアデス星団です。

日本では「すばる」という呼び名を持っています。

    

ギリシャ神話ではプレアデスは天を担ぐ巨人アトラスの7人姉妹の娘で、女神アルテミスに仕えていたそうです。

月の明るいある晩のこと、7人姉妹が森のなかで踊り戯れていると、猟師であるオリオンが現れ、彼女たちを犯そうとしました。驚き恐れた彼女らは、森の奥へと逃げ込んで月の女神アルテミスに助けを求めます。女神は自分の着物の裾にかくまってあげました。

しかしなおもオリオンを恐れ続ける姉妹たちを気の毒に思ったゼウスが、7人を美しい鳩に変えたので、大空へ飛んでいって星になったそうです。今では6つの星にしか見えないのは、姉妹のひとりエレクトラが、トロイアの城壁が戦火で焼け落ちるのを見て悲しみ、長い髪をなびかせて彗星となって飛んでいったからだと伝えられています。

アステカ神話でもプレアデスは「センテオトル」という「コーンの神」としての神格を持っています。(マヤではヤム・カァシュと呼ばれています)




センテオトルはトラツォルテオトルという月の女神の息子です。トウモロコシでできた冠を戴いた若くて凛々しい青年の姿として表され、「7つの蛇」と呼ばれるコーンの女神をパートナーの女性神格として持っています。

またセンテオトルはマヤの神「ケツァルコアトル」によってこの世界に連れてこられたといわれ、北の力を持ち、プレアデス星の使いだとも言われているコーン神なのです。


マヤでは「シカ」を年の守護者に迎えている2010年、日本では50年ぶりとも言われる寒春に植物の女神も悲鳴を上げていますね。

シカの守護神である「トラロク」は、実は「雨と光と雷の神」なのです!

トラロクは、雷雨や、山の湧き水を司る神様で、とても崇拝されていました。

そしてマヤの地下世界(ナイトロード)を司る9つの王の第9番目の王でもあるのです。

   

雨が意味するものは単に「大地を潤す恵みの雨」に留まらず、「霊的な光のスピリット」でもあることから、今年は雨の多い1年でかつ霊的なスピリットに意識が引き寄せられる…そんな年なのかなぁ~~と、寒空に覗かせる星の姿を確認して微笑んでしまうこの頃です。

マヤの象徴と太陽の時代



「マヤの神秘」に惹きこまれていた私は、自分でも何の目的もわからないまま不思議な迷路に迷い込んでいたときがあります。

確かに私にイメージを送る声は聞こえるのですが、何を言っているのか何を伝えたいのかもわからず、無意識のイメージと直感だけを頼りに、マヤに関する書物を手に取っては読みあさりました。

私の意識が知る以上に私の無意識は「マヤからのメッセージ」の象徴する「何か」を掴みかけているようです。

私だけに聞こえているのか、他の人にも送られているのかはわかりません。

でも「何か」を伝えようとする波動は、今もどこかで振動し続けているように思えるのです。

天地創造



ファースト・ファザーとファースト・マザーによって創造されたマヤの宇宙は、最初3つの部分に分かれていました。天国・黄泉の国、そして大地です。神々の住まいである天国は13層からなるピラミッド型でした。同じように黄泉の国も9層からなる逆ピラミッド型でした。

そしてこの「天国」と「黄泉の国」との間に、人間が住む世界の「天」と「地」があるのです。

象徴的な存在であった王の身体を通して、渦巻のように上昇する生命力を目覚めさせるために、霊的訓練に関わる儀式は大切でした。なぜなら、宇宙の中心に位置するピラミッドは、世界樹の象徴であり、その頂点に立つマヤの王は、シャーマンであり象徴的な宇宙の中心だったからです。



生命の樹



「生命の樹」は、文化的民族的境界を持たない数少ないシンボルの一つです。エデンの園の中央にそびえ立っている樹でもあり、古いバビロニア神話からヘブライ神話へと受け継がれてきたもので、キリストの十字架もまた「生命の樹」であると言われています。

この世界の中心に立っている「生命の樹」は、宇宙の中心を象徴していて、軸を中心にすべてが回転するのです。この樹の持つ生命エネルギーは、すべてのものの中心であり、地上と天上を結ぶ大動脈なのです。





(マヤの生命樹)
二つのマヤ文字で表す「世界樹」を「ワカフ・チャン」といい、「上昇する空」または天上の白い道である「天の川」を指す概念を持っているそうです。

時間を超えた聖なる時間、通常の現実が通用しない内側と外側の調和が取れた世界は、不安定なまま絶えず発展を続ける生命の樹なのです。また人体には内なる樹があって、地球の持つ生命力が内なる世界樹を駆け登り、脊椎を流れて命を支えています。



マヤのカレンダーは、人間意識の成長の象徴として、わたしたちを聖なる時のピラミッドへと導いてくれます。それは「生命の道」であり、受胎と誕生を遡って祖先まで至る永遠の旅にその根を張り、未来へと向かって命の樹を成長させているのです。


この「世界樹」を軸の中心として、東西南北の四つの方向には様々な意味や概念があります。




日の出、春の方向 始まりを象徴し、行動や思考を生み出すエネルギーを象徴する。赤色 霊的にも物質的にも未来と対面していることを象徴。東は太陽神や生命、明けの明星である金星と結びついていた。
西

日の入り、秋の方向 変容の方向であり、黄泉の国をのぞく「空飛ぶ蛇」の顔である。青色か黒 誕生から霊的な変容へと向かう「生命の道」 ジャガーは夜の太陽の化身であり、人の目には見えない太陽を象徴する暗闇死者の国を象徴した。


「下」を意味し、大地の下からやってくる神秘的な生成力・生命力の象徴。黄色で「豊かさ」の方向でもある。男性エネルギーを象徴し、家系の力と豊かさを象徴する。


「上」を意味し、そこは天頂の太陽の位置である。またこの世を旅立った祖霊と結びつき、あの世へと向かう道である。智恵という意味を持ち、色は白。女性性を表わす方向。
中心

緑色。「生命の樹」が育つ場所。
マヤが象徴する生命樹の体系は、ユダヤ神秘主義思想のカバラの概念や中世錬金術の哲学象徴体系のみでなく、精神分析学者ユングの集合的無意識を表わす概念にとても良く似ています。

マヤ文明が残した数々の文化遺産や遺跡、神話や象徴絵図などを紐解くことは、私たち現代人が失いつつある大切な真理を知るための大きな手がかりとなることは間違いありません。

マヤの巨大な謎の世界に足を一歩踏み入れたときから、人はその不思議な神秘に魅了されます。まるで時の魔法にかけられてしまったかのようですね。


マヤの太陽

メキシコの人類学博物館にあるアステカの「暦の石」には、太陽神の顔の周りに昔の四つの時代が象徴的に表現されています。そのことに興味を持ったコットレルは、「ヴァチカン・ラテン絵文書」の中に時代をめぐっての記録を見つけたといいます。

さらに作者不詳の写本「太陽の伝説」に収録されていた物語にも、時代についての記録として象徴的な重要性をもっていると考えました。

ここでは太陽についての物語と象徴的な意味を書き出してみました。



第一の太陽 マトラクティリ

4008年間。この時代の人々はトウモロコシ(コーン)を食べ、巨人だった。太陽は水によって破壊された。それはアパチオワリストリ(洪水)、降りつづく雨と呼ばれた。人間は魚になった。ネネとタタという男女だけが難を逃れて、水のそばの古い木にかくまわれたとも伝えられている。あるいは、七組の男女が水が引くまで洞窟に隠れていたとも言われている。

チャク・チェル(年老いた女神)が壺の水を注いでいる。その下では、金星を表わしていると思われる戦士がしゃがんでいる。チャク・チェルの上には、金星、火星、水星、木星のしるしをつけた天のワニがいる。このワニは、おそらく天の川を表わしていて、口を開けて洪水を吐き出している。その意味するところは、世界は雨の女神の命令に従い、大洪水によって破壊された。そしてその破壊は天体・・・つまり太陽系の惑星の大きな周期が完結したことを意味している。


第二の太陽 エエカトル

4010年間。人々はアコツィントリという野生の果実を食べていた。太陽はエエカトル(風の神)に破壊され、人間は猿に変身し、木々にしがみついて生き延びた。これは「一の犬」の年(チェ・イツキントリ)に起こった。岩の上に立っていた一組の男女だけがこの破壊から救われた。、この時代は黄金時代と呼ばれ、風の神エエカトルに統治されていた。

エエカトルはケツァルコアトルに似ていて、ケツァル鳥に象徴される。

この時代を滅ぼしたのは、おそらくハリケーン並みの強い風であったとも言われており、『太陽の伝説』には、「人間は木にぶらさがって生き残るために猿に姿を変えた」と書かれている。

第三の太陽 トレイキヤウィロ

4081年間。この時代の人間は、第二の太陽の時代を生き延びた男女の子孫である。彼らはツィンコアコクという果実を食べていた。世界はチクナウィ・オリンの日に、火によって破壊された。この時代はツォンチチルチック(赤い頭)と名づけられ、火の神に統治された。アステカ人とマヤ人にとっての火の儀式は「再生」という考え方と結びついていた。

火には有機体を根源元素に戻し、その過程で熱と光を放出するという性質があるためである。

この時代はまた、初期マヤ文明の誕生の時期でもあった。

第三の時代の人々は森に守られていた庇護を離れ、第二の時代に破壊された世界の再建に着手したのだ。アステカとマヤの人々が行なった「火の儀式」は、再生という考え方と結びついている。つまり我々とは違った意味で火を崇めていたのだ。彼らは火を、太陽を再生させる手段として見なしていたということだ。

第四の太陽 ツォントリラク

5026年間。トゥーラが創始したこの時代は、ツォントリラク(黒い髪)と呼ばれた。人間は血と火の雨ののち、飢え死にした。

紀元前3100年頃に始まった第四の時代にとってもっとも重要な出来事は、『太陽の伝説』にあるとおり、ケツァルコアトルという「神」によって伝説の美しい都市「トゥーラ」が建設されたことだ。

予言者として英雄的存在だった「ケツァルコアトル」が建設したこの美しい都市・・・それこそが「神の聖なる町」という意味を持つ「テオティワカン」であったと言われている。 建設された町は第四の時代が終わる西暦750年頃まで栄え続けていたという。しかしこの頃に太陽の黒点が減少し、太陽から直接放射される熱によって人々の出生率が激減した。旱魃が広がり、穀物は枯れはて、飢饉が生存者たちを襲ったという。生き残ったものたちは、太陽の時代の終わりを予感し、聖なる町であるテオティワカンを地中に埋めて、その力が太陽に戻ることを祈りながら埋めることの出来なかった部分に火を放ったという。


第五の太陽 ナウイ・オリン

灰になってしまったテオティワカンから、第五のアステカの太陽「ナウイ・オリン」が誕生した。

第四の太陽の時代に生き残った人々は、北から移民してきた者とケツァルコアトルの称号を持った別の指導者の力を得ながら、新しい都市の建設にかかったという。しかしケツァルコアトルの弟の猛烈な嫉妬心により、ケツァルコアトルはその町を去らざるをえなくなった。それと同じ時期テオティワカンの発展と対応し、ユカタン半島ではマヤ文明が発展していった。

ケツァルコアトル神話「クアウフティトランの年代記」



探し求めていた地に到着すると、ケツァルコアトルはふたたび涙を流し、苦しんだ。この「一の葦」の年、海原の岸辺、空と水の交わるところに着いたとき、ケツァルコアトルは立ち上がり、泣いた。彼は盛装し、羽毛と大切な仮面を身につけた。着替えがすむと彼は、覚悟して体を燃やした。火の上に身を投げたのだ。このため、ケツァルコアトルが火に身を投げたところは「火葬の場」と呼ばれる。

ケツァルコアトルが火に身を投じると、灰が舞い上がり、あらゆる種類の美しい鳥たちが現われ、空に昇っていくのが見られた。・・・・・彼がすっかり灰になると、ケツァルコアトル鳥の心臓が昇っていった。心臓は空を昇り、空に入っていった。老人は、ケツァルコアトルが金星になったという。そしてこの星が現われたとき、ケツァルコアトルは死んだといわれている。このときから、彼は「夜明けの王」と呼ばれた。

ケツァルコアトルは、自分の心臓を生け贄に捧げ、白熱を発して燃え上がり、天に昇ってもっとも白く明るく輝く星「金星」になったということから、新しい時代の始まりとの間に密接なつながりをもち、金星の誕生はマヤにとって暦の上で重要な意味を持っていることになる。ケツァルコアトルという名はマヤの名称では「ククルカン」であり、天界の神を表わしていたといわれている。(太陽の伝説と「ドレスデン絵文書」)


マヤの予言

マヤの予言

エイドリアン ギルバート, モーリス コットレル, Adrian G. Gilbert, Maurice M. Cotterell, 田中 真知

独自にマヤの暦や神話の研究を進めてきたモーリス・コットレルは、パレンケの蓋に彫りこまれた図案とそのモチーフが意味するところの謎を解明に取組み、独自の理論を展開発表しています。

彫刻には「創造の四つの時代」は描かれているが、なぜか「第五の時代」に関する情報が蓋には欠けていることに彼は疑問を抱きました。蓋の角が欠落しているのが「解読のメカニズム」に何らかの形で関わっているはずだと考えた彼は蓋の縁を飾っている彫刻に焦点を当てて独自に解読を試みたのです。そして彼は見事に暗号の解読に成功し、第五の時代と対応する象徴を発見するに至りました。

それは現在の太陽の時代の象徴・・・「ジャガー」でした。


マヤ文明におけるジャガーは、闇を住みかとする夜行性のネコとして大地の王の化身でもあります。

真昼の太陽を光の中に飛翔する「ワシ」に例えるとするなら、夜の太陽は夜空にきらめく星をあらわすまだら模様を持つ「ジャガー」に例えられるのです。

太陽の旅はメソアメリカの神話の中心的メタファーであり、人間意識の永遠の旅と変容を表わしていました。「闇の太陽」に象徴されるジャガーは、目には見えない「太陽ジャガー」に変装し、冥界という「無意識界」を旅することになるのです。年老いた賢いジャガーは、葉巻をふかし、獲物を狙って現代もマヤ人の間を闊歩しています。



さらに驚くことにその象徴する闇の帝王は、罰当たりにも、キリストとホモセクシャルな関係を持っていて異端的であると伝えられています。

他にもジャガーは、山や動物との象徴的に結びついていて、山々に住む精霊として、霊的な力を山々に授けているとも言われています。

ジャガーは、ユングが無意識界でも取り上げたかの有名なマーリンの化身でもあったというわけです。

目に見えない太陽ジャガーが、第五の太陽の時代である現代を象徴するモティーフであるとするならば、それはマーリンの叫びが地上界に届いているという証であり、ユングの語ろうとしていた無意識界のイメージは正しかったということが証明されるはずです。

無意識という闇の世界を住処とする「太陽ジャガー」は、真昼の太陽が沈みかける頃、その力をアピールしながら、私たち現代人に時の知らせを告げに来ているのかもしれないのです。



また「真夜中の太陽」を象徴することがらが、錬金術の神秘の一部にあります。

それは人間の体の暗闇に輝いている人間の霊を象徴しています。

神秘家には真昼に見るのと同じように真夜中にも神秘的な光を放つ「真夜中の太陽」を見ることが出来るというものです。

誰もが手に入れることのできない「賢者の石」を錬金術師が求めたように、闇を住みかとする「太陽ジャガー」を求めて現代人は彷徨っているのではないでしょうか。





「マヤの予言」の著者は、マヤの暦の周期が太陽活動の様々な周期と驚くほどぴたりと一致していることに気づき、そこには天文学的な観察の成果が盛り込まれていることを発見しました。

さらに、マヤの「絵文書」や「碑文」には、将来についての予言が、後世へのメッセージとして記されているのではないかという仮説を立て、「パレンケの蓋」に注目し、蓋に刻まれた謎めいた絵を独自の仕方で解釈することを試みました。


ケツァルコアトル=ククルカンの神話にも、天文学や歴史的なものだけでなく、もっと多くの隠された意味が含まれているとも言います。

また、ケツァルコアトルを「羽毛のある蛇」として表現するとき、そこには二元的な特徴があり、「羽毛」は軽やかで精神的な父性の性質を、「蛇」は肉体的な創造と関係の深い母性の性質を意味しています。

神秘的な理解をするならば、「羽毛のある蛇」というシンボルは、知識のある秘儀参入者には相反する二つの性質が備わっていること・・つまり精神的なものと物質的なものがあり、蛇が脱皮して新しい皮に生まれ変わるように個体性を明けわたし、個人のエゴを脱ぎ捨てなければならないということ。そしてまったく一人きりで生ける犠牲を捧げることによって「ケツァルコアトル」になり、再生によって宇宙意識とつながるという教えにつながるのです。

またマヤ神話の中では、救世主の神である「ケツァルコアトル」は、水中から出てきて、一族に文明の神髄を教えた後、恐ろしい「火鏡」の神の怒りを免れるために、新開地へ戻ってくると約束したまま、蛇から成る魔法の筏に乗って沖合いの海へと出て行き、二度と引き返してはこなかったといいます。

第五の太陽の時代の象徴・・・ジャガー

ジャガーの象徴・・・闇の帝王、真夜中の太陽、マーリンの化身

闇に輝く真夜中の太陽・・・無意識の光と影

ケツァルコアトル(ククルカン)「羽毛のある蛇」のシンボルが意味するもの



マヤの象徴から真理を伝える言葉が聞こえてきそうです。







チラム・バラムの預言によれば、第五の太陽の時代は2012年の12月に終わるといわれています。



グレートサイクルが終わることが意味するのは、マヤでいう世界樹の中心に入るということ、偉大なる賢者「翼ある蛇(ケツァルコアトル)」が帰還する日であること、そして太陽が黄道帯の接合点で銀河の中心に位置するということです。それは、太陽がこのグレートサイクルの終わりのとき、すべてのものの「中心」に位置することになるということです。

このときマヤの予言が成就するならば、それは霊的な再生やメシアであるケツァルコアトルの帰還ということになるわけです。


グレートサイクルの終わりは、新しいグレートサイクルの始まりにすぎません。
そこで地球が滅亡してしまうということではありません。
グレートサイクルは紀元前3114年に始まり、5125年続きます。
そしてこのサイクルがおわるその日は、ある占星術師によれば数千年に一度起こるか起こらないかの珍しい日になると言われています。


マヤが残してくれた文化遺産から、私たち現代人は何を学ぶことが出来るのか、何を伝えようと何を知らせようとしているのか、をもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。