アセンションへの道
先ほどから我が家(東京都下)付近では、凄い雨が降り出しました。
昔から雨女だった私にとって雨音や雨模様は嫌いな天気などではなく、自分を迎え入れてくれる宮殿への道しるべのような天のお告げです。
小学生の頃から車があまり好きではなく、歩くことのほうが好きだった私は、ある日父と一緒に池袋へ出かけたそうです。帰りにバスに乗ったそうですが、あまりに気分が悪くなり途中下車。
その後何度も父は私に「バスに乗ろう」と声をかけたそうですが、チビの私はがんとして譲らず、家までの道程およそ6時間、父は根負けして一緒に歩いて帰ってきたそうです^_^;!
今でも私は歩くことや走ることに貪欲で、一歩でも前に元気に進むため頑張ってトレーニングしております(*^^)v
人にはそれぞれこの世で果たすべく役割や使命がございますね。
歌を歌って人の心に感動を与える人、人に生きる喜びや学ぶ楽しさを教える人、罪を裁き罪人に悔い改めを求めて心を鬼にして法に仕える人、悪いことをしていないのに社会の歪や罠にはまって苦しみながら国の解放を叫ぶ人・・・・
役割や使命がさいしょから分かっていれば苦労しません。
最初から才能に恵まれている人と後から開花する人がいるので、そこも分かっていれば苦労しません。
途中でもがき、悩み、苦しみながら見つけ出すのが「使命」のようなものだったり致します。
結婚に合う人もいれば、あわない人もいます。
人間が好きな人もいれば、嫌いな人だっています。
人と比べて深く悩む人もいれば、人の気持ちなどお構いなしに突き進む人もいます。
正しい答えは1つだと誰が決めるのでしょう?
その答えが正しいと誰が決めるのでしょう?
こうして悩み、苦しんでいるあいだにも、命は消耗しています。
今の大切な時間は過ぎ去り、時は流れていきます。
それでも皆さんには焦らないで感じてほしい。
「それでも私は私でいい」と。
自分のあり方を受容することからしか、次の時代に向かうアセンションへの道は開かれません。
惨めで助けてほしいほど情けない自分・・・
カッコ悪い自分
そんな自分をうけとめる。
それでも自分を受容する。
自分を愛する。
自分の運命を受けいれる。。。
そこからしか光の道は開かれません。
「どんなことがあっても私は私の味方でいよう!」
「私は間違ってるかもしれない。でも私だけは私を信じてあげよう」
自分の運命の樹が未来に向かって開かれるのは「利己愛」ではなく「自己愛」、「犠牲や忍耐」ではなく「自己受容」だとマヤのナーカルは語っています。
明日は秋分。
イヌのナーカルに見送られ、ケツァルコアトルは天に戻っていきます。。。