マヤの予言・アポカリプスの理(ことわり)
クリスマスも終わり、今年もあと6日となりました。
私にとって2011という年はとても充実した1年となりました。
マヤカレンダー2011年2月からは「道」年で、私のナーカルにとっては精神面が安定、充実する年。 さらにカバラでみる私の誕生数は「4」で誕生日も「4」。2011年はカバラ数秘では「4」で「宇宙の法則を操る管理者」という年なのだそうです。
どうりで…^^みたいな(*^^)v
また今年は多くの皆様とマヤ占いを通して波動の交流ができたこと、そしてマヤ暦や占い、マヤ文明の不思議をたくさんの方に知っていただくことができたことなど、とってもとっても嬉しく思っています(*^^)v
「2012年12月世界が滅亡する!マヤの予言にはそう書かれている」
マヤの予言説や終末論が世界中で注目を集めています。
わたし自身もマヤ研究家としてマヤの予言について、理論的にあるいは象徴概念的、またメタファーや無意識の元型的な視点から解読・分析を試みております。
そしてそれらには「ああなるほど、神話的あるいは集合無意識の象徴的なものがわからないとしたら、そのような絶望予言的な、あるいは世界滅亡的な認識もできるな・・・」と思える箇所は確かに多々あります。ので、なぜこのような滅亡説が出来上がってしまうのかも理解できるのです。
けれど実際の私はこう思っています。
「人間の集合無意識と血は、この世界がいつか滅びることを既に知っている。形あるものはいつか壊れ、生命は生まれたときから死へと向かっている。その真理が終末論や予言、アポカリプスを神聖化してしまう。それもまた人間の性であり救済を願う信仰心のあらわれなのではないか。」
ノストラダムスの予言や、聖書のヨハネ黙示録、ヒトラーの予言や日月神示などは、すべて神の啓示によって与えられた真の理(ことわり)だと考えています。
理とは、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味する文字自身にこめられた知の摂理です。
聖なる象徴世界を人の生涯において自覚し体現化することの難しさ、光の世界へ到達する道のりの困難さ、生と死のもつ本来の意味の認識を得る救済への道、また真の理や音なき言葉の意などを表現するものが、理(ことわり)をもつミクロコスモスの信仰であり、予言書であり黙示録や伝承、聖なる書物なのではないかと思います。
マヤに関しては特に難しく考えたらダメかな!^^
どちらかといったら五感と第六感をつかって感じてほしい「スピリチュアルな世界観」なのです。
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