30年も地下で生き延びた人がいる?!
昨日は久しぶりに美容院へ行ってきました^^♪
夏は超スパイラルなパーマをかけて爆発気分を存分に楽しみましたので、そろそろイメージチェンジしたくなり、いつもお願いする美容師さんに相談。
あーでもない、こーでもないと私のイメージするものを創り上げていただいた結果・・・
こーなりました♪
サイドしかお見せできないのは残念ですが、近いうちにどこぞに「ゲゲゲの鬼太子」のように出現するかもしれません(^^ゞ♪
福島原発だけでなく「美浜原発」2号機もトラブルによって停止されています。政府が何をどのように語ったとしても今の政府がいう言葉に信頼を寄せるのは難しい。。
また米国の諜報当局が発表した情報によると、北朝鮮は移動式の大陸間弾道新型ミサイルを開発していて、米国議会を震撼させているようです。
北朝鮮のミサイルはイランよりも恐ろしいらしいww
それらの情報がたとえ真実であるとしても、私は自分が何者であるのか本来の立ち位置に戻りつつ、ブログを書いていくことがミラクルワールドらしいかも!と思っています。
2012年、地球は滅亡する!という終末論は、世界情勢の動きをみてもシンクロする部分もあったりして、来年にかけて一層注目を集めるように思います。
そこで話題に関連するのが「古代マヤ文明の文化遺産である“マヤ暦”の終わり」です。
でも言っておきますが「マヤ暦」は終わりませんよ!
長期暦が終わり、大きな1つの時代が変わるだけです。
時の循環思想を知らない人は「終わり」を気にしますが、私は「始まり」を意識しています(^_^;)
しかし世界はサバイバルなニュースがいっぱい(~_~;)
不安になるのはごもっとも!です。
そこで一つ不思議な話をご紹介してみます。
火山の噴火で33年間も地中の閉じ込められて生きていた人たちがいた!というお話。
都市伝説なのかはたまた本当の話なのか…?!
1783年、大噴火した浅間山は、上空1万メートルにまで噴煙を上げ、溶岩流は幾つもの村を呑み込み、1200人の命を奪った。溶岩流が流れ込んだ吾妻川の岸辺は、凄まじい数の死体と、家屋の残骸で埋めつくされていった。
時は過ぎ、悲劇は過去のことになろうとしていたある夏の日、火口に近く溶岩流に覆い尽くされた鎌原村でのこと。
一人の村人が井戸を掘っていた。ところが、出てきたのは水ではなく瓦。更に掘り広げると、屋根が現れた。家が一軒埋まっていると悟った村人は、屋根に穴を開けて中を覗き込んだ。驚いたことに、ポッカリ空いた空間の奥底で、二人の老人が眩しそうにこちらを見上げていた。助け出された老人達の話によると、大噴火の際、一家六人で倉庫に避難した。命は助かったものの、地中深く埋められてしまい、脱出不可能となってしまった。しかし、そこは倉庫。米は三千俵、酒は三千樽あり、それらを食い繋いできた。残念ながら、長い歳月が一家を二人に減らしてしまったが、こうして生きながらえた二人の老人は、地上への生還を果たした。
浅間山大噴火から、三十三年後のことである。
(livedoorニュース記事 2010年7月8日「33年地中で暮らした人」)
この記事は考古学研究者松島榮治氏が《シリーズ嬬恋村の自然と文化》と題して、村の広報紙に執筆連載を開始し、その中のシリーズに語られていたお話が元になっているそうです。
松島榮治先生プロフィール
嬬恋郷土資料館館長として地域の考古学研究発展に尽力されている。著作も多く、講演活動も多い。並はずれた学識には脱帽するばかり。鎌原遺跡の発掘については、あまりにも有名。
松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(二十七)に 「信州浅間嶽下奇談」 に詳しい要約が載っていますので引用します。
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文化13年(1816)狂歌の作者として著名な大田蜀山人は、大笹村の問屋兼名主であった黒岩長左衛門の招きを受けて、浅間北麓の地を訪れたものと思われる。その際、蜀山人は里人から奇怪な話を聞くのであるが、それを『半日閑話』の中で「信州浅間嶽下奇談」として記している。要約するとほぼ次の通りである。
「9月(文化12年)頃聞いた話だが、夏の頃信州浅間ケ獄辺りの農家で井戸を掘った。2丈余(約6.5メートル)も掘ったけれど、水は出ず瓦が2、3枚出てきた。こんな深い所から瓦が出る筈はないと思いながら、なお掘ると屋根が出てきた。その屋根を崩してみると、奥の居間は暗くて何も見えない。
しかし洞穴のような中に、人がいる様子なので、松明をもってきてよく見ると、年の頃5、60才の2人の人がいた。このため、2人に問いかけると彼らの言うには、
“幾年前だったか分からないが、浅間焼けの時、土蔵の中へ移ったが、6人一緒に山崩れに遭い埋もれてしまった。4人の者はそれぞれの方向へ横穴を掘ったがついに出られず死んでしまった。私共2人は、蔵にあった米3000俵、酒3000樽を飲み食いし、天命を全うしようと考えていたが、今日、こうして再会できたのは生涯の大きな慶びです”と。
農夫は、噴火の年から数えてみると、33年を経過していた。そこで、その頃の人を呼んで、逢わせてやると、久しぶりに、何屋の誰が蘇生したと言うことになった。
早速、代官所に連絡し、2人を引き上げようとしたが、長年地下で暮らしていたため、急に地上へ上げると、風に当たり死んでしまうかも知れないといい、だんだんに天を見せ、そろそろと引き上げるため、穴を大きくし、食物を与えたという。」
この奇談が何処であった事か著者は明示していない。しかし真偽はともかく、その内容から鎌原村に係わる奇談として、ほぼ間違いないことであろう。
027.浅間嶽下奇談より
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大田 南畝(おおた なんぽ)
天明期を代表する文人・狂歌師で、膨大な量の随筆を残した。
もしこの話が真実だとすれば、地下でも食料さえあれば30年以上も人類は生き延びることができることが証明されたわけですよね!
万が一にも核戦争がおこったり、戦争でも始まってしまったら、小さな核シェルターより地下に大きなマンションでも建設しておいて、そこへ引越したほうが生き延びる可能性が高いということになりましょう!
NBC report
2012年地球の滅亡を予測して、砂漠地帯の地下に建設された巨大なマンションを借りている人がいます!この規模だとシェルターなどというものではないですねぇ(゜o゜)
狭い日本、高層ばかりでなく地下も利用するのはどーでしょーか?
日本の建設会社さん、地下マンション建築しませんの?^^