パラドックス
コールマン博士のマヤ暦理論体系によると2011年10月28日、マヤ暦は終わるそうです。
What will the end of the Mayan calendar mean? by Carl Johan Calleman's Blog
In Response to Fatih's Open Letter by Kenneth Johnson's Blog
マヤカレンダーの終わりをめぐって、2012年予言説、現代社会の経済崩壊やポールシフトによる地球滅亡説なども含めて、あらゆる終末論が展開されています。
わくわくドキドキ!怖そうで楽しそうです。
人間はそのようなエキサイティングなイベントを楽しむ「生命存在」なのだと思います。
最近TVを見ていると人の心の中にある不幸・悲しみ・無残な事件・同情・哀れみなどを引き出すような報道番組、ドラマが特に多いことに気づきました。
3・11の地震時を振り返って、映像を流す報道番組もたくさんあります。
あの東関東巨大地震が津波が災害が日本にとって未曾有の災害であったことは間違いのない事実なのですが、一方でそのことが逆に人と人のコミュニケーションを深めたり、つなげたりしていることも事実です。
みなさんは「逆説」がどう働くかご存知でしょうか?
辞書で「逆説」を調べると「真理にそむくようでいながら、実際には真理をついているさま。また、普通とは反対の方向から考えを進めるさま。」とあります。
他国語で言えば「パラドックス」となりましょう。
矛盾が生じるのに、正しい・・みたいな感じ。
Wikipedia パラドックス
上の例でいえば
3・11の巨大地震災害が起こったことで国民は苦しんでいるが、逆説的にいえば国民はそのことによって人間が本来もつ生きる結束・団結・奉仕・活力を取り戻し喜んでいる。
となるかもしれません。
あるいは
2012年12月21日にマヤ暦が終わり、世界は滅亡する!という「終末予言説」に一抹の恐怖を感じてはいるが、逆説的にいえばそのことが社会を変え、新しい時代を築いていこうとする原動力となっている。
ともいえるかもしれません。
矛盾、パラドックス、逆説があることで、人は成長できるのではないでしょうか。
例えば「嘘」がなかったら全て「真実」「本当」となるわけですが、本当ばかりだとしたら「信じる」という信仰や宗教は人間にとって必要なくなってしまうし、裁判官も弁護士もいらなくなるわけで、警察が「嘘を言うんじゃない!」ということもなくなるわけです。
そうすると世界はみな「本当」だけの世界になり、不信も信仰もなくなり、つまりは生きて学ぶ意味がなくなりますよね。
人間が何を学ぶかといえば「違い」や「信じるもの」「未来」や「見えないもの」「愛」などを学ぶわけで、自分とまったく同じ考え、同じ意見、同じ世界をもっていたら、学ぶことは何もないことになります。
パラドックスを解き明かそうとすることや、不可能を可能にしようとすることは、自分への挑戦ですし未知の世界へ踏み出すことではないでしょうか。
マヤの思想には、「死」と「生」の世界観が象徴としてとても色濃く現れているものがたくさんあります。
「死」と「生」は相反するものでありながら、裏表の関係です。見えないものと見えるものの価値観の相違です。悲しみと喜び、苦しみと幸せのようです。
二つの異なる世界をつなぐために、「生」と「死」の一族がそれぞれ役割をもってこの世に誕生しています。
「生」の一族は物質的ではない見えないものを知る喜びを知るために生まれていますし、「死」の一族は見えるものの喜びを知るために生まれています。
パラドックス的な言い方をすれば「不幸の上に幸せがある」というのも「幸せは長くは続かない」というのは真実なのではないでしょうか!
自分を見失いそうになったら、まずは確認してみましょう。
今のあなたにパラドックスはありますか?
あなたの矛盾は何ですか?
矛盾を自己否定していませんか?
時間に逆らっていませんか?
二つの異なる真理を認めたくない!と足掻いていませんか?
違っていい。
喧嘩していい。
間違っていい。
正義と不義があっていい。
正論と疑惑があっていい。
未知と科学があっていい。
見えないものと見えるものが共存してていい。
嫌いと好きでいい。
愛と憎しみでいい。
肯定と否定があっていい。。。。。
「死」がない世界なんて、地獄ですから~~
ドラえもん 最終回「タイムパラドックス」