古代に原子爆発によるガラス化現象?!「リビア珪土ガラス」

みなさん、こんにちわ。

管内閣政治家の国会での答弁などを聞いておりますと、どうもこじつけの弁解のような気がして、オーラに光がないと申しましょうか、魂の気骨がないといいましょうか、国を守ろうとする意志が伝わってこないため、すぐTV電源を切ってしまいます(-"-)
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数年前に書いたブログ記事を思い出し、今の日本にとって必要なものはないかともう一度読み返してみました。
今回はその元記事を参考にとりあげながら、ご紹介したいと思います。

▼「核」という武器

「核」…どれほどたくさんの尊い生命が、そして何の罪もない人々が、この恐ろしいエネルギーの犠牲となってしまったことでしょう。

私たち人類の歴史と、世界平和を願う軌跡をたどれば、そこには否定することのできないたくさんの悲しい事実を発見します。
核爆発による破壊は、一瞬にして目の前にあるすべての現実を、まるで消しゴムで消してしまうかのように、その力は、町も、谷も木々も住民も、目の前でたったわずか数秒間で、あっという間になくしてしまいます。

日本の広島や長崎がターゲットとなった諸史実はもちろんのこと、福島原子力発電所の溶解事故は、世界中を震撼させている「大変な事故」であることを、私たち日本人はもっと真摯に受け止めなくてはならないのではないでしょうか。
政治家ももっと真剣になってほしいものです。本当に!

▼古代にあった「核」爆発?

この「核爆発」が、地球のはるかな古代に存在し太古の核戦争が起こっていたのだとする仮説をたて、研究している人々がいます。
古代史研究家や考古学者らは、地層研究や遺跡研究などによって、その仮説を証明しようとしています。

ムー 2007年 05月号 [雑誌] 大沼 忠弘
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1) 北アフリカ・リビア砂漠で発見された黄緑色のガラス塊の出土
2) イスラエルの遺跡で、砂の層が溶解して緑色に変色したガラス層の発見
3) サハラ砂漠南部で、緑色のガラス層を発見
4) ブラジル・ピアウイ州の遺跡の岩には、赤い金属が溶解してこびりついている
5) ペルーのクスコ近郊では、山の岩が溶解し高放射熱によってガラス化している
6) スコットランド、タップ・オノスの丘の上に築かれた謎の遺跡。この遺跡の塁壁は、原因不明の高熱でガラス化してしまっている

----以下ムー記事より引用----

1932年、北アフリカのリビア砂漠で重さが16ポンドもある融けた黄緑色のガラスの塊が出土した。
さらに詳しく調べたところ、なんとこの地には、北に13キロ、東西に53キロにわたって、この溶けたガラス質の層が存在していたのである。 これは現在「リビア珪土(ケイド)ガラス」と呼ばれており、ガラス層の形成年代は、2850万年前という鑑定結果が出ている。
このガラス層の起源について、科学者たちは隕石の衝突によって砂が溶けて生まれたものだと主張してきたが、肝心のクレーターは発見されなかった。
また近年の調査においても、隕石が激突したという証拠は見つかっていない。それどころか、このような溶けたガラス層が存在するのはリビア砂漠だけではないのだ。
・・・・
はたして、これらガラス層の存在は何を意味しているのか?
実は、このようなガラス層が形成されるためには地中にあるガラスの元となる珪素が融点(セ氏約1400度)を超えるほどの超高温になる必要がある。
そして、地球上でこうした超高温が生じるとすれば、隕石の激突か”熱核反応”しかないのだ。
実はアメリカの考古学者たちも、ある場所でこれとよく似たガラス物質を見たことがあった。ホワイトサンズという核実験施設である。原子爆発が砂のガラス化現象を現出するという事実が報じられている。

-----終わり----

これらの発見から事実を解明しようとすると、いずれもかなりの高熱にさらさなければ、このような「ガラス質」状になることはないという結果につき当たるのだそうです。

原子力は誰のものかの著者ロバート・オッペンハイマー氏は、サンスクリット語に精通していて、インドの古文献などを読み尽くした結果、古代に核戦争が起こっていたという事実を知っていた可能性があるそうです。
そしてもし本当に核戦争が起きていたとしたら、誰がどうやってなのでしょう?
地球にやってきた異星人なのか、超古代文明の神々なのか。。

原子力は誰のものか

原子力は誰のものか
ロバート オッペンハイマー, Robert Oppenheimer, 美作 太郎, 矢島 敬二

これらが今後の調査と研究によって、どこまで科学的に立証できるかどうかは、まだわかりませんが、筆者は記事の最後にこう書いています。

「本当に古代において核戦争がおこっていたとしたら・・・ひとつだけ確かなことは、彼らは「核」というエネルギーを平和的に利用するのではなく、戦争に用いたため、滅びの道を歩んでしまったということである」

▼生命誕生の「核」

「核」というエネルギーは、人間という小宇宙を形成する「結合の神秘」を象徴する概念としても理解できます。 生命の分子構造を学んだ人であればすぐわかるとおり、生命の「核」となる「核酸」が、親となる細胞「DNA」や「RNA」を形成し、「種」として親から子へと受けつがれていきます。
また、生命誕生の起源を追っている学者の一説には、約40億年前から38億年前のどこかで地層にできた黒いシミ(炭素のかたまり)が、何らかの生命活動の素となり、誕生したのだとするものもあるのです。

「最初の生命」への探究は、ダーウィンの進化論やインテリジェントデザイン理論を見てもわかるように、人類共通の知的探究心のような、憧れに近いものがあるようです。そしてこれらの探究は、一見すると「核」エネルギーから遠く離れたものであるように感じます。しかし、私はそうではないと思うのです。

「核」が超のつくエネルギーを持ち、どれほど人間に影響を与えるか、人類の歴史を一瞬で変えてしまうほどの力を持っているかを探り、生命の神秘と謎を誕生させたり消滅させたりすることが出来るかを、小宇宙の核と照らし合わせることで、私たちは学び取ることができると考えるからです。

「DNA」の継承によって、赤ちゃんが親に似ることも、親子として血の情報が同じであるにも関わらず、敵意が生じ殺害が起こるという現象も、また核エネルギーが地球のため平和的に使用されるのではなく、戦争というマイナスの要因によって使用されたという事実も、決して異なる素因を持つ「あやまち」ではないと思うからです。

▼「核エネルギー」を扱うということ

「核の素」自体が行動を起こして、人類や地球に被害をもたらしているのではありません。
「核」の恐ろしさを利用した者、また「核」という人間の力を超えた「超エネルギー」に意識を同調させた者、あるいは「核エネルギー」の恐怖を甘くみているか知らないかの者によって、「核」の素は巨大エネルギーとなって解き放たれてしまうのです。当たり前なことを言っている!と思いますか? 当たり前などというのは過信で傲慢です。
人間は愚かであることが基本なのです。

そのようなものを扱う人間は「危険」「兵器」「破滅」ということをしっかりと知っており、認識できていないといけません。
「想定外」などと平気で言えるような人間は、「核分子」を扱う資格さえないのです。
それを知っている人間が「悪」として利用すれば、残念ですが事実として人類に破壊をもたらすことができましょう。
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殺人もテロ行為も、生物化学兵器や核兵器による威圧も、決して平和を生み出すものではありません。
「核」本来のエネルギーを化学という世界からのみでなく、「生物学」「天文学」「心理学」「量子物理学」など様々な視点から研究し、認識し、純粋に人類と地球の平和を願うものたちが、「核」の素を封印することができたとき、初めて「核」は平和な武器として、人類に力を貸してくれるに違いないのです。

ロバート・オッペンハイマー―愚者としての科学者

ロバート・オッペンハイマー―愚者としての科学者

藤永 茂

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