真実が正しいことを証明できるとは限らない
アメリカの元副大統領アル・ゴア氏が「不都合な真実」という著書で環境問題を取り上げたことは有名です。
不都合な真実
そしてこのことが正しいかどうか、真実かどうかを考えて判断するのは私たちです。
サルや下等動物にはそのようなことはできません(^_^;)
福島第一原子力発電所の現状や回復、事故事実の経緯や収束にむけての取り組みなど、情報ミサイルは様々な角度からインターネットを通じて、あるいは各媒体やマスコミを通じて打ち上げられています。
どの情報が真実で正しいかどうか、誰が立証できるのでしょうか?
東京電力の立場、原子力エネルギー推進派の立場、反対派の立場、あるいは被災者の立場や作業員の立場などのように全てが相克しあう関係性において不都合なことを隠して情報の真偽を立証したり、統合させたりすることなど、できるはずがないのが真実なのではないかしら。
アル・ゴア氏がその著書のなかで、次のように語っています。
「気候の危機に関する真実は、自分たちの暮らし方を変えなくてはならないという、『不都合な真実』なのである」
◆変化に反対する人々が最近言い出している理由---最も恥ずべきものだと思う---は「そう、温暖化は起こっている。しかし、それに対して実際に自分たちにできることなど何もない。だから、何かをやってみようだなんて、むださ」というものだ。このグループは、温暖化がもたらす危機が現実に起こりつつあり、有害なものだと認めながらも、温暖化汚染物質を大気中に排出し続けることをよしとしているのである。 言ってみれば「食べて、飲んで、楽しくやろうじゃないか、明日になれば、子どもたちがこの危機の最悪の部分を受け継いでくれるだろうから。それはあまりにも不都合なことだから、私たちは気にしないことにしよう」という考え方ではないか。
◆現在の”思想の自由市場”の機能のしかたが、長期的に構造的に変わってきていることも、この問題の一因だ。現在のコミュニケーション媒体の主流であるテレビの持つ「一方通行」という性質と、娯楽の価値をジャーナリズムとごたまぜにしている少数の大複合企業によって大部分の報道機関が所有されている現状があいまって、米国の人々の対話の場における客観性の役割が大きく損なわれている。・・インターネットは、人々の対話に誠実さを取り戻すうえで最も希望の持てる機会を提供してくれているが、しかし、その対話を形づくるうえでの支配的なのは今でもテレビなのである。
◆私たちは、もはやこれ以上行動をとらずにいることはできない。率直に言って、行動をとらない言い訳は何もないのだ。私たちが望んでいることは、みんな同じだ。子どもたちやそのあとの世代に、健全な人間文明を支えられる清浄で美しい地球を受け継いでいってほしいと願っている。この目標は、政治を超越しているはずだ!
ここで、提案です。
最初の彼が述べている「温暖化」という言葉を「福島原発問題」と置き換えてみてください。
私たちは現実から目をそらしてはいけません。
情報によってごまかされてもいけません。踊る大走査線の映画ではありませんが「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」ということを忘れないでください。
不都合なことは隠し、都合の良いようにつくりあげてしまう国家では、ちっぽけな日本なんてあっというまに無くなっちゃいます!
テレビニュースの正しい視聴方法