情報という受難の釘
みなさん、こんにちわ。
エキサイトブログは新参者ですがどうぞよろしくお願い致します(*^_^*)
日本人がコンピューターやインターネットを使って情報社会に生きるようになってから、まだそんなに時は経っていません。
世界中で発信している膨大な情報の中から、私たち自身が選び出す能力が果たしてどれくらいあるのでしょうか?
日本が鎖国時代を終え開国してから140年あまり、そしてまた日本の一般国民が飛行機に乗って海外へ自由に渡航できるようになってから、まだ50年もたっていません。
時代背景からみても、あるいは日本国民の集合無意識に蓄積された無意識的遺伝子情報からみても、現在の日本人が確かな歴史的歩みにもとづいて情報を見分ける「目」、嗅ぎ分ける「鼻」、そして聞き分ける「耳」を持っているとは思えません。
意識のなかであるいは魂の土台にもとづいて、情報というものの本質や根本が理解されない限り、本当の意味で情報管理を自然にすることはできないのではないでしょうか。
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マヤ暦では「情報の運び屋」と呼ばれるサインがあります。
「シカ(Manik)」です。
情報といっても現代のような通信網はありません。シカの名称を与えられた神の一族は「狩人」「商人」という仕事の多くを担っていました。
狩人は神聖な森の命をいただくために神に選ばれた者という意味をもち、無駄に命を奪うことは許されません。また商人はカカオやカカオ豆を「お金」の代わりの通貨として代用し、ジャングルの中を旅していました。
彼らは捕らえた獲物や商品を運びながら、その部落に必要な情報を運び、異なる文化や価値観を持つ部族の仲を取り持つ役割を担っていました。
「あそこの部落のキミさんの家に赤ちゃんが生まれた」
「あっちの部落で祭りがあるそうだ」
「○○の土地は肥沃だそうだ」・・・
のように必要な情報を聖なるリズムとともに共有しあっていく生命線でした。
また情報は「隠されている」ことも多いのも真実ではないでしょうか。
すべての情報が開示されていたら、情報が機密的役割を持たなくなりますね。
informは「人に知らせる」「人の心に思想や感情を吹き込む」あるいは「密告する」というような意味があります。
知らせるべき情報とそうでない情報を、誤魔化しなどではなくしっかりした定義と機密のもとで「管理・守秘・開示する」という能力が、日本人にはまだまだ弱いのかなぁと思います。
「秘教」という文化の体系があります。
秘密の教えですね。
弘法大使「空海」と真言密教の本質もそのようなものの1つでしょう。密教のノウハウには唯物科学がとらえきれないほどもの凄いパワーが秘められています。
「真言(マントラ)」にしても、意味は秘密、翻訳もできない。それでも無心になって祈り唱えることで仏と一体になり、不思議や神秘、多くの奇跡が現実に生み出されていきます。これが全部人間に開示されてしまったとしたら、マントラの意味とパワーがなくなってしまいます。だからこそ「密教」なのであり、最高の秘法と尊ばれているのではないでしょうか。
また「受難の釘」にまつわる象徴的意味、秘密の教えがあります。
マヤでは「ケツァルコアトル」という神さまが十字架に釘付けされた姿で「ボルギアヌス法典」の絵画に表現されていますし、イエスキリストも十字架に磔となりました。
そこに隠されているのは文献によると「掌と足の裏にある知られざる力の中心部分」を意味するとあります。
釘を人間の掌に打つこむと傷口から血潮が迸る。それは「神殿で秘密にされていた哲学的訓練」を象徴するものだったようです。
暗黒の力に対する勝利を暗示すること、あるいは我欲の滅却と放棄、生存への誘惑を超越すること、そして天の王国が確立された人にのみ明かされる「秘密の情報」です。
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日本を襲っている大地震の連鎖、福島原発をはじめとする原子力発電所に対する正しい見解や意見、またその提供元など、情報選択に携わる人たちは大変です。何が真実でどの情報をどう信じて理解していけばいいのか、混乱と不安は増長するばかりとなってしまいます。
確かに闇の勢力世界も存在しますし、虚構、思惑や策略と現実との挟間のようなタイムアウト世界も存在しているのだと思います。
しかし、私は思います。
地球のことは地球が教えてくれる。
自然のことは自然界が、そして生命のことは自分の心や身体が、危険なことは祖先とつながる直感や霊感・第六感が教えてくれるのだと。
そして情報はシカの神・雨と光の神「トラロク」が教えてくれましょう。
情報という受難の釘を自らに打ち込まないよう、気をつけましょう♪