ダンテ「神曲」の光と愛

今から12年程前、まだ私が「絶望」という暗闇に住まいを持っていた頃、小さな子どもたちに読み聞かせる本を借りたとき、いっしょにダンテ・アリゲーロの叙事寓意詩「神曲」を図書館で借りたことがあります。

「悲しみで始まり、喜びで終わる物語」

「庶民の誰が読んでも、よくわかる言葉をつかって書かれたお話」



紹介文にはそう書かれていました。



夜中、子どもが寝静まってからそっと「神曲」を開き、読み始めました。



読み始めたときから、胸の鼓動が「ドク ドク」となり、まるで自分が「神曲」の中へと引きずり込まれていく感覚でした。



読み進んでいくうちに涙が止まらなくなりました。


辛いのか、悲しいのか、感動しているのか、共感して同情しているのか、よく解りませんでした。

止めることも出来ないまま、ひたすら読み続けました。



「栄光あれ  宇宙の微笑

おお楽しみよ、 おお言いがたき歓喜よ。

… 一切の処と時との集まる点」




ただ歌うことしか出来ない栄光の座にある至福は、

神のみが存在しあっている天国で成就される。



物語に感動しただけでなく、私は「神曲」に生き続けている「希望」に感動したのだと思います。



本を抱きしめながら、愛おしくて、嬉しくて、ずっと泣き続けていたことを覚えています。



それから後、夢中でダンテのことを勉強しました。

ふと次のような文章に出会いました。



「神曲」の中に用いられている修辞上の用法に「寓意(アレゴリー)」や「隠喩(メタファー)」が多い。

そうすることでダンテは直喩以上の『何か』を表現したかったのだろう。



「神曲」の内容は、これをどう捉えるか、読む人の立場立場で力点の置き方が変わる。



ダンテが生きていた時代のイタリアの政治的現実への痛烈な批判と、どうあるのが国家と教会の正しい姿であるかを示した規模壮大な警世の書である。



読者自身の器量を、つまり「世界観」をうつす「鏡」として

人生の様々な段階で読まれる古典の髄一である。




私の飢え乾いていた心に、ダンテの「神曲」は

光と水を注ぎいれてくれたのです。




私を変えた一冊の本です。



その後しばらくして、書き綴っていた「詩」が現代詩コンクールの小さな賞を受け、本の1ページに載りました。

ダンテの「神曲」が私へくれた愛と光へのお礼のつもりで創った詩でした。

「夢幻(むげん)の灯火(ともしび)」



風が吹き、枯れ葉は応えて 一の舞となる
古代のミュエインは伝授され、生は死から現われてくる
垂直線なる霊界は、 水平線なる俗界と交わり
天地が合一したことで、 わが人類は生となる


見えない暗黒物質は、秘めたる存在の力となって
銀河を誕生させる
七つの頭を持つ蛇は、 罪と悪を象徴し
地を這いずり廻っては、幼子の魂や 傷ついた羽を休める者らを飲み込む


神舞の踊りは 目や口を閉じたものらにだけ
見えないものを見せるという
フラの巫女は 天からのマナを食し、奇跡の神聖なる交霊術を現象化する



大いなる力と栄光は、数千万の騎兵を引き連れ
西方に位置する神殿に その姿を現す
封印は解かれ、 時は来たれり。


そして開かれた巻き物を口にした勇者は、黙示を語り 芸術を身にまとう
中世の錬金術師らは 創始者なるトリスメギストスを守護神として、
世界の謎を化学する。
ぺシェルは 隠れたる真実の福音を解き明かす


言葉のとどろきは、 力となりて 世界中にまかれては化生する
賢者は 美しい星を眺むるには、闇がいることを忘れない


世界のどこかで 天女はそっと涙をながし
愛の種を蒔き続けている


ときの流れの真ん中に立ち、平和の君はそっと黙って
神秘と奇跡の種を蒔く


今でもない、ここでもない、この星でもない永遠の世界は、
神話の内に住まいを持ちて、空間を漂い
愛の素と結ばれて一となる
再び一は、風に身をゆだね
夢幻の灯火となる


種一弓



ダンテさん、ありがとう(*^^)v



神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)



神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)



神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

平川 祐弘



悲しみと絶望を住まいに持っている方に、ぜひお勧めの一冊です!(*^^)v



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