むしろ歓声は大きくなっているようだった。
「あっという間やったな・・・」
僕は独り言をつぶやいた。
楽屋で汗を拭きながら、メンバーが無事LA公演が終わってほっとしているところへ、マネージャーが来た。
「早く着替えて、関係者が来ているから顔を出せよ!」
マネージャーは走り回っているようだった。
「アンコールやってあげれば?みんな待っているわよ!」
いつのまにか、着替えている我々の楽屋にウエンディーディオ来ていて、彼女が微笑みながらそう言った!
気がつけば、ウエンディーだけでなく、様々なメディアやバンド関係の人が大勢楽屋に来ていた。
みな興奮して握手を求めてきた。
沢山のミュージシャンと思われる人達が、次々と矢継ぎ早に早口でまくし立てる。
「凄く良かった!!素晴らしいショーだった!」
メンバーはライブ直後で、頭がボーっとしたまま愛想笑いをするのがやっとだった。
ライブと言う夢のような世界から、現実の時間へのシフトが出来なままでいたのだ。
別の部屋で関係者との顔合わせだったけれど、我々の楽屋がそのまま懇談の場となった。
後年、色んなミュージシャンが「LOUDNESS初めてのLAのライブ観たんだぜ」と教えてくれた。
きっと彼等とも、あの楽屋で顔を会わしていたのだろうけれど、その時は誰が誰だか分からなかったのが悔やまれる・・。
80年代のLAメタルが大爆発する直前のLAロックシーンは、皆ギラギラした輝きがあり、その情熱に火傷しそうだった。
「俺たちがアメリカのロックを変えてやる」と言う空気に満ちていた。
アメリカがこれほどメタルに熱くなっているなんて想像できなかったけれど、あの楽屋で会った人々は大きな夢を持ち、後に新たなアメリカ発のメタルムーブメントに大きく貢献しのだ。
LAの街は本当に美しかった。
ただ街が美しかったのではない、ロックの夢を胸に抱いた溢れんばかりの若者の生き生きとした血潮が美しかったのだ。
僕は今でもハリウッド通りに行くとその時にフラッシュバックする。
そしてあの時に味わった甘酸っぱい感動を思い出すのだ。
ヘビーメタルに青春と言うものがあるなら、僕にとってLAは青春の地である。
ロックと言う世界において、LAは自分にとっての第二の故郷のようにも思えるのだ。
LAで知り合った友人達、恋人、仕事仲間、すべてが僕の人生にとって重要な部分を占める。
多くを学び、多くに涙し、多くに喜びを感じ、大変な辛い失望も経験した場所・・・LAである。
LA公演の後、次のサンフランシスコ公演まで1週間ほどの自由時間があった。
数日、ラスベガスへ繰り出した。
僕は基本的にギャンブルをしないのでラスベガスにいる間は暇だったけれど、ひぐっつあんやマー君はかなりはまったようだ。
マネージャーがダントツにギャンブルが強く、お陰でマネージャーのおごりでご馳走にありつけた!
ラスベガスの圧倒的なネオンが印象的だったけれど、人々のあまりの強欲むき出しな表情にすこし怖じけた。
ギャンブルをしない者にとって、ラスヴェガスほど退屈な街は他には無いだろう・・・・。
数日ラスベガスで過ごし、サンフランシスコに戻ってきた。
サンフランシスコでも数日オフ日があったので、始めて観光らしいことをやった。
そう言えば、LOUDNESSがデビューして以来、こんなにゆっくり過ごした時間は無かったかもしれない。
ありがたい休日となった。
ある晩、クワイエット・ライオットのライブに招待されて観にいった。
アメリカで始めて観るメタルライブだった。
僕がアメリカで始めて体験したロックバンドのライブが、クワイエット・ライオットと言うことになる。
アメリカでライブを観るより、ライブをやる方が先になったのもよくよく考えると面白い。
もし、ライブを観てから、ライブをやっていたら緊張度はもっと高かったかもしれない。
余計な予備知識が無いままライブが出来たのはラッキーだったかもしれない。
クワイエット・ライオットのライブは凄まじい大音量で僕はしばし具合が悪くなった。
会場は2000人ぐらいの大きさの野外会場だった。
会場はほぼ満員で、僕はクワイエット・ライオットのライブを観るよりオーディエンスを観ている方が楽しかった。
日本人とは違うロックの楽しみ方と言うのか?それを見ている方が面白かった。
日本では確実に捕まる「天国へ誘うハーブの煙」を、ライブを観ながらお客同士で回し呑み(吸い?)しているのを発見した時には大変なカルチャーショックを受けた。
ビールをぐいぐい煽り、メタルの轟音に身も心もゆだねている様が異様であった。
日本にあるロック文化の違いを痛感したのだ。
(日本のロックシーンはまだまだ可愛いものだな・・・)とその時は思った。
肝心のクワイエット・ライオットのライブの方は、ヴォーカルの人の強烈なハイトーン炸裂にしばし唖然としたが、演奏は可も無く不可もなくだと思った。
如何せん、PAの音が割れまくっていて音が最悪だったのが残念であった。
それにしても、ベースのルーディーサウゾーが物凄く格好良くて、マー君がしばらくルーディーの物まね(弾きまね)をしていたのを良く覚えている。
サンフランシスコでは7月22日23日24日と3夜連続でライブをやった。
毎晩、各会場には沢山のメタルキッズで溢れた。
ある会場では、演奏中にオーディエンスが渦巻状に暴れだし、挙句の果てには鋲のついたリストバンドを使って十人ぐらいで殴り合いが始まり凄まじい光景を目の当たりにしてステージ上で凍りついた。
ある会場では、地元の高校生バンドが前座だった。
彼等の演奏はいわゆる高校生レベルではあったけれど、そのバンドのヴォーカリストはスティーブンタイラーが乗り移ったのかと思うほどに声やパフォーマンスがそっくりで驚いた。
歌も素晴らしく、アメリカのロックの裾野の広さを垣間見た瞬間であった。
また、ある会場ではオーディエンスの間を歩いてステージに上がり、終わったら再びオーディエンスの間を歩いて会場に出るという所があった。
この会場でライブが終わり、メンバーがお客さんの間を歩いているとあちこちから”
LOUDNESS!!You guys are really BAD!!!”と言う声が聞こえた。
タッカンが「おい!こいつら"バッド"って言うてんで!!」と歩きながらマー君に言った。
「うわ!ほんまや・・・"バッド"って"悪い"って意味やんな??」マー君が驚いた。
会場の外に出て、車に乗りダニーに「俺ら、今日のライブあかんかったんか?」と僕が聞いた。
「どうして?凄く盛り上がってみんな楽しんでいたよ!」とダニーが笑顔で言ってくれた。
「でも、何人か"バッド"って言うてたで・・」とタッカンが言った。
するとダニーが「あぁ~あれね・・英語の”BAD”ってね、スラングで”素晴らしい”って意味もあるんだよ!」と教えてくれてメンバー一同安堵したのだ。
ある会場で、会場からの帰り際、ある女性と出会った。
彼女は背が155cmほどのアメリカ人にしてはとても小柄で、ブロンドヘアーに目がブルーのとてもチャーミングな女性だった。
数人の女の子とライブに来ていたようだ。
(なんて可愛いお人形さんみたいな女性なんだ!)
勿論、それまでに日本人以外の女性と付き合ったことも無ければ、友達でもいなかった。
完全に僕の一目惚れだった。
僕は勇気を振り絞って声をかけてみた。
拙い英語で・・・。
“What’s your name?”
“Why?”
“’ ’cause,you are very cute!”
“You’re funny! Thanks anyway, what’s yours?”
“ Minoru”
“Michele”
僕たちは明日日本に帰らなければならなかった。
とても短い会話をして、別れ際に「日本から手紙を書いて良いか?」と聞いた。
「勿論!」と彼女は笑いながら言った。
まだインターネットもメールも無かった時代だ。
その夜から、僕はミッシェルのことで頭が一杯になった・・・。
そして、”Air-Mail”と言うロマンチックな文通が始まった。