”SOUL-DOO-OUT”
このブログに音信不通だった人からメッセージされるのを見つけると、このブログが本当に色んな人に読まれているなと痛感する・・本当に驚くと同時に嬉しい。
インターネットって凄いね。
Art_kenjiさん、まいどです、元気ですか?ヒャ~~メッセージありがとさん♪
その上、楽屋などで新聞社の記者さんや音楽雑誌の編集にいたる様々なマスコミ関係の方々からも「ブログ読んでますよ~~毎回楽しみにしてますよ~~♪」と教えてくれる・・・・。
ガチガチの文筆家もこれを読んでいるのかと思うと、恐縮するばかりです・・・。
なんか知らんが、とにかくお手柔らかにお願いします。(笑)
********************************************
今まで弾いてきたMusic Manのベースは部屋の片隅に放置されほこりをかぶるようになった。
ずっと使っていたHIWATTのベースアンプは佛大の軽音楽部の部費を滞納していたので、物納と言う形で佛大の軽音の機材となった。
まーアンプ君にとっては、使われないで放っておくと死んでいくのでむしろこの方が良かったかも知れない。
今でも佛大の軽音の部室にあるのかね?あのアンプは・・・。
そして僕はR&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”にしばらく専念することになった。
R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”は僕にとってはまさに音楽学校だった。
バンドのメンバーはみんな同じぐらいの年齢で、多分21歳前後の集団だったと思う。
バンドメンバーの音楽に向き合う姿は真剣で厳しかった。
それまで譜面を使って演奏する人と一緒にバンドをやったことが無かったので、このバンドのメンバーの多くが譜面を書き使っているのを見て驚いた。
ホーンセクションの人達は基本的にホーンアレンジをホーンの誰かが譜面にするのでこれは致し方ないと思っていたけれど、ベースもギターもみなさん譜面が達者のようでした。
ハードロックの世界ではあまり譜面は見かけないものね・・・。
ざっとメンバー編成を紹介すると、ヴォーカル4人、ドラムス、ベース、パーカッション、ギター二人、キーボード、サックス、トランペット二人、トロンボーン二人・・・。
ホーンセクションは入れ替わりが多かった。
”SOUL-DOO-OUT”のバンドの方向性は70年代に活躍していたバンド“The soul children”と言うバンドにもっとも近かったと思う。
どんな音楽だったかはこれや、こんな曲を聴いてくれたら分かると思う。
”SOUL-DOO-OUT”のヴォーカリスト達に関してはすでに触れているのでもう書かないけれど、今でも彼&彼女達を思い出すたびによくぞあんなに凄いシャウターで素晴らしいシンガーが集まったものだと思う。
僕はこのバンドで始めてソウルミュージックを歌い始めたので、何もかもが手探りだった。
課題曲のテープをもらってコピーしようと思ってもなかなか上手くマネが出来なかった。
英語も難しかったし、なによりあの黒人独特のフレージングが出来なかった。
そしてリードヴォーカールパートが何とかなったとしても、他の三人でハーモニーになると全くお手上げだった。
ハーモニーをする経験も初めてだったのでこれは「音を聞き発声する」良い訓練になった。
時間と共に少しずつ歌えるようにはなったけれど、他の3人の圧倒的な歌唱力からするとまだまだ先は長いなぁ~と思った。
ちなみに、自分より上手い人と一緒にやると言うのはとても上達が早くなると思う。
要するに、英語のネイティブと一緒にいると確実に英語が上手くなるのとい同じことか?
とにかく、「自分より上手い人と一緒にやる」これは上達の極意かもしれない。
逆に言うと下手な人と一緒にやっていると上手い人の上達は遅々として進まないかもしれないけれど・・・。
”SOUL-DOO-OUT”の場合、すぐそばでその上手い人達が実際歌っているわけで、それを見ているだけでも充分勉強になったし、彼等の良い部分を吸収するのも早かった。
まぁー半面良くないところも多少は影響を受けるけれど、それも上手く軌道修正できる。
数回このバンドで合宿をやったことがある。
僕はこの合宿で生まれてはじめて声が出なくなると言う経験をした。
風邪を引いたわけではない、歌いすぎて出なくなったのだ。
それまで僕は声が出なくなると言う経験が無かったので、鋼鉄の喉を持っていると勝手に思っていたけれど、鋼鉄どころか人より喉が弱いと言うことも知った。
声と喉の問題はプロデビュー後もかなりの年月で僕を悩ませることになるのだが・・・。
自分が出せる高音の限界音を知るようにもなった。
こんな基本的なこともそれまで知らなかったのだ。
自分の高音の限界音を知って以来その音が近づくと喉にリミッターがかかるようになって自然にのびのびと出せなくなったりもした・・・。
歌を真剣にやり自分の声や喉の現実を知れば知るほど歌が歌えなくなると言うジレンマに陥った・・・。
声は繊細なパートだと本当に思った。
そんなこんながあってヴォーカルの修行で声が出しにくくなり、ついに上手く歌えなくなって悩んでいる時、相方のヴォーカル「大の伸」がこう言って慰めてくれた。
「お前には誰にも真似できない声質がある、そしてお前の歌のパワーには人を惹きつける魅力がある。俺達が真似できないシンガーとしての持って生まれた才能やな・・。上手い下手を超えた何かやなぁ~。だからお前をこのバンドに誘ったんや・・・」
大の伸のこの優しい一言、まー単なる慰め言葉であったとしても、僕は嬉しかった、そして僕を精神的窮地から救ってくれた。
”SOUL-DOO-OUT”で歌うこと、まさにヴォーカル学校に入学したのと同じぐらいのインパクトがあった。
”SOUL-DOO-OUT”に在籍していた期間は決して長くは無かったけれど学んだことは多かったと思う。
そう言えば、”SOUL-DOO-OUT”合宿中には抱腹絶倒エピソードもあるのだけどここでは割愛する。
あまりにアホなので・・・。
”SOUL-DOO-OUT”加入以来、相方のヴォーカル「大の伸」とはずっと親友の付き合いだった。
ありえないぐらいのアホで陽気でおもろい男だった。
そんな彼が今年の頭に急死した・・・・闘病の末だったそうだ。
大の伸の冥福を祈る・・・・。
こうして京都の生活を送っているある日、下宿の方に実家の母親から電話がった。
又下宿生が伝言をくれた。
「大阪のお母さんから、実家に至急連絡してほしい」
僕は大阪へ電話した、親父でも倒れたのか?
「なんや?どないしたん?」
「あんた、なんや東京のレコード会社の人から何度も電話があってあんた探しているらしいで」
「東京?レコード会社?」
「あんたに電話して欲しいって言うてはるわ、一回電話してみぃ~」
僕は狐につままれた・・・
インターネットって凄いね。
Art_kenjiさん、まいどです、元気ですか?ヒャ~~メッセージありがとさん♪
その上、楽屋などで新聞社の記者さんや音楽雑誌の編集にいたる様々なマスコミ関係の方々からも「ブログ読んでますよ~~毎回楽しみにしてますよ~~♪」と教えてくれる・・・・。
ガチガチの文筆家もこれを読んでいるのかと思うと、恐縮するばかりです・・・。
なんか知らんが、とにかくお手柔らかにお願いします。(笑)
********************************************
今まで弾いてきたMusic Manのベースは部屋の片隅に放置されほこりをかぶるようになった。
ずっと使っていたHIWATTのベースアンプは佛大の軽音楽部の部費を滞納していたので、物納と言う形で佛大の軽音の機材となった。
まーアンプ君にとっては、使われないで放っておくと死んでいくのでむしろこの方が良かったかも知れない。
今でも佛大の軽音の部室にあるのかね?あのアンプは・・・。
そして僕はR&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”にしばらく専念することになった。
R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”は僕にとってはまさに音楽学校だった。
バンドのメンバーはみんな同じぐらいの年齢で、多分21歳前後の集団だったと思う。
バンドメンバーの音楽に向き合う姿は真剣で厳しかった。
それまで譜面を使って演奏する人と一緒にバンドをやったことが無かったので、このバンドのメンバーの多くが譜面を書き使っているのを見て驚いた。
ホーンセクションの人達は基本的にホーンアレンジをホーンの誰かが譜面にするのでこれは致し方ないと思っていたけれど、ベースもギターもみなさん譜面が達者のようでした。
ハードロックの世界ではあまり譜面は見かけないものね・・・。
ざっとメンバー編成を紹介すると、ヴォーカル4人、ドラムス、ベース、パーカッション、ギター二人、キーボード、サックス、トランペット二人、トロンボーン二人・・・。
ホーンセクションは入れ替わりが多かった。
”SOUL-DOO-OUT”のバンドの方向性は70年代に活躍していたバンド“The soul children”と言うバンドにもっとも近かったと思う。
どんな音楽だったかはこれや、こんな曲を聴いてくれたら分かると思う。
”SOUL-DOO-OUT”のヴォーカリスト達に関してはすでに触れているのでもう書かないけれど、今でも彼&彼女達を思い出すたびによくぞあんなに凄いシャウターで素晴らしいシンガーが集まったものだと思う。
僕はこのバンドで始めてソウルミュージックを歌い始めたので、何もかもが手探りだった。
課題曲のテープをもらってコピーしようと思ってもなかなか上手くマネが出来なかった。
英語も難しかったし、なによりあの黒人独特のフレージングが出来なかった。
そしてリードヴォーカールパートが何とかなったとしても、他の三人でハーモニーになると全くお手上げだった。
ハーモニーをする経験も初めてだったのでこれは「音を聞き発声する」良い訓練になった。
時間と共に少しずつ歌えるようにはなったけれど、他の3人の圧倒的な歌唱力からするとまだまだ先は長いなぁ~と思った。
ちなみに、自分より上手い人と一緒にやると言うのはとても上達が早くなると思う。
要するに、英語のネイティブと一緒にいると確実に英語が上手くなるのとい同じことか?
とにかく、「自分より上手い人と一緒にやる」これは上達の極意かもしれない。
逆に言うと下手な人と一緒にやっていると上手い人の上達は遅々として進まないかもしれないけれど・・・。
”SOUL-DOO-OUT”の場合、すぐそばでその上手い人達が実際歌っているわけで、それを見ているだけでも充分勉強になったし、彼等の良い部分を吸収するのも早かった。
まぁー半面良くないところも多少は影響を受けるけれど、それも上手く軌道修正できる。
数回このバンドで合宿をやったことがある。
僕はこの合宿で生まれてはじめて声が出なくなると言う経験をした。
風邪を引いたわけではない、歌いすぎて出なくなったのだ。
それまで僕は声が出なくなると言う経験が無かったので、鋼鉄の喉を持っていると勝手に思っていたけれど、鋼鉄どころか人より喉が弱いと言うことも知った。
声と喉の問題はプロデビュー後もかなりの年月で僕を悩ませることになるのだが・・・。
自分が出せる高音の限界音を知るようにもなった。
こんな基本的なこともそれまで知らなかったのだ。
自分の高音の限界音を知って以来その音が近づくと喉にリミッターがかかるようになって自然にのびのびと出せなくなったりもした・・・。
歌を真剣にやり自分の声や喉の現実を知れば知るほど歌が歌えなくなると言うジレンマに陥った・・・。
声は繊細なパートだと本当に思った。
そんなこんながあってヴォーカルの修行で声が出しにくくなり、ついに上手く歌えなくなって悩んでいる時、相方のヴォーカル「大の伸」がこう言って慰めてくれた。
「お前には誰にも真似できない声質がある、そしてお前の歌のパワーには人を惹きつける魅力がある。俺達が真似できないシンガーとしての持って生まれた才能やな・・。上手い下手を超えた何かやなぁ~。だからお前をこのバンドに誘ったんや・・・」
大の伸のこの優しい一言、まー単なる慰め言葉であったとしても、僕は嬉しかった、そして僕を精神的窮地から救ってくれた。
”SOUL-DOO-OUT”で歌うこと、まさにヴォーカル学校に入学したのと同じぐらいのインパクトがあった。
”SOUL-DOO-OUT”に在籍していた期間は決して長くは無かったけれど学んだことは多かったと思う。
そう言えば、”SOUL-DOO-OUT”合宿中には抱腹絶倒エピソードもあるのだけどここでは割愛する。
あまりにアホなので・・・。
”SOUL-DOO-OUT”加入以来、相方のヴォーカル「大の伸」とはずっと親友の付き合いだった。
ありえないぐらいのアホで陽気でおもろい男だった。
そんな彼が今年の頭に急死した・・・・闘病の末だったそうだ。
大の伸の冥福を祈る・・・・。
こうして京都の生活を送っているある日、下宿の方に実家の母親から電話がった。
又下宿生が伝言をくれた。
「大阪のお母さんから、実家に至急連絡してほしい」
僕は大阪へ電話した、親父でも倒れたのか?
「なんや?どないしたん?」
「あんた、なんや東京のレコード会社の人から何度も電話があってあんた探しているらしいで」
「東京?レコード会社?」
「あんたに電話して欲しいって言うてはるわ、一回電話してみぃ~」
僕は狐につままれた・・・
by loudness_ex
| 2008-05-27 09:28
