マーシー
LOUDNESS情報

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後日、約束どおり僕は胸を躍らせてバハマへ行った。
アマチュアバンドのライブを観るのに、これほど心待ちしたバンドは無かった。
バハマに着いたら満員だった。
やはりテレビの力は大きいと思った。
シャラからメンバーを紹介してもらい、マーシーと初めて話をした。
ライブ直前と言うこともあってあまり会話らしい会話ではなかったけれど僕は満足だった。
マーシーの黒に近いような濃い口紅とアイラインが妖艶で小悪魔的でとても印象に残った。
他のメンバーも皆シャイな感じだった。
マンティスのライブはマーシーを中心にかなり完成されたライブだった。
歌を大事にしている曲作りだった。
マーシーの存在が他を圧倒していた。
マーシーの歌声はライブで聴いた方が断然伸びがあってクリアーだった。
僕の歌はどちらかと言うと楽器の一部と化していたけれど、マーシーの歌声がバンドをリードしていた。
歌詞の言葉一つ一つがクリアに発音されて、メロディーの細部にまで丁寧に歌う姿勢が新鮮だった。
そしてコーラスのハーモニーもバンド機動力として十分に発揮されていた。
すべてが完璧とは言わないまでも、ロックバンドの本質を丁寧に抑えた、大人の成熟したロックバンドの風格があった。
(こいつらは本物やな・・・)
僕は本来バンドのあるべき姿と言うものを思い知った気がした。
マーシーのパフォーマンスからは学ぶべきことが多かった。
歌を丁寧に歌うという当たり前のことに気が付いたのは収穫が大きかった。
マーシーはある意味、日本語で歌うハードロックシンガーの理想的な姿をその時点で最早完成させていた、と言っても過言では無い。
僕はマーシーの魅力に心底惚れた、マーシーのロックヴォーカリストとしてのスター性に憧れを抱いたと言っても良い、この男と一緒にバンドをしたいとすら思った。
敢えて断っておくが僕は「ホモ」ではありませんから・・・。(笑)
マーシーがアースシェイカーに入って、僕がマーシーの後ろでベースに徹しても良いなぁーと妄想すら抱いたほどだった。
僕はマンティスの登場までアースシェイカーは大阪では無敵だと思っていた。
少なくとも、僕より歌の上手い人はいても、ハードロックヴォーカリストで脅威を感じるような人はいなかった。
それが今や目の前にマーシーと言う非凡で稀有なシンガーが現れたのだ、完全な敗北感を僕は感じたのだ。
マーシーと言う根っからのロック兄ちゃんが僕に与えた衝撃は計り知れなかった。
マンティスのライブが終わった。
その後、残念ながら僕はマンティスのライブを観ることは2度と無かった。
その代り、アースシェイカーで歌うマーシーを客席から観ることになるのだが・・・
マンティスの登場と共にアースシェイカーの運命も大きく変わろうとしていたのだ、その話はもうちょっと後になるけれど。
「ライブ無茶良かったわ!」僕はあらためてマーシーに話しかけた。
「ほんまに?」マーシーの九州訛りの大阪弁が外タレと話しているような印象さえした。
「自分京都のどこに住んでんの?」
マーシーは京都の住んでいる場所を教えてくれたが今どこだったか記憶にない・・・。
「バンド以外なんかやってんの?」
「たまにロックバーで手伝いしてるねん、何かバイト無い?」マーシーが聞いてきた。
僕はその時やっていた大日本印刷のバイトを紹介した。
「おぉ!俺もそれやるわ!」マーシーは笑顔で答えた。
結局、数日後マーシーと一緒に夜勤の工場で働くことになった。
マーシーと同じ職場で働きながら夢を語り合った。
マーシーと一緒に夜食を食べ、朝風呂にも入った。(と思う)
マーシーは僕が夜勤になれていなくて眠そうにしていると「ニーちゃん休んどき、ニーちゃんの分おれがやっといたるから!」と言って働いてくれた。
仕事が終わると、たまにマーシーは僕の木造アパートまでやってきて、朝からホワイトスネークを聴きながらマーシーのプロへの熱い思いを語ってくれたりした。
そして気が付けば二人で雑魚寝をしながらそのまま眠ってしまった・・・・。
今でも工場からの帰りに見た京都の朝の太陽が僕の脳裏に燦然と輝いている。

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後日、約束どおり僕は胸を躍らせてバハマへ行った。
アマチュアバンドのライブを観るのに、これほど心待ちしたバンドは無かった。
バハマに着いたら満員だった。
やはりテレビの力は大きいと思った。
シャラからメンバーを紹介してもらい、マーシーと初めて話をした。
ライブ直前と言うこともあってあまり会話らしい会話ではなかったけれど僕は満足だった。
マーシーの黒に近いような濃い口紅とアイラインが妖艶で小悪魔的でとても印象に残った。
他のメンバーも皆シャイな感じだった。
マンティスのライブはマーシーを中心にかなり完成されたライブだった。
歌を大事にしている曲作りだった。
マーシーの存在が他を圧倒していた。
マーシーの歌声はライブで聴いた方が断然伸びがあってクリアーだった。
僕の歌はどちらかと言うと楽器の一部と化していたけれど、マーシーの歌声がバンドをリードしていた。
歌詞の言葉一つ一つがクリアに発音されて、メロディーの細部にまで丁寧に歌う姿勢が新鮮だった。
そしてコーラスのハーモニーもバンド機動力として十分に発揮されていた。
すべてが完璧とは言わないまでも、ロックバンドの本質を丁寧に抑えた、大人の成熟したロックバンドの風格があった。
(こいつらは本物やな・・・)
僕は本来バンドのあるべき姿と言うものを思い知った気がした。
マーシーのパフォーマンスからは学ぶべきことが多かった。
歌を丁寧に歌うという当たり前のことに気が付いたのは収穫が大きかった。
マーシーはある意味、日本語で歌うハードロックシンガーの理想的な姿をその時点で最早完成させていた、と言っても過言では無い。
僕はマーシーの魅力に心底惚れた、マーシーのロックヴォーカリストとしてのスター性に憧れを抱いたと言っても良い、この男と一緒にバンドをしたいとすら思った。
敢えて断っておくが僕は「ホモ」ではありませんから・・・。(笑)
マーシーがアースシェイカーに入って、僕がマーシーの後ろでベースに徹しても良いなぁーと妄想すら抱いたほどだった。
僕はマンティスの登場までアースシェイカーは大阪では無敵だと思っていた。
少なくとも、僕より歌の上手い人はいても、ハードロックヴォーカリストで脅威を感じるような人はいなかった。
それが今や目の前にマーシーと言う非凡で稀有なシンガーが現れたのだ、完全な敗北感を僕は感じたのだ。
マーシーと言う根っからのロック兄ちゃんが僕に与えた衝撃は計り知れなかった。
マンティスのライブが終わった。
その後、残念ながら僕はマンティスのライブを観ることは2度と無かった。
その代り、アースシェイカーで歌うマーシーを客席から観ることになるのだが・・・
マンティスの登場と共にアースシェイカーの運命も大きく変わろうとしていたのだ、その話はもうちょっと後になるけれど。
「ライブ無茶良かったわ!」僕はあらためてマーシーに話しかけた。
「ほんまに?」マーシーの九州訛りの大阪弁が外タレと話しているような印象さえした。
「自分京都のどこに住んでんの?」
マーシーは京都の住んでいる場所を教えてくれたが今どこだったか記憶にない・・・。
「バンド以外なんかやってんの?」
「たまにロックバーで手伝いしてるねん、何かバイト無い?」マーシーが聞いてきた。
僕はその時やっていた大日本印刷のバイトを紹介した。
「おぉ!俺もそれやるわ!」マーシーは笑顔で答えた。
結局、数日後マーシーと一緒に夜勤の工場で働くことになった。
マーシーと同じ職場で働きながら夢を語り合った。
マーシーと一緒に夜食を食べ、朝風呂にも入った。(と思う)
マーシーは僕が夜勤になれていなくて眠そうにしていると「ニーちゃん休んどき、ニーちゃんの分おれがやっといたるから!」と言って働いてくれた。
仕事が終わると、たまにマーシーは僕の木造アパートまでやってきて、朝からホワイトスネークを聴きながらマーシーのプロへの熱い思いを語ってくれたりした。
そして気が付けば二人で雑魚寝をしながらそのまま眠ってしまった・・・・。
今でも工場からの帰りに見た京都の朝の太陽が僕の脳裏に燦然と輝いている。
by loudness_ex
| 2008-05-13 10:18
