荷物を置いて、アパートの敷地内を散歩してみたけれど、アパートのあまりの広さにぞっとして部屋に戻ってきた。
空は驚くほどの青空で、日差しが強くて、ジリジリと痛いほどの灼熱の太陽が時差ボケの僕に照りつけた。
空腹を感じたので、外へ何か買い出しに出かけようと思ってアパートの外に出たけれど、一番近いマーケットでも数キロ離れていることを知ったときには気絶しそうになった。
食べるものも飲み水も無い・・・途方に暮れた。
明日の朝にはエリックが来るので、それまでの我慢だと諦めた。
それにしても、ここは車が無いととても不便だと思った。
LAにはエリックとアメリカのマネージメントの人以外頼る人がいなかったので、一人の時の行動をどうすべきか悩んだ。
日本の事務所からは車の運転を禁じられていたけれど、これでは暮らしていけないと思った。
とりあえず、アパートのロビーへ行って自販機でチョコと水を買って飢えをしのいだ。
翌朝から、英語の個人レッスンが始まった。
英語で歌うために、「発音を習得」ということである。
数週間後にはアメリカリリースされるアルバムのレコーディングが控えていた。
僕には本当に時間が無かった・・・。
ちなみに、英語のレッスンと言っても、文法などの勉強は皆無で、ひたすら発音を叩き込まれたのだ。
とりあえず、アルファベットから始まった。
それにしても、それまで本格的に発音の勉強をした経験が無かった。
果たして、数週間でそんなに簡単に発音が習得できるのか?
日本のロックヴォーカリストにとって「英語の発音」は深刻な難題であり、大きな大きな壁であった。
そして、その頃、その壁を乗り越えてアメリカのロック市場に乗り込み成功した日本のロックヴォーカリスト・・・・少なくとも僕は知らなかった。
僕はプレッシャーに押し潰されるような恐怖を感じた。
正直、出来ることならここから逃げ出したいとも思った。
と同時に、アメリカデビューのチャンスは、この機会を逃したらもう2度と来ないだろうとも思った。
まるで神様が「怖気ずく暇なんて与えないぞ!」と言っているような気がした。
本格的に僕の英語の戦いが始まったのだ。
そしてこの時以来、英語はずっと僕を悩ませ続け、苦しめた。
英語との戦いは今現在でも続いていて、きっと終わりは来ないだろう・・・・。
英語の発音・・・。
特に「R」の発音は困難だった。
コツを掴むのには数日を要した。
朝から晩まで「R」と発音するのだ・・・。
あまりの難しさに死んだ・・。
まずは先生がゆっくりと「R」と発音する、そして僕がそれをまねて発音、それを聞いて先生がクビを横に振り「No」と言う。
そして再び先生がゆっくりと「R」と発音する、それを真似て僕が「R」と発音する、そして先生がクビを横に振り「No」と言う・・
先生がゆっくり「R」と発音する・・・僕が真似る・・「No」と言う・・・これの繰り返しである。
これだけを数日間やった・・・。
そんなことを一日中やっていると、ある時、まぐれで「R」 と発音出来る時がある。
その時、先生は満面の笑みで「それだ!!!」と言って手を叩く。
その直後に僕は再び「R」と発音するけど出来ないのだ・・・その度に先生は「No」と言う。
ついに、何度もやっていると一時間に数回発音ができるようになった。
その時先生が英語で、「Hold it!」(じっとして)と叫び、「Rを正しく発音できている時の舌の形、舌の丸め具合、口の形、あごの形などなどをしっかり覚えろ」と言った。
こうしてやっていると、いつのまにか、30分に数回、15分に数回、3分に数回、気がつけばかなりの頻度で正確に「R」 と発音出来るようになった。
(あぁ~なるほど!・・・こう言う舌の位置、舌の丸め方形で発音すれば良いのか!)
僕はついに「R」だけは発音を出来るようになったのだ!
じゃ~次「ar, ir, ur, er」をやろうと言った。
(げっ!!まだそんなにあるの!!???「R」だけでこんなに時間がかかるのかよ!!)
僕は本当にげんなりした。
夜寝るときも、「R」の夢を見そうだった。
「R」が出来るようになると、同じやり方で「L」と「Th」をやった。
それらが出来るようになったら、次は英字を朗読だ。
ロック雑誌、新聞、ポルノ小説・・・・etc
朝から晩まで、手当たり次第に英字を朗読した。
勿論、エリックとの会話はすべて英語で、会話途中に発音の悪い時はガンガン矯正してくれた。
そんな日々、ある晩、レッスンが終わり、部屋でエリックと一緒に晩飯を食うことになった。
エリック特製のスパゲティーを食べながら、僕は日本から持ってきた吉本新喜劇のヴィデオを流した。
(エリック、吉本の芸人観たらどう思うかな?)
僕は興味津々でヴィデオをかけた。
寛平ちゃんが「痒い~の」をやった時、エリックが爆笑した。
(おぉ!!「痒い~の」は万国共通なのか・・・)と思ってたら、関西弁バリバリの吉本ギャグでも爆笑しているではないか!
(??????んっ????なんでや????)
僕は、恐る恐るエリックに聞いた
”Do you understnand what’s going on there?”(ヴィデオで何言ってるのか理解できるの?)
その時エリックは言った・・・「あたりまえやん!!」
それも、物凄い流暢な日本語で!
(おいおい・・・!!なんじゃ~~~お前!!日本語喋れるんかい!!)
なんと、エリックは東京育ちのバリバリのバイリンガルだった。
その上、吉本新喜劇の大ファンだったのだ・・・。
