撃剣霊化
更新が遅れました!!
師走で忙しいですぅ!!!
ゴメンデすぅ~!!!
今年はこの回で限界かも!!
来年はいよいよ世界デビューの話に突入!!
今年は色々ありがとう!!
来年もよろしく!!!!
I LOVE YOU ALL!!!!!
**************************************
1983年9月1日
初めてのイギリス公演も無事に終わり、その余韻に浸るまもなく即4枚目のアルバムの為のレコーディングに突入した。
スタジオはソーホーから西へ車で30分ぐらいのところにあったサームスタジオだった。
当時のスタジオは治安の悪そうな怖い場所にあったと記憶する。
ソーホーのアパートからスタジオまではタクシーで行ってたけれど、そのうち地下鉄で行くようになった。
初めてサームスタジオに入った時、「編集ルーム」で何やら仕事をしている牛乳瓶の底のようなメガネをかけたオタクみたいな人が「やぁ~いらっしゃ~~い♪」と声をかけてくれた。
(アルバイトの人が熱心に仕事をしているんだなんだな)と思った。
そしてメインのスタジオルームへ入っていくと、そこには今回のサウンドエンジニアのジュリアンメンデルゾーンさんが仕事をしていた。
ジュリアンさんはレコーディングが終わったばかりの音を確認していた。
「いや~~こんにちは!LOUDNESSさん!!」
ジュリアンさんはとても気さくで人懐こい笑顔で応対をしてくださったけれど、目はとても厳しいプロの目をしていた・・・。
「よろしくお願いします」
僕達は緊張しながら挨拶した。
「最高のアルバムを作ろう!!」
ジュリアンさんは激励してくれた。
その挨拶の後ろでは爆音で凄い曲が流れていた。
「これ誰ですか?」
マー君が聞いた。
「これ?”YES”の新譜だよ!!出来上がったばかりなんだ!」
「ぎょえ~~~~!!”YES”????まじっすか~~~!!!!!???」
プログレ好きのマー君は失神した。
「そうだよ、”YES”だよ。久しぶりの新譜なんだ!中々良い出来だよ!!」
ジュリアンは自信たっぷりに言った。
「是非聴きたい!!何か聴かせてください!!」
マー君はじめメンバーで懇願した。
「じゃー、特別に日本から来た友人へのサービスだ!さっき出来上がったばかりの曲を聴かせて上げるよ♪曲名はまだ確定ではないけれど・・・え~っとなんでっけなぁ・・・ここには“owner of a lonely heart”(83年YESの全米No1!曲)って書いてあるけど・・」
ジュリアンは爆音で“owner of a lonely heart”をプレイバックしてくれた。
その「未知の曲」は衝撃の一言だった!!
素晴らしいサウンドにメンバー全員腰を抜かした・・・
(こんな・・凄いエンジニアと一緒に仕事が出来るなんて!!)
その新曲を聴きながら僕達はしばし絶句した。
「あ!!そうだ、”YES”のプロデューサーがまだスタジオにいるから紹介するよ!」
ジュリアンがそう言って「編集ルーム」へ案内してくれた。
「こちらが”YES”のプロデューサーのトレバーホーンさんです!」
(げっ嘘やん!!さっきスタジオの入り口にいた人やん!!アルバイトの人とちゃうがな!!この人がトレバーホーンだったのぉ!!!!?)
伝説的プロデューサー“トレバーホーン”はオタクのようで学生のような人で・・・摩訶不思議な人だった。
兎にも角にも、LOUDNESS4枚目”Disillusion~撃剣霊化”のレコーディングに突入した。
「LOUDNESS4枚目のアルバムはどうなるのか?」
「さすがにもうダメだろう」
「デビュー3枚が衝撃的すぎた・・」
「デビューから今までが出来すぎ・・・・」
「レイジーの勢いでとにかく来たけれど・・」
「ファーストアルバムを超えるのは難しいだろう・・」
「行くところまで行ったバンド・・・」
「ジャパメタもそろそろ飽きて来る時期だろ・・」
「LOUDNESS勝負のアルバムだな・・」
「あまり期待出来ないだろ・・・・」
「LOUDNESS最後のアルバムか?」
「魔界典章以上のアルバムは無理だろう!」
「LOUDNESSはもう限界だろ!」
ロック評論家を始めマスメディアには色んな意見が飛び出た。
僕達はそんな外野の意見は耳に入らなかった。
まったく気にならなかった。
何故なら、出来あがった曲に自信があったから。
その時は暫定的なタイトルだったけれど、”CRAZY DOCTOR” “DREAM FANTASY” "ARES LAMENT” “ESPER”・・・すでに最高の曲が出来あがっていたのだ!
(きっと素晴らしいアルバムになるぞ!)
僕達はアパートで何度もデモテープを聴いて楽曲の細かなことをあれこれ考えた。
各メンバーの激しいやり取りもあった。
タッカンは素晴らしいアイデアに満ち溢れていた。
ひぐっつあんはモチベーションを上げるためのリーダーだった。
マー君は楽曲のアレンジで鋭い指摘をした。
僕は歌詞をまとめるのに必死だった。
LOUDNESSは懸命だった。
LOUDNESSは必死だった。
LOUDNESSは死に物狂いだった。
そしてまさにLOUDNESSは家族だった兄弟だった戦友だった・・・・
そして“撃剣霊化”のレコーディングが始まった。
師走で忙しいですぅ!!!
ゴメンデすぅ~!!!
今年はこの回で限界かも!!
来年はいよいよ世界デビューの話に突入!!
今年は色々ありがとう!!
来年もよろしく!!!!
I LOVE YOU ALL!!!!!
**************************************
1983年9月1日
初めてのイギリス公演も無事に終わり、その余韻に浸るまもなく即4枚目のアルバムの為のレコーディングに突入した。
スタジオはソーホーから西へ車で30分ぐらいのところにあったサームスタジオだった。
当時のスタジオは治安の悪そうな怖い場所にあったと記憶する。
ソーホーのアパートからスタジオまではタクシーで行ってたけれど、そのうち地下鉄で行くようになった。
初めてサームスタジオに入った時、「編集ルーム」で何やら仕事をしている牛乳瓶の底のようなメガネをかけたオタクみたいな人が「やぁ~いらっしゃ~~い♪」と声をかけてくれた。
(アルバイトの人が熱心に仕事をしているんだなんだな)と思った。
そしてメインのスタジオルームへ入っていくと、そこには今回のサウンドエンジニアのジュリアンメンデルゾーンさんが仕事をしていた。
ジュリアンさんはレコーディングが終わったばかりの音を確認していた。
「いや~~こんにちは!LOUDNESSさん!!」
ジュリアンさんはとても気さくで人懐こい笑顔で応対をしてくださったけれど、目はとても厳しいプロの目をしていた・・・。
「よろしくお願いします」
僕達は緊張しながら挨拶した。
「最高のアルバムを作ろう!!」
ジュリアンさんは激励してくれた。
その挨拶の後ろでは爆音で凄い曲が流れていた。
「これ誰ですか?」
マー君が聞いた。
「これ?”YES”の新譜だよ!!出来上がったばかりなんだ!」
「ぎょえ~~~~!!”YES”????まじっすか~~~!!!!!???」
プログレ好きのマー君は失神した。
「そうだよ、”YES”だよ。久しぶりの新譜なんだ!中々良い出来だよ!!」
ジュリアンは自信たっぷりに言った。
「是非聴きたい!!何か聴かせてください!!」
マー君はじめメンバーで懇願した。
「じゃー、特別に日本から来た友人へのサービスだ!さっき出来上がったばかりの曲を聴かせて上げるよ♪曲名はまだ確定ではないけれど・・・え~っとなんでっけなぁ・・・ここには“owner of a lonely heart”(83年YESの全米No1!曲)って書いてあるけど・・」
ジュリアンは爆音で“owner of a lonely heart”をプレイバックしてくれた。
その「未知の曲」は衝撃の一言だった!!
素晴らしいサウンドにメンバー全員腰を抜かした・・・
(こんな・・凄いエンジニアと一緒に仕事が出来るなんて!!)
その新曲を聴きながら僕達はしばし絶句した。
「あ!!そうだ、”YES”のプロデューサーがまだスタジオにいるから紹介するよ!」
ジュリアンがそう言って「編集ルーム」へ案内してくれた。
「こちらが”YES”のプロデューサーのトレバーホーンさんです!」
(げっ嘘やん!!さっきスタジオの入り口にいた人やん!!アルバイトの人とちゃうがな!!この人がトレバーホーンだったのぉ!!!!?)
伝説的プロデューサー“トレバーホーン”はオタクのようで学生のような人で・・・摩訶不思議な人だった。
兎にも角にも、LOUDNESS4枚目”Disillusion~撃剣霊化”のレコーディングに突入した。
「LOUDNESS4枚目のアルバムはどうなるのか?」
「さすがにもうダメだろう」
「デビュー3枚が衝撃的すぎた・・」
「デビューから今までが出来すぎ・・・・」
「レイジーの勢いでとにかく来たけれど・・」
「ファーストアルバムを超えるのは難しいだろう・・」
「行くところまで行ったバンド・・・」
「ジャパメタもそろそろ飽きて来る時期だろ・・」
「LOUDNESS勝負のアルバムだな・・」
「あまり期待出来ないだろ・・・・」
「LOUDNESS最後のアルバムか?」
「魔界典章以上のアルバムは無理だろう!」
「LOUDNESSはもう限界だろ!」
ロック評論家を始めマスメディアには色んな意見が飛び出た。
僕達はそんな外野の意見は耳に入らなかった。
まったく気にならなかった。
何故なら、出来あがった曲に自信があったから。
その時は暫定的なタイトルだったけれど、”CRAZY DOCTOR” “DREAM FANTASY” "ARES LAMENT” “ESPER”・・・すでに最高の曲が出来あがっていたのだ!
(きっと素晴らしいアルバムになるぞ!)
僕達はアパートで何度もデモテープを聴いて楽曲の細かなことをあれこれ考えた。
各メンバーの激しいやり取りもあった。
タッカンは素晴らしいアイデアに満ち溢れていた。
ひぐっつあんはモチベーションを上げるためのリーダーだった。
マー君は楽曲のアレンジで鋭い指摘をした。
僕は歌詞をまとめるのに必死だった。
LOUDNESSは懸命だった。
LOUDNESSは必死だった。
LOUDNESSは死に物狂いだった。
そしてまさにLOUDNESSは家族だった兄弟だった戦友だった・・・・
そして“撃剣霊化”のレコーディングが始まった。
by loudness_ex
| 2008-12-28 23:20
