
Saudade...最初のBRASIL人のマブダチ。
アメリカにとられる前は旧メキシコ・スペイン・先住民領だったカリフォルニアの
L.A.からハイウェイで東へ一時間ほど行った街のグランドでサッカーやスケボーして仲良くなった。十数年前のこと。
その後、初めてサンパウロのヤツの家に行った時、車を運転するヤツが「ケータ、CHA ! CHA ! シャ!シャ!」と。立体交差するデカイ橋を指差して叫んだ。
「Que?!」最初はテンで意味不明だったけど、そこにはお茶の水の聖橋をデカくしたみたいな橋があった。・・・お茶はポル語で「シャ」と発音する。
日本系民がかけた?橋で、祖国の聖橋に模したとか、してないとか。。
誰か知ってますか?・・・日本人がお茶を運んだ?? 「お茶橋」と呼ばれていました。
そんな事を中央線に乗りながら見えた聖橋を見て思った。
つい十年前までインターネットなんて普及してなかったから、海外へは薄く軽いエアメールで文通してた。 聖橋についてサンパウロのヤツに聞いてみようかな?いや、日本系の友人の方が知ってるかな?