僕が1997年の年明けにBRASILに行った頃は日本でもNet環境をもっている人は少なかった。Webを駆使したインフラ,サービスやコンテンツが整備されはじめ、一般に広く普及利用されるようになったのはこの数年の話だ。
しかし今日、地球の真裏RIO DE JANEIRO郊外のFavelaに住む、当時からのamigoたちから毎日の様にメールやチャットがやってくることからも、高速ブロードバンド化されたInternet Globalizationな時代となった事を実感する。
↓ことしリオで撮影した一枚の写真。実は今年、僕がリオを去った後に、この風景はもう撮影する事が出来なくなってしまった。なんとも数奇な一枚だ。リオはいつも何か話しかけてくる。リオへ戻る日までのカウントダウンが始まった。
そんな中で「断片的に繋がってしまうこと」への抵抗感も色々と発生している。今日は近く発売されるとある書籍に、FAVELAに住む人々との13年を越える、継続的な実際の関係と実体験を書いている。その本の編集者はこう言ってくれた。「ネット上なんかに転がっていない、もっとリアルな体験談を」と。
日本の今後を担う、高感度でポテンシャルの高い人たちに、リアルな境地をお伝えすることで、日本人として何をどう感じ、次への具体的なポテンシャルと認識に繋げられるかにおいて、責任と使命がある。
誰かに頼らず、自分で実際に関係性をつくり、自らの感性や情熱とコミュニケーション力で得たものはピュアで、自分独自のものだ。
概論的な教科書的情報は参照物になれども、実際性の威力が無いのは世の常だ。あんなに日本の中学・高校・大学と、英語の成績はカスの様だったハズの僕だが、実際、世界中の人たちと深い関係を築いて来れている。
そして百聞は一見にしかずだ。
何より、筆者自身にその現場関係性、実際関係性があるか、否かでその威力は決まると思う。
しっかりやらねば。