白石康次郎 spirit of yukoh ブログ
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白石康次郎 spirit of yukoh ブログ
spirit of yukoh
単独世界一周ヨットレース「5-OCEANS(5オーシャンズ)」にspirit of yukoh号に乗り込み、日本人初のクラスⅠにてチャレンジする海洋冒険家、白石康次郎の公式(オフィシャル)ブログページです。
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元ゼロ戦パイロット
元ゼロ戦パイロット 原田 要さん

今日は、本当に貴重なお話を聞いてまいりました。
元ゼロ戦パイロット「原田 要」さんです。今年で98歳。
まだまだお元気なご様子でマイク無しで2時間以上話しいただきました。
まさに生き証人です。お会いでいるだけでも光栄でした。
原田さんのパイロット人生は不幸にも闘いの中にありました。
でも、パイロットになったきっかけは大正時代に自宅がある長野県で、初めて飛行機を見た時だそうです。幼い時に空高く飛ぶ飛行機を見て、「空から見る景色はどんなものだろう」これが三つ子の魂百までになったと言っておられました。なんだかそのへんは私と似ております。しかし、時代は戦争へと突入していきます。大東亜戦争では戦艦の闘いから飛行機への闘いへ切り替わっていきます。航空母艦「蒼竜」「飛竜」「飛鷹」に乗組。原田さんは真珠湾攻撃から中国、南方の戦線。そしてミッドウェー海戦では原田さんは最後の航空母艦が沈められ、海上に着水し数時間サメの多い海の上で救助を待ち駆逐艦「巻雲」に救助され帰国。
そして、ガダルカナル戦で被弾し墜落。自力でジャングルを抜けて基地に帰ります。その後パイロット教官として終戦を迎えます。「永遠のゼロ」の百田さんも何度か原田さんのところへ話を聞きに来ているそうです。
原田さんは戦場で、想像を絶する場面をいくつも見ています。自分が撃ち落したパイロットの表情がはっきり見えていたそうです。原田さんは優秀なパイロットで何機も撃墜、戦艦も沈めてはいますが、そこに笑顔や誇らしさはありませんでした。「敵も味方も決して喜んで戦っているわけではありません」とお話をされていました。すぐ隣で友人の飛行機が火だるまになったり、すぐ後ろで爆弾が落ちたことがあるそうです。生と死の狭間で戦い抜いた方です。
その中で、あるエピソードを話してくださいました。
イギリスの最新戦闘機が100機配備されたと情報が入り、それを撃滅する命が下り空母から飛び立ったそうです。優秀なパイロット達で次々と撃ち落していきます。原田さんは集合時間を忘れて、日本の為にと敵戦闘機を撃ち落していきます。気が付いた時、帰還する集合時間はとっく過ぎていたそうです。原田さんは母艦に帰る案内人の飛行機を見失い途方にくれます。
どうせ帰還できないのであれば、どこかの基地を攻撃して自爆しようと思ったそうですが、あたりはジャングルで敵の基地などありません。ちょうどその時、味方の飛行機が一機現れたそうです。手で合図を出して、視界が広がるように距離をとり2機で母艦を見つけながら飛ぼうと、海に出ます。しかし、広い海です。なかなか母艦が見つかりません。燃料は底をついてきます。ふと、雲を見ると原田さんのお母さんの顔に似た雲があったそうです。だんだん見ているとその雲に目鼻が付き、まるで呼んでいるようだったと話しておりました。
原田さんはその雲に向かって残り少ない燃料で飛んでいきます。すると突然もう一機のゼロ戦が急降下していきます。なんと眼下にポツンと母船が見えたそうです。両機とも着艦。燃料はゼロだったそうです。

原田さんのお話はすべてがご自分で見て体験してきた本物です。そして凄まじい体験の中に、いつも愛がありました。
あれだけの地獄を見てきたのにかかわらず、随所に深い愛情を感じるのです。
原田さんは戦後いろいろな仕事を経て、託児所を開設します。その後、幼稚園を開き、教育功労知事表彰も受けています。そして、誰よりも今の平和の尊さを感じている方だと感じました。
人間弱くなると、「お母さん」となるそうです。残念ながらお父さんではありません。「お母さん」です。
日本の明日を創るのは「お母さんです」そんなことを思われて託児所や幼稚園を開設されたようです。
私も同感です。社会は大体男が動かしています。しかし、その男を創っているのはお母さんなのです。お母さんの役目は家庭にとって、社会にとって、未来の日本にとって本当に重要だと思います。

最後に私は原田さんにこんな質問をしました。
私も命がけで一人ヨット世界一周します。その中で、優勝する人もいるが死ぬ人もいます。腕の良さやだけでは乗り越えられないこともある。原田さんは生き残ってこられた。生死を分けるのは何でしょうか?
原田さんは難しい質問ですねと、お話しながら答えてくださいました。

「最後まで諦めないことです。生きようとも死のうとも思っていません。求められる命は差し上げます。しかし、与えられた命は全うします」

康次郎

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by kojiro_shiraishi | 2014-04-21 22:48 | Comments(0)


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