調律への道程・1
須田51さんの超傑作「ノー・モア・ヒーローズ」のイベントが阿佐ヶ谷ロフトで開催された。
たしか2008年のまだ松の内だったと思う。
僕はそのイベントにお客として遊びに行ったのだろうか。
そこらへんの記憶があいまいだ。
当時の僕は個人的なあるトラブルから混乱の渦中にあり、
ひどい生活をしていたため記憶がとびとびになっている。
家賃の支払いが難しくなったため賃貸アパートを退出し、
亀戸のマンガ喫茶に泊まっていた。
ある日、沢山の警察官が詰めかけてきた。
マスコミも大勢集まっていた。
そのマンガ喫茶で事件が発覚したのだ。
女子高生が死亡した嬰児をゴミ箱に遺棄したというものだった。
僕も警官に事情を聞かれたが、答えられることは何もなかった。
行く先々、どこにでも地獄が転がっていた。
「ノー・モア」のイベント終了後、須田さんがゲームプロデューサーを紹介してくれた。
それが、マーベラスエンターテインメントの和田さんだった。
和田さんとはその日、石井聰亙の話をしたことを覚えている。
石井聰亙の話が出来るかどうか。
それは日経平均や政権の行方よりも、
僕たちゲームクリエイターにとっては重要な事柄なのである。
(つづく)
たしか2008年のまだ松の内だったと思う。
僕はそのイベントにお客として遊びに行ったのだろうか。
そこらへんの記憶があいまいだ。
当時の僕は個人的なあるトラブルから混乱の渦中にあり、
ひどい生活をしていたため記憶がとびとびになっている。
家賃の支払いが難しくなったため賃貸アパートを退出し、
亀戸のマンガ喫茶に泊まっていた。
ある日、沢山の警察官が詰めかけてきた。
マスコミも大勢集まっていた。
そのマンガ喫茶で事件が発覚したのだ。
女子高生が死亡した嬰児をゴミ箱に遺棄したというものだった。
僕も警官に事情を聞かれたが、答えられることは何もなかった。
行く先々、どこにでも地獄が転がっていた。
「ノー・モア」のイベント終了後、須田さんがゲームプロデューサーを紹介してくれた。
それが、マーベラスエンターテインメントの和田さんだった。
和田さんとはその日、石井聰亙の話をしたことを覚えている。
石井聰亙の話が出来るかどうか。
それは日経平均や政権の行方よりも、
僕たちゲームクリエイターにとっては重要な事柄なのである。
(つづく)
by kazutoshi_iida | 2009-06-02 18:08 | 飯田和敏・記 | Comments(3)

ノー・モア・ヒーロー→ノー・モア・ヒーローズです
0

↑そこ、大事か?
大事だよ。直しました。1さんありがと。