京都町家のこと

一生ものとは

一生もの、という言葉があります。
バブルの頃は、高額なブランドもののバッグとか、
カシミアのセーターとかコートなどに
そんな煽りのタグがついたものでした。

若かりし頃は、私も買いました。
けれど、一生ものと言えども、モノですから、使えば、傷む、流行遅れにもなる。
さて、どうする。
結局、私には、それを推してまで使おうという気持ちはなく、
処分してしまいました。
全然、一生じゃなかった〜。


雑誌自遊人から、
あなたにとっての一生ものを撮影、取材させてください、
という依頼がきたとき、
久しぶりに、その言葉と向き合ってみました。

そして、その一生が、
使う側(自分)の一生から、モノの一生にスライドしていたことに気づきました。

考えてみれば、今、借りて住んでいる家は、
何代(人)もの人が受け継いできたものです。
うちの家具はそのほとんどが骨董屋さんから買ったものですが、
なかには江戸時代のものもある。
一生ものとは_b0199526_11471132.jpg

嘉永 弐(1849年)という字が見えます。酉歳だったんですね。
↑ 残念ながら、これは雑誌には載りません。
家、建具、絨通、網代、父の形見の机、母の嫁入り道の茶箱、台所の道具(鍋、うつわetc.)、
そのたもろもろ、撮りました。


一生もの、とは、
モノの一生を全うさせること、

修理をする職人さんがいる、
自分で修理できる、
そして、
そうまでしても大事にしたい、と思わせるだけの
モノに魅力があること、ではないかと

自遊人の取材には、そんなことを話しました。
うまく記事になっているといいなあ ^^


さて。
一生を全うさせる、という意味合いでの一生ものの一例。
軒下に吊るす京すだれ。
琵琶湖の葦を手で編んでいるものです。
量販店などで売っている中国産のすだれの数十倍の値段です。

けれど見た目にも美しい(太く、繊細)だけでなく、
中国産に比べると、すこぶる丈夫です。
とはいえ直射日光と風雨にさらされますから、
少しずつ傷んできます。

少し前、3本(数十本の内)ほど、糸が解けはじめたものがあったので
購入したお店(久保田美簾堂)さんに修理に出しました。

一生ものとは_b0199526_11124124.jpg

右が修理から帰ってきたもの。
編み直してもらいました。まだ糸が焦げ茶色、褪色してません。
左は糸が白いけど、元は焦げ茶色でした。

そしてもう一つ。右と左では長さ(丈)が違う。
これ、傷んだ葦を抜いたわけではなく、
右が、最初(2005年購入)の長さなんです。
糸が弛み、伸びてるんです。
写真でも、隙き間が大きいのがわかると思います。


簾は消耗品です。
けれど、定期的にまとめてメンテナンスに出せば、
丈もチグハグにならず(^^;)、長く使うことができる。
簾の一生を全うさせることができる。

本物を使う、使いこなす、というのは
責任もあるし、たいへん、
知識と時間と情熱と、費用もいる。

それでも、何とかがんばれているのは、
モノが好きだから、なのかな、
そんなことを思う私です。
by keiko-aso | 2012-06-11 11:41 | 京都町家のこと

京都ロンドンから琵琶湖のほとりへ??セルフリノベーションの家


by keiko-aso
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