宜蘭の景観を愛する建築家

おいしいものを食べたあとは、
礁渓老爺大酒店のceoの沈さんの友人でもある
建築家、黄聲遠さんの作品群を見学
最後はアトリエにもお邪魔しました。

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宜蘭で変わった建物があれば、それは彼のもの、と言われているそうです。納得。
社会福祉館の2階から河畔公園へ歩道橋を架けて、地域と河畔公園をつなぐポイントにした(引用)。
そこを歩きながら眺めた夕暮れの川景色。落下を防ぐのはこのネットのみ。
橋の途中には、遊具のようなものもありました。
日本なら、こんな自由なプランは通らないだろうなあ。

黄聲遠さんを紹介する日本語のサイトを2、3。
その1、人物インタビュー
その2
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左上の画像が元の市役所。
建て替えるのではなく、それを生かし、左右に増築。
遠景からだと、いっしょに建てたように見えます。
新しい建物にも、窓などは古いものを使用。

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沈さん、黄さん、私。@黄さんのアトリエ田中央工作群
名前の由来は田んぼの真ん中にあるから、みたいです。
アトリエはまるで幼稚園のような感じ。
頭のいい大人たちが無心に遊びながら、
宜蘭のグランドデザインを手がけている、そんな印象を持ちました。

宜蘭の景観を愛する建築家_b0199526_0125518.jpg




上が模型。下が本物。
礁溪生活学習館かな(たぶん)。
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日本語サイトこちら


そしてこれは
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黄さん設計の戦争記念館
第二次世界大戦の終わりの沖縄戦では、
ここ宜蘭から、90機あまりの特攻隊機が飛び立ったのだそうです。
鹿児島(知覧)だけじゃなかったんですね。
これはその跡地に建てられた、
戦争中の、地元民や日本軍の活動を紹介する施設。

知らずに驚く私に
黄さんは、日本の産經新聞の記事のコビーを渡してくれました。
以下、その一部を引用

掩体壕(えんたいごう=米軍の空襲から飛行機を守るための壕) が壊されることを知り、県長に直談判するなどして10年がかりで完成にこぎつけた。蒋介石らの時代の歴史教育はもっぱら中国大陸の歴史で、日本時代を含む台湾史はほとんど教えられなかった。日本とかかわりの深い郷土の歴史を「広い心で、ありのまま理解する場を作りたい」と黄さんは考えた。


残念ながら、この建物を見ることはできなかったんですが、
次回(があるなら)、絶対に行きたいと思っています。


宜蘭は国民党ではなく、民進党が強い地域。
こういう戦争記念館が建った背景には
そういうこともあるのではないかと思います。
詳しくはこちらをどうぞ。


政治色の強いコメントはご遠慮ください。
by keiko-aso | 2012-02-27 00:13

京都ロンドンから琵琶湖のほとりへ??セルフリノベーションの家


by keiko-aso
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