あの悪夢の様な阪神淡路大震災から23年。
infix、また長友仍世と言えば「FM全国放送の
月曜深夜!」でした。パジャマプレスが終わった後。
生放送を終えて東京FMを出る時に起こった震災…
オーディエンスから頂いた写真やけどコレ
本当に服のセンスない(苦笑)1990年代の俺ら。
この頃は自分が50歳を越えた今の姿とか
この歳で何をしてるか?なんて考えた事も無く
多分 頭の中にカケラよ無かった。
ただひたすらその日その時を生きる。
ちょうど「WINNERS FOREVER」が
スマッシュヒットして全国ツアーとか
出来る様になってやっとバンドが軌道に
乗り始めたのがこの大震災の頃だった。
こんな震災など見た事もなければまさか
日本でこんな事がおこるなんて…
ただ呆然とテレビ画面を眺めるしかなかった。
当然、携帯電話やスマホなどもある訳もなく
近親者とも連絡が取れないし、離れた関西の
画像を見ながら怖くて身震いがした。
ラジオ局も蜂の巣を突っついた様な騒ぎに。
何もできない自分。現場から局に入って来る
生々しい現場の状況の報道。
直後、何が出来るワケでもないけれど
神戸に行かせて貰いました。
倒れたビル、崩壊した線路、ぐにゃりと
曲がってうねった道路。映画の様な世界。
それが現実として目の前にあった。
その後に東日本大震災、熊本大地震など
我々はやはり地震大国に住んでいて
いつ自分がその当事者になるか分からない。
我々は震災から何か学んだのだろうか?
神戸も元の生活に戻れた方はまだいい。
再建を断念して土地を離れざるを得なかった
方々もたくさん居る。
東日本大震災も熊本大地震も復興には
まだほど遠い。避難している何万人という人、
犠牲になった人々の事は積極的に報道されない。
家族も土地も財産も何もかも失くした人々の
現実はリアルに知らされない。
阪神淡路大震災の時、青年バンド、
青春楽団だった俺らももうベテランの
晩年に入っていってる。何か伝えられたか?
人々に何かを訴え遺す事は出来たのか?
いつ、何時、なにがあるか分からない人性。
伝えられる環境にあるうちに音楽もライブも
ラジオも… 生きた証しと自分たちの想いを
届けたいと思うのです。
明日は『めくるめくナイト』収録、
皆さんメールOKですか?!伝えたい事を
そして次の日曜日は歌い初めです。
ticket申し込んでくれましたか~?!
昼間ですがやって来なかった影響をうけた
カバーソングなどにもチャレンジしたいと
思っています。挑戦もしたい、そしてまた
みんなの街に俺たちが歌い演奏しに行きたい。
長友仍世 私信でした。