デビュー記念日の翌日3月22日は、ついにーッ!!まちなかシリコンバレーのテープカット、待ちに待ったオープニングセレモニーでした。
どの地方都市も抱える少子高齢化やシャッター商店街問題…
石炭の産地として隆盛を極めた我が大牟田もエネルギー政策の転換により現在では日本一の高齢化都市と言われるまでになりました。
そんな現状を打破しようと大牟田はもとより、全国各地で様々な試みが為されました。
でも大牟田市も郊外型大型ショッピングモールの進出や企業の撤退などで人口流出に歯止めが掛からず、企業や学校の誘致や第三セクターによる遊園地などの事業も道半ばで頓挫に近い状態にありました。
市民全員レベルで…特に若い世代を中心に本気で街の改革も意識の改革もして行かなければ過疎を止める事は出来んです。多くの町がそれで疲弊して来た事と思います。
しかし、俺自身も何度も呼びかけて来ても協力は得られず、2011年の新幹線開業イベントに呼んで貰うまでは 「もはや黙って大牟田の衰退を見ているほかない」 と諦めていました。
内側に向けては強気で居られても一歩町を出たら気恥ずかしくて何も言えない…情報の発信すら積極的に出来ない。行政に不満や文句は言えてもそれを打開する行動も出来ない、策も知恵も出さない… 一緒にみんなが手を取ってやらなければ何も進まないのに。
縦割りの町を変えたいと学生時代にミュージックフェスや学生イベントをなりふり構わず仕掛けていた頃の純粋な気持ちも願いも、、自分自身忘れかけていた。
内弁慶ではいけないのだ。反省、反省よ。諦めほど怖いモノはないのにイカンばい。
そんな忘れかけていたピュアで熱い気持ちを呼び起こしてくれたのが学生主体の事業、この「まちなかシリコンバレー」やった。
じいちゃんばあちゃんや学生や子供まで世代も性別も超えて交流できる場所を作りたい!町に企業を誘致したい!そんな夢を思い起こさせ実現しようとしている若者や企業人たち、先生が居た。
俺、何でもやろう!と思った。故郷が好きでこの町で夢を見て皆さんに育ててもらって今があるけん。まちなかシリコンバレー事務所がある銀座商店街に育ててもらったやん。
新幹線開通イベントでは震災により出来なかったテープカットもさせて頂けた。俺はこの事業を知ってもらう為に広報します。良いも悪いも随時その経過報告も続けて行きます。自己への責任という意味でもハサミを入れさせて頂きました。
オープニングセレモニーの後はライブ!ではなく(笑)その前に銀座通り商店街イベントの司会!!
この日の為に地元商店街の事もマグロ解体ショーの台本もキッチリ勉強して来たよ!しゃべりは聴取率一位を何度か獲得してるけんダテじゃなかよ(笑) 子供ん時から歩き回った銀座通り商店街でイベント司会が出来るんやから本気と書いて「マジ」です(^^ゞ
二十日えびす名物となった七福神の練り歩き、宮崎の伝統芸能、福笑会さんのひょっとこ踊りの大行列!銀座通り商店街は往時のごとく人であふれ活気に満ちてました。嬉しかったなぁ~あの光景。
やっぱり専門店街って大事ばい。人と人、人とお店が触れ合う事って大切やとしみじみと思った。安かろう悪かろうでは商品の質もお店の質もひいては人間の質まで堕ちてしまうと。
当時は自分たちのライブやイベントの宣伝をさせて頂いた場所で今度は商店街の盛り上げが出来る…巡る時の中で幸せを感じながら、回る寿司屋のマグロではなく、市場直送のクロマグロの解体ショー!の司会もやらせて頂きました。
思い起こせば幼稚園の時から司会ってやってたんだよね、オレ。
幼稚園同士の交流会の司会から小学校の運動会の司会に…子供ん時からよくしゃべるヤツだったのね(苦笑)あははぁ…。
人様が喜んで下さる(喜んでくれる)顔が見たくて歌手を志したりラジオパーソナリティーをやりたい!って思ったんだよねぇ…という原点中の原点を思い出してました。
やっぱり歌もトークもこの町が俺を育ててくれたんだって。
マグロはホントに美味そうやった。司会だし持って帰れないけん買えないし食べられない!でも優しい人がひと切れ口に入れてくれました(笑) 旨かったぁ~解体して安く即売するんだから降ろしたてを食べられた人は毎年ラッキーよ。老舗料亭新みなとさんも提供で特製タレにマグロを漬けて振る舞ってました。あぁ、家でマグロ丼にして食べたかったばい(T^T)
ガマの油売り?とマグロ解体ショーの司会だけは?来年からやらせて欲しいくらい。晴れ男、長友仍世の歌より凄いマグロ売りの声は天高く春の空に響き渡りましたげな(笑)!
では、次はいよいよライブの報告?かな(笑)