将来は「歌手か電車の運転手!」僕のリアルな夢……
大牟田は「炭鉱節」でも有名な産炭地でした。石炭が隆盛を極めた明治、大正、昭和中期の高度成長期には街もかなり潤い賑わっていました。まさに三井炭鉱の城下町として華々しく栄えたのです。
我が大牟田にはその石炭を国内外に送り出すべく、専用鉄道が街を囲む様に走っていました。それが三井三池炭鉱鉄道、地元の人々は愛着を込めて「炭鉱電車」と呼び一時は乗客輸送も行っていました。
その炭鉱電車、石炭車を引っ張るのが明治時代にドイツ、シーメンスから輸入された可愛い赤の凸型電気機関車でした。国鉄より先に電化されていたのですから、いかに大牟田が石炭産業でが裕福な街であったか往時が忍ばれます。

まぁ、そんな事は置いておいて、凸型電車は鉄道マニアの間でも人気が高く今でも日本で始めて走ったこの明治時代製造の凸電車が一部走っています(保存もされています)。
僕は幼い頃、祖父ちゃん家に預けられる事が多く、祖父ちゃん家の前にはこの石炭を積み出す炭鉱電車が何十輌も走ってせっせと入れ替え作業などで忙しく動き回っていて、日がな飽きる事もなく毎日その電車を眺めていました。可愛い赤い娘と呼ばれた凸型電車を。
まさか明治生まれ、自分よりかなり年上とも知らずに(笑)
毎日ずっと見てたら運転士のオジサンが「坊主、電車好きか?」とか聞いて来て「うん!」とか言うとたまに乗せてくれました。余計に炭鉱電車が好きになって中学、高校に上がってもその熱は冷めず、学校の行き帰りにわざわざ観に(会いに?)行ったモノでした。
子供の頃からの夢はリアルにふたつ。歌手になるか電車の運転士になるか…真面目に二者択一でしたから。
今でも必ず帰ったら会いに行きます。
そして去年、市役所の方々の温かい計らいで約40年振りにこの炭鉱電車に乗せて戴きました。涙が出るくらい感激しました。
当時はさほど注目される事もなかったこの電気機関車の価値がやっと最近見直され、遺産として保存されています。日本最古の電気機関車…僕の初恋の赤い娘です。。
今は数輌しか残っていませんし線路も価値の分からん昔の役所や工場の人たちが撤廃して二度と敷設できませんが残った電車や線路は何としても守りたいし大牟田の名物として全国の電車マニアの方々にも観て戴きたいものです!!
鉄道模型を集める趣味はここからスタートして、我が家にもこの凸型電車はじめ色々な古い形式の車両が居ます。鉄っちゃんは男のロマンであります…新幹線のついでにぜひ歴史的価値満載の炭鉱鉄道もどうぞ!!